2020年07月04日

ホームページの改造

ホームページの大改造をした。
 数年前から考えていたのだが、今では仕事でもホームページ作成をしたりして、それなりに深く知る必要が生じていたのだ。
 従来はHPBで作っていたが、時代に沿わなくなっていた。
 そこで、買い求めたのが、
   HTML&CSSのきほん 1980円
      22.7.3.jpg

 これで4日間、HTMLのお勉強。かなり難しいが、いままでのHPBでもHTML文は見ていたし、ブログを始めたときは、見本を選ぶと、そのCSS文も変えることができ、一ヶ月以上かけて、CSS文を変更し、ようやく今のブログを作ったのである。2007年のことであった。
 それから13年経つが改造はしていない。HTMLも5.2になったが、特に問題はないようだ。
 本題のホームページだが、HPBでは、いろいろと問題が生じていた。使えなくなる前に、HTML5 に準拠したホームページにしたい。
 「HTML&CSSのきほん」だけでは、とても無理だ(時間も、技能も)。そこで新しいホームページ作成ソフトを求めた。そして選んだのがSIRIUS(シリウス)である。
 普通なら、WordPressであろうが、なぜか気が向かない。
 余談だが、わたしがインターネットで物を買うのは今回が初めてである。いままでは、物は選んであって、流通経路としてインターネットを利用しただけだった。今回はインターネットで物を選び購入した。つまり中身が全く確認できない状態で、宣伝文だけで判断した。
 6月23日に購入。HPBよりかなり難しい気がした。しかし、他のソフトは使ったことがないので、易しいのか難しいのか判断はできない。ブログとHPBの経験とHTMLのお勉強があったので、なんとか7月3日に公開できた。
 まだあちこちを手直ししたい。それはゆっくり。

7/7追記
 このソフトは、HTML&CSSの知識がないと扱いにくい。
 内蔵のアップロード機能は使いにくい(わたしには使えない)ので、FFFTPをインストールした。
 画像フォルダー名にimgを使うと、アップロード時に、ソフトが用意した100個以上の不要な画像ファイルが一瞬に滑り込む。何度か消したが、繰り返しなので、画像フォルダー名を変更し、アップロード時に工夫することで解決した。それでもimgフォルダーが入り込んでくる。こうなると「改訂ファイルのみアップロード」という機能が使えない。
 ページ内リンクの仕方が判らず、ネットで調べて、タグ打ちでリンク処理をした。これでリンク問題は解決した。
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2020年06月06日

須弥山と極楽

2007.4.2 記
2020.6.6 加筆

      定方晟   講談社   昭和48年
「倶舎論」の須弥山(シュミセン)世界を解説している。宗教書ではないので、わたしのような素人にも判りやすい。
      shumisentogokuraku.jpg 

1 人間は宇宙をどうとらえたか
 古代社会では様々な世界観が考え出された。
 下の図はわたし(謫仙)がこの本を元にして書いてみた図である。
 まずこの地上世界の形だ。図の比率は不正確だが、イメージだけ。
 風輪の上に水輪が乗り、同じ太さの金輪がその上に乗る。その金輪上の表面に須弥山をはじめとする地上がある。
 金輪の一番下が金輪際である。落語などで、「金輪際いたしません」などと謝るあの金輪際である。
   (以下数字の単位はすべて由旬)



 さて、問題は円周の10の59乗である。原典は無数。これは無限大の意味ではなく、具体的な大きさを現す。
1光年が約10の13乗キロ(10兆キロ)であることを思えば、宇宙の中に入りきれないことが判る。実にバランスが悪い。おそらく考えた人は、具体的な形をイメージせず、やたらに大きい数字を並べたに違いない。
 金輪の上の表面は、たらいのような形をしている。
 中心に須弥山(しゅみせん)があり、その周りを七重の山が塀のように囲み、外側の海は塩水で、円形の鉄囲山(てっちせん)がその縁である。断面図で見ると、水面上はどの山も正方形である。



 図は大きさのバランスを無視している。
 南の贍部洲(せんぶしゅう、閻浮提(えんぶだい)ともいう)が、我々の住む世界である。
 中心付近に雪山(ヒマラヤ山脈)がある。言うまでもなく、インドの形がモデルであることが判る。三角形に近い。
 大きさは三つの長辺がそれぞれ2千由旬である。これによって諸説ある由旬の長さが推定できる。

2 仏教の地獄と天界
 地獄は「ナラカ」あるいは「奈落」といわれている。
 まず八熱地獄が贍部洲の下にある。あるというが、これは贍部洲よりはるかに大きい。
 一番下の無間地獄は特に大きく、二万由旬の立方体である。
 矛盾もあるようだが、ともかく地獄の説明はバカバカしいほどに詳しい。これは仏教ばかりではない。あとは略して、天界の話にしよう。
 上の図から判るように、須弥山は8万由旬の立方体を二つ重ねた形をしている。そして、下半分は水面下にある。水面上の部分を詳しく見る。



 仏教では、世界はこのように考えられていた。今から考えるとお笑いだが、インドではすべてこのように、数字的に整然と考える習慣があった。たとえば苦しみは四苦八苦と言うように。口伝によって伝えるときに、伝えやすいという利点がある。
 次は天界である。天は魔法の絨毯のように、須弥山の真上に浮かんでいる。そしてそこに住む有情も天という。◯◯天と言ったとき、場所か神か判断できなければ、意味を取り違えることがある。



 須弥山の頂上も天である。そこには帝釈天などが住んでいる。
 夜摩天は、つまり閻魔である。ここは死者の国であった。だが、後に閻魔は地下の国に行く(左遷かな)。死者の国が地下に移ったと考えるのか。
 有頂天まで行かなければ有頂天にはなれない。地上にいながら有頂天になる人がいるがめでたい事だ。(^_^)。
 こんな知識は、「へエー」で終わってしまうが、本を読んでいるときに必要になることがある。たとえば「百億の昼と千億の夜」など。参考にしていただければ幸いである。
 もう一つ大事な話がある。他化自在天から三層上に、大梵天があり、風輪から大梵天までを、小世界という。
小世界が千個集まって小千世界になる。(別名千世界)
小千世界が千個で中千世界(別名二千世界)
中千世界が千個集まって大千世界となる。(別名三千世界)
有頂天の広さは大千世界と同じである。
 俗謡に
   ♪三千世界の烏を殺し ぬしと朝寝がしてみたい
という、あの三千世界である。
 風輪が1000×1000×1000個集まるのは、どのくらいの広さであろうか。想像もつかぬ。
 まるでパソコンの説明の数字を見るように二進法の世界であった。なお、数字の「0」を発見したのもインドであるといわれている。
 これでもかなり説明を端折っているのだ。説明の大きさの中に入るのかどうか、考えるのも面倒になってきた。

3 極大の世界と極微の世界
4 仏教宇宙観の底を流れるもの
5 西方浄土の思想
6 地獄はどう伝えられたか
7 仏教の宇宙観と現代
など省略するが、解脱について一言触れておく。

 輪廻という思想がインドにはある。人は死んでも生まれ変わって、生きていく。それは人に生まれるとは限らない。そうして様々な生を無限に繰り返すことを意味する。この世界も消滅生成を繰り返している。それは恐ろしいことであった。そこから逃れるのが解脱である。
 輪廻の思想を持たない日本人は、すでに解脱している。
 最近キリスト教が、人を救うと称しているが、その前に、人は罪があって罰を受けるという考え方のない日本人には、救われる必要性がない(^。^))。そこへ無理矢理キリスト教徒のやった罪を、人類全体に押しつけて、そこから救うという。
 輪廻の外にいる人を輪廻から解脱させる。罪のない人を罪から救う。日本に宗教は根付かないわけだ。だから他人の宗教心を理解できない、ともいえる。そうではなく、日本には、自分でも気づかないそれなりの宗教心がある、と言う説もある。
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2020年05月22日

宇宙叙事詩(上・下)

2007.7.24 記
2020.5.23加筆

光瀬龍 文  萩尾望都 画  早川書房   1995

 光瀬龍の「百億の昼と千億の夜」を萩尾望都が劇画化し、そのあとにこの作品が出た。これは二人の幻想的共作である。
 劇画というより絵本というべきであろうか。
 今までの劇画とは異なり、幼児の絵本のように、見開きの画の中に文をいれて、絵物語となっている。
  jou.jpg  ge.jpg

 この本は1995年発行の文庫版であるが、わたしは文庫になる前の本を見ている。
 もう一度読もうと思ったが、題名を思い出せない。北千住の中央図書館の係りの方に調べていただいた。
 話の内容からどうもこれらしいとなったが、庫内に見あたらない。そこで梅田の図書館に文庫本があることを調べてくれた。
 そして借り出したのが本書である。
 記憶とはかなり異なり、疑問を持ちながら読んでいたが、読み終わって間違いないと判った。記憶とはいかに曖昧なものか。
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     上
  宇宙船乗りの歌が聞こえる
  ルシアナ
  テラリアは遠く
  星と粘土板
  たそがれの楼蘭
  廃墟の旅人
  遠い決別
  ある記録

     下
  惑星アルマナ
  アヨドーヤ物語

 最後のアヨドーヤ物語が中編、それ以外は短編といってよかろう。

 青春の夢を追い求め翡翠座イオへの探検に旅立った夫を追いかけて異国の星に赴いた妻。

 凍土の平原に広がる惑星ルシアナの廃墟で探検隊員の前に夜毎に現れる謎の美少女。

 火星の東キャナル市に惑星探検の宇宙船建造を命じる地球政府。繰り返し、ついに火星の物資は底をつく。それでも作らねばならぬ火星人の苦しみ。その宇宙船が飛び立つ日、愛する男を奪われた女たちの決断は。

 心ない地球人の干渉が引き起こした、異星の悲劇。

 アトランティス王国滅亡の陰に隠されたヴァーラタ国の悲劇的終末。
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 特に「廃墟の旅人」を取りあげよう。

   天山山脈の北に不死の都があるという。
   遠いむかし、
   天から光り物が飛んできて砂漠へ落ちた。
   一人の神人があらわれ、
   近くの町に入った。
   それからその町はしあわせに満ちたという。


 その豊かな町では城門を閉じる必要もなく門の鎖は緑青をふいていた。
 王宮では王女の結婚式が行われていた。
 そこに白馬に乗って入ってきた美しい異国の娘がいた。サテンの帯に黄金の太刀をつり、五弦の月琴を背負っていた。
 式を主催する神官に言う。

……、不死の国があると聞いてやってきた。わたしは阿修羅王だ」
 神官の言葉を制して言う。
「帰って天帝につたえるがよい。生も、死の一つの象(かたち)。死もまた生のひとつの相(すがた)に過ぎない。人の情も夢も、限りある生命なればこそ。その生命が永遠ときそい合って何を得んとはするか」
 悲しみと怒りが広場を閉じた。
「この町を時の流れから切り離し、終わることのないくりかえしの中に封じこめるとは。こは永遠に似て永遠にあらず。ただ色褪せた昨日があるのみではないか」


阿修羅王は黄金の太刀をふりおろす。
一瞬にして城邑は消えた。
さえぎるもののない砂漠に……
白馬に身をゆだねた流離の娘がひとり、闇に消えていった。
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2020年05月18日

百億の昼と千億の夜

     光瀬龍   ハヤカワ文庫   1973.4

2007.4.7 記
2020.5.18 加筆
 
 わたしはこの本によって、SFに目覚めた。
 それまでも古典的な「冒険科学小説」は読んでいたが、この本はその壁を打ち破った。
       hyakuokunohiru.jpg
 日本のSFは発足当時からこれだけレベルの高い小説を提供していたのだ。
 野田昌宏さんはアメリカの初期SFを収集しているが、「ほとんどは屑だ!」と喝破した。それがレベルが高くなって読むのに耐えるようになった頃、日本のSFが始まった。そのため、助走なしにいきなりハイレベルの小説が書かれた。
 この本はその象徴と思っている。
 いま再読してみると、時代を映しているところがいくつかある。
 なお、著者は学校の理科の教師であり、科学的知識は素人ではない。
 漢語を仮名書きにしているところがある。当時、漢字制限が強く、その範囲外の漢字は使いにくかったのか。また、できる限り和語はひらがなにしている。
 コンピューターが登場するが、この記録はロッカーにパンチカードで収納されている。また、カタカナ書きである。当時は平仮名や漢字は表現できなかった。その影響か、漫画や小説では、コンピューターの言葉はカタカナで表現されることが多かった。
 ちなみにわたしが初めてコンピューターに触れたときは、入力はパンチカードであった。紙テープなども使われていた。記憶はオープンリールの磁気テープが多かった。これらは業務用である。
☆「兜卒天は夜摩天より16万由旬の上層に位置する。千六百億光年とでも言おうか。」
 1由旬が100万光年と説明している。これは誇張しすぎ。
 現在では由旬がある程度判っていて、約7キロメートルである。人の住む世界がインド亜大陸の形をしていて、その大きさが記されていることから推測した(須弥山と極楽)。そして須弥山の高さが8万由旬である。

 さて、物語は天地創造から始まる。
 寄せてはかえし
 寄せてはかえし
 かえしては寄せる波の下で、生命は誕生し育っていった。
 そして人が誕生し、文明が発生する。
 プラトンがアトランティス王国の記録を見る。
 その都はオリハルコンで飾られていた。そして、
 大西洋に没したといわれるその王国の最後の司政官オリオナエこそプラトンであった。
 その王アトラス7世は惑星開発委員会の計画に沿って、王国の引っ越しを命ずる。だがそれは不可能であり、王国は滅亡する。

 釈迦族の王子シッダルタは4人のバラモン僧(目犍連・須菩提・摩訶迦葉・富楼那)に導かれ出家した。
富楼那(フルナ)が出家に反対する老ウッダカに説明する。
「梵天はこの長大無辺な宇宙をその手に観照する。万物流転の形相はすべて天なるものの意志、すなわち梵天王の意志である」
 そして、兜卒天に住む梵天に会いに行く。ここでは弥勒菩薩が五十六億七千万年後に衆生を救うために修行をしているはずであった。
 だがそこは荒れていてとても浄土といえるところではなかった。原因は阿修羅との戦いであった。
 シッダルタは阿修羅王との会見を望み、会見することになる。
 シッダルタと阿修羅王を逢わせたのは、世界を滅ぼそうとする四人の波羅門僧の失策であった。

 わたしはこの会見シーンをもう一度読みたくて、この本を買ったといえよう。

「悉達多(しっだるた)太子か」
 はためく極光を背景に一人の少女が立っていた。
「阿修羅(あしゅら)王か」
 少女は濃い小麦色の肌に、やや紫色をおびた褐色の髪を、頭のいただきに束ね、小さな髪飾りでほつれ毛をおさえていた。
「そうだ」
 少年と呼んだほうがむしろふさわしい引きしまった精悍な肉づきと、それに似つかわしい澄んだ、黒いややきついまなざしが、太子の心をとらえた。
「阿修羅王に問いたい」
 少女は、ふとかすかに眉をひそめた。その、あどけない面だちに、浮かんだものは、ひどくひたむきな心の働きと、それにふれたすべての人々を亡ぼしてしまうかと思われるようなくらい情熱だった。
「波羅門(ばらもん)の説くところ阿修羅王は宿業によって、この兜卒(とそつ)天浄土に攻め入り、帝釈天の軍勢とすでに四億年の永きにわたって戦っていると聞いた」
「そのとおりだ」少女は唄うようにいった。
「阿修羅王よ」
 少女はふたたびかすかに眉をひそめた。見入るときにわずかに眉をひそめるのが、この美しい少女のくせらしかった。少女はだまって首にかけた瓔珞(ようらく)をもてあそんだ。それは何かの骨片を銀の糸でつなぎ結んだものだった。小さな乾いた音が、木鈴の鳴るように太子の耳にとどいた。
「なに故に梵天(ぼんてん)王のしろしめすこの天上界に攻め入ったのか。そののぞむところは何か。そして阿修羅王よ。王はどこからやってきたのだ。王の棲む世界はいずこにあるのだ」
 太子は砂の上に腰をおろし、上体を真っすぐにのばして少女をにらみつけた。
 少女は少し困ったように片方のくちびるの端に微笑を浮かべた。小さなくちびるから真白な糸切歯がのぞいた。
「阿修羅王よ」
「悉達多太子!」
 とつぜん、少女の声は天地の声になった。
 どっと吹きつけてくるはげしい風の中で、少女の髪がほのほのようになびいた。少女の怒りと悲しみが目のくらむようなすさまじい火花となって散った。
「太子! 弥勒に会え! 五十六億七千万年ののちに、お前たちを救うであろうといわれるその弥勒に会え!」
 太子は思わず砂の上に身を投げた。合掌する手が自分でもぶざまなほどふるえた。


この場面は、興福寺の阿修羅像を彷彿させる。
対話はまだ続く。
この世界の荒廃は戦争が原因ではない。戦争は、この世界はなぜ荒廃するのかという、危機に対する梵天の無策に対する攻撃であった。

「梵天王は今こそ転輪王の意図を知ることだ」
・・・
「梵天王があなたの言葉を聞こうとしなかったわけは?」
「わからぬ。これだけは言えると思う」
「思考コントロールを受けている、と」
「そうだ。初めてあなたと意見が一致したようだ」
・・・


 そして弥勒に会いに行くのたが、それは単なる像であった。
 ここに救いがあると勝手に信じた人が弥勒の救いを人に語ったのであろう、という。

 エレサレムではイエスが処刑されようとしていた。イエスのうさんくささを見抜いたユダの告発によるのだったが、処刑後、暗闇となりイエスの遺体は行方不明になる。
 そして…
 3905年
 砂漠と化したトーキョーに、シッタータの記憶を持つ者・オリオナエの記憶を持つ者・アシュラの記憶を持つ者、三者が集まった。
 そこでイエスなどの地球文明を破滅させた者たちの襲撃をうける。
 この後、三人は、ナザレのイエスを追い惑星開発委員会のあるはずのアスタータ50へ行くが、そこはすでに滅んでいた。そこで弥勒=大天使ミカエル=アトラスと戦うことになる。
 そこを抜け、転輪聖王のいるアンドロメダ星雲に行く。復元できたのはアシュラ王だけであった。
 ここから世界を支配していた転輪聖王の組織はすでに崩壊していた。
 二千億光年の宇宙全体が崩壊しようとしていた。
 アシュラ王はたった一人で残される。

さて、前に書いたこと。
「兜卒天は夜摩天より16万由旬の上層に位置する。千六百億光年とでも言おうか。」
について。
 この広大な世界を(外から)管理する転輪聖王がいるところが、230万光年の距離にあるアンドロメダ星雲というのは近すぎ。そして仮に千六百億光年としても、下に書いたような、はるかに大きな世界が二千億光年の宇宙に入ることはできない。
 というわけで、1由旬が100万光年とするのは無理がある。1由旬約7キロメートルでよかった。
 ただし、当時は由旬の定説は見たことがない。またビッグバンの思想はなかったので、宇宙の大きさが二千億光年ということは問題ない。
 なお、結論が判りにくいが、仏教の宇宙論ではこの宇宙そのものが、滅んでは再生を繰り返している。その一回分(1大劫)の物語と考えたい。

参考
地上〜須弥山頂上        8万由旬
地上〜兜卒天         32万由旬
地上〜色究竟天 1677億7216万由旬


 天とは場所のことと同時にそこに住む者も表します。
 色究竟天は有頂天ともいいます。なかなか有頂天にはなれませんハイ。
 最後の数字はパソコンのプリンターの説明で見たことがあるような……。いま、インドのソフト技術が力を得ているが、こんな昔から二進法の数字の考え方を操っていたんだな、と妙に感心する。続きを読む
posted by たくせん(謫仙) at 08:30| Comment(47) | TrackBack(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月26日

楽園の真下

楽園の真下
荻原 浩   文藝春秋   2019.9

     20.3.25.1.jpg

 どんな生物も繁栄しようとしている。遺伝子を世界中に広げようと格闘している。
 考えるまでもなく、人類だって増えようと一所懸命だ。食料の安定供給ばかりでなく、病原菌やウイルスなども役に立つのは利用し、害する者は駆除しようとする。生態系を壊してまで、独占しようとする。そしてついには戦争という共食いをしてまで、子孫を増やそうとする。
 この本はそんな生物の姿を象徴するような話である。わたしにはホラーのように思えた。初期のSFにこのような話がなかったか。
 ちょうど今、コロナウイルスの蔓延で、世界中が大騒ぎしている。感染地域の拡大。感染者が爆発的に増え、死者も多い。それが原因で一定地域を封じ込め、あちこちの国で鎖国状態になっている。
 コロナウイルスにとっては、遺伝子の拡大に大成功したといえよう。しかし、このやり方は人類を敵にし、いずれ滅びることになろう。

「日本で一番天国に近い島」と言われた亜熱帯の孤島である志手島。人口は約二千八百人。昔は流人の島であり、今は海洋観光を中心とする島である。
 ここで奇妙な現象が起こっていた。入水自殺者の増加である。そして17pもある巨大なカマキリが見つかった。
 その記事を書こうとして、志手島へ渡ったフリーライター藤間は、島で野生生物を研究している女性准教授の秋村と調査を始めた。

 秋村は生物の不思議な話をする。寄生して宿主の脳まで乗っ取ってしまう例のいくつか。乗っ取られた宿主は、寄生した生物のために、嫌いな水場に近づいて水の中に入って死ぬ例など。
 生物の絶滅を危惧し保護するのも、増えすぎたといって駆除するのも人間のエゴ。

 調査が進むと、驚愕の事実が判明するのだが、単なるフィクションとは思えないリアルな恐ろしさがある。こういうプロットのSFは好みだが、このストーリーは敬遠してしまう。
 人ほどもある巨大なカマキリが登場する。食物の乏しいこの島では、巨大カマキリの餌は少ない。結局共食いで成長することになる。
 ラスト近くで巨大カマキリとの格闘が延々と続く。しかし真の敵は巨大カマキリではなかった。
 結局この島は封鎖され、精密検査を受けて安全が確認された人だけが、島を出ることを許された。
 コロナウイルスの感染者と同じように。
posted by たくせん(謫仙) at 11:05| Comment(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月09日

「ニセ医学」に騙されないために

「ニセ医学」に騙されないために 新装版

名取宏   内外出版社   2018.11
    科学的根拠をもとに解説

同じ本の新装版である。
著者名をハンドルネームNATOROMU からペンネーム名取宏に変更した。
出版社も変えている。
 前に紹介した、 医師が教える最善の健康法 でも、次の考え方で一貫している。
 現代の標準医療が絶対に正しい保証はない。何十年か経ったとき、間違いを指摘されるかもしれない。しかし、現段階では、「世界が認めた 論文に基づく 科学的根拠あり」が最善と考えられるのだ。

 前回読んで、書き残したことを追加する。
 がんの痛みに対してモルヒネを使って、痛みを和らげるが、ある医者は、モルヒネを使うと「リンパ球がすべて破壊される」と主張して、モルヒネ使用に反対している。しかし、医学的な根拠は一切示していない。リンパ球がすべて破壊された例はない。
 さらにがんの痛みは治癒反応だと主張し、死ぬ気で一週間痛みを我慢すればガンは消えると主張している。
(要約している)
 これだけで、わたしでもニセと判る。むかしモルヒネなどがなかった時、みんな痛みを我慢していたのだ。しかし、がんは消えない。治っていないのだ。

 あるがん患者の話、がんと診断されたが、気功師が「医者なんかに任せていたら殺される」といわれ、信じてしまった。気功でがんが治るといわれた。ところがだんだん痛くなる。我慢できなくなって、気功師に連絡したところ、「病院に行け」と言われた。
 こんなニセ医学が結構流行っているのだ。
 著者とて全てに通暁しているわけではない。ニセ医学に対する、姿勢・考え方の解説だ。

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「ニセ医学」に騙されないために
メタモル出版   NATROM   2014.6
    危険な反医療論や治療法、健康法から身を守る!

「ニセ医学」とは、医学に見せかけておきながら、実は医学的な根拠がまったくない医学のことをいう。
 ちまたに氾濫する「ナントカ健康法」、わたしでも一目で偽物と判るのがほとんどで、読む気がしない。わたしのブログでは、半信半疑というか、ほとんど信じがたいがどうだろうか、という本を何冊か紹介してある。
 そんなふうにおかしいと疑問を持ったら、確認するために調べるが、頭から信じてしまったら、いかに反論しても受け付けなくなる。
 また健康なときなら冷静に判断できても、苦しいときには藁をもすがる思いで試してみたりする。
 そんな人に対するアドバイスやニセ医学に対する反論をあげている。

 臨床の現場では、医療制度や医療機関の事情、製薬会社の思惑、個々の医師の能力不足により、必ずしも医学的に正しい診療が行われないこともある。
 ときどき、論文の誤りが報じられることがある。だからといって医療を頭から信用しないのはもっと問題なのだ。
 医療者に認められていない治療方法は疑え、というのが中心で、偶然うまくいった治療法を勧める例に用心しろといっている。
 標準治療を否定して「これだけで治る」と謳ってるものは、冷静な時なら疑える。
 何でも効く薬はあり得ないので注意したい。一部にしか効かない、では市場が狭く儲からないので何でも効くようにいう。
 ガンは治療するな? 病院の出産は不自然? 気功でガンが消える? こんな一度は聞いたことがあるような内容から、わたしのような素人では聞いたこともないような話まで、けっこう判りやすくなぜニセなのか説明している。
 
 そんなこんなのニセ医療を見分けるトレーニングになるだろう。健康なうちに読んでおきたい。
 健康なら「ニセ医学」への懐疑心を持てるし、科学的なものの見方ができる。
posted by たくせん(謫仙) at 08:59| Comment(1) | TrackBack(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月07日

未来職安

未来職安
柞刈湯葉(いすかりゆば)   双葉社   2018.7

 毛色の変わった近未来小説だ。
 間違っても、未来をこんなに楽観できないが、それができたと仮定したSFだ。
 平成より少し先の未来。といっても、主人公の女性はこの社会で生まれて、26年かたっているので、……いつなんだ。

 日本国民の99%が働かない消費者、1%がエリートの生産者という不思議な世界。
つまり、生産などが無人自動化され、ほとんどの人が働かなくてよい社会だ。
 生活基本金が支給され、ギリギリの生活ならできる。1%の人は働いて収入があるが、基本的に労働の必要はない。しかし、豊かな生活ができるので、希望者は生産者になる。
 主人公は、ひとりの人がいるだけの私設職安に就職するが、ほとんど仕事らしい仕事はない。
 紹介する仕事と言えば、一例をあげると「監視カメラに映るだけの仕事」、これがなぜ仕事かと言えば、監視カメラに写ると、プライバシー保護のためにその映像を使うことができなくなるため。などと、仕事といえるかどうか微妙な仕事ばかり。
 未来の仕事コメディと言うべき小説である。世界観や小ネタを楽しむ。小ネタがけっこうリアルなんだ。(^_^)
 鋭い推理や緊張感などを期待してはいけない。

 わたし的には、舞台設定の近未来が引っかかった。世界が全てが順調にいったとしても、そんな世界が近未来にできるはずがない。
 たまたま、同時に「未来の年表」を読んでいた。このまま無策でいった結果の、近未来の日本の悲惨な様子を克明に描いている。ちょうどその時代なので、あまりに能天気な話に思えた。
 遠未来のおとぎ話にすればよかったかな。それにしては社会や生活にリアル感がある。
posted by たくせん(謫仙) at 13:52| Comment(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月04日

ジャンボ大会〜月組〜

 2月23日、第49回ジャンボ大会〜月組〜 という、宝塚と間違えそうな囲碁の大会があった。わたしは初めて参加した。
 日本棋院主催のアマチュアの大会で、1チーム15人の団体戦だ。4回戦制である。33チームが参加した。
 
 例年なら持ち時間40分の切れ負け制らしいが、今回はコロナウィルス問題があって、持ち時間30分に短縮された。さらにマスク着用。持っていない人には棋院から配布された。国の要望もあり、これ以降の碁会は全て中止している。コロナウィルス問題が落ち着くまで待つしかない。
 私たちのチームは、目標が1勝。1勝59敗なら祝勝会をしようという、大胆な計画。それほど多くのチームはレベルが高い。
 結果はチームとして1勝3敗。大満足である。

20.3.04.1.jpg

 3月2日発行の「週刊碁」にその記事が載っていた。
 この記事中の文

 結局、優勝決定戦に駒を進めたのは、中園清三さんを擁する全日本学生囲碁連盟を破った大熊義塾と、囲碁ファースト飯田橋Aチームに勝利したバトりアヌス帝国。

 難解ではないが誤読しそうな文章だ。文字数をできるだけ少なくしようという努力の現れであろうか。わたしなら次のような文にしたい。まだ工夫する余地があるにしても。

 結局、優勝決定戦に駒を進めたのは、大熊義塾とバトりアヌス帝国。大熊義塾は中園清三さんを擁する全日本学生囲碁連盟を破っての進出。バトりアヌス帝国は囲碁ファースト飯田橋Aチームに勝利して進出。

 下記の「ジャンボ大会-ある終局の問」はこのとき発生したのだ。
 それから、いつも言われるあることが言われなかった。(^_^)
 最近は言わなくなったのかもしれない。わたしの経験不足で、すでに常識か?
「石を取るとき、取り上げてから時計を押してください」。正しくは取るではなく抜くだが、誤解する人はいない。
 大石の自殺手を放って、それを取り上げる間の時間切れ狙い作戦? を考えたら、「時計を止めて取り上げてよい」と先輩に教わった。
posted by たくせん(謫仙) at 08:41| Comment(0) | 囲碁雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年02月26日

ジャンボ大会-ある終局の問題

 ある終局の問題、わたしの感覚が古かった。

 2月23日に日本棋院で、ジャンボ大会という碁会があった。15人一組で34組4回戦制である。
 そこでちょっとしたトラブルがあった。原因はわたしにある。
 終局を宣言し、相手も同意した。そして数えるためにいくつかのダメを詰めて、最後のダメを相手が打った。1−1だ。終局に同意していたため、考えず1−3に継いでしまったが、わたしの地中に手段が生じたのである。一目で判る1−4だ。

   2020.2.25.jpg
 このあと、手段があれば、「手入れをしてください」となって手入れをして終わる。いつもそう打っていた。もちろん終局に同意したときのみだ。
 ここでも冷静に3目を助け2目を捨てればよかったが、3目を捨て2目を助けたので半目の負けになった。

 さて、問題は、手段が生じたとき、相手が打ったことである。
 わたしは審判員を呼び、「終局同意後にこうなったが、どう判断するか」と訊いたのである。審判員は「その後も打っているので試合は復活している」と判断した。
 わたしはここで投了したが、相手は納得出来ないようなので、「試しに数えてみましょう」となり、半目負けあるいは中押し負け、が確定したのである。
 復活したのはどこからであろうか。復活したのなら、“復活を要求した人の相手の手番”で始まるはず。この考え方が、「手入れをしてください」につながるのだが、今では非常識になってしまった。
 2002年のあの事件を思い出す。終局に同意したかどうかでもめた棋聖戦第五局である。
 その後、 終局に同意を求めるのはアジが悪い となって、日本棋院では、ダメ詰めなど最後まで打って終局とする、と試合規定が変えられたらしい。
わたしの頭には、
対局の停止→ 死活の確認→ その結果の処理をして終局。という手続きがあった。

第九条−1(終局)
一方が着手を放棄し、次いで相手方も放棄した時点で、「対局の停止」となる。

今回は終局の同意がこれに相当する。

第九条−2
対局の停止後、双方が石の死活及び地を確認し、合意することにより対局は終了する。これを「終局」という。

第九条−3
対局の停止後、一方が対局の再開を要請した場合は、相手方は先着する権利を有し、これに応じなければならない。


「終局の同意は対局の停止とは認められない」あるいは
「その後も打っているので継続している。復活ではない」
という判定が欲しかったンですね。それなら納得だ。
posted by たくせん(謫仙) at 08:49| Comment(8) | 囲碁雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年02月16日

義之大者

 週刊「碁」には棋士の、「私の修業時代」という連載がある。(記・内藤由起子)
 先日(1月27日発行)はアンティ・トルマネン初段の番外編で、アンティ・トルマネン初段が母校(フィンランド)に贈った言葉が紹介されていた。

    義之大者 莫大於利人 利人莫大於教

 なんと読むのだろう。意味は何だろう。調べたところ、読み下し文だと、

 義の大なるは、人を利するより大なるはなし。人を利するに教うるより大なるはなし。

 であり、出典は呂氏春秋と判った。わたしは読んだことがない。脱帽してしまう。
 日本で、読んだことのある人はどのくらいいるだろうか。
 こういうときの言葉を、呂氏春秋から選ぶ感覚がすごい。

 昨日の千寿会の講師は、アンティ・トルマネン初段であった。このとき、この言葉について訊いたところ、「英語の本に有った言葉で、原典を調べたら、中国語であった。良い言葉だと思い、母校に贈った」という。
 奥様は、4月から国文学の准教授になる人で、奥様の助言かと思ったが外れた。

 さて、呂氏春秋だが、中国の戦国時代末期、秦の始皇8年(紀元前239年)、秦の呂不韋が食客を集めて共同編纂させた書物で、百科事典のような内容であるという。
 このとき、一般に公開して、一字でも添削ができれば千金を与えると公言した、という古事で有名である。
 呂不韋については、劇画などで、若い人の方がよく知っているかもしれない。

 もうひとり、QRコードの開発者がゲストとして、来場した。「デンソーウェーブ」の原昌宏さんである。
 おはBiz NHKニュース おはよう日本 https://www.nhk.or.jp/ohayou/biz/20190522/index.html で紹介された方である。
 アメリカでは今でもバーコードが多く使われているが、誤読が多く、アメリカ以外はQRコードを使うことが多くなった。バーコードより遙かに使いやすい。カメラの解像度が高くなったので、さらに高密度のQRコードができると言う。
 この技術を無料で公開したことが素晴らしい。この方も「義之大者」であろう。
posted by たくせん(謫仙) at 09:04| Comment(0) | 千寿会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする