金閣寺に密室(ひそかむろ) とんち探偵一休さん
鯨 統一郎 祥伝社 2000年
応永十五年、つまり足利義満死去の年。
金閣寺建立で有名な第三代将軍足利義満が、金閣の最上層、究竟頂で首吊り死体で発見された。現場は密室。
自殺の動機がなく、殺されたとすれば密室の謎が判らない。そこで少年の一休が謎の解明を依頼される。ミステリーが好きとはいえないわたしが引きずり込まれた。
義満の数々の無理無体。押しつけられて私憤を感じる人は数知れず。上は今上帝から、義満の息子である第四代将軍ともうひとりの息子。従う重臣たちとその家族。下は能役者や出家者まで、幅広く恨みを買っている。
検使官の新右衛門や能役者の世阿弥、茜も協力して推理する。
著者が常識を堂々と覆すのは、「邪馬台国はどこですか?」で知っていたが、これも長編ながら同じ。
一休のいろいろなとんち話は子供ときから親しんでいる。ここでも同じ話かある。それがことごとく伏線となっている。それは伏線ではなくとも有っておかしくない話だ。だから読んでいるときは伏線の気がしない。まるで長い短編小説のおもむきだった。
謎は解くが、一休と茜は寺に居られなくなり、新右衛門とともに旅に出ることになる。
2009年07月10日
2009年07月05日
胡蝶の失くし物
僕僕先生−胡蝶の失くし物
仁木英之 新潮社 09.3

形は「薄妃の恋」の続きといえるが、内容は少し異なる。まず視点の中心が新登場の劉欣。劉欣は唐朝の暗殺組織「胡蝶」の一員で、ひとりで王弁たちを暗殺しようとする。後輩を教育するほどの力の持ち主。精神的にも肉体的にも壮年。そしておもしろみのない人物。そのため文がすこし固くなる。
僕僕先生に母親の命を助けられ、仕事の切っ先が鈍って、任務を遂行できない。それを裏切りと見られ組織に追われる身になる。
薄妃の恋の続きも同時進行する。また新しい苗族の神物も登場。一団となって南へと旅を続け、広州にいたる。
その間に、王弁も失敗を繰り返しながらも少しづつ成長する。見守る僕僕先生の心情がちらちらと見え隠れする。
新しく紹介することはあまりない。続き物の一巻として楽しんだ。
仁木英之 新潮社 09.3

形は「薄妃の恋」の続きといえるが、内容は少し異なる。まず視点の中心が新登場の劉欣。劉欣は唐朝の暗殺組織「胡蝶」の一員で、ひとりで王弁たちを暗殺しようとする。後輩を教育するほどの力の持ち主。精神的にも肉体的にも壮年。そしておもしろみのない人物。そのため文がすこし固くなる。
僕僕先生に母親の命を助けられ、仕事の切っ先が鈍って、任務を遂行できない。それを裏切りと見られ組織に追われる身になる。
薄妃の恋の続きも同時進行する。また新しい苗族の神物も登場。一団となって南へと旅を続け、広州にいたる。
その間に、王弁も失敗を繰り返しながらも少しづつ成長する。見守る僕僕先生の心情がちらちらと見え隠れする。
新しく紹介することはあまりない。続き物の一巻として楽しんだ。
2009年07月03日
紫陽花の小径
この小径の正式な名称を知らない。ここでは紫陽花の道とする。
今回は写真が多いが、分けずに一本の記事にした。
堀切菖蒲園の門前の道は、右に駅の方へ行く道があり、左は突き当たりとなり左右に分かれる。門から斜め左は駐車場(バスのみ)をえて綾瀬川の土手である。
門前の道を横切るように左斜めに三十メートル行くと、家一軒隔てて、門前の道と平行する、この細い紫陽花の道がある。

グーグルアースではっきりと見分けられる。拡大してみて下さい。白い線が特徴。
入り口には屋台が出ているので、数メートル入ってから最初の写真。

右はビルを隔てて、菖蒲園の前の道になる。左は民家を隔てて広い道がある。こちらは側は民家の裏側となる。
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今回は写真が多いが、分けずに一本の記事にした。
堀切菖蒲園の門前の道は、右に駅の方へ行く道があり、左は突き当たりとなり左右に分かれる。門から斜め左は駐車場(バスのみ)をえて綾瀬川の土手である。
門前の道を横切るように左斜めに三十メートル行くと、家一軒隔てて、門前の道と平行する、この細い紫陽花の道がある。
グーグルアースではっきりと見分けられる。拡大してみて下さい。白い線が特徴。
入り口には屋台が出ているので、数メートル入ってから最初の写真。

右はビルを隔てて、菖蒲園の前の道になる。左は民家を隔てて広い道がある。こちらは側は民家の裏側となる。
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2009年07月01日
謫仙楼対局 碁は錯覚の藝なり
黒 小嫦娥 六目半コミだし
白 謫仙
左下で戦いが始まった。そして、24目もの白石が全滅。

本来なら投了するところだが、右側が手つかずの状態だったため、もう少し打ってみようと、大きく風呂敷を広げた。
黒は中央から圧迫して白地を制限するだけでいいのに、中に打ち込んできた。これが実戦心理なんだろうな。その14目を殺しては振り出しに戻ったと思う。
そこで、黒は上辺の白に手を付けてきた。

ここで、この劫に負けたらAが取られBを助けると後手、と大錯覚。劫に負けてもCにつなげばよい。それに気が付かず長考してしまったのが大失敗。なによりDに打って活きておいて、それからの話であった。たとえABを取られても、白は右上に先行すれば、勝機はある。
それがABを取られては足りないと読んだのが問題だった。長考の末、なんとついでしまったのだ。

小嫦娥は「碁は錯覚の藝なり、と言ったのは誰だったかしら」などと言いながら、黒3と打つ。
聖姑みたいなことを言うなと思いながら、「誰だろう、中山典之さんじゃなかったかしら」と白4に応じた。
黒5となったとき、なんと打ったつもりのDを、まだ打っていなかったことに気づいた。
うわー、オワだ。わずか数手の間に大きな錯覚が三つも重なっては、いくらなんでも勝つのは無理だ。
ABを取られても右上に回れば…、というのはかなり高度な話にしても、劫を謝っても問題ないのは初心者でも判りそうなもの。まして、活きるのを忘れて劫の解消を先に打ち、黒5を打たれるまで気が付かないとは話にならぬ。
「碁は錯覚の藝か…」
「碁は錯覚の藝だけど、これは単なる錯覚、藝とはとてもいえないでしょう」
そこまでダメを押すか!
白 謫仙
左下で戦いが始まった。そして、24目もの白石が全滅。

本来なら投了するところだが、右側が手つかずの状態だったため、もう少し打ってみようと、大きく風呂敷を広げた。
黒は中央から圧迫して白地を制限するだけでいいのに、中に打ち込んできた。これが実戦心理なんだろうな。その14目を殺しては振り出しに戻ったと思う。
そこで、黒は上辺の白に手を付けてきた。

ここで、この劫に負けたらAが取られBを助けると後手、と大錯覚。劫に負けてもCにつなげばよい。それに気が付かず長考してしまったのが大失敗。なによりDに打って活きておいて、それからの話であった。たとえABを取られても、白は右上に先行すれば、勝機はある。
それがABを取られては足りないと読んだのが問題だった。長考の末、なんとついでしまったのだ。

小嫦娥は「碁は錯覚の藝なり、と言ったのは誰だったかしら」などと言いながら、黒3と打つ。
聖姑みたいなことを言うなと思いながら、「誰だろう、中山典之さんじゃなかったかしら」と白4に応じた。
黒5となったとき、なんと打ったつもりのDを、まだ打っていなかったことに気づいた。
うわー、オワだ。わずか数手の間に大きな錯覚が三つも重なっては、いくらなんでも勝つのは無理だ。
ABを取られても右上に回れば…、というのはかなり高度な話にしても、劫を謝っても問題ないのは初心者でも判りそうなもの。まして、活きるのを忘れて劫の解消を先に打ち、黒5を打たれるまで気が付かないとは話にならぬ。
「碁は錯覚の藝か…」
「碁は錯覚の藝だけど、これは単なる錯覚、藝とはとてもいえないでしょう」
そこまでダメを押すか!
2009年06月27日
2009年06月26日
2009年06月23日
堀切菖蒲園09・その1
堀切菖蒲園の開門時間は9時だが、花菖蒲の季節は8時に門を開く。
まだ9時前なので、ほとんど人がいない。今回は菖蒲園の様子を中心にする。

門を入るとこの簾がある。この簾を見ると、堀切菖蒲園に来たと思う。
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まだ9時前なので、ほとんど人がいない。今回は菖蒲園の様子を中心にする。

門を入るとこの簾がある。この簾を見ると、堀切菖蒲園に来たと思う。
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2009年06月21日
2009年06月17日
杉浦日向子の食・道・楽
杉浦日向子 新潮社 06.7
この本を読むと幸せになれる。この本は「老人」の哲学書だ。
子供は知識を、青年は生き方を、壮年は社会の理想を、老年は人生を哲学する。
帯の言葉は、
人間は食の容れ物であり、苦楽の容れ物である。
だからこそ、大切な人とおいしく食べたい。
ひとりでも温かく、心豊かに人生を過ごしたい。
食の歓び、道具の愉しみ、楽の憩い。
五感をたっぷり潤わせ、限りある命に乾杯しよう。
江戸文化の達人が残した人間賛歌
はっきり言って杉浦さんはお金に心配ない人だ。贅沢をしようと思えばいくらでもできる。そんな人が、このおむすびは美味しい。あのランチは美味しい。と言うように普通の目を持っている。
あるいは集まってしまったという数百個の酒器。上品な着物。
あるいはたった一人の正月。昼まで寝ていて、蒲鉾だけのおせちでお酒。それが杉浦さんの筆で、上品な幸せそうな正月の過ごし方に思えるから不思議。
あるいは銭湯。老若ともにそれぞれ特徴があって、人の一生が判り、心の鎧が溶けていく。そんなふうに言われると銭湯がとてもいいものに思える。
あるいは船旅。一日中揺れる船で波を見つめているだけで至福の時となる。
これらはよく考えると、たいしたことではない。それが全ての人の生活を肯定するような安心感を与え、上品に生きる喜びを知る。
読んで良かった一冊。
この本を読むと幸せになれる。この本は「老人」の哲学書だ。
子供は知識を、青年は生き方を、壮年は社会の理想を、老年は人生を哲学する。
帯の言葉は、
人間は食の容れ物であり、苦楽の容れ物である。
だからこそ、大切な人とおいしく食べたい。
ひとりでも温かく、心豊かに人生を過ごしたい。
食の歓び、道具の愉しみ、楽の憩い。
五感をたっぷり潤わせ、限りある命に乾杯しよう。
江戸文化の達人が残した人間賛歌
はっきり言って杉浦さんはお金に心配ない人だ。贅沢をしようと思えばいくらでもできる。そんな人が、このおむすびは美味しい。あのランチは美味しい。と言うように普通の目を持っている。
あるいは集まってしまったという数百個の酒器。上品な着物。
あるいはたった一人の正月。昼まで寝ていて、蒲鉾だけのおせちでお酒。それが杉浦さんの筆で、上品な幸せそうな正月の過ごし方に思えるから不思議。
あるいは銭湯。老若ともにそれぞれ特徴があって、人の一生が判り、心の鎧が溶けていく。そんなふうに言われると銭湯がとてもいいものに思える。
あるいは船旅。一日中揺れる船で波を見つめているだけで至福の時となる。
これらはよく考えると、たいしたことではない。それが全ての人の生活を肯定するような安心感を与え、上品に生きる喜びを知る。
読んで良かった一冊。



