2019年06月18日

奈良1 奈良国立博物館庭園

奈良国立博物館庭園 茶室八窓庵

 奈良国立博物館は久しぶりだ。新館ができたことも知らなかった。
 今回は「曜変天目茶碗」が展示されるので見に行った。
 曜変天目茶碗は中国からの輸入品だが、中国にはなく、日本に3点あるのみ。「曜変」も「天目」も日本で作られた言葉。5月の連休前後に、3点ともそれぞれの場所で展示されるので話題となった。
 この博物館で見られるのは、大阪の藤田美術館所蔵の曜変天目茶碗だ。
 中国では完全な品はないが、破片が見つかっているという。
 見学者は行列となり、二十分ぐらい並んだ。

3232-2.jpg
 わたしの知っているのは、「なら仏像館」の部分だけだった。

IMG_3234.JPG
 新館の南側に茶室八窓庵を中心にした、庭園がある。新館の見学が終わり、庭園に行く。

IMG_3235.JPG
 この飛び石を通り、庭園内へ行く。
 新館はこうして浅い水に囲まれている。

IMG_3236.JPG
 ちょうど躑躅が咲いていた。右端に八窓庵の一部が見える。

IMG_3237.JPG
 庭園に入ると左手にこの古木がある。

IMG_3239.JPG
 定番だが、説明は読まなかった。

IMG_3240.JPG
 「奈良の八重桜」もしくは「奈良八重桜」という栽培品種。遅咲きであるとはいえ、5月9日では遅すぎた。「奈良の八重桜」といえば次の歌を思い浮かぶ。

  いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重ににほいぬるかな(伊勢大輔)

IMG_3242.JPG
 茶室は池の向こう側であり、池を半周する。

IMG_3243.JPG
 ここを通れば、近道なんだが(^_^)

IMG_3244.JPG
 腰掛待合かな。橋を渡る前に一休みして服装など整え、亭主の迎えを待つ。

IMG_3245.JPG
 八窓庵
 静かな落ち着きのある建物だ。
 曜変天目茶碗を見るために並んでいた人たちは、どこに行ったのだろう。わたし一人で庭園内を歩く。

IMG_3246.JPG
 わたしの好きな道だ。池の突端に来た。

IMG_3248.JPG
 八窓庵は竹垣で囲われている。

IMG_3250.JPG
 ここが八窓庵の中門か。

IMG_3252.JPG
 八窓庵を外側から。

IMG_3254.JPG
 八窓庵から離れる。この石灯籠、いわれはあるのだが、記録を撮り損ねた。

IMG_3253.JPG
 館内に戻る。
 地下回廊のレストランで昼食とし、なら仏像館へ行く。
 となりの青銅器館も充実していた。青銅器館のガイドと話し込んだ。

 昔、台湾では、商(殷)の時代のきれいな青銅器が1個あれば、それだけで一品展が開けた。天目茶碗1個で、これだけの人が集まるようなものだ。
 しかし、ほとんどは偽物であった。骨董品のプロには製作来歴が判っている品が多い。そんな時青銅器を見たプロは「眼福であった」と言って去る。決して偽物とは言わない。
 台北故宮博物院の毛公鼎のような、中国最高の宝といわれている品まで偽物説がある。鑑定は難しい。それでも今は進歩した。
 こんな話をして、博物館を後にした。
posted by たくせん(謫仙) at 08:04| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年06月13日

京都9 二尊院・祇王寺・化野念仏寺・清涼寺

二尊院・祇王寺・化野念仏寺・清涼寺

 二尊院
 嵐山の近くは名所旧跡が多い。二尊院は大きな寺である。

IMG_2844.JPG
 総門
 小倉山の下を歩いて、二尊院に行く。

IMG_2845.JPG
 紅葉の馬場
 総門を入れば、伽藍のある地域まで、まっすぐな道がのびでいる。
 新緑が輝いている。紅葉も映えるであろう。

IMG_2848.JPG
 紅葉とは異なり、新緑は毎年輝く。
 本堂の裏ではタゴガエルの声が響いていた。
 普賢像桜があった。初めて聞く名だ。八重だが、花びらが百五十〜百六十枚もあるという。

IMG_2852.JPG
 本堂の前の勅使門
 簡素で優雅である。総門も簡素だった。

   ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 祇王寺

 平家物語の祇王が出家した寺である。明治初年に廃寺となったが、再建した。
 今は大覚寺の塔頭(たっちゅう)となっている。
 今回の旅行で「塔頭とは」と聞かれ、答えに窮したが、「会社でいえば子会社」で理解してもらえるだろうか。境内にあることが多いが、こうして遠く離れた所にもある。
 囲碁でなじみの本因坊も、寂光寺の境内の塔頭であった。今はない。

IMG_3143.JPG
 小さな寺で住職もいないが、苔の庭は手入れが行き届いている。

IMG_3144.JPG
 小さな庵に入ると、仏壇には、祇王や清盛などの像が安置されている。

   ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 化野(あだしの)念仏寺

IMG_3153.JPG
 賽の河原
 明るい光の下では、かわいさが先に立つ。
 前に来たときは、鬼哭啾々として、身が引き締まった記憶がある。
 この落差に戸惑った。
    一重積んでは父のため 二重積んでは母のため

   ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 清涼寺

 五台山清凉寺という。
 五台山清凉寺といえば、清朝の三代目順治帝が出家した寺として知られている。本当は病死だが、出家したという俗説があるのだ。その寺と関わりがあるのかな。
 ここは光源氏のモデルといわれる源融ゆかりの寺だ。
 霊宝館が春期特別公開されていた。二ヶ月間である。写真はないが、見てよかった。
 寺は嵯峨釈迦堂といわれるように釈迦像が高名である。

IMG_3157.JPG
 仁王門
 塔のような門に圧倒される。

IMG_3160.JPG
 庭の不思議な形の樹木。わたしには禅寺を思わせる。

IMG_3176.JPG
 本堂(釈迦堂)はかなり大きい。
 清凉寺の前身である棲霞寺の寺域は嵯峨天皇の仙洞「嵯峨院」の一部であった。その大覚寺まで直線距離で五百メートル弱である。
posted by たくせん(謫仙) at 08:06| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年06月09日

京都8 大覚寺

大覚寺(旧嵯峨御所)

 弘法大師空海を宗祖と仰ぐ真言宗大覚寺派の本山である。正式には旧嵯峨御所大本山大覚寺と称する。
 嵯峨天皇(在位809−823)が離宮を建立した。離宮嵯峨院である。その離宮が貞観18年(876年)に大覚寺となった。
 代々天皇もしくは皇統の方が門跡(もんぜき=住職に相当)を務めた格式高い門跡寺院(もんぜきじいん)である。
 嵯峨天皇は、平安遷都した桓武天皇の息子であり、兄の平城天皇の次の天皇である。
 いけばな発祥の花の寺であり「嵯峨御流」の総司所(家元)である、というが、その方面に疎いわたしには、説明できない。

IMG_3183.JPG
 大覚寺門跡の総門の跡。現在はここから門までかなり歩く。400メートルくらいか。

IMG_3185.JPG
 大覚寺に着いた。 

IMG_3187.JPG
 宸殿(しんでん)まえの庭

IMG_3188.JPG
 宸殿牡丹の間、絵は近寄って見たいほど。
 正面
 以下の絵も宸殿の絵である。


IMG_3189.JPG

IMG_3190.JPG

IMG_3191.JPG

IMG_3192.JPG

IMG_3193.JPG

IMG_3194.JPG
 左側はいま歩いてきた廊下。


IMG_3195.JPG
 村雨の廊下辺り、建物は心経前殿(しんぎょうぜんでん)であろう。記憶が曖昧。

IMG_3197.JPG
 心経前殿(御影堂)の西側。向こうに見える小さな建物が、勅封心経殿(ちょくふうしんぎょうでん)で、
大正14年に法隆寺の夢殿を模して再建。

IMG_3198.JPG
 この写真は、具体的位置を特定できない。

IMG_3199.JPG
 心経前殿前の庭。心経前殿は大正14年建造。
 正面の勅使門は修繕中。
 
IMG_3201.JPG
 五大堂(本堂)は堀をまたぐ。大沢池がよく見えるようにベランダが出ている。
 四角く、四方がこのような堀で囲まれている。
 この塀の右(外側)が大沢池である。

IMG_3204.JPG
 観光客が少ないためか、このような庭を落ち着いて見られる。

IMG_3205.JPG
 静かで熱い日差しも涼しく感じる。

IMG_3207.JPG
 この辺りであったか、渡り廊下を歩くとかすかに音がする。鶯張りのようだ。
 通りかかった若い僧に訊いてみたが、「たまたま今この寺にいるので知りません」、と言われた。末寺の修行僧らしい。

 一度入り口に戻り、大沢池に行く。

000001.jpg
 大沢池は境内にあり、人工の林泉である。時計回りに歩く。

IMG_3212.JPG
 放生池であるが、大沢池とは細い土手で隔てられているのみ。一部つながっている。

IMG_3215.JPG
 心経宝塔。1967年建立というから新しい。
 嵯峨天皇心経写経1150年を記念して建立される。

IMG_3217.JPG
 護摩堂は池の脇、火の心配はない。

IMG_3218.JPG
 庭湖石、この池の別名を庭湖という。中国の洞庭湖を模して造られた。しかし、どうだろう。当時の洞庭湖に似ているか。心象風景なんだろうな。
 わたしなどは、洞庭湖は江湖者という言葉の元になった湖、ということを思う。

IMG_3225.JPG
 右の大きな建物が五大堂。

IMG_3226.JPG
 これで大覚寺と分かれる。

参考 大覚寺境内ご案内
posted by たくせん(謫仙) at 07:52| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年06月04日

京都7 天龍寺

天龍寺

 天龍寺は後醍醐天皇の菩提を弔うため暦応2年(1339)に創建された。
 寺号は正しくは霊亀山天龍資聖禅寺(れいぎざんてんりゅうしせいぜんじ)と称する。

IMG_3030.JPG
 京福電気鉄道嵐山本線で嵐山に行く。
 始発の四条大宮駅から終点嵐山まで7.2kmの、市街電車である。

IMG_3032.JPG
 天竜寺の門前には躑躅が咲いていた。ちょうど遅咲き躑躅の時期であった。
 ここから入ると、両側に多数の塔頭が並ぶ。

IMG_2861.JPG
 少し歩いて中門を振り返る。これは前日夕刻の写真である。
 この写真だと境内のイメージだが、その他は参道のイメージだ。

IMG_3036.JPG
 法堂(はっとう)
 まだ時間前なので寄らずに進んだ。公開日は限定である。

IMG_3037.JPG
 庫裏に向かう。わたしが二番目のようだ。

IMG_3038.JPG
 庫裏で拝観受け付け。
 ちょうど参拝時間となった。この庫裏をはじめ、多くの建物は新しい。明治以降である。例外的に、塔頭の中には古い建物もあるので、そういう興味をお持ちの方は、塔頭を訪ねるとよい。ただし公開しているかどうか。

IMG_3039.JPG
 庫裏前にも、ミニ庭園。左奥が大方丈。
 左手前(写真では見えない)に庭園入り口がある。参拝券は諸堂屋内と庭園の二枚になる。

IMG_3046.JPG
 中に入って大方丈を見る。
 廊下を右回りに裏に向かう。

IMG_3047.JPG
 広大な庭園が広がる。曹源池(そうげんち)庭園である。方丈の裏庭でもある。
 この辺りに来ると、西洋人に囲まれてしまった。日本語のガイド付きの団体である。

IMG_3051.JPG
 大方丈を回り書院に行く。書院は小方丈ともいう。床の間には「莫妄想」。この右にもう一カ所床の間があり、達磨の絵が画ある。

IMG_3054.JPG
 屋内の様子。見ると縦横に区切られていて、その襖を取り払っているのが判る。
 二カ所の床の間は襖で区切られた、別の部屋である。

IMG_3055.JPG
 屋内から見た曹源池。

IMG_3053.JPG
 書院から多宝殿に行く渡り廊下。茣蓙が敷いてある。

IMG_3058.JPG
 ここは後に通る道。この先に多宝殿がある。

IMG_3059.JPG
 渡り廊下の右側は、参拝コースではない。

IMG_3065.JPG
 多宝殿の内部正面。

IMG_3067.JPG
 多宝殿の内部左側。

IMG_3069.JPG
 蔀戸(しとみど)をあげてある。いにしえの雰囲気。

IMG_3072.JPG
 渡り廊下を戻る。

IMG_3074.JPG
 一度外に出て、庭園に入り直す。
 大方丈の前庭、枯山水庭園。この左側に門があるが、開けることはあるのだろうか。

IMG_3076-0.jpg
 曹源池はこの庭園の中心である。二枚の写真を合成した。
 開山である夢窓国師の作庭であり、1994年に世界文化遺産に認定されている。
 池の向こうは京都盆地の西の断層崖である。

00002.jpg
 池の向こう側の石組みにも、禅寺(臨済宗)ならではの解釈があるのだが、わたしでは理解出来ない。

IMG_3079.JPG
 少し進む。

IMG_3080.JPG
 正面が書院(小方丈)、右が大方丈。

IMG_3081.JPG
 書院の前から振り返る。

IMG_3087.JPG
 池の向こう側にも拝観コースがある。苔のびっしり覆った一画もある。
 前に来たときは、「猿に注意」の立て札があったが、今は見当たらないようだ。
 小倉山の亀山公園付近に猿が今でもいるのかな。亀山公園も渡月橋も昔は天龍寺境内だった。

IMG_3095.JPG
 赤花蝋梅というが、とても蝋梅には見えない。

IMG_3098.JPG
 北門から出て、竹林を歩く。

IMG_3107.JPG
 竹林を抜けると、すぐに大河内山荘庭園だ。
posted by たくせん(謫仙) at 08:53| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年06月01日

京都6 大河内山荘庭園

大河内山荘庭園

 鎌倉時代の歌人藤原定家が、小倉山荘(時雨亭)で小倉百人一首をまとめたとされるが、場所は特定されていない。
 その小倉山の南部に大河内山荘庭園があった。亀山公園(嵐山公園の一部)のとなりである。

IMG_3109.JPG
 突然、大河内山荘庭園の門に出会う。
 大河内とは往年の映画俳優、大河内傳次郎のことだった。こんなこともいままで知らなかった。
 造園家でもあった大河内傳次郎が、30年かけて作り上げた庭園である。

IMG_3108.JPG  サムネイル
 不鮮明だが、おおよその位置が判る。

IMG_3111.JPG
 緩やかな坂道を上ると開けた。右へ行くと、お抹茶席がある。入園料には「お抹茶」も含まれている。

IMG_3113.JPG
 庭園は山の斜面であり、ほとんどの道は、こうして石畳となっている。

IMG_3114.JPG
 中門

IMG_3116.JPG
 大乗閣
 ここが、生活の中心だったか。

IMG_3117.JPG
 大乗閣前の庭、ここでは珍しい芝生の広場だ。

IMG_3118.JPG
 嵐山を借景として広大な雰囲気がある。

IMG_3119.JPG

IMG_3120.JPG
 大乗閣も新緑の中にある。

IMG_3125.JPG
 石畳の道を登っていくと、小さな堂の前に出た。
 形は大乗閣に似ているが、大きさは茶室より小さい。こもって思考したという。

IMG_3127.JPG
 周囲に展望はないが、植木は小さく明るい空間である。

IMG_3128.JPG
 少し暗い道を歩いて滴水庵に行く。

IMG_3129.JPG
 滴水庵
 茶室であるが、常識的な茶室よりかなり広い。

IMG_3133.JPG
 嵐峡展望台
 滴水庵のすぐ近くに嵐峡展望台があった。
 向かいは嵐山で、すぐ下の小枝の間から、亀山公園の道が見える。手に取るほど近い。

IMG_3134.JPG
 大悲閣の月見台はここより少し高そうだ。

IMG_3135.JPG
 嵐峡展望台から市内展望台まで、この山荘の一番高いところである。

IMG_3138.JPG
 市内や東山が一望できる。
 左にひときわ高いのが比叡山、緩やかなカーブを描いて、中央右に高くなっているのが大文字山。
 付け焼き刃の知識だが、両山ともホルンフェルスの山だ。熱による変成(接触変成作用)によって生じる接触変成岩。堅い。
 間の低い曲線は花崗岩。風化しやすくここまで低くなった。花崗岩は全体的に白く見え、これが真砂化して、黒い雲母は薄く剥がれて流れ、白い部分が砂となって残った。例えば白川の河底だ。
 東山のこの稜線から流された白い砂が、枯山水の庭に使われ、京文化を形づくった。
posted by たくせん(謫仙) at 06:39| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月30日

京都5 亀山公園

亀山公園(嵐山公園亀山地区)

 京都の嵐山は有名だが、その辺りは嵐山公園と呼ばれる。その中に嵐山公園亀山地区と言われる地域がある。亀山公園と通称される。小倉山の最南部である。
 桂川(保津川、大堰川とも)を挟んで、嵐山の対岸である。

IMG_2815.JPG
 嵐山駅は、こんな着物柄のアートが迎える。

IMG_2817.JPG
 渡月橋に向かい、渡らずに保津川上流に向かう。

IMG_2818.JPG
 桂川の渡月橋から上流を保津川というようだ。

IMG_2824.JPG
 亀山公園は小高い山の上である。

IMG_2827.JPG
 ブラタモリで紹介された「嵐山公園 亀山地区 展望台」へ行った。
 前は保津川(桂川)の渓谷。
 左上が大悲閣千光寺。高瀬川開削などの角倉了以の寺。見えるのは月見台で、ここで日本で初めて算術書が著されたという。
 参考  雲外の峰−大悲閣

IMG_2828.JPG
 振り返れば京都市街が(わずかに)見える。

IMG_2836.JPG
 さらに奥に行くと、保津川を見下ろすようになる。保津川の川下りの舟が来た。小さくて見にくいが。

IMG_2839.JPG
 展望台の東側には、このような無粋な囲いがあって、大河内山荘の名がある。このときは、大河内山荘とはなんなのか知らなかった。
 トロッコ嵐山駅の方へ下る。
posted by たくせん(謫仙) at 09:41| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月26日

京都4 伏見稲荷大社

伏見稲荷大社

 三日目(5月5日)は、午前中に伏見稲荷大社に参拝し、昼に解散する。
 伏見稲荷は全国の稲荷神社の総本山だ。この営業力には驚嘆する。
 全国至る所に分社がある。わたしの近所の民家でも、庭の片隅に稲荷社があったりする。
 
IMG_2746.JPG
 大きな鳥居の後ろに見事な楼門が見える。
 駅前からすると2基目の鳥居である。
 この日は、特別な行事があると見えて、神職は忙しそうだった。観光客も多かった。

IMG_2748.JPG
 楼門の左をいくと拝殿と本殿のわきを通り、奥社へむかう道だ。

IMG_2749.JPG
 本殿の奥側、この前に続きでもう一棟あり、両方で本殿である。

IMG_2757.JPG

IMG_2758.JPG
 奥社へむかう鳥居の前の左右に狐がいる。
 あちこちにいる狐の銜えているのは、稲穂・玉・鍵・巻物のどれか。

IMG_2752.JPG
 本殿を半周するとはじめの写真では右手になるが、神楽殿。
 撮影禁止の立て札がある。禁止と言っても無理だろうな。囲いに入れば問題だが、遠くからでも撮れる。

IMG_2812.JPG
 約束の時間になったので、社務所の前に集合した。
 時間だが、行事があって待たされた。
 まず、玄関から入って二階に行き、お茶を頂きながら、歴史などの説明を受ける。
 例えば創建年が711年だとか。これをセブンイレブンと覚えてください。
 笑ってしまったが、しっかり覚えた。これで2011年に、創建1300年祭を行ったことが判る。
 とにかく平安遷都(794年)以前の、京都は秦氏の時代の頃である。
 池を見ながら最奥の社務所斎館にいく。
 斎館の前には池泉回遊式の庭園がある。制作年は2010年(併設の庭は明治期)。

 この庭園については「京の庭を訪ねて」の「伏見稲荷大社・社務所庭園」を参照してください。
   http://www.kyoto-ga.jp/greenery/kyononiwa/2015/09/post_12.html

 斎館は由緒のある建物である。
 そこで宮司さんを中心にして記念写真。

 社務所の見学を終えて一応解散し、有志でこれから千本鳥居の見学である。いわゆる千本鳥居はそこまでは高低差があまりなく楽に行ける。
 外国人就中西洋人にもっとも好まれるという千本鳥居である。だが中国語も多かった。

IMG_2805.JPG
 奥社に向かう階段を上がり右に曲がると、千本鳥居の前になる。
 ここでは大きな鳥居だが、少し歩くと小さな鳥居が隙間なく並んでいる。

IMG_2808.JPG
 このような小さな鳥居が延々と続く。令和の日付の鳥居もある。

IMG_2809.JPG
 途中の奥社奉拝所までで引き返したが(そのための帰り道まである)、ここまでを千本鳥居という。千本鳥居も実際には850基ほど。
 若いときに、この奥の稲荷山頂上まで行ったことがある。そこまで数えると一万基近いという。
 この日は人が多く、思うように写真が撮れなかった。まあ、社務所訪問が目的だったし…。
posted by たくせん(謫仙) at 07:34| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月22日

京都3 下鴨神社と糺の森

下鴨神社と糺の森

 糺(ただす)の森に入る。

IMG_2639.JPG
 史跡 糺の森(再掲)
 糺の森は「鴨川をどり」でも背景となった。その背景は両側が小高く、谷のようなイメージだったが、実際の糺の森は平地である。一応原生林である。下鴨神社の鎮守の森化している。
 現在はおよそ12万4千平方メートルだが、往時は495万平方メートルあった。今の40倍である。
 現在およそ南北640メートル、東西150メートル。おそらく道路や馬場や建物などの森ではない部分を除けば、10万平方メートルもないだろう。案内の地図では、これで森が残っているの? と思わせるほど。

 地図から推測すると賀茂川と高野川に挟まれた三角形で、北は北山通りとすると、495万平方メートルに近い。現状では、まさに「史跡」である。むかしこの辺りに糺の森があった、という意味だ。だから現状は貴重な森なのだ。
 写真の鳥居は河合神社で、下鴨神社境内にある摂社。方丈記の鴨長明ゆかりの社である。
 鴨長明は下鴨神社の禰宜の鴨長継の次男であった。
 境内には鴨長明の庵が復元されている。いつでも家をばらして引っ越しできるように作られている。そして鴨長明は何度も引っ越ししている。

IMG_2646.JPG
 参道を下鴨神社に向かう。正式には賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)という。書くとき、鴨か賀茂か気をつかう。
 左右が糺の森だが左数メートル先は、馬場であり、馬場の西側にも森がある。馬場の西側は少し厚みがある。
 右は森の向こうの道路を通る車がよく見える。そんな程度の幅である。
 馬場では、前日に流鏑馬(やぶさめ)が行われたはず。(あとで知った)
 原生林とはいえ、それなりの保存努力をして保っている。貴重な森だ。

IMG_2650.JPG
 最後の鳥居の前で神職が集まっている。

IMG_2654.JPG
 鳥居前の手洗舎
 船の模型に、石の手水場。いわれがあるのだが。

IMG_2655.JPG
 鉦と太鼓、何かの行事らしい。

IMG_2658.JPG
 楼門が近づいた。左にカメラを構えた人が並んでいる。

IMG_2659.JPG
 斎王代御禊儀がこれから行われる。葵祭に続く前儀であった。
 知らずに入ってびっくりした。こんな時写真が役に立つ。
 前日の5月3日に流鏑馬(やぶさめ)、4日の斎王代御禊、15日の葵祭に続くのであった。

IMG_2660.JPG
 門を入った正面はこの舞殿(まいどの)。

IMG_2661.JPG
 舞殿のとなりにあった。

 本殿の写真は撮り損ねた。
 儀式が始まった。一度門を閉じる。

IMG_2677.JPG
 先ほど見た太鼓などが入ってくる。

IMG_2683.JPG

IMG_2687.JPG

IMG_2690.JPG
 これでようやく、カメラの列が理解できた。
 禊の行事は見届けなかった。あまりに人が多く、あちこちを確認しながら歩くことができずず、京都府立植物園に向かう。
posted by たくせん(謫仙) at 09:43| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月20日

京都2 鴨川

鴨川

 二日目、午前中は自由時間で、午後は京都囲碁道場での囲碁研修である。
 早く言えば、京都囲碁道場の道場生との対局である。
 相手は小中学生だが、はっきり言って手合い違いで負けた。道場生は同じ段位ならわたしより2段くらい強い。基礎の出来具合が違うのだ。
 石田九段(強い方の石田)は基礎筋力と言っていた。

 午前中の自由時間に、宿から西へ鴨川まで行き、三条から鴨川に沿って北上した。

IMG_2593.JPG
 鴨川の両側は公園になっている。左岸つまり東側を歩いた。

IMG_2595.JPG
 反対側には、舞台らしき物が見える。

IMG_2597.JPG
 橋の無いところでも飛び石伝いに対岸へ渡ることができる。

IMG_2601.JPG
 何だろう、ユキヤナギが固まって咲いているよう感じだ。コデマリかな。

IMG_2619.JPG
 飛び石伝いに対岸へ渡る。中州により水の流れが大きく曲がり、水底も曲線の模様ができている。

IMG_2631.JPG
 加茂大橋の近くで、アオサギに会う。途中にも何羽かいた。写真はないがダイサギも近くにいた。

IMG_2633.JPG
この飛び石は、賀茂川と高野川の合流地点への、賀茂川の飛び石である。高野川にもある。
 「賀茂川」と書いたが、この右数メートルで合流して、その下流は「鴨川」となる。つまり上流が賀茂川である。いままで知らなかった。

IMG_2638.JPG
 合流点から北へ「糺の森(ただすのもり)」に向かう。

IMG_2639.JPG
 河合神社の手前から「糺の森」に入る。
 奥に見える鳥居は、河合神社の鳥居である。ここから糺の森を通って下鴨神社に行く。

   ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 アマの段級位は各団体によって強さが違う。わたしは日本棋院の「幽玄の間」を基準にしているので、それほど甘い数字ではない。とはいえ、厳しくもない。一応全国に通じると思っている。京都囲碁道場は「幽玄の間」より厳しい基準ということである。
 なお、プロの場合は、強さより過去の実績の総和に近い。
posted by たくせん(謫仙) at 07:49| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月15日

京都1 東山地区

東山地区

 5月3日に京都に行った。5日までは千寿会の団体旅行である。
 初日の昼に先斗町に集合。令和初の「鴨川をどり」を見た。
 前に入ったお茶屋さんの「おかあさん」にも会えた。

IMG_2556.JPG

IMG_2557.JPG

 まず、抹茶をいただく、そして入った席は「と−7」、七夕の席であった。
 そこを2時に出て昼食は、南禅寺にある順正。

IMG_2564.JPG

IMG_2558.JPG
 庭園の中にあるような店だ。一人じゃとても入れない。団体で入れる店が、ここしか見つからなかったのだ。
 順正を出ればもう夕刻も遠くないが、東山界隈の散歩。まずは南禅寺である。

IMG_2565.JPG
 南禅寺の門。

IMG_2570.JPG
 琵琶湖疎水の水道橋。明治時代に琵琶湖疎水ができて、水不足の都市が水で潤うようになる。
 その変化の表れが造園である。枯山水の庭から水をふんだんに使った庭園へと変化した。この近くには、非公開の庭園が多くある。いずれも明治時代の資産家の別荘だったのだ。今でもその流れをくむ。

IMG_2575.JPG
 近くの高校。 かなり優秀なようだ。五月だな。

IMG_2581.JPG
 禅林寺(永観堂)は素通りした。

IMG_2583.JPG
 永観堂も南禅寺もかなり前に見たことがあるが、全く記憶にない景色だった。

IMG_2586.JPG
 哲学の道は名前が有名であるが、ブラ歩きを楽しめる人でないと、面白くないだろうな。
 琵琶湖疎水である。鴨川や白川が南に向いて流れているのに、この小川は北に向かっている。

 この日の宿は、民家を改造した家である。東山駅に近い。家を借りたので、すべてセルフサービス。8月24日まで予定で埋まっているという。千寿先生が早いうちに見切り発車で部屋を確保しておいたのだった。
posted by たくせん(謫仙) at 18:37| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする