2017年09月19日

畏友亜Qさんをしのぶ

 今 たくせんの中国世界 で、次の記事を書いているがようやく終わった。
岡崎由美先生と行く中国の旅 2017年8月17日〜8月22日
四川省名山の旅−道教・仏教聖地と武侠文化を訪ねて

 8月14日に畏友亜Qさんが亡くなった。享年73、年齢72歳であった。盆の真ん中なので葬儀は難しいだろう。そう思い、わたしは8月16日にお通夜に出るつもりで用意していた。17日朝は5時前の始発電車で成田空港に向かう予定なのだ。しかし、19日にお通夜、20日に告別式となった。申し訳ないと思いながら、友人に弔意を託した。
 思えば、わたしが中国旅行を公表して以来、何度か中国行きの話をかけられ、「気をつけて行ってらっしゃい」と言われていた。だから、葬儀に参列せず中国旅行に行ったのも、許していただけるであろう。

 千寿会で梵天丸さんが書いているように、筆の立つ人であった。千寿会の雑記帳をクリックしてみても、わたしの三倍以上の文を書き、その内容が三倍以上濃い。
 わたしは碁ばかりでなく、文でも多く教えていただいた。感謝している。
 わたしの好きな武侠小説(ドラマも)に対しても、中国のチャンバラと喝破していた。
 ちなみに田中芳樹さんは母上に「武侠小説とは」と問われて、「中国の立川文庫」と答えたという。わたしなどタテカワなのかタチカワなのか読み方を知らないが、この答えは上手いと思った。「中国のチャンバラ」も「中国の立川文庫」に匹敵する名言ではないか。
 怪しい関西弁をあやつり、わたしは「老頑童」としたが、本人は気に入っていたようだ。
 近年、亜Qさんは体調が十分ではなく、執筆量が落ちていて心配していた。
 ご恩返しも出来ずにお別れとなったが、江湖(武侠の世界)の恩返しなど、不要であろう。
 ようやく、中国旅行の話も一段落して、亜Qさんへの弔辞を書く心の余裕ができた。
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2017年08月11日

鹿の王

鹿の王
上橋菜穂子   角川書店   2014.9
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 征服者の帝国東乎留(ツオル)の人の名前は、漢字を使って難しい読み方をする。万葉仮名的な使い方もする。被征服者の名前はカタカナ。この書き方は必要があったんだろうか。
 東乎留(ツオル)とあればこの国は漢字を使う国である。国名は「ツオル」でもなく「tuoru」でもなく「東乎留」と漢字でなければならない。この場合の漢字とは、いわゆる「漢字」である必要はなく、表意文字を使っていると言う意味である。ツオルと読めても、他の文字ではいけない。それにしても小説として、何でこんな難しい読み方をせねばならないのか。人の名も同様である。しかも他国から来た人は、カタカナ名のままである。
 たとえば「山犬」という字にオッサムとかなをふる。このような例が多い。自国語の文字ならこのような無理矢理の読み方はしない。もしかしたら、文字のない国が漢字の国を征服して、自国語に漢字を無理矢理あてたとか。
 他の国は文字がないか、あっても表音文字ということになる。
 しかし、「山犬」という漢字が必要なら読み方は「やまいぬ」に、「オッサム」と読ませたいならカタカナにすべき。一二の例外はあっても良い。

 戦士ヴァンが囚われていた岩塩鉱を犬が襲い、囚人も奴隷監督も謎の病死をするが、戦士ヴァンだけ助かる。ここから物語が始まる。そして逃亡生活。そういう少数民族や動物の、帝国東乎留(ツオル)との戦い(戦争とは限らない)。
 東乎留では天才医師ホッサルが、岩塩鉱の謎の死の原因解明と、その後の治療に当たる。
 細菌とウイルスの差が判りかけ、その対策を研究している。注射や顕微鏡などが発明されている。そのなかでの医師と病原体との戦い。
 この二つの戦いと共生がこの物語のテーマである。

 ファンタシィではあるが、推理小説のように謎が絡む。それがかなり複雑でありながら、メインではない。読者を迷わすための意味のない複雑さに思える。
あとがきに、
「生物の身体は、細菌やらウイルスやらが、日々共生したり葛藤したりしている場である」
「それって、社会にも似ているなぁ」
 この事実を小説化したともいえるのだ。
 ちょっと複雑すぎて、カタカナ的な創作名詞が多くて読みにくい。これをクリアできれば、小説としてはおもしろいらしいのだが、わたしはクリアしたとはいえない。
 ネタバレだが、事前にウィキなどであらすじや登場人物の説明を読んでおくとよいだろう。

参考 失われてゆく、我々の内なる細菌 には、 ヒトの体を構成する細胞の70〜90%がヒトに由来しない。逆に言えば体の中にそれだけの細菌が住んでいる。その数は100兆個にもなる。 という。
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2017年08月06日

幻庵

幻庵(げんなん)
百田尚樹   文藝春秋   2016.12
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 古来、中国では琴棋書画が君子の教養であった。棋とは碁のこと。
 この碁を爛熟させたのが、江戸時代の日本であった。それは幕府の家元制度によった。
 碁の家元制度は実力主義である。本因坊・安井・井上・林の四家があり、それを取り締まる名人碁所(ごどころ)が頂点にいる。碁所の権力は強大である。碁所になるには名人にならねばならない。
 この名人を目指して技を磨き、同時に碁所の地位を争う。江戸時代の二百六十年間に誕生した名人はわずか8人。
 幻庵とは、十一世井上因碩(1798−1859)のこと。隠居後、幻庵を号とした。
 本来十世であるが、幻庵の時代に一世井上因碩の前の中村道碩を一世としたため、十一世と伝わるようになった。今から見ると児戯に等しい。
 井上家では代々因碩を名乗ったので区別するため、引退後の号をつけて、幻庵因碩と言われる。八段(準名人)になった。名人は原則1人であるため、一応最高段位に登ったといえよう。

 幻庵因碩の時代を中心とした、戦国から昭和までの囲碁界の様子を俯瞰した小説だ。さらにAI囲碁まで言及している。
 主人公は幻庵を中心とした同時代の棋士たち。ライバルの本因坊丈和も幻庵なみに生き生きと書かれている。
 特に対局シーンは迫力がある。これは著者の文章力のたまものだ。ただ、棋譜のない観戦記のような文は、読んでいてもどかしさを感じることがある。しかもかなり大げさに感じる。
 “恐ろしい手”だとか、“凄まじい妙手”とか、言葉を並べられても、ホントかなと思ってしまうのだ。
 江戸時代の碁は失着が少ない。それは時間に縛られないことと、公式な対局が少ないことにあった。高段者のみが年1局である。それに準ずるような対局も、多くはなかった。少ない機会を生かさねばならない。ゆえにその1局に集中する。現代碁とは異なり、原則、時間は無制限。1日では終わらないことが多かった。失着が少ない理由である。
 現代は年50局でも珍しくない。時間の制限があり、秒読みはいつものこと。
 小説中で、ときどき碁の解説を加えるが、この解説では、碁を知らない人にはたぶん意味は判らないであろう。といって省いていいものか。
 碁は勝負を争う。しかし家元制度は芸術の域に高めた。たとえば、このままでは2目の負けとなる。そんなとき、投了するか、あるいは最後まで最善手を打ち、1目でも差を少なくしようとする。これが芸であり美学である。
 しかし、勝負手として逆転を狙う手を打つこともある。勝負を争うなら当然であるが、場合によっては、手のないところに打った、棋譜を汚したとして、その人の評価を落とす。
 あるべき姿はどちらか。登場人物も悩むところ。

 幻庵は、吉之助→橋本因徹→服部立徹→井上安節→井上因碩→幻庵(引退後の号)と名を変える。
 家元制度は実力主義、我が子でも実力がなければ篩い落とす。弟子の中から最強者を選んで跡を継がせる。適当な人がいなければ、他の家から貰い受ける。そのとき養子縁組をする。
 子は父の名を継ぎ、養子縁組後は新しい名となり、さらに義父の名を継ぐ。それで姓名共に変わっていく。同じ名の別人が登場する。当代か先代か先々代か。区別は前後の文ですることになる。
 事情は判っていても、人物を知らないと判りにくい。この人誰だっけ、という状態になりやすい。
 全体的に、歴史書を読んでいるようで、かなり冗長に感じる。この冗長部分を削り、幻庵に集中した方がよいと思う。
 持碁を芇と書き「じご」とかなをふる。芇に「じご」と仮名を振るくらいなら「持碁」でよいはず。芇(べつ)の字にこだわる必要性がないと思う。
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2017年08月02日

爛柯堂棋話

爛柯堂棋話(らんかどうきわ)
林 元美(はやし げんび)  林裕校注   平凡社   1978.6

 林元美(1778−1861)は江戸時代の囲碁四家の林家の十一世当主。本来坊門(本因坊家の弟子)であったが、十世林(鐵元)門入の死去に伴い、坊門から移り林家の当主となる。旧姓は舟橋。
 林家では代々門入を名乗る例が多いが、林元美はこのままで通した。
 引退(1849)後に(1852)八段を許された。
 この本は、1849年に発行された。そして林家分家の林佐野から、その養女の喜多文子に伝えられた。
 1914年、林佐野の三女の女流棋士林きくがまとめて、大野万歳館より出版された本がこの本のもとである。1849年の原本は失われてしまった。写本が国会図書館にあるという。

 囲碁の史話、説話、随筆、記録類を集め、注と評論を加えたもの。囲碁界にあっては貴重な資料である。
 だだし、市井の噂のような根拠の薄い話もあって、注意が必要である。たとえば、日蓮と弟子の日朗の対局、武田信玄と高坂弾正の対局、真田昌幸・信幸親子の対局などが、棋譜とともに紹介されている。すべて疑わしいのだ。偽作らしい。
 本能寺の変における三劫の話など、あちこちに引用されていて、歴史的事実であるかのように扱われているが、確認できていない。
 第一世本因坊算砂が、秀吉によって碁所に任命された話は明らかな間違い。当時は碁所の制度はない。
 その他の話も、引用するときは注意が必要だ。
 当時のエンタメとして書いたのかもしれない。それでも貴重な情報が多い。
 多くの棋譜は特に貴重である。残念ながらわたしには鑑賞するだけの力がない。

 本文は江戸時代の文体である。写真はその一例である。こんな調子で書かれているので、かなり読みにくい。下巻P122。
 碁では引き分けを持碁という。写真の文はそのことに触れている。わたしはこの部分を読みたくて、この本を手にした。
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 囲碁贏輸(勝ち負け)なきを持碁と云うは、正字にあらず。歌合わせに勝負左右にこれ無きを持と云うに倣えるなるべし。しかれども、「囲碁三十二字釈義」(『玄々碁経』)を見れば、持は「せき」の事をいうなり。持碁の正字は芇なり。……
 次のように解釈した。
 引き分けを日本では持碁(じご)という。しかし正しくは芇(べん)である。ゆえに芇の字に「じご」の訓を与えた。
 現代中国語では和局という。書物上ではなく口語では、芇(べん)はいつ頃まで使われたのだろう。


 音読み:ベン、 メン、 バン、 マン
 訓読み:あたる、 じご
 
 写真中に“路”とあるが、助数詞で一路は一目。唐代あるいはそれ以前に中国で用いられた。
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2017年07月28日

宇宙にとって人間とはなにか

宇宙にとって人間とはなにか 小松左京箴言集
小松左京   PHP研究所   2011.1

 著者は小松左京となっているが、小松左京事務所が、著書のあちこちから、テーマ別に選んで編集したものである。
 小松左京の思考のダイジェストなので、魅力ある文章が多い。
 言葉が難しく、わたしには理解できない文が多い。ただ小説などを読んでいたときはそのようには感じなかったので、おそらくその言葉の背景や状況が判っていれば、理解できるのではないか思う。思考過程が重要なのだ。
 名言ではないので、かなり長い文もあるし、その文単独では賛同できない文もある。特に小説の場合は、その小説の特殊状況が文の意味を左右する。SFの世界が多いので、仮説だったり仮定だったりする。そのためここで紹介するかどうか迷ったほど。
 SFを書くには総合的な知と常識にとらわれない思考力が必要である。間違いなく、小松左京には備わっていることを実感する。
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2017年07月23日

たゆたいエマノン

たゆたいエマノン
梶尾真治   徳間書店   2017.4

「……名前なんて記号よ」
「なんでもいいわ。エマノンでいいじゃない。うん、それでいいわ」
「ノー・ネームの逆さ綴りよ」
 この不思議な少女エマノンのシリーズ6冊目。
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 今回は短編5編のうち3編に親友ヒカリが登場。時を跳び越えるヒカリと永遠の記憶を持つエマノンが、何度も出会う。とくに、エマノンの嬰児時代の話が象徴的。エマノンに恋した少年が、約束の日に、エマノンを抱いたヒカリに出会う。
 母から娘へ記憶が受け継がれ、同時に母は記憶を失い、普通の人になる。だからエマノンは短命ともいえる。恋をし子どもが生まれるまでの、つかの間のエマノンとしての命。そして嬰児の時にすでに30億年の記憶を持つ老成した心の持ち主。
 今回は成人したエマノンが次の世代のために配偶者を選ぶ話が多い。
 時代は行ったり来たり。なぜならヒカリは過去にも未来にも跳べるから、一定方向に流れる「時」に縛られていない。しかし、時間の経過はある。エマノンがヒカリの最期を看取ることになる。

 初出が1979年なので、37年以上かかって短編25話。
 美少女ということになっているが表紙の絵は、美少女には見えないな。
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2017年07月18日

流れ行く者

流れ行く者 −守り人短編集−
上橋菜穂子   偕成社   2008.4
守り人シリーズの番外編である。
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 タンダとバルサの子どものころの話である。
 「浮き籾」は幼いタンダとバルサの気持ちがつながる話。その他、成長過程の一場面。
 表題作の「流れ行く者」は、13歳のバルサが、戦いに強いところを見せ、雇い主を納得させて、ジグロと共に護衛の役に就く。そして戦いの場で、初めて相手を殺すことになる。その苦悩。それがバルサが一生負うことになる宿命の始まりだ。残酷だがそれが職業。そのような経験を得て、大人の世界に踏み出し、成長していく物語だ。
 ラフラ(賭事師)という職業の老女がいる。バルサの精神に影響を与える。このような脇役が生き生きと書かれているのだ。
 まだまだ生産性は低く、多くの過酷な労働で成り立っている時代なので、毎日が緊張をはらんでいる。そんな時代の生き方の例だ。決して残酷の一言で片付けられる話ではない。

 上橋菜穂子の小説の結末は、言葉は短く切り捨て、余韻は読者に任せるようなところがある。でも言葉足らずではない。
 本編のラストで、いきなり「つれあいです」と登場するなども同じ。
 一応、児童書となっているが、内容はとても児童書ではない。漢字のルビを取ってしまえば、そのまま大人の小説である。
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2017年07月13日

炎路を行く者

炎路を行く者
上橋菜穂子   偕成社   2014.11

 守人シリーズの外伝と言うべきか、ヒョウゴの青年期を描いた中編「炎路の旅人」と、15歳のバルサを描いた短編「十五の我には」からなる。

 ヨゴ皇国はタルシュ帝国に征服され、「帝の盾」の息子だったヒョウゴは、殺されるはずだったのを、なんとか逃げて市中で生き延びた。
 ある時のヒョウゴの言葉、
「タルシュの枝国になっちまったこの国で、そんなふうに根をおろすってことは、タルシュに征服されたことを納得したってことじゃねぇか! 土足で踏み込んできた強盗に、のうのうと自分の家に居座られて、そいつらを食わせるために身を粉にして働くなんて冗談じゃねぇと、なんでだれも思わないんだ?なんで、そんなに簡単に納得しちまうんだ?」
 それに対し「わたしらは、ここで生きてきたし、ここで生きていくんだもの」という声をヒョウゴは理解出来ない。
 庶民にとっては、タルシュ帝国に収奪されるのも、ヨゴ皇国に収奪されるのも同じだが、ヨゴ皇国の収奪する側にあったヒューゴには、タルシュ帝国が強盗に思える。
 ヒョウゴという器は市中には収まらない。結局はタルシュ帝国の武人になるが、その心は消えたわけではなく、本編に続いている。

「十五の我には」は15歳では見えないものが、20歳になると見えることがある。
 多感でいて、大切なことに気づけない焦りやもどかしさ。そんな思春期時代のバルサのお話。
 荒事を一人で始末しようとし、結局自分一人では始末できなくて、ジグロに助けてもらう。
 まだ独立出来ないのに、必死になって独立しようとする15歳だった。

……十五の我には、見えざりし、弓のゆがみと 矢のゆがみ
二十の我の この目には、なんなく見える ふしぎさよ……
 
posted by たくせん(謫仙) at 12:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月09日

世直し小町りんりん

世直し小町りんりん
西條奈加   講談社   2015.5
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 江戸時代の爛熟期、同時に幕藩体制の崩壊の芽も出る頃。
 南町奉行所の同心をつとめる榊家の当主安之には溺愛する妹がいた。亡くなった父が芸者に生ませた娘で、高砂町で長唄の師匠をつとめるお蝶、高砂弁天といわれる美人。
 そして、安之の妻沙十(さと)も美人で、方向音痴で薙刀の名手。
 この二人の美人が小さな事件をいくつか解決していくが、その事件が、榊家の先代が亡くなった謎と関連して、陰で大きな陰謀が進行していた。
 この大事件を解決するために、お蝶を守る男たちや、おっとりしていた安之とその上司の南町奉行などが、別人のような働きをする。
 幕府の屋台骨を揺るがすような大事件も、なんとか表沙汰にならずに済んだ。
 幕藩体制に光と影かあるように、旗本たちにも市井の人たちも光と影がある。
 登場人物に個性があって魅力的で、一気に読んでしまった。

 時代劇作家に一人の名手が加わったといえよう。わたしはよく“校閲ガール”のようなことを書くが、この小説は校閲ガールもほとんど手を加えるとはないだろう。だから安心して楽しめる。
posted by たくせん(謫仙) at 13:08| Comment(2) | TrackBack(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月04日

コミなしのハンディ

 コミなしのハンディはどのくらいか。

 週刊碁には新初段シリーズという企画がある。新初段がコミなしの黒番で先輩の胸を借りる。
 2017年6月19日発行の「週刊碁」の新初段シリーズの記事の中で、「先」の手合いのハンディはどのくらいのものか? つまりコミなしの場合のハンディについて、言及していた。
 大手合の通算成績では、黒28945勝21729敗で、黒の勝率5割7分1厘だという。
 大手合は九段は出場しない特殊棋戦とはいえ、意外な気がした。
 その話の中で、もしトップ同士なら黒の勝率はと訊かれた中野九段は「9割」という返事をした。そして0.571という数字には驚いたものの、「実は僕も白で5割以上勝っていた」という。
 コミなしで黒の勝率57%。この数字もトップレベル同士では当然変わる。おそらく中野九段の「9割」ではないか。しかし、総互先になった今では、検証の機会はなくなった。
 本妙寺−本因坊家の墓 でも安倍吉輝九段が秀和の墓の前で言った。
「コミのない時代に、(井上)幻庵因碩は白番で本因坊家の若き秀才を抑えようとした。無理ですよ」
 十九歳の秀和は、跡目とはいえ、すでに師を凌いでいたという。低段ならともかく、半目を争うトップレベルである。コミなし白番で勝つことは難しい。(秀和の黒番四目勝ち)

 これが現在の棋士の感覚である。
 今では、一般の棋戦では新初段も互先で打ち、それなりの成績を上げている。新人のレベルは昔と比べて、かなり上がっているという。
 新初段シリーズは新初段のコミなしの黒番である。昔の2段差扱いということになる(下記参照)。

 現在のコミは六目半、以前は五目半、コミ出しを始めた当時は四目半だった。四目半では黒有利といわれていた。当時の棋士の多くは黒を持ちたがった(黒番で対局)。
 それで五目半にし、それでも黒有利といわれていた(数字上では51%)。六目半になって、有利不利の声は少なくなった。むしろ白が有利の声が大きいか。

 2003年に廃止した、日本棋院での大手合の手合割り。
段差  手合割り
0段差 互先
2段差 先(1子に相当)
5段差 2子
8段差 3子
 3段差が1子であった。今では素人目で見てもこんなに差はない。また段位が実力を現しているわけではなく、過去の実績に対する名誉のような意味合いが強い。
posted by たくせん(謫仙) at 06:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 囲碁雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする