2022年08月24日

松本5 あがたの森公園

あがたの森公園

 あがたといえば「県」という字が思い浮かぶ。
 調べてみたら、元は県神社(あがたじんじゃ)の森の跡であった。
 そこに旧制の松本高校ができた。何度も言うが日本登山のメッカであった。
 現在は「あがたの森公園」となっている。松本駅から東へ1.5キロ。 
 歩いていると、高校生らしき群れの中に入る。そしてその人たちは公園の入り口から吸い込まれる。
 地図で見ると、高校3校が近くにある。松本県ケ丘高等学校、エクセラン高等学校、松商学園高等学校。

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 あがたの森公園入り口、右には「松本等學校跡地」とある。

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 古い建物は閉まっていて、文化会館移転のお知らせがある。

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 重要文化財、旧松本等學校講堂

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 コーヒーショップがある。入らなかった。

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 進むと大木が目につく。右の方へ行く。

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 公園らしい明るい場所に出た。

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 庭園風になる。

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 橋の側に四阿がある。

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 四阿はかなり大きい、池もそれなりに広い。

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 平和の誓い
 タイミングが悪かった。午後遅くが良いか。

 公園の外へ出て、松商学園の南側へ行くと薄川がある。川に沿って歩く。
 川の向こう側は、地図では「アルプス展望のしののめみち」とあるが、古道なのか。
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 工事中ながら、水は清い。この上は右に曲がり、山間になるとはいえ、人家は多い。水質に気をつけているのだろう。

 途中で筑摩神社(つかまじんじゃ)が目に入った。重要文化財に指定された由緒のある神社であるが、残念ながら、わたしの興味は引かなかった。

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 正面から見て左側。

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 こちらが正面になる。

 神道は教えのない宗教とも言われる。訓戒を垂れることはないし、宗教人としての定まった規程はない。
 価値は人々が大事にしてきたという歴史のみだ。それ故、解説者がいないと価値や意味が判らない。一応正面から手を合わせてきたが、見ず知らずの人が手を合わせる、そこが価値かも知れない。
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2022年08月21日

松本4 アルプス公園

アルプス公園

 松本駅から北へ三キロほど行くと、アルプス公園がある。道路では四キロくらいか。
   アルプス公案内 案内
 交通の便が悪く、バスの便は一日2便、計画的に行かないと難しい。涼しい時期なら、歩いてもいけるが……。わたしはタクシーを使った。着いたとき運転手は「こんな何もない山道ばかりですよ」という。「この公園は昔は牧場であった」ともいう。
 南入口から入る。かなり広い。
 ほとんど人はいない。マレットゴルフ場だけはパラパラと人がいた。
 
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 少し歩くと「山と自然博物館」がある。

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 展望台(無料)に上がり、そして小さな博物館(有料)を見学する。最後までわたし一人だった。
 展望台では安曇野が一望できる。また北アルプス銀座通りが見える。

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 南西方向

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 感覚的にはこちらが展望の正面。

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 西方向 目立つのが常念岳、その右が横通岳。その右は大天井岳など。

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 北西方向は、豊科か。

 下に降りて、博物館に入る。
   山と自然博物館 案内

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 デーラボッチのイメージ像、こどもの遊び場になりそうだが、今は禁止。コロナウイルス問題が収まるまでか。
 動植物や岩石の標本。また登山の歴史など。わたしは興味深かった。
 

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 この辺りはこども連れがちらほら。

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 判りにくいがミニ動物園がある。
 ここからは写真がない。疲れてきたのかな。小川に沿って、中央辺りの池に出る。
 ここからは本格的な山の中。公園の地図で見ると北東側半分である。約半周し東側の外に出る。広い道を歩いていると、紅葉を見つけた。

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 楓の若葉か。
 地図を見たりしたがバス路線もなく、タクシーも通りそうにない。
 また公園内に入る。小さいが谷側に降りる。高低差はかなりある。
 地図では、16ふれあいの水辺。こういう所は好きだが、なんと行き止まり。

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 谷の先には高い橋が架かっている。
 坂道を登って引き返す。高い橋の方向に向かって坂道を歩く。ここで「こんにちは」と挨拶する女性に出会った。「こんにちは」
 なんとかという小鳥の写真を撮りに来たのだが、全然姿を現さない。むこうでは声が聞こえました?
 谷底にしばらくいたのですが、気がつきませんでした。午前中には、博物館の方で鶯の声がしましたけど。 
 今日は無理かな。
 詳しそうなので、松元駅の方に行くバス路線のことを訊いてみた。
 それではわたしも谷に降りることは止めて帰ることにするので、車で送ってあげましょう。すぐそこの東入口駐車場です。
 先の高い橋を渡ったら広い駐車場だった。
 神奈川県からこちらに来て30年になるという。わたしは松本に一週間の予定というとびっくりしていた。いろいろ話をしていると、あっという間に松本駅に着いた。
 今回の松本旅行で、一番印象に残ったありがたいことだった。

 六時過ぎ、食事をしようと蕎麦屋に行くともう終わりです、と言われた。 
 「蕎麦が売り切れてしまったので、今日は閉めます」
 別の日にその店に入り、馬刺しと盛りそばを注文した。馬刺しが先に出たので、ゆっくり食べていると蕎麦が来た。
 半分残った馬刺しの皿を脇によけて、「伸びてしまいますから、こちらから先に召し上がってください」と言われた。
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2022年08月12日

松本3 松本城(後)

松本城(後)

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 外堀である。外堀は東側だけが残り、南側と西側は埋められている。
 水は浅いが澄んでいる。昔からこんなに浅かったか。鯉が背びれを出して泳いでも水が濁る。

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 二の丸裏御門橋。この橋は通ることができる。二の丸の北端である。

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 松本は扇状地。松本城も全体的に土地が傾いている。そのため、堀も何カ所か区切り、水門で水を調節している。黒門前でも区切られていた。

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 巨木が多い。松本神社の前。ここは城の北側、わたしの背中は堀。

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 埋橋。この橋は通れなかった。老朽化している。

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 南側から。こうして二の丸から見ると内堀は庭の池のようだ。それゆえ、外堀が必要だったのかもしれない。

 入り口にあったそば屋で手打ち蕎麦を食べて、今度は総堀の跡をたどる。
 総堀はほとんど埋められ、地図東側上部ににわずかに残っているだけだ。かなり歩いたような気がするが、地図で見るとたいした距離ではない。

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 黄菖蒲が咲いているように、かなり浅い。底がはっきり見える。
 道は北に向かってわずかな上り坂である。扇状地の特徴だ。

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 総堀の北の端を曲がると堀は終わり、凹んだ埋め立て地になる。そこには自噴井戸がある。ここもブラタモリで紹介されたところだ。
 松本の周りは高い山。その昔、山を目指した男の子は松本高校に集まった。そんな地形が、各地で水を湧き出させる。
 ブラタモリの松本編を見た人は、町中のあちこちの自噴井戸に驚いたかもしれない。
わたしも歩いていて、7カ所の自噴井戸を見た。2カ所で水の補給もした。

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 左の道とくらべ、これだけ凹んでいる。

 西へ歩く。総堀跡は土地が低いので判りやすい。

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 北馬場柳の井戸

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 水質に対する注意書きがある。ここ以外では見たことがない。

 外堀復元予定地で水質に問題あったという記事を見た。どのように埋め立てたのか気になるところ。市街地はビルが建ち並び、それも水質に影響しないのか。
 ここから西側の総堀の跡らしき道を歩く。

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 説明がないが、ここは総堀の跡である。ここもブラタモリで説明していた。

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 西総堀土塁公園。
 わずかに残された土塁の一部。説明がないと通り過ぎたであろう。延長約二キロ。
 総堀を掘ったその土で作った。往時にはこの上に塀があった。


 地図のはじめで説明した、女鳥羽川と総堀の境の土手は、狭いながら繁華街だったらしい。
 今は総堀は埋められているが、それでも旧土手道は、縄手通り商店街として、人気がある。

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 縄手通り入り口。

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 自動車は入れない。

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 時間が遅かった。

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 別な日の縄手通り。ここにも自噴井戸。肝心の賑やかな街の写真がない。残念。水をくむのは順番待ちだったのに。

 女鳥羽川の河原に降りる。かなり濁っている。上流には人家や農地があるのだ。
 この川は総堀の南側を横に流れている。かなり整形したと思われる。ブラタモリでは、本来、城の西側を流れていたのではないかという説を紹介していた。

 二百メートルほど下流に、南方から流入する水を見つけた。

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 まるで上水だ。自噴する水を集めたのか。
 濁った女鳥羽川に流れ出るが、対比が著しい。 
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2022年08月10日

松本2 松本城(前)

松本城(前)
 わたしはその日泊まるホテルに荷物を預け、歩いて松本城に向かった。二回に分ける。
 松本城は国宝である。よく俗称として烏城(からすじょう)と言われると記述されているが、過去の文献にはなく誤りという説がある。初出はなんと昭和41年。
 なお岡山城は烏城(うじょう)。

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 女鳥羽川(めとばがわ)を渡ると一応松本城のエリアになるが、知らないとわかりにくい。
 道は一応クランクになっている。大手門の跡であり、枡形虎口があったので道はずれているのだ。

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 女鳥羽川はそれほど広い川ではない。街中としては大きいか。

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 この図の左右中央の下に大手門。
 女鳥羽川が下辺に横に流れ、その北側の土手を挟んで、総堀があった。薄い青は埋められている。
 松本城は一応、本丸の周りを内堀。二の丸と三の丸の間を外堀としている。その周りにほとんど埋められている総堀がある。
 内堀・外堀・総堀さらに女鳥羽川も4番目の堀の役を担う。しかし、現在の内堀と外堀で半二重の内堀、そして総堀が外堀と見るのが自然だ。
 総堀は右上にわずかに残っている。青い部分。
 外堀は図でも判るように南と西が埋められている。現在復元計画中なのだが、どこまで進んでいるか。

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 大手門からまっすぐに外堀まで。右は堀。この左側は残念ながら埋められてしまっている。ただし、外堀が復元されたら、そば屋の位置は堀になるのかな。
 古地図では、ここには道はなく、右に回り太鼓門から二の丸に入ったようだ。
 現在はまっすぐに、この堀を越えれば「二の丸」地域。

 これからのことは、二日分の行程だが、説明は分けていない。

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 内堀の向こう側が黒門。威厳をもって客を迎える。

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 この道を通って入る。この道は橋ではない。左右の堀では水面の高さが違う。それにしてもかなり浅い。

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 内堀を渡り、入場料を払って、黒門を通る。

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 芝生は本丸の位置が示されている。正面に天守閣。
 かなり前だが、わたしは松本城に来たことがある。そのときは、手前辺りに有料ロッカーがあったが、ほとんどの観光客はロッカーを使わず、この辺りに適当に荷物を置いて天守閣に登っていた。わたしもそうした。今ではあり得ない。

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 赤い欄干の部分は三代家光を迎えるために建て増ししたが、ドタキャンされたという。
 ブラタモリの松本編を見た人は、この辺りの説明を思い出して欲しい。

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 ここから天守閣に登る。
 天守閣の階段は狭くて急で、係員が交通整理をし、「横歩きがよい」と歩き方を説明しているほど。上では写真どころではなかった。
 で、昔の写真で代用

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 下に降りればホッとする、ゆったりした空間。


 黒門から出ると、古図の右の方へ歩く。ここには博物館があったのに、引っ越し工事中で、すでに廃館。建物のみ。
 太鼓門の方へ進み、その先の二の丸御殿跡に行く。

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 二の丸御殿跡はこのように区割りされている。縄で囲まれているが、一カ所開いていて、中に入れる。律儀に誰も縄をまたがない。

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 戻って太鼓門から外へ出る。

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 枡形になってるので主要な門だ。

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 太鼓門を外から。
posted by たくせん(謫仙) at 11:20| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年08月06日

松本1 碁会

 今年の5月に小林千寿六段主催の囲碁合宿で松本に行った。その後ひとりで松本市内を歩いた。
 有名観光地なのでいまさらだが、いくつか紹介する。
 まずは、松本美術館だ。
 後でホテルの人から、「開いていたンですか」とびっくりされた。つい先日まで、コロナウイルスの影響で、休館だったそうだ。
 この美術館はなんと言っても草間彌生だ。

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 本来、草間彌生の常設展があるらしいが、このときは、正倉院展でお休み。
 正倉院御物は、もちろん複製だが、かなり精巧で見て良かった。
 その後に駅前に集合した。アンティ・トルマネン初段夫妻も山形から駆けつけてくれた。ホテルのマイクロバスで会場つまりホテルに向かう。
 
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 ホテルから見た松本市。

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 ひときわ目立つのが常念岳。その右の常念乗越の常念小屋に泊まったことがあるが、いまは想い出。
 次の朝、朝食前に、近くの見はらし台まで登った。

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 その途中で見つけた藤によく似た花、蔓ではないので、藤ではなさそう。ニセアカシアと教えてもらった。
 多くの松が切り倒されて重ねられている。椎茸のホダ木には使えないし、山道の景観のためか。そう思っていたら、辺り一帯の松の木が松食い虫に荒らされていたのだった。

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 見晴台の景色。かなり広く見えた。

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 北アルプス。

 碁会2日目は、地元の囲碁会との合同碁会。会場に行くマイクロバスでなんと乗り物酔い。ウワー。もう写真を撮る余裕はない。

 両先生の指導碁は地元の方に譲り、わたしたちは対局に専念。わたしの二人目は中校生らしい女の子。なんと何にも話さない。終局寸前に相手が間違えて、大石が死んでしまった。それでも考えているので、「ここで終わりにしましょう」と声をかけた。少し感想も言ったが、それでも無言。
 昼休みになったので、小林先生のお嬢さんにそっと訊いた。
「あの子は話せないンですか」
「いえ、そんなことはない。普通に話してますよ。高齢の男の人相手なので遠慮したンじゃないかしら」
 午後、手空きのようなので声をかけた。
「もう一度、わたしと打ちませんか」
「イヤダッ」

 三日目は朝食の後解散。多くの人はゴルフに行き、わたしたち残り三人は皆に遅れて駅近くまで送ってもらう。
posted by たくせん(謫仙) at 15:03| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年06月06日

桃花石

 先日散歩していたら、歩道の敷石に珍しい石が使われていた。
 桃花石だ。もっとも宝石の桃花石とは異なるだろう。このあたり正確なことは知らない。
 わたしが桃花島に行ったのは2006年3月のことだった。
 当時は中国国内でも小説(ドラマ)上の架空の島と思われていたらしい。そのように思っている人が多かったという。
 わたしたち武侠迷(武侠ファン)9名は関西空港から上海に行き、一泊して桃花島に向かう。片道一日半かかった。東京からは2日半だ。
 詳しい話は旅行記「桃花有情」を読んでいただくとして、その島の特産の石が桃花石だ。
参考 桃花有情 3 射雕英雄伝旅游城

 写真は散歩中に見つけた歩道の敷石。

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 シダの化石と思われる。道路の敷石などに使われているように、高価な石ではないだろう。桃花島にある石だから桃花石、としか思えない。
 それで、散歩で見つけた石はその桃花石とそっくりだった。輸入したのだろうか。
 もしかしたら、そのような模様を付けただけなのかもしれない。桃花島を思い出しながら、しばらく見入ってしまった。

参考 桃花有情 1 往路 
posted by たくせん(謫仙) at 07:14| Comment(0) | 山房筆記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年05月06日

フィルムの劣化

フィルムの劣化
 いま、古いフィルムをスキャナー撮りしている。
 もう使うことはほとんどなく、そのまま捨てても良いくらいだが、一応記念にとっておこうと思った。これが終われば押し入れの半分が空く。管理の手間も少なくなる。
 もっとも、そのために手間をかけてスキャナー撮りするのは矛盾するか。

 大体1990年頃までがネガフィルム。これをポジフィルム(ラッシュ)にして、マウントしてある。
 それから2004年頃までがポジフィルムの時代。ここまで約2万コマ。この頃、スキャナー撮りした写真は鮮明であるが、今となっては画像が小さすぎた。横1000ピクセルのパソコンに載せる大きさだったのだ。
 その当時のスキャナーは故障してしまった。
 最近新しい小型スキャナーを買った。使ってみて判ったが、スキャナーの性能が低すぎた。特に明暗の幅が狭くハレーションをおこしてしまう。前のスキャナーではきれいに見える夕焼けも、新しいスキャナーでは表現できない。しかも、フィルムが劣化している。
 2004年にデジカメとなった。
 ところがここ数年ほとんど撮っていない。しかもいわゆるカメラは使わず、iPadやケータイで済ませている。これらは劣化しない。
 全部終わるまで、辛抱が続くかどうか。

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
6月2日記
 ようやく終わった。万一ネガからおこす必要に備えて、スキャナーは捨てずに置くが、おそらく二度と使うことはないだろう。
 これからの処理は、選択。不要なコマの消去などだが、それは折りがあればで、いまはする気がない。
posted by たくせん(謫仙) at 19:06| Comment(0) | 山房筆記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年12月30日

賢い人ほど騙される

賢い人ほど騙される
  心と脳に仕掛けられた「落とし穴」のすべて
Suspicious Minds - Why we believe conspiracy theory
ロブ・ブラザートン(訳 中村千波) ダイヤモンド社  2020.7

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 なぜ人は陰謀説を信じてしまうのかという内容で、興味深いと思えるのに、題名がおかしい。
 グー翻訳してみたら、「怪しい心」とでも言うのか、そして副題が「陰謀説を信じる理由」
 ついでにアマゾン書評をみたら同様の評価があって、帯の「悪用厳禁」もミスリード、と。
 中身とは意味ずれているようだ。

 陰謀説といえば有名なのは、
「ケネディ暗殺はアメリカCIAの… 」
「アメリカ同時多発テロはアメリカ政府の計画」
「爬虫類型宇宙人が人間を支配している」
「アポロの月着陸は捏造で、スタジオ撮影」
 アメリカ以外にもあるが省く。全て架空の真犯人が判るはずがない。もちろん証拠もない。
 証拠もないのに言う。「証拠を残さないほど巧みなのだ」
 なぜこんな話を信じてしまうのか、人の脳の仕組みから解説している。
 ひとつ例をあげよう。
 川に木が浮かんでいる。簡単に近寄る人と、ワニかもしれないと用心する人がいる。どちらが生存率が高いか。このように用心する心が生き延びて、陰謀説を生むことになる。〜のようだが、もしかしたら〜。

 この本はコロナウイルスパンデミック発生以前に書かれている。そして、内容はコロナウイルス陰謀説にも当てはまる。
「オバマ大統領が、武漢の研究所に作成依頼をしたウイルスが、漏れてしまった」
 これなど陰謀説の作成者の姿が思い浮かび、笑ってしまう。
 なんで、武漢の研究所に依頼するのだ、どうやって大金を払い、ウイルスを受け取るのだ。
 ワクチン製造薬品会社によるウイルス作成説もある。よくも全社員がいつまでも秘密を守れるものだ。
 ワクチン毒薬説もある。「2年後に死ぬ」など、まさか。

 実はわたしも薬品類は基本的に毒だと思っている。用量を間違えると危険だ。だから医師や薬剤師の厳重な管理の下で利用するのだ。素人判断で利用してはならない。薬局で売っているのは毒性が弱く、多少誤用してもなんとかなる。
 ワクチンは弱い毒で、それで耐性を獲得して、本物の強い毒に備えている。しかし、ワクチン毒薬説はそんな意味ではなかった。

 本の内容はいいと思うが、原文がまずいのか、訳者の日本語力が足りないのか、いささか読みづらい。
posted by たくせん(謫仙) at 13:10| Comment(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年09月14日

みをつくし料理帖

みをつくし料理帖  天の梯(そらのかけはし)
田 郁(かおる)  ハルキ文庫   2014.8

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 みをつくし料理帖はこの第10巻をもって完結した。
 澪(みを)は享和2年の大阪の大水害で、幼くして親を亡くし、料理屋「天満一兆庵」の女将である芳(よし)に奉公人として引き取られる。
 ある洪水の後、汁物の味が変わって、料理人たちが原因が判らず困っていたとき、澪は水の味が変わったことを指摘する。それで主人の嘉兵衛に見込まれ、女ながら料理人の修行をすることになる。
 あるとき店は火事になり、大阪の店は再建せず、嘉兵衛とその妻芳と澪は江戸の支店に来るが、嘉兵衛の息子佐兵衛は店をつぶして、行方不明であった。心労で嘉兵衛は亡くなる。
 澪(みを)は小さな店「つる家」で料理人として働き、芳と一緒に生活を続けた。
 医師源斉の言葉「食は人の天なり」を励みに、人々が健やかに生きることを目指して、料理を作る。
 こうして6年、幼なじみの野江が吉原にいることを知り、四千両を工面して救いだし、佐兵衛を料理人に戻して、江戸に天満一兆庵を再興させ、自分も医師源斉に嫁ぎ、ともに大阪に行き、新しい人生をはじめる。
 その後、料理屋「みをつくし」を開店することになるはず。付録にある11年後の料理番付が暗示している。

 超あらすじはこんなところだが、江戸の人の暮らしぶりや人情などかなり細かく描写されている。澪の料理の工夫ぶりも細かい。しかも架空の料理ではなく、小説の話をまとめたレシピまでついている。
 最終話になり、ページが残り少ないのに問題解決の先が見えず心配したが、違和感なくまとまっている。話は始まりから終わりまで一貫して練られているので、読後は爽やかで後味が良い。

 あちこちで涙が止まらなくなった。
 たとえば、つる家には下足番となった十三歳の“ふき”がいる。ふきは七歳の弟健坊が奉公先の登龍楼に戻るのをいやがったとき、心を鬼にして「登龍楼に戻れ」と叱るあたり。
 住む家もなく、二人で生きるすべもなく、幼い二人が生きてゆくために、ふきは苦渋の決断をしなければならなかったのだ。
 その前に、健坊の初めての藪入りの時は、ふきは健坊をふきの奉公先つる家に連れてこず、登龍楼ちかくをふたりでうろうろして白玉を食べただけ。
 つる家の皆は、ふきが健坊を連れてくると思っていたので残念がったが、ある人が、「そりゃあ、連れてくることはできないだろう」と、ふきの心情を喝破するところとか。
 わたしはどうも、無力であるが故に選択肢がなく、無理を強いられる話に弱い。

 心残りは、二人の少年(太一と健坊)が将来どうなるのかが、はっきりしないこと。サブキャラとはいえ、感情移入してしまった。

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 後にドラマ化されたが、澪の料理に特化して、味が薄くなった。まさに料理帖だ。多くの登場人物が問題をかかえたままで終わってしまい、物足りなかった。
 また映画化もしたが、この長い物語を一本の映画にまとめることは無理で、かなり省略して、設定も変えて、表面だけをさらったような感じで、見るのが辛いほど。原作を読んでいた故であろう。だから原作を知らなければ、それで良しとしかもしれない。
posted by たくせん(謫仙) at 13:58| Comment(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年06月14日

日本視覚障害者囲碁協会

 今年の2月14日。木谷正道さんより連絡があった。

 晴都君の院生採用がほぼ決まりました。
 2月4日に、柿島さんを含め5人で日本棋院を訪問し、柳 時熏理事、小島文男事務局長にお願いをしました。
 柳理事は、視覚障がい者囲碁もアイゴも初めてでしたが、強い関心を示されました。
 
 課題は二つありました。
1 碁盤にアイゴを使用すること⇒日本棋院規約の改正が必要らしい。
2 対局相手の了解
 特に、最後の「秒読み」(一手30秒)で、石をはめるのに手間取って時計が切れてしまえば時間切れ負けになります。
 これをどうするのかな?
 と考えていたら、
 何と、9日の理事会で、採用の方向が決まり、関係者と協議することになったとのことです。
 異例に速い。 


 わたしは一度全盲の方と打ったことがある。本来はわたしが打ったとき、「3の五」などと座標を言うのだが、とっさに判らないときは、「桂馬」などと言うと相手は触って確かめる。どうしてもうまく言えないときは、相手の指をとって、打った所に導く。
 そんなふうにして対局した。互先だった。
 そのとき使った盤石は全盲の方が持参した。19路が盛り上がっていて、石の裏側は八方に溝があり、盤にはめ込む。これがアイゴだった。

 この度、全盲の方のホームページが作られた。トップにアイゴの写真があって、その様子がよく判る。
   日本視覚障害者囲碁協会 https://aigo.tokyo/
   (一般社団法人)日本視覚障害者囲碁協会 代表理事柿島光晴

 先日、晴都君と菫ちゃんの公開対局が報道された。二子局だった。晴都君の健闘が光ったが、ヨセに強い菫ちゃんにヨセで差をつけられ、思った以上に差が開いてしまった。
 菫ちゃん(現在12歳)だが、本来は仲邑先生あるいは仲邑二段と呼ぶべきだ。しかしファンの間では菫ちゃんで通っていて、わたしも使わしてもらう。
 菫ちゃんは囲碁界では奇跡的存在なのに、一般のニュースになることは少ない。
  仲邑 菫(ナカムラ スミレ / NAKAMURA, Sumire)
  https://www.nihonkiin.or.jp/player/htm/ki000496.html
 
 碁盤のアイゴは需要が少ないため、製造の会社では金型がお蔵入りしていたという。けっこう関係者も苦労したようだ。
 あの複雑な盤上が、見えずによく判るなあと驚くが、全盲の方は言う。
「誰でも手を読むとき、盤上に石を置かずに読むではないか、それをはじめからやっているだけだ」
 わたしには奇跡の才能に思える。
posted by たくせん(謫仙) at 08:47| Comment(1) | 囲碁雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする