2022年11月22日

中国共産党の歴史

中国共産党の歴史
高橋伸夫   慶應義塾大学出版会   2021.7

 この本、内容は素晴らしい。漠然としか知らなかった中国共産党の歴史を克明に書いている。
 たとえばわたしは、戦前の中国共産党は、名前ばかりでほとんど力がなかった、と思っていた。ところが、1925年1月の党員は994人だったのが1927年春には5万7967人になっている。
 本拠地で共産党を支えた財力は、半分近くが麻薬だったという。
 長征(あの大敗走)のころでは軍30万〜40万で、貴州省の戦いで約三万人になった。
 毛沢東軍以外にも各地に小さな共産党軍がいた。
 あるいは内部抗争のすさまじさ。
 これらを書いてあるページを示したいが、探せなかった。このような断片的なことは、ここに書いてもあまり意味がないので、ここまでとする。

 戦後では、胡錦濤の一期目は前の江沢民に支配され、二期目は習近平に掣肘を加えられ、ほとんど活動できなかったという。
 先の共産党大会で、胡錦濤が資料を開くことも妨げられ、追い出されたシーンがあったが、この本を読んで納得した。

 内容はいいのだが、日本語がはっきりせず、印象が薄い。
 まず、縦横ともいっぱいに文字が入り、改行が1ページに2回か3回で、だらだらと続く。思わず読むのをためらう。また余計な修飾が多い。

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 序文を読んだとき、外国語の翻訳かと思った。しかし、著者は日本語を母語としているはず。文章はまず英語または漢語の論理構造で作り、頭の中で翻訳して書いているようだ。
 例を挙げる。最後のページである。

 習近平政権は、二〇一九年末に武漢からやがて中国全土へと拡散した新型コロナウイルスを、世界全体へと拡散させた後に封じ込めた。だがこの「成功」は大きな代償も伴った。

@習近平政権は……封じ込めた。 の間が長すぎ。これでもこの本では短い方だ。
A拡散させた後  拡散方法は書いてない。主語を勘違いしたか。翻訳ミスか。わたしは「拡散してしまった」と思う。「拡散させた」とは思わない。
B封じ込めた。  「封じ込めようとした。」であろう。
Dこの「成功」は  中国語では“成功”とすることばであろう。「成功と称する」の意味。

 他にも「AはBではなくCである。」これが多行に渡ると、どこまでがAで、どこまでがBで、どこまでがCか、判然としなくなる。自分の知識で補うことになる。
 代名詞の使い方が一定していない。無生物主語も多い。たとえば、
膨大な資料は研究者の心を折る。 これは「研究者は膨大な資料を見て心が折れる」の方が良いが、正しくは研究者とは自分のことだから「膨大な資料を見て心が折れた」で良いはず。
posted by たくせん(謫仙) at 09:43| Comment(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年11月04日

みをつくし料理帖

16.4   記
22.11.4追記

みをつくし料理帖  天の梯(そらのかけはし)
田 郁(かおる)  ハルキ文庫   2014.8

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 みをつくし料理帖はこの第10巻をもって完結した。
 澪(みを)は享和2年の大阪の大水害で、幼くして親を亡くし、料理屋「天満一兆庵」の女将である芳(よし)に奉公人として引き取られる。
 ある洪水の後、汁物の味が変わって、料理人たちが原因が判らず困っていたとき、澪は水の味が変わったことを指摘する。それで主人の嘉兵衛に見込まれ、女ながら料理人の修行をすることになる。
 あるとき店は火事になり、大阪の店は再建せず、嘉兵衛とその妻芳と澪は江戸の支店に来るが、嘉兵衛の息子佐兵衛は店をつぶして、行方不明であった。心労で嘉兵衛は亡くなる。
 澪(みを)は小さな店「つる家」で料理人として働き、芳と一緒に生活を続けた。
 医師源斉の言葉「食は人の天なり」を励みに、人々が健やかに生きることを目指して、料理を作る。
 こうして6年、幼なじみの野江が吉原にいることを知り、四千両を工面して救いだし、佐兵衛を料理人に戻して、江戸に天満一兆庵を再興させ、自分も医師源斉に嫁ぎ、ともに大阪に行き、新しい人生をはじめる。
 その後、料理屋「みをつくし」を開店することになるはず。付録にある11年後の料理番付が暗示している。

 超あらすじはこんなところだが、江戸の人の暮らしぶりや人情などかなり細かく描写されている。澪の料理の工夫ぶりも細かい。しかも架空の料理ではなく、小説の話をまとめたレシピまでついている。
 最終話になり、ページが残り少ないのに問題解決の先が見えず心配したが、違和感なくまとまっている。話は始まりから終わりまで一貫して練られているので、読後は爽やかで後味が良い。

 あちこちで涙が止まらなくなった。
 たとえば、つる家には下足番となった十三歳の“ふき”がいる。ふきは七歳の弟健坊が奉公先の登龍楼に戻るのをいやがったとき、心を鬼にして「登龍楼に戻れ」と叱るあたり。
 住む家もなく、二人で生きるすべもなく、幼い二人が生きてゆくために、ふきは苦渋の決断をしなければならなかったのだ。
 その前に、健坊の初めての藪入りの時は、ふきは健坊をふきの奉公先つる家に連れてこず、登龍楼ちかくをふたりでうろうろして白玉を食べただけ。
 つる家の皆は、ふきが健坊を連れてくると思っていたので残念がったが、ある人が、「そりゃあ、連れてくることはできないだろう」と、ふきの心情を喝破するところとか。
 わたしはどうも、無力であるが故に選択肢がなく、無理を強いられる話に弱い。

 心残りは、二人の少年(太一と健坊)が将来どうなるのかが、はっきりしないこと。サブキャラとはいえ、感情移入してしまった。

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20.9  追加
 後にドラマ化されたが、澪の料理に特化して、味が薄くなった。まさに料理帖だ。多くの登場人物が問題をかかえたままで終わってしまい、物足りなかった。
 また映画化もしたが、この長い物語を一本の映画にまとめることは無理で、かなり省略して、設定も変えて、表面だけをさらったような感じで、見るのが辛いほど。原作を読んでいた故であろう。だから原作を知らなければ、それで良しとしかもしれない。

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22.11.4追記
 さらに、ドラマの続編が作られていた。
みをつくし料理帖スペシャル前編 心星ひとつ 2019
みをつくし料理帖スペシャル後編 桜の宴   2019
 かなり、原作に近い事情や心理面まで踏み込んでいて、ようやく纏まった感じだ。
 澪の想い人・小松原との恋の行方や、幼なじみ・野江との今後を占う吉原・桜の宴で、采女宗馬と再び対決するエピソードを描いた続編。
 ただし、結論までは至っていない。さらに続きがあるのかな。
 黒木華の演技はこの物語にうってつけだ。顔つきも江戸時代らしい雰囲気で、グッと唇をかみしめる表情がいい。
posted by たくせん(謫仙) at 13:58| Comment(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年10月23日

幸福な監視国家・中国

梶谷 懐, 高口 康太    NHK出版   2019.8

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 この本はコロナ・ウイルス騒ぎ以前に書かれた。それ故に現在ではかなり様子が変わったと思われる。故に細かいことは書かない。
 わたしが読みながら感じたことである。だからいつもの本の紹介とは違う。

 幸福論ではない。ここでいう監視国家は、「1984年」とは少し異なる。
 たとえば暴力が支配する地域があったとしよう。その地域の至るところに監視カメラが備えられれば、そこに住む人々は幸福感を味わえる。そんな意味合いだ。
 中国では法整備が追いつかず、民間(?)でダイナミックに事業を展開してしまう。中国の急成長はそれに由来するところが大きい。時の権力者の資金源になるため、違法でも保護される。そして、国際社会でもルールを無視して勝手に展開する。 
 それがここに来て、停滞してきた。国内では共産党内の派閥争いで、旧権力者の保護による有力企業が打撃を受けている。習近平は国の経済より、権力争いを優先して、他派閥資金源の世界的企業に圧迫を加えている。
 国際社会ではルールを守らず退場を余儀なくされている場合もある(アメリカの株式市場など)。コロナウイルス問題もあり、見通しは明るくない。
 この本が書かれた当時はイケイケの中国経済だったが、現在は暗雲が垂れ込めている。こんなわけで、内容は興味深いが、全てを信用できるわけではない。
 この本ではかなり誤意見が見受けられる。特に大企業を民間企業とするあたりだ。ほとんどは半国策の会社であろう。その時代の有力政治家の派閥資金源になっている。
 自由意見を言えるだけの環境にいない人に世論調査をしても、ほとんど無意味だ。逆に自由意見を言えないことが垣間見える。
 そんなわけで、監視社会が中国で受け入れられた社会土壌など、参考になる。
 将来に対する展望は希望があるのだが、それもコロナ・ウイルス騒ぎや、国策企業への圧迫などで、かなり狂ったのではないか。習近平派閥の資金源企業がすぐに育つかどうか。
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 以下はわたし(謫仙)の考えていたことである。
 中国といえば共産主義国家と思う人が多い。だがそれは違う。支配する中国共産党は、組織の看板として共産主義を掲げているだけだ。
 中国共産党が共産主義になれない理由は判っている。
 共産主義にはまず民主化しなければならない。民主化が共産主義のスタート台だ。これができていない。そして国民の生活を支える経済力だ。
 日本はすでにそこから踏み出している。第一歩は、国民皆健康保険だ。第二歩は年金だ。それから失業保険。これら社会保障はソ連と向き合っていたころ充実させた。そして経済力が勝るため、ソ連を遙かに凌駕する共産主義政策となった。
 最近ではベーシックインカム(ベーシックインカムとは)が考えられている。しかし、そのマイナス面もあり、導入は当分ないだろう。
 将来生産は全てロボット化して、失業率が5割を超えるようになると、導入が必要となろう。
 西方極楽浄土や天国は共産主義に思える。当然ながら名前は異なるだろう。資本主義とは考えにくい。このことから共産主義は実現不可能に近い理想社会でもある。
 犯罪がなくならなくても、警察は必要だ、無駄ではない。事故がなくならなくでも消防は必要だ。実現は難しくても、多くの人は無意識に共産主義を目指している。もう一度言うが、共産主義の名は変わっているであろう。
 漢民族は4千年の帝国主義思想に支配されていて、帝国主義の範囲でしか考えられない。民主でも法治でも、帝国主義の範囲内での話になる。
 もっとも台湾や香港や華僑は西洋的な民主を考えることができる。
 中国ではしばしば、警察組織が、反社的組織と親しく思えることがある。そのため地元警察は信用できなくて、中央に訴え出ることがある。

 現在では中国外の西欧的な市民社会にも、非民主の陰が忍び寄っている。民主疲れとでも言うか。負担軽減(つまり利益)を求めすぎてしまうのだ。
 日本の総選挙では表だけでも一千億円以上もかかる。選挙を止めれば一千億円が浮く。全てにそう考えると、経済的負担は軽くなるが、国家機能に大きな傷ができる。民主化していない中国ではこの傷が大き過ぎるように思える。

 日本でも、国民の生活を支える経済力に陰りが出ている。放漫財政のためだ。企業の体力が弱くなると、株価は下がる。これを強引に株価だけ上げても体力は回復しない。原因と結果を取り違えたのが、現状ではないか。
posted by たくせん(謫仙) at 08:28| Comment(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年10月12日

南千住カメラ散歩

南千住駅前
 南千住で降りて浅草まで歩いたことは何度もあるが、西側は二度目だ。
 前回は 円通寺 だった。
 (小さい画像はサムネイル)

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 駅前は小塚原処刑場あとである。道はコツ通りとして有名であるが、ただしわたしは落語で知ったのであり、特に学んだわけではない。
 駅前にはJR線を挟んで延命寺と小塚原回向院がある。

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 延命寺 あまり広いところではない。

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 入って突き当たりに大きなお題目の石柱が有る。同じものが大森の鈴ヶ森にあるとか。
 右奥の像は首切地蔵である。三百年ほど前に立てられた。

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 小塚原回向院
 この奥の見えるところから左は一般の墓所で、立ち入りは遠慮すべき。右方には案内がある。

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 その墓所の案内。

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 カールゴッチの墓があった。プロレスファンなら知らない人はいない。あのプロレスの神様カールゴッチである。ガチで強かった。
 そのお墓がなぜここに?
 検索したところ、骨のほとんどは海に散骨され、1割ほど弟子が保管していて、それがここに納骨されたという。

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 高橋お傳
 一応、毒婦と言われるが…

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 鼠小僧次郎吉
 「十年間に荒らした屋敷95箇所、839回、盗んだ金三千両余り」と白状したが、実際は不明。 

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 橋本左内

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 吉田松陰

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 入り口には吉展地蔵尊が有った。円通寺で見たとき、「古い写真とは異なるので2代目の像か」と書いたが、ここにあった。


素盞雄神社
 少し北千住の方へ歩くと素盞雄(すさのお)神社がある。

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 素盞雄神社の正面、旧日光街道側から。

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 碁盤の儀
 七五三の行事。ここから飛び降りるはずだが、下が石畳では躊躇しそう。ここではどうしているのか説明はなかった。宮中行事に由来する。

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 向かって左側は狛犬のはず(?)、角がないので獅子かな。右には獅子。区別つきませんでした。

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 日光街道から。ここから入った。正面はこの左手になる。

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 松尾芭蕉の奥の細道での最初の宿場が千住。

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 富士山
 見にくいが鳥居より高い。

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 神楽殿

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 荒川ふるさと文化館の前

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   荒川千住 芭蕉主従に 花の春     兜太 
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2022年09月30日

ある終局の問題

 週刊「碁」の小説「爛柯の宴」でダメ詰めの時に間違えてアタリになってしまった。
 それを直そうとすると、井山は「…石を戻してください」と抗議した。
 その裁定を求められた奥田プロも、判断を求められれば厳正なルールに則って審判としての裁定を下さねばならなかった。
「すべてのダメを詰め終わるまて対局は終わったとみなされません。ですから一度置いた石は元に戻してください」

 この言葉は、わたしが二十年探し求めた答えだった。しかしここで新たな疑問が生じた。
 では時計はどうするのか。このとき井山はギリギリだったと思われる。その時計は止めてダメを詰めていたはず。ただし、この記述はない。対局中と意識しているならば時計を使用してダメを詰めるはず。時計を止めたなら、終局とみなしたはず。
 再開するなら、井山が再開を求めたことになり、相手が手番で再開するはず、それでもだめだったので戻そうとしたのか。
 現在ルールはプロ用で、「アマはその限りに非ず」という文を見た記憶があり、いままでそのつもりで対局してきたが、わたしが間違っていたのか。
 お互い終局を確認して、時計を止めてダメ詰めをするのは間違いか。
 普通は、手段が生じたばあい、「継いでください」と相手に手入れを要求する。それに慣れていて、石を戻そうとしたのではないか。

 あるプロ棋士に訊いたら、「時間切れ制で、ダメを詰めるときは時計を止めて行うことが多い。しかし明確なルールはなく、お互いの紳士協定で成り立っている」

 そうなると、井山は紳士協定を破ったと言えるのかな?
 答えのない問題かもしれない。
 各大会ごとに決めるべきことかもしれない。その場合ははじめに決めて宣言しておかなければならないと思う。いつまでも暗黙の了解で行うのは、公平感を欠く。

 念のため、
ジャンボ大会-ある終局の問題 http://takusen2.seesaa.net/article/473757148.html
posted by たくせん(謫仙) at 10:56| Comment(0) | 囲碁雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年08月24日

松本5 あがたの森公園

あがたの森公園

 あがたといえば「県」という字が思い浮かぶ。
 調べてみたら、元は県神社(あがたじんじゃ)の森の跡であった。
 そこに旧制の松本高校ができた。何度も言うが日本登山のメッカであった。
 現在は「あがたの森公園」となっている。松本駅から東へ1.5キロ。 
 歩いていると、高校生らしき群れの中に入る。そしてその人たちは公園の入り口から吸い込まれる。
 地図で見ると、高校3校が近くにある。松本県ケ丘高等学校、エクセラン高等学校、松商学園高等学校。

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 あがたの森公園入り口、右には「松本等學校跡地」とある。

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 古い建物は閉まっていて、文化会館移転のお知らせがある。

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 重要文化財、旧松本等學校講堂

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 コーヒーショップがある。入らなかった。

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 進むと大木が目につく。右の方へ行く。

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 公園らしい明るい場所に出た。

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 庭園風になる。

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 橋の側に四阿がある。

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 四阿はかなり大きい、池もそれなりに広い。

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 平和の誓い
 タイミングが悪かった。午後遅くが良いか。

 公園の外へ出て、松商学園の南側へ行くと薄川がある。川に沿って歩く。
 川の向こう側は、地図では「アルプス展望のしののめみち」とあるが、古道なのか。
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 工事中ながら、水は清い。この上は右に曲がり、山間になるとはいえ、人家は多い。水質に気をつけているのだろう。

 途中で筑摩神社(つかまじんじゃ)が目に入った。重要文化財に指定された由緒のある神社であるが、残念ながら、わたしの興味は引かなかった。

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 正面から見て左側。

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 こちらが正面になる。

 神道は教えのない宗教とも言われる。訓戒を垂れることはないし、宗教人としての定まった規程はない。
 価値は人々が大事にしてきたという歴史のみだ。それ故、解説者がいないと価値や意味が判らない。一応正面から手を合わせてきたが、見ず知らずの人が手を合わせる、そこが価値かも知れない。
posted by たくせん(謫仙) at 15:09| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年08月21日

松本4 アルプス公園

アルプス公園

 松本駅から北へ三キロほど行くと、アルプス公園がある。道路では四キロくらいか。
   アルプス公案内 案内
 交通の便が悪く、バスの便は一日2便、計画的に行かないと難しい。涼しい時期なら、歩いてもいけるが……。わたしはタクシーを使った。着いたとき運転手は「こんな何もない山道ばかりですよ」という。「この公園は昔は牧場であった」ともいう。
 南入口から入る。かなり広い。
 ほとんど人はいない。マレットゴルフ場だけはパラパラと人がいた。
 
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 少し歩くと「山と自然博物館」がある。

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 展望台(無料)に上がり、そして小さな博物館(有料)を見学する。最後までわたし一人だった。
 展望台では安曇野が一望できる。また北アルプス銀座通りが見える。

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 南西方向

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 感覚的にはこちらが展望の正面。

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 西方向 目立つのが常念岳、その右が横通岳。その右は大天井岳など。

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 北西方向は、豊科か。

 下に降りて、博物館に入る。
   山と自然博物館 案内

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 デーラボッチのイメージ像、こどもの遊び場になりそうだが、今は禁止。コロナウイルス問題が収まるまでか。
 動植物や岩石の標本。また登山の歴史など。わたしは興味深かった。
 

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 この辺りはこども連れがちらほら。

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 判りにくいがミニ動物園がある。
 ここからは写真がない。疲れてきたのかな。小川に沿って、中央辺りの池に出る。
 ここからは本格的な山の中。公園の地図で見ると北東側半分である。約半周し東側の外に出る。広い道を歩いていると、紅葉を見つけた。

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 楓の若葉か。
 地図を見たりしたがバス路線もなく、タクシーも通りそうにない。
 また公園内に入る。小さいが谷側に降りる。高低差はかなりある。
 地図では、16ふれあいの水辺。こういう所は好きだが、なんと行き止まり。

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 谷の先には高い橋が架かっている。
 坂道を登って引き返す。高い橋の方向に向かって坂道を歩く。ここで「こんにちは」と挨拶する女性に出会った。「こんにちは」
 なんとかという小鳥の写真を撮りに来たのだが、全然姿を現さない。むこうでは声が聞こえました?
 谷底にしばらくいたのですが、気がつきませんでした。午前中には、博物館の方で鶯の声がしましたけど。 
 今日は無理かな。
 詳しそうなので、松元駅の方に行くバス路線のことを訊いてみた。
 それではわたしも谷に降りることは止めて帰ることにするので、車で送ってあげましょう。すぐそこの東入口駐車場です。
 先の高い橋を渡ったら広い駐車場だった。
 神奈川県からこちらに来て30年になるという。わたしは松本に一週間の予定というとびっくりしていた。いろいろ話をしていると、あっという間に松本駅に着いた。
 今回の松本旅行で、一番印象に残ったありがたいことだった。

 六時過ぎ、食事をしようと蕎麦屋に行くともう終わりです、と言われた。 
 「蕎麦が売り切れてしまったので、今日は閉めます」
 別の日にその店に入り、馬刺しと盛りそばを注文した。馬刺しが先に出たので、ゆっくり食べていると蕎麦が来た。
 半分残った馬刺しの皿を脇によけて、「伸びてしまいますから、こちらから先に召し上がってください」と言われた。
posted by たくせん(謫仙) at 14:11| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年08月12日

松本3 松本城(後)

松本城(後)

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 外堀である。外堀は東側だけが残り、南側と西側は埋められている。
 水は浅いが澄んでいる。昔からこんなに浅かったか。鯉が背びれを出して泳いでも水が濁る。

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 二の丸裏御門橋。この橋は通ることができる。二の丸の北端である。

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 松本は扇状地。松本城も全体的に土地が傾いている。そのため、堀も何カ所か区切り、水門で水を調節している。黒門前でも区切られていた。

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 巨木が多い。松本神社の前。ここは城の北側、わたしの背中は堀。

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 埋橋。この橋は通れなかった。老朽化している。

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 南側から。こうして二の丸から見ると内堀は庭の池のようだ。それゆえ、外堀が必要だったのかもしれない。

 入り口にあったそば屋で手打ち蕎麦を食べて、今度は総堀の跡をたどる。
 総堀はほとんど埋められ、地図東側上部ににわずかに残っているだけだ。かなり歩いたような気がするが、地図で見るとたいした距離ではない。

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 黄菖蒲が咲いているように、かなり浅い。底がはっきり見える。
 道は北に向かってわずかな上り坂である。扇状地の特徴だ。

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 総堀の北の端を曲がると堀は終わり、凹んだ埋め立て地になる。そこには自噴井戸がある。ここもブラタモリで紹介されたところだ。
 松本の周りは高い山。その昔、山を目指した男の子は松本高校に集まった。そんな地形が、各地で水を湧き出させる。
 ブラタモリの松本編を見た人は、町中のあちこちの自噴井戸に驚いたかもしれない。
わたしも歩いていて、7カ所の自噴井戸を見た。2カ所で水の補給もした。

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 左の道とくらべ、これだけ凹んでいる。

 西へ歩く。総堀跡は土地が低いので判りやすい。

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 北馬場柳の井戸

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 水質に対する注意書きがある。ここ以外では見たことがない。

 外堀復元予定地で水質に問題あったという記事を見た。どのように埋め立てたのか気になるところ。市街地はビルが建ち並び、それも水質に影響しないのか。
 ここから西側の総堀の跡らしき道を歩く。

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 説明がないが、ここは総堀の跡である。ここもブラタモリで説明していた。

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 西総堀土塁公園。
 わずかに残された土塁の一部。説明がないと通り過ぎたであろう。延長約二キロ。
 総堀を掘ったその土で作った。往時にはこの上に塀があった。


 地図のはじめで説明した、女鳥羽川と総堀の境の土手は、狭いながら繁華街だったらしい。
 今は総堀は埋められているが、それでも旧土手道は、縄手通り商店街として、人気がある。

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 縄手通り入り口。

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 自動車は入れない。

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 時間が遅かった。

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 別な日の縄手通り。ここにも自噴井戸。肝心の賑やかな街の写真がない。残念。水をくむのは順番待ちだったのに。

 女鳥羽川の河原に降りる。かなり濁っている。上流には人家や農地があるのだ。
 この川は総堀の南側を横に流れている。かなり整形したと思われる。ブラタモリでは、本来、城の西側を流れていたのではないかという説を紹介していた。

 二百メートルほど下流に、南方から流入する水を見つけた。

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 まるで上水だ。自噴する水を集めたのか。
 濁った女鳥羽川に流れ出るが、対比が著しい。 
posted by たくせん(謫仙) at 10:21| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年08月10日

松本2 松本城(前)

松本城(前)
 わたしはその日泊まるホテルに荷物を預け、歩いて松本城に向かった。二回に分ける。
 松本城は国宝である。よく俗称として烏城(からすじょう)と言われると記述されているが、過去の文献にはなく誤りという説がある。初出はなんと昭和41年。
 なお岡山城は烏城(うじょう)。

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 女鳥羽川(めとばがわ)を渡ると一応松本城のエリアになるが、知らないとわかりにくい。
 道は一応クランクになっている。大手門の跡であり、枡形虎口があったので道はずれているのだ。

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 女鳥羽川はそれほど広い川ではない。街中としては大きいか。

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 この図の左右中央の下に大手門。
 女鳥羽川が下辺に横に流れ、その北側の土手を挟んで、総堀があった。薄い青は埋められている。
 松本城は一応、本丸の周りを内堀。二の丸と三の丸の間を外堀としている。その周りにほとんど埋められている総堀がある。
 内堀・外堀・総堀さらに女鳥羽川も4番目の堀の役を担う。しかし、現在の内堀と外堀で半二重の内堀、そして総堀が外堀と見るのが自然だ。
 総堀は右上にわずかに残っている。青い部分。
 外堀は図でも判るように南と西が埋められている。現在復元計画中なのだが、どこまで進んでいるか。

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 大手門からまっすぐに外堀まで。右は堀。この左側は残念ながら埋められてしまっている。ただし、外堀が復元されたら、そば屋の位置は堀になるのかな。
 古地図では、ここには道はなく、右に回り太鼓門から二の丸に入ったようだ。
 現在はまっすぐに、この堀を越えれば「二の丸」地域。

 これからのことは、二日分の行程だが、説明は分けていない。

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 内堀の向こう側が黒門。威厳をもって客を迎える。

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 この道を通って入る。この道は橋ではない。左右の堀では水面の高さが違う。それにしてもかなり浅い。

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 内堀を渡り、入場料を払って、黒門を通る。

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 芝生は本丸の位置が示されている。正面に天守閣。
 かなり前だが、わたしは松本城に来たことがある。そのときは、手前辺りに有料ロッカーがあったが、ほとんどの観光客はロッカーを使わず、この辺りに適当に荷物を置いて天守閣に登っていた。わたしもそうした。今ではあり得ない。

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 赤い欄干の部分は三代家光を迎えるために建て増ししたが、ドタキャンされたという。
 ブラタモリの松本編を見た人は、この辺りの説明を思い出して欲しい。

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 ここから天守閣に登る。
 天守閣の階段は狭くて急で、係員が交通整理をし、「横歩きがよい」と歩き方を説明しているほど。上では写真どころではなかった。
 で、昔の写真で代用

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 下に降りればホッとする、ゆったりした空間。


 黒門から出ると、古図の右の方へ歩く。ここには博物館があったのに、引っ越し工事中で、すでに廃館。建物のみ。
 太鼓門の方へ進み、その先の二の丸御殿跡に行く。

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 二の丸御殿跡はこのように区割りされている。縄で囲まれているが、一カ所開いていて、中に入れる。律儀に誰も縄をまたがない。

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 戻って太鼓門から外へ出る。

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 枡形になってるので主要な門だ。

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 太鼓門を外から。
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2022年08月06日

松本1 碁会

 今年の5月に小林千寿六段主催の囲碁合宿で松本に行った。その後ひとりで松本市内を歩いた。
 有名観光地なのでいまさらだが、いくつか紹介する。
 まずは、松本美術館だ。
 後でホテルの人から、「開いていたンですか」とびっくりされた。つい先日まで、コロナウイルスの影響で、休館だったそうだ。
 この美術館はなんと言っても草間彌生だ。

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 本来、草間彌生の常設展があるらしいが、このときは、正倉院展でお休み。
 正倉院御物は、もちろん複製だが、かなり精巧で見て良かった。
 その後に駅前に集合した。アンティ・トルマネン初段夫妻も山形から駆けつけてくれた。ホテルのマイクロバスで会場つまりホテルに向かう。
 
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 ホテルから見た松本市。

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 ひときわ目立つのが常念岳。その右の常念乗越の常念小屋に泊まったことがあるが、いまは想い出。
 次の朝、朝食前に、近くの見はらし台まで登った。

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 その途中で見つけた藤によく似た花、蔓ではないので、藤ではなさそう。ニセアカシアと教えてもらった。
 多くの松が切り倒されて重ねられている。椎茸のホダ木には使えないし、山道の景観のためか。そう思っていたら、辺り一帯の松の木が松食い虫に荒らされていたのだった。

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 見晴台の景色。かなり広く見えた。

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 北アルプス。

 碁会2日目は、地元の囲碁会との合同碁会。会場に行くマイクロバスでなんと乗り物酔い。ウワー。もう写真を撮る余裕はない。

 両先生の指導碁は地元の方に譲り、わたしたちは対局に専念。わたしの二人目は中校生らしい女の子。なんと何にも話さない。終局寸前に相手が間違えて、大石が死んでしまった。それでも考えているので、「ここで終わりにしましょう」と声をかけた。少し感想も言ったが、それでも無言。
 昼休みになったので、小林先生のお嬢さんにそっと訊いた。
「あの子は話せないンですか」
「いえ、そんなことはない。普通に話してますよ。高齢の男の人相手なので遠慮したンじゃないかしら」
 午後、手空きのようなので声をかけた。
「もう一度、わたしと打ちませんか」
「イヤダッ」

 三日目は朝食の後解散。多くの人はゴルフに行き、わたしたち残り三人は皆に遅れて駅近くまで送ってもらう。
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