2023年12月18日

烏鷺寺異聞

書庫−烏鷺寺異聞 に加筆

 来年の大河ドラマは紫式部。それでこの本を思い出した。紫式部が碁を打っていたことは知られている。源氏物語を読んでいても、碁の場面があり、記述は正確だという。ただし訳者が碁を知らないと、変な訳になることがある。
 現代でも小説で碁を記述するシーンがあるが、碁を知らない人の記述は、どこかおかしいことが多い。
 わたしは大河ドラマに期待している。 

   篠田達明   徳間書店  1998.12. 
  烏鷺寺異聞−式部少納言碁盤勝負
 前に、次のような文を書いた。
 わたしの完敗した一局を紹介しよう。わたしの黒番である。

 ……。もうひと隅の小目の黒に、白は「氷河倒瀉」でかかってきた。わたしは「朝天一柱香」で受けたが白は「千里流砂」に変じた。
 そうなると「朝天一柱香」の位置がなんとなく重いので、「白砂青松」でかわそうとしたが、白は「及時驟雨」で追撃してくる。

 このアイディアは自慢であったが、なんと同じアイディアですでに本が書かれていた。(ちなみにこれらの技の名は架空である)
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 紫式部と清少納言による囲碁五番勝負である。
 時は…、もちろん両者の活躍していた時。
 当時すでに碁が盛んであったことは、「源氏物語」や「枕草子」で知られている。

     uro.jpg

 さて。
 高明流の名手で、胸突き式部といわれる紫式部。
 伊勢流の凄腕で、殺生納言といわれる清少納言。
 この二人が烏鷺寺で五番勝負を行うことになった。
 この理由は、占いが力を持っていた平安時代ならでは。
 つまり、この碁に勝つと、皇子を授かるとか。

 政界の実力者、藤原伊周(これちか)と左大臣藤原道長の争いに巻き込まれたが、巷ではあちこちで大金が賭けられ、どちらが勝っても大騒ぎになりそうな雰囲気である。
「鴎の墜落」、「烏の大崩し」、「雀の小崩し」、「寝たきり鷲」、「狂乱家鴨」、「女郎花の散策」、「戦う鴛鴦」、「桔梗の嘲り」、「頬白踊り」、「仏の座の転落」といった技が駆使され、盤上では熱い戦いが繰り広げられるが、なんと、これが二人の相談による八百長勝負。その目的は、道長の強引なやり方に対する反発。言葉や行動ではその場で消えてしまうが、棋譜に残せば永久に消えない。
 そこで碁盤に文字を書こうとするのだ。
 途中、双方からの買収や妨害工作などに邪魔されながらも打ち終え、道長の魔の手から逃れるため都落ちする。

 夢中になって読んでしまった。
 いくつかのキズを指摘できる。だがそのキズを補ってあまりあるアイディアがある。
 まずここでいつもの如く5目半のコミ碁が打たれること。コミ碁は昭和になってできた制度で、平安時代にはなかったはず。公平にするため立会人が考え出したとすればよい。
 上手が白をもつこと。この時代は上手が黒を持ったのではないか。異説もあるが、少なくとも白とは決まってはいなかったはず。
 出仕する前から二人は知り合いだったこと。式部が都に上ったときすでに少納言は出仕していたはず。
 「そもそも、二人が仲良しだとか、その二人が碁を争ったり、碁の流派や技の名があるとか、無理な設定があるのを無視して、そんなことを批判しても…」、という意見もあろうが、それはこの本の設定であって問題ではない。上のようなことは本の設定では決められないことだ。
 というわけで、こういう枝葉のことをきちんとしておくと、本筋の大嘘が生きてくる。
 碁に興味のある人にはお勧めである。
 なお、烏鷺(うろ)は碁の別名。手談(しゅだん)・爛柯(らんか)も同じく。
posted by たくせん(謫仙) at 07:54| Comment(0) | 囲碁雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年08月23日

ある対局の手筋

 先日の「幽玄の間」の対局で、わたしの白番。

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 アタリを打ち、黒さんは継いだので、なんか教科書に出てくるような手筋が決まった。(^_^)(^_^)
 
23.2.jpg
 ここで終局。
 自慢したいのは、最後の一線のツナギまで読めたこと。
 初めての経験だ。
 黒さんは投了したが、もし投了せずに L4 にアタリを打って、あるいは他の手でも、対局を続けたら、負けにくい碁でありながら、実は勝ちきることは容易ではない。
posted by たくせん(謫仙) at 16:41| Comment(0) | 囲碁雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年06月01日

サピエンス全史 ホモ・デウス 続き

 サピエンス全史 ホモ・デウスの続き ではあるが、民主の国とは の続きでもある。

ホモ・デウス 下
 本の話は他で読んでいただくとして、ここではわたしが気にとめたことだけにする。
 以下のように、この本はわたしの意見に共通するところが多い。もしかしたら、多くの人がそんな感想を持ったのではないか。

88ページ
……、自由主義は、競争相手の社会主義やファシズムからさまざまな考え方や制度を採用した。とくに、一般大衆に教育と医療と福祉サービスを提供する責務を受け入れた。とはいえ、自由主義のパッケージの核心は、驚くほどわずかしか変わっていない。自由主義は依然として個人の自由を何よりも神聖視するし、相変わらず有権者と消費者を固く信用している。

94ページ
 もしあなたが国民保険サービスや年金基金や無償教育制度を高く評価しているのなら、……マルクスとレーニン(……)によほどたっぷり感謝する必要がある。

 自由主義は、社会主義との競争で、「一般大衆に教育と医療と福祉サービスを提供する責務を受け入れた。」が、社会主義国がほぼ消滅しても、それは取り消さなかったのだ。
 では社会主義国が消滅しなければ、もっと充実したかといえば、それは怪しい。経済力とのバランス問題だ。経済力のない自称社会主義国ではこの社会主義的制度は不可能であろう。
 多くの思想や宗教哲学は、その成立年代の生産方式や生産力と結びついている。パソコンやインターネットのなかった時代に成立した思想に、現在の生き方を求めるのは、無理があろう。社会主義は蒸気機関やようやく電気の用いられた時代の哲学で、そのままでは現代では通用しない。自由主義社会のように現代的にアップする必要がある。

89ページ
 中国は依然として共産主義であるというのが建前だが、実際には大違いだ。中国の思想家と指導者のなかには儒教への回帰という発想をもてあそぶ者もいるが、それはおおむね便利なみせかけにすぎない。

 いまだに中国を共産主義だと思ってる人が大勢いる。中国の悪いところを指して、「これだから共産主義はダメなのだ」と。
 しかし、わたしは中国を共産主義国だとは思っていない。
 古代中華の象徴として、「礼は庶人に下らず、刑は大夫に上らず」という言葉がある。
 政府高官は刑罰を受けないという特権だ。これを現代でも実行している(と思われる)。だから賄賂は当たり前。賄賂ではなく、自分の領土からの税収くらいに思っているようだ。
 大夫は礼によって規制される。人格優れた人が建前だ。だから刑罰は不要。しかし、トップの疑念を招けば、つまり人格が疑われれば処罰の対象となる。証拠もなく疑念だけで処罰されるのだ。
 この思想は孔子の時代の思想で、清の時代になっても科挙の中心科目だった。
 もっとも科挙に合格するような人は、かなり頭のいい人だ。だから政治においてもかなりのことはできよう。しかし、孔子の時代の政治思想が今でも優れているとは思わない。
 科挙はなくなったが、精神はほとんど変わっていない。中国共産党は共産主義を自称しているが、儒教思想は抜けきれていない。そもそも中国の経済力では共産主義は無理だ。
 さて、共産主義社会になるとどうなるか。おそらく誰も共産主義のことなど気にしなくなるのではないか。
posted by たくせん(謫仙) at 17:10| Comment(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年05月31日

サピエンス全史  ホモ・デウス

2021.5.10 記

 初めて読み終えてない本の紹介をする。
 間違いがあるかもしれない。非難する人がいるかもしれない。

 わたしは宗教を信じない。しかし、バカにはしない。
 漱石の草枕。
 人の世を作ったのは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣にちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。
 そう、この世を作ったのは神ではない。これは十代の頃から思っていたが、わたしの考えをはっきりさせたのは、宮本武蔵の五輪書である。
 神仏を尊びて、神仏を頼らず
 そうだった。宗教には頼らない。しかし他人の信仰心は尊重する。静かに、宗教規律を守って生活している人に対しては、尊敬心もある。ただ他人を攻撃したり、しつこく勧誘する人には怒りを覚える。だから、宗教による戦いは理解出来ない。

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 先日、ユヴァル・ノア・ハラリの「サピエンス全史−文明の構造と人類の幸福」と、その続編とも言える「ホモ・デウス−テクノロジーとサピエンスの未来」を途中まで読んだ。そして投げ出した。
 まわりくどく、何を言っているかさっぱり判らないのだ。整理して、全部で四冊を二百ページほどにしたら、少しは判るかもしれない。
 「サピエンス全史」が人類の過去、「ホモ・デウス」が人類の未来を語る。
 ネットで、その要約や、書評などを読んで、ようやく大意をつかんだ。

 現人類が、架空の話を作ることができることが、他の人類を滅ぼし勝ち残った理由だという。
 他の人類が架空の話を作ることができないと、どうして知ったのかは判らないが、架空の話、たとえば神を偽造したり、言語だけでも意味を伝え、噂話を確かめもせず信じる。貨幣制度など、虚構に類する実態のない概念を理解できる。
 その架空の力で大人数をまとめた。そして国家を作った。
 確かに国家を作ったのは現人類だけだ。他の生き物で、言語を持つと言われる生物も国家は作れない。
 生物は、階層化される。
   神
   支配者層
   一般の人
   家畜(一部の人も含まれる)
   他の生命

 そして、将来は、次のように分類されると予想する。
   アルゴリズムと、アルゴリズムを操る神となる支配者層
   家畜(ほとんどの人はここに分類される)
   他の生命

 支配者層以外のほとんどの人は家畜に分類されるのだ。
 現在でもAIに支配されている人が多い。さらに進むと、衣食住からさらには恋人や結婚相手までAIに支配されるだろう。インターネットがないと何もできない。アルゴリズムの奴隷になるのだ。
 神とは、AIやAIなどの情報を支配する人たちだ。

 もはや、この状態は宗教ではないか。ここで最初の述懐か出てくることになる。

参考 https://note.com/nogacchi/n/n0a09f10fa38e
ホモデウス図解 神になろうとするサルたち

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以下ほとんど不要の駄文

 翻訳物は、回りくどくて意味が判りにくいという話。わたしの頭が足りないだけではないだろう。

ひとりの男が…
 前後の文を見て、あれ、この文脈だと、一人でなくても、女性でも当てはまる話ではなかろうか。と考え込んでしまう。
 
「…誰だか知りませんが、一人、または複数の人間と連絡していたのを見つけたんです!」ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団p504
一人、または複数の人間、これ以外の状況はあるのか。

 この本では、
 1943年にドイツのある男の子が父親にきいた。
 1943年でないといけないのか、女の子や母親では該当しないのか。
 男の子に限定した意味は何か。
 これが伏線だと思って気をつけていると、何の関係もない。だったらなぜ男の子と限定したのか。

 このような本は、結論ばかりでなく、結論にいたる道筋も大切だが、それでも冗長すぎる。
posted by たくせん(謫仙) at 09:41| Comment(1) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年04月18日

薬屋のひとりごと

2023.4.4  記
2023.4.18  追記

日向夏   主婦の友社   2014.9

   2023.4.4..jpg

 小説 薬屋のひとりごと を読んでいる。
 異世界ものというのだろうか、仮想の国が舞台である。
 意外な話が伏線となっていて結構おもしろい。作者は日向夏、推理作家だとか。
 花街育ちの猫猫(マオマオ)は、さらわれて、宮廷の下女にされてしまう。年季が明けるのを期待して、医薬に詳しいことを隠している。
 ことの始まりは、皇帝の多くのこどもたちが短命であり、今も苦しんでいるこどもがいたこと。この子を密かに助けたことが知られて、毒味役に採用される。
 毒味役をやりながら、みずから薬を作り、多くの人を治療をする。その過程で、王宮や貴族の陰謀に巻き込まれてしまう。

 中華王朝風の架空の時代。日中混合で迷うことが多い。
 たとえば登場人物名が、猫猫(マオマオ)、李白(リハク)、羅漢(ラカン)、羅門(ルォメン)。わたしには判りやすいけど、どうだろう。
 碁や将棋も出てくる。将棋のコマは、角行や竜王。日本将棋のようだが、成り金・成り銀という言葉には、作者は将棋を知っているのかな、という疑問が生じた。日本将棋ではなく、架空の将棋というゲームであるならかまわない。そのような説明がさりげなく欲しい。
 碁では珍瓏と書き、かなは「ツメゴ」とある。珍瓏(ちんろう)と詰碁(つめご)は異なる。似ている部分もあるが、それは一部分。それで、碁も知らないのかなと思うが、碁を知っている人でも誤解している人がいるので、こちらはなんともいえない。
 こんなふうに碁や将棋に関しては、微妙なずれがある。この世界ではそういうゲームと考えるか。
 医薬医療に関してはかなり詳しい。もしかしたらプロから見れば怪しいところがあるかもしれない。しかしそれはかまわない。それは正しいという設定の小説だからだ。
 逆にいえば、設定以外では正しく書く必要がある。(わたしは古いSFファンなのだ)
 弁髪ではなく、将棋の成立年代や、サツマイモ(コロンブス以後の情報)などが登場したりするので、モデルは明朝かと思う。
 大陸の中央にありながら、よく海の新鮮な魚が登場する。海は近いのか。早馬で運ぶとあるが、距離感が合わない。
 漫画でもこうか? 漫画なりの変更が加えられたりしてないのかな。

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2023.4.18 追記
 第4巻で碁を打つ場面あった。棋譜にとってある。それを第6巻で再現する。紙束があり、一手づつの棋譜が書かれている。
 途中で失着があり、そこで終わっている。
 羅漢(ラカン)と猫猫(マオマオ)が棋譜どおりに打ち、終わってから羅漢が一人で打ち、ヨセに入り、
「あとはよせだけだ」
 手を止めて、
「もう勝敗は決まっている。五目半のこみを入れて、黒の一目半勝ちだ」
 棋譜どおりに打つのはともかく、続きを打って、勝敗を言うのは、プロ級の高手ではないか。これは日本ルールである。しかも少し古い。
 日本では、昔はなかったコミが、1934年に導入されたときは2目半であり、それから順次4目半、5目半、6目半、と改正された。
 五目半だったのはおおよそ1964年から2002年までである。
 計算方法の違いもあるが、中国ルールでは一子二子と数えた。現在のコミは3+3/4子(7目半に等しい)とする。コミの採用は日本より遅い。一子は2目であり、半目は1/4子と表現する。だから昔は半目はなかった。これもこの世界のルールがこうだと割り切ろう。
 著者は「ヒカルの碁」で碁の知識を得たのかな。「ヒカルの碁」では五目半で通していた。

 第8巻では碁の大会があるが、周辺の話ばかりで、打ち碁の話はかすめる程度。

    思わぬところで碁の考察
posted by たくせん(謫仙) at 16:54| Comment(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年03月19日

幸福な監視国家・中国

2022.10.23 記
2023.3.19 一部独立

梶谷 懐, 高口 康太    NHK出版   2019.8

     22.10.22.jpg
 この本はコロナ・ウイルス騒ぎ以前に書かれた。それ故に現在ではかなり様子が変わったと思われる。故に細かいことは書かない。
 わたしが読みながら感じたことである。だからいつもの本の紹介とは違う。

 幸福論ではない。ここでいう監視国家は、「1984年」とは少し異なる。
 たとえば暴力が支配する地域があったとしよう。その地域の至るところに監視カメラが備えられれば、そこに住む人々は幸福感を味わえる。そんな意味合いだ。
 中国では法整備が追いつかず、民間(?)でダイナミックに事業を展開してしまう。中国の急成長はそれに由来するところが大きい。時の権力者の資金源になるため、違法でも保護される。そして、国際社会でもルールを無視して勝手に展開する。 
 それがここに来て、停滞してきた。国内では共産党内の派閥争いで、旧権力者の保護による有力企業が打撃を受けている。習近平は国の経済より、権力争いを優先して、他派閥資金源の世界的企業に圧迫を加えている。
 国際社会ではルールを守らず退場を余儀なくされている場合もある(アメリカの株式市場など)。コロナウイルス問題もあり、見通しは明るくない。
 この本が書かれた当時はイケイケの中国経済だったが、現在は暗雲が垂れ込めている。こんなわけで、内容は興味深いが、全てを信用できるわけではない。
 この本ではかなり誤意見が見受けられる。特に大企業を民間企業とするあたりだ。ほとんどは半国策の会社であろう。その時代の有力政治家の派閥資金源になっている。
 自由意見を言えるだけの環境にいない人に世論調査をしても、ほとんど無意味だ。逆に自由意見を言えないことが垣間見える。
 そんなわけで、監視社会が中国で受け入れられた社会土壌など、参考になる。
 将来に対する展望は希望があるのだが、それもコロナ・ウイルス騒ぎや、国策企業への圧迫などで、かなり狂ったのではないか。習近平派閥の資金源企業がすぐに育つかどうか。

民主の国とは に続く。
posted by たくせん(謫仙) at 08:28| Comment(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

民主の国とは

 幸福な監視国家・中国 の続きを、加筆して独立させた。

 以下はわたし(謫仙)の考えていたことである。
 中国といえば共産主義国家と思う人が多い。だがそれは違う。支配する中国共産党は、組織の看板として共産主義を掲げているだけだ。
 中国共産党が共産主義になれない理由は判っている。
 共産主義にはまず民主化しなければならない。民主化が共産主義のスタート台だ。これができていない。そして国民の生活を支える経済力だ。
 日本はすでにそこから踏み出している。第一歩は、国民皆健康保険だ。第二歩は年金だ。それから失業保険。これら社会保障はソ連と向き合っていたころ充実させた。そして経済力が勝るため、ソ連を遙かに凌駕する共産主義政策となった。
 最近ではベーシックインカム(ベーシックインカムとは)が考えられている。しかし、そのマイナス面もあり、導入は当分ないだろう。
 将来生産は全てロボット化して、失業率が5割を超えるようになると、導入が必要となろう。もっと前かな。
 西方極楽浄土や天国では、資本主義が機能しているとは考えにくい。共産主義に思える。当然ながら名前は異なるだろう。このことから共産主義は実現不可能に近い理想社会と思える。
 犯罪がなくならなくても、警察は必要だ、無駄ではない。消防は事故ゼロに向けて努力する。事故がなくならなくても消防は必要だ。無駄ではない。
 多くの人は無意識に共産主義を目指している。もう一度言うが、共産主義の名は変わっているであろう。たとえば人間主義。資本主義に乗れなかった人が滅んで、消費者のいないところで生産が増大しても意味がない。
 漢民族の支配者は4千年の帝国主義思想に支配されていて、帝国主義の範囲でしか考えられない。民主でも法治でも、帝国主義の範囲内での話になる。
 もっとも台湾や香港や華僑は西洋的な民主を考えることができる。
 中国ではしばしば、警察組織が、反社的組織と親しく思えることがある。そのため地元警察は信用できなくて、中央に訴え出ることがある。

 現在では中国外の西欧的な市民社会にも、非民主の陰が忍び寄っている。民主疲れとでも言うか。負担軽減(つまり利益)を求めすぎてしまうのだ。原因はソ連が崩壊し、非民主国との競争の必要度が低くなったことだ。
 日本の総選挙では表面だけでも一千億円以上かかる。選挙を止めれば一千億円が浮く。全てにそう考えると、経済的負担は軽くなるが、国家機能に大きな傷ができる。民主化していない中国ではこの傷が大き過ぎるように思える。

 日本でも、国民の生活を支える経済力に陰りが出ている。放漫財政のためだ。企業の体力が弱くなると、株価は下がる。これを強引に株価だけ上げても体力は回復しない。原因と結果を取り違えたのが、現状ではないか。

 間接的ではあるが、
 サピエンス全史 ホモ・デウス 続き に続く。
posted by たくせん(謫仙) at 08:01| Comment(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年11月22日

中国共産党の歴史

中国共産党の歴史
高橋伸夫   慶應義塾大学出版会   2021.7

 この本、内容は素晴らしい。漠然としか知らなかった中国共産党の歴史を克明に書いている。
 たとえばわたしは、戦前の中国共産党は、名前ばかりでほとんど力がなかった、と思っていた。ところが、1925年1月の党員は994人だったのが1927年春には5万7967人になっている。
 本拠地で共産党を支えた財力は、半分近くが麻薬だったという。
 長征(あの大敗走)のころでは軍30万〜40万で、貴州省の戦いで約三万人になった。
 毛沢東軍以外にも各地に小さな共産党軍がいた。
 あるいは内部抗争のすさまじさ。
 これらを書いてあるページを示したいが、探せなかった。このような断片的なことは、ここに書いてもあまり意味がないので、ここまでとする。

 戦後では、胡錦濤の一期目は前の江沢民に支配され、二期目は習近平に掣肘を加えられ、ほとんど活動できなかったという。
 先の共産党大会で、胡錦濤が資料を開くことも妨げられ、追い出されたシーンがあったが、この本を読んで納得した。

 内容はいいのだが、日本語がはっきりせず、印象が薄い。
 まず、縦横ともいっぱいに文字が入り、改行が1ページに2回か3回で、だらだらと続く。思わず読むのをためらう。また余計な修飾が多い。

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 序文を読んだとき、外国語の翻訳かと思った。しかし、著者は日本語を母語としているはず。文章はまず英語または漢語の論理構造で作り、頭の中で翻訳して書いているようだ。
 例を挙げる。最後のページである。

 習近平政権は、二〇一九年末に武漢からやがて中国全土へと拡散した新型コロナウイルスを、世界全体へと拡散させた後に封じ込めた。だがこの「成功」は大きな代償も伴った。

@習近平政権は……封じ込めた。 の間が長すぎ。これでもこの本では短い方だ。
A拡散させた後  拡散方法は書いてない。主語を勘違いしたか。翻訳ミスか。わたしは「拡散してしまった」と思う。「拡散させた」とは思わない。
B封じ込めた。  「封じ込めようとした。」であろう。
Dこの「成功」は  中国語では“成功”とすることばであろう。「成功と称する」の意味。

 他にも「AはBではなくCである。」これが多行に渡ると、どこまでがAで、どこまでがBで、どこまでがCか、判然としなくなる。自分の知識で補うことになる。
 代名詞の使い方が一定していない。無生物主語も多い。たとえば、
膨大な資料は研究者の心を折る。 これは「研究者は膨大な資料を見て心が折れる」の方が良いが、正しくは研究者とは自分のことだから「膨大な資料を見て心が折れた」で良いはず。
posted by たくせん(謫仙) at 09:43| Comment(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年11月04日

みをつくし料理帖

16.4   記
22.11.4追記

みをつくし料理帖  天の梯(そらのかけはし)
田 郁(かおる)  ハルキ文庫   2014.8

     15.4.28-1.jpg
 みをつくし料理帖はこの第10巻をもって完結した。
 澪(みを)は享和2年の大阪の大水害で、幼くして親を亡くし、料理屋「天満一兆庵」の女将である芳(よし)に奉公人として引き取られる。
 ある洪水の後、汁物の味が変わって、料理人たちが原因が判らず困っていたとき、澪は水の味が変わったことを指摘する。それで主人の嘉兵衛に見込まれ、女ながら料理人の修行をすることになる。
 あるとき店は火事になり、大阪の店は再建せず、嘉兵衛とその妻芳と澪は江戸の支店に来るが、嘉兵衛の息子佐兵衛は店をつぶして、行方不明であった。心労で嘉兵衛は亡くなる。
 澪(みを)は小さな店「つる家」で料理人として働き、芳と一緒に生活を続けた。
 医師源斉の言葉「食は人の天なり」を励みに、人々が健やかに生きることを目指して、料理を作る。
 こうして6年、幼なじみの野江が吉原にいることを知り、四千両を工面して救いだし、佐兵衛を料理人に戻して、江戸に天満一兆庵を再興させ、自分も医師源斉に嫁ぎ、ともに大阪に行き、新しい人生をはじめる。
 その後、料理屋「みをつくし」を開店することになるはず。付録にある11年後の料理番付が暗示している。

 超あらすじはこんなところだが、江戸の人の暮らしぶりや人情などかなり細かく描写されている。澪の料理の工夫ぶりも細かい。しかも架空の料理ではなく、小説の話をまとめたレシピまでついている。
 最終話になり、ページが残り少ないのに問題解決の先が見えず心配したが、違和感なくまとまっている。話は始まりから終わりまで一貫して練られているので、読後は爽やかで後味が良い。

 あちこちで涙が止まらなくなった。
 たとえば、つる家には下足番となった十三歳の“ふき”がいる。ふきは七歳の弟健坊が奉公先の登龍楼に戻るのをいやがったとき、心を鬼にして「登龍楼に戻れ」と叱るあたり。
 住む家もなく、二人で生きるすべもなく、幼い二人が生きてゆくために、ふきは苦渋の決断をしなければならなかったのだ。
 その前に、健坊の初めての藪入りの時は、ふきは健坊をふきの奉公先つる家に連れてこず、登龍楼ちかくをふたりでうろうろして白玉を食べただけ。
 つる家の皆は、ふきが健坊を連れてくると思っていたので残念がったが、ある人が、「そりゃあ、連れてくることはできないだろう」と、ふきの心情を喝破するところとか。
 わたしはどうも、無力であるが故に選択肢がなく、無理を強いられる話に弱い。

 心残りは、二人の少年(太一と健坊)が将来どうなるのかが、はっきりしないこと。サブキャラとはいえ、感情移入してしまった。

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
20.9  追加
 後にドラマ化されたが、澪の料理に特化して、味が薄くなった。まさに料理帖だ。多くの登場人物が問題をかかえたままで終わってしまい、物足りなかった。
 また映画化もしたが、この長い物語を一本の映画にまとめることは無理で、かなり省略して、設定も変えて、表面だけをさらったような感じで、見るのが辛いほど。原作を読んでいた故であろう。だから原作を知らなければ、それで良しとしかもしれない。

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
22.11.4追記
 さらに、ドラマの続編が作られていた。
みをつくし料理帖スペシャル前編 心星ひとつ 2019
みをつくし料理帖スペシャル後編 桜の宴   2019
 かなり、原作に近い事情や心理面まで踏み込んでいて、ようやく纏まった感じだ。
 澪の想い人・小松原との恋の行方や、幼なじみ・野江との今後を占う吉原・桜の宴で、采女宗馬と再び対決するエピソードを描いた続編。
 ただし、結論までは至っていない。さらに続きがあるのかな。
 黒木華の演技はこの物語にうってつけだ。顔つきも江戸時代らしい雰囲気で、グッと唇をかみしめる表情がいい。
posted by たくせん(謫仙) at 13:58| Comment(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年10月12日

南千住カメラ散歩

南千住駅前
 南千住で降りて浅草まで歩いたことは何度もあるが、西側は二度目だ。
 前回は 円通寺 だった。
 (小さい画像はサムネイル)

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 駅前は小塚原処刑場あとである。道はコツ通りとして有名であるが、ただしわたしは落語で知ったのであり、特に学んだわけではない。
 駅前にはJR線を挟んで延命寺と小塚原回向院がある。

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 延命寺 あまり広いところではない。

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 入って突き当たりに大きなお題目の石柱が有る。同じものが大森の鈴ヶ森にあるとか。
 右奥の像は首切地蔵である。三百年ほど前に立てられた。

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 小塚原回向院
 この奥の見えるところから左は一般の墓所で、立ち入りは遠慮すべき。右方には案内がある。

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 その墓所の案内。

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 カールゴッチの墓があった。プロレスファンなら知らない人はいない。あのプロレスの神様カールゴッチである。ガチで強かった。
 そのお墓がなぜここに?
 検索したところ、骨のほとんどは海に散骨され、1割ほど弟子が保管していて、それがここに納骨されたという。

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 高橋お傳
 一応、毒婦と言われるが…

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 鼠小僧次郎吉
 「十年間に荒らした屋敷95箇所、839回、盗んだ金三千両余り」と白状したが、実際は不明。 

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 橋本左内

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 吉田松陰

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 入り口には吉展地蔵尊が有った。円通寺で見たとき、「古い写真とは異なるので2代目の像か」と書いたが、ここにあった。


素盞雄神社
 少し北千住の方へ歩くと素盞雄(すさのお)神社がある。

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 素盞雄神社の正面、旧日光街道側から。

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 碁盤の儀
 七五三の行事。ここから飛び降りるはずだが、下が石畳では躊躇しそう。ここではどうしているのか説明はなかった。宮中行事に由来する。

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 向かって左側は狛犬のはず(?)、角がないので獅子かな。右には獅子。区別つきませんでした。

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 日光街道から。ここから入った。正面はこの左手になる。

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 松尾芭蕉の奥の細道での最初の宿場が千住。

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 富士山
 見にくいが鳥居より高い。

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 神楽殿

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 荒川ふるさと文化館の前

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   荒川千住 芭蕉主従に 花の春     兜太 
posted by たくせん(謫仙) at 09:32| Comment(0) | 山房筆記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする