2017年07月18日

流れ行く者

流れ行く者 −守り人短編集−
上橋菜穂子   偕成社   2008.4
守り人シリーズの番外編である。
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 タンダとバルサの子どものころの話である。
 「浮き籾」は幼いタンダとバルサの気持ちがつながる話。その他、成長過程の一場面。
 表題作の「流れ行く者」は、13歳のバルサが、戦いに強いところを見せ、雇い主を納得させて、ジグロと共に護衛の役に就く。そして戦いの場で、初めて相手を殺すことになる。その苦悩。それがバルサが一生負うことになる宿命の始まりだ。残酷だがそれが職業。そのような経験を得て、大人の世界に踏み出し、成長していく物語だ。
 ラフラ(賭事師)という職業の老女がいる。バルサの精神に影響を与える。このような脇役が生き生きと書かれているのだ。
 まだまだ生産性は低く、多くの過酷な労働で成り立っている時代なので、毎日が緊張をはらんでいる。そんな時代の生き方の例だ。決して残酷の一言で片付けられる話ではない。

 上橋菜穂子の小説の結末は、言葉は短く切り捨て、余韻は読者に任せるようなところがある。でも言葉足らずではない。
 本編のラストで、いきなり「つれあいです」と登場するなども同じ。
 一応、児童書となっているが、内容はとても児童書ではない。漢字のルビを取ってしまえば、そのまま大人の小説である。
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2017年07月13日

炎路を行く者

炎路を行く者
上橋菜穂子   偕成社   2014.11

 守人シリーズの外伝と言うべきか、ヒョウゴの青年期を描いた中編「炎路の旅人」と、15歳のバルサを描いた短編「十五の我には」からなる。

 ヨゴ皇国はタルシュ帝国に征服され、「帝の盾」の息子だったヒョウゴは、殺されるはずだったのを、なんとか逃げて市中で生き延びた。
 ある時のヒョウゴの言葉、
「タルシュの枝国になっちまったこの国で、そんなふうに根をおろすってことは、タルシュに征服されたことを納得したってことじゃねぇか! 土足で踏み込んできた強盗に、のうのうと自分の家に居座られて、そいつらを食わせるために身を粉にして働くなんて冗談じゃねぇと、なんでだれも思わないんだ?なんで、そんなに簡単に納得しちまうんだ?」
 それに対し「わたしらは、ここで生きてきたし、ここで生きていくんだもの」という声をヒョウゴは理解出来ない。
 庶民にとっては、タルシュ帝国に収奪されるのも、ヨゴ皇国に収奪されるのも同じだが、ヨゴ皇国の収奪する側にあったヒューゴには、タルシュ帝国が強盗に思える。
 ヒョウゴという器は市中には収まらない。結局はタルシュ帝国の武人になるが、その心は消えたわけではなく、本編に続いている。

「十五の我には」は15歳では見えないものが、20歳になると見えることがある。
 多感でいて、大切なことに気づけない焦りやもどかしさ。そんな思春期時代のバルサのお話。
 荒事を一人で始末しようとし、結局自分一人では始末できなくて、ジグロに助けてもらう。
 まだ独立出来ないのに、必死になって独立しようとする15歳だった。

……十五の我には、見えざりし、弓のゆがみと 矢のゆがみ
二十の我の この目には、なんなく見える ふしぎさよ……
 
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2017年07月09日

世直し小町りんりん

世直し小町りんりん
西條奈加   講談社   2015.5
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 江戸時代の爛熟期、同時に幕藩体制の崩壊の芽も出る頃。
 南町奉行所の同心をつとめる榊家の当主安之には溺愛する妹がいた。亡くなった父が芸者に生ませた娘で、高砂町で長唄の師匠をつとめるお蝶、高砂弁天といわれる美人。
 そして、安之の妻沙十(さと)も美人で、方向音痴で薙刀の名手。
 この二人の美人が小さな事件をいくつか解決していくが、その事件が、榊家の先代が亡くなった謎と関連して、陰で大きな陰謀が進行していた。
 この大事件を解決するために、お蝶を守る男たちや、おっとりしていた安之とその上司の南町奉行などが、別人のような働きをする。
 幕府の屋台骨を揺るがすような大事件も、なんとか表沙汰にならずに済んだ。
 幕藩体制に光と影かあるように、旗本たちにも市井の人たちも光と影がある。
 登場人物に個性があって魅力的で、一気に読んでしまった。

 時代劇作家に一人の名手が加わったといえよう。わたしはよく“校閲ガール”のようなことを書くが、この小説は校閲ガールもほとんど手を加えるとはないだろう。だから安心して楽しめる。
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2017年07月04日

コミなしのハンディ

 コミなしのハンディはどのくらいか。

 週刊碁には新初段シリーズという企画がある。新初段がコミなしの黒番で先輩の胸を借りる。
 2017年6月19日発行の「週刊碁」の新初段シリーズの記事の中で、「先」の手合いのハンディはどのくらいのものか? つまりコミなしの場合のハンディについて、言及していた。
 大手合の通算成績では、黒28945勝21729敗で、黒の勝率5割7分1厘だという。
 大手合は九段は出場しない特殊棋戦とはいえ、意外な気がした。
 その話の中で、もしトップ同士なら黒の勝率はと訊かれた中野九段は「9割」という返事をした。そして0.571という数字には驚いたものの、「実は僕も白で5割以上勝っていた」という。
 コミなしで黒の勝率57%。この数字もトップレベル同士では当然変わる。おそらく中野九段の「9割」ではないか。しかし、総互先になった今では、検証の機会はなくなった。
 本妙寺−本因坊家の墓 でも安倍吉輝九段が秀和の墓の前で言った。
「コミのない時代に、(井上)幻庵因碩は白番で本因坊家の若き秀才を抑えようとした。無理ですよ」
 十九歳の秀和は、跡目とはいえ、すでに師を凌いでいたという。低段ならともかく、半目を争うトップレベルである。コミなし白番で勝つことは難しい。(秀和の黒番四目勝ち)

 これが現在の棋士の感覚である。
 今では、一般の棋戦では新初段も互先で打ち、それなりの成績を上げている。新人のレベルは昔と比べて、かなり上がっているという。
 新初段シリーズは新初段のコミなしの黒番である。昔の2段差扱いということになる(下記参照)。

 現在のコミは六目半、以前は五目半、コミ出しを始めた当時は四目半だった。四目半では黒有利といわれていた。当時の棋士の多くは黒を持ちたがった(黒番で対局)。
 それで五目半にし、それでも黒有利といわれていた(数字上ではほとんど5分)。六目半になって、有利不利の声は少なくなった。白が有利の声が大きいか。

 2003年に廃止した、日本棋院での大手合の手合割り。
段差  手合割り
0段差 互先
2段差 先(1子に相当)
5段差 2子
8段差 3子
 3段差が1子であった。今では素人目で見てもこんなに差はない。また段位が実力を現しているわけではなく、過去の実績に対する名誉のような意味合いが強い。
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2017年06月29日

虹のジプシー

虹のジプシー
式 貴士   CBSソニー出版    1980.11
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 ある日、地球の周辺に、月のように地球が出現した。
 それが毎日増えていって、数百の地球となった。大きさも地理も地球と同じ。人々はその状態に慣れていった。
 主人公の流水五道(つるみごどう)は恋をして、心中しようとして、不思議な宇宙生命体に助けられる。宇宙生命体は猿の姿をしていて、孫悟空と名乗った。そして流水はいわゆる超能力者にされて、憧れの貴美子の幻影を追うように、空に浮かぶ地球のいくつかを遍歴する。

 先に紹介した「もしも月がなかったら」に似たプロットである。「もしもこんな地球があったら」という小説である。
 いきなり人の消えてしまった地球。ソ連に支配されている日本。誰もがコスプレをしているような世界。国境のない戦争のない、10歳のとき三分の二は生殖不能にされて人口調節をしている世界。その他。
 十年ほどかけて、地球TからYまでをえて、最後に行った地球で自分の居場所を見つけたとき、空の地球は消えていた。
 さて、ここでいくつかの地球が元の地球と同じように重力があるとなると、すべての地球は他地球の重力の影響で、メチャクチャになっているはずだ。「もしも月がなかったら」を読んだばかりなので、この本を読んでいる間、頭の中で重力問題が離れなかった。
 ファンタシィと同じような、科学性を無視した小説として読むことになる。
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2017年06月20日

もしも月がなかったら

もしも月がなかったら ― ありえたかもしれない地球への10の旅
ニール・F・カミンズ   東京書籍   1999.7
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 SF的科学書とでもいうのか。イフ・ワールドの世界である。
 もし月がなかったら、地球はどうなっていただろうか、という科学的考察をしている。
 この内容を用いて小説にすればSFになる。小松左京の小説は科学的説明が、このレベルになっていたと思う。
 普通の小説はここまで厳密ではない。

1章 もしも月がなかったら?
2章 もしも月が地球にもっと近かったら?
3章 もしも地球の質量がもっと小さかったら?
4章 もしも地軸が天王星のように傾いていたら?
5章 もしも太陽の質量がもっと大きかったら?
6章 もしも地球の近くで恒星が爆発したら?
7章 もしも恒星が太陽系のそばを通過したら?
8章 もしもブラックホールが地球を通り抜けたら?
9章 もしも可視光線以外の電磁波が見えたら?
10章 もしもオゾン層が破壊されたら?

 たとえば月がなければ、1日は8時間になっている。潮汐はほとんど無い。風が強く、会話も聴力より視力が用いられる。
 そうなると…と、いろいろと影響を及ぼす。あることが変わると、それが原因となって、思いもよらない結果となるのだ。生物の進化の様子もだいぶ異なり、もし人が発生したとしても、人の生き方は現代とは全く違った生き方となる。
 現在の地球が、奇跡のような偶然のバランスを保っていることを知ることになる。

 若い頃はこんな話に夢中になったものだが、今では少し敬遠気味。もし人が百メートルを9秒で走れたら、8秒で走れたら、7秒で走れたらと、いくらでも仮定は設定できる。
 おもしろい話だが切りがない。だから、それらが小説と結びついて、おもしろい小説になった時は読む。今回は小説ではないが一応全部読んだ。最後の、
10章 もしもオゾン層が破壊されたら?
また、この本にはないが、地球の温度が2度高くなると?
 など、現実的な問題となってマスコミを賑わしている。

 この「もしも……だったら」という問いは、あまり意識しないが、常に考えていることでもある。
 もしも大金持ちになったら、もしも失職したら、もしも断水したら、もしも停電になったら、もしも電車が止まったら、もしも……、というように。
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2017年06月12日

宗教なんかこわくない!

宗教なんかこわくない!
橋本 治   マドラ出版   1995.7
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 少し古い本である。1995年といえば、地下鉄サリン事件のあった年である。サリン事件の余波の中で書かれている。
 この題名は、「宗教は怖い」と言う人がいたことを前提にしている。宗教とは怖いものだろうか。

  宗教とは、この現代に生き残っている過去である。

 わたしは、「神仏は尊し、神仏を頼まず」で一貫している。
 悟りとは「修行などしても無意味であることを知ること」と思っている。無意味ではあるが、修行することを馬鹿にすることはない(神仏は尊し)。ただ、わたし自身はすでに悟っているので、宗教の修行はしない(神仏を頼まず)。
 インドでは輪廻転生の思想があった。それは永遠の苦しみであった。解脱とはその苦しみから逃れること。つまり“転生しない人”になることである。
 日本人には転生の思想はない。だから日本人は“転生しない人”になっている。すでに解脱している。だから解脱のために修行する必要はない。
 こう考えるわたしの心に響く本であった。

 むかし、宗教は怖いものだった。神罰は恐ろしい、仏罰も恐ろしい。だから、宗教は国家権力より上にあるのが普通だったのだ。
 しかし、日本では織田信長の比叡山焼き討ちにより、宗教は怖いものではなくなった。江戸時代に、仏教は檀家制度で為政者の下に組み込まれた。役所仕事の下請けになった。もはや仏教は宗教としての力はなく、国を動かす力はもちろんない。
 明治維新後は国家神道が強制された。
 現在、憲法では、信教の自由・強制されない自由がうたわれている。
 宗教には2種類ある。社会を維持する宗教と、個人の内面に語りかける宗教だ。
 社会を維持する宗教とは、たとえば五穀豊穣を願うような宗教である。
 個人の内面に語りかける宗教とは、(たとえば)仏教とキリスト教である。出家者が多くなれば国が滅びる。消費するだけだからだ。滅びないためにはそれなりの生産力が要求された。

 この本は「生き方は自分で考えよ」というのが主題だが、自分で考えられない人は他人の考えたことに従うようになる。たとえば釈迦やキリストの考えに従う。釈迦やキリストの言葉を疑問に思わない人は多いだろう。あるいは社会や会社のリーダーに従う。
 信用できる優れた人を選び従う事も一つの方法だ。
 現代は現代なりの、日本なりの問題がある。そんなとき新たに解釈して「こう生きよ」と言い出したのが新興宗教だ。自分で考えられない人はその言葉に従ってしまう。
 わたしは解脱していると言ったが、能力に限界があり、劣悪な選択をしているかもしれない。
 日本人は織田信長以来、宗教が怖くなくなったはず。それでオウム真理教を考えてみると、矛盾だらけに気がつく。
 この本は宗教の本ではなく、オウム真理教の矛盾をあぶり出す本である。だから仏教やキリスト教には深入りはしていない。

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 たとえば、仏教に仏罰という概念はない。仏罰を説くのは間違いである。しかし、日本の仏教は有りもしない仏罰を説く。そんな仏教を対象にして語っている。
 仏罰はない。では破戒者はどうなるのか。ただ破戒者は立派な仏教者になれないのだ。
 学校に行っても、怠けていては学問が身につかないのと同じ。
 仏教僧侶は葬式を職業としているようだが、実は釈迦は「葬式は在家の方だけでして、出家者は関わるな」と言っている。そもそも職業をもっていては、出家者ではない。
 わたしの友人には、各種の○○教徒がいる。その人たちの態度はわたしよりよほど規律正しく、人として優れている。だから、尊敬こそすれ怖いことはない。
 あらためて宗教とはなにかを考えさせられた。

   ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 かなり前だが、この本の題名と同じ論理で、「国を思うて何が悪い」という本があった。
 これは「国を思うのは悪い」と言った人がいたことを前提にしているはずだ。しかし、そんな人がいるのかねえ。
 その「思いかたが悪い」と言った人が大勢いることは知っている。しかし、「思うのが悪い」と言うのは想像できない。キリストやローマ法王なら言ったかなあ。お釈迦様は言わないだろうな。
(実際は、“思う”かどうかではなく“思いかた”を論じている本である。だから題名が間違っているというべきか)
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2017年06月06日

囲碁AI新時代

囲碁AI新時代
王 銘琬   マイナビ出版   2017.3
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 AI囲碁の典型的な打ち方の紹介とその解説の書だ。
 昨年囲碁ソフト AlphaGo (アルファ碁)がイセドル九段に対し4勝1敗で話題となった。
 さらに昨年末にはMaster(マスター、AlphaGoの改訂版)が登場し、一流棋士に30戦全勝。
 国内でもデープゼンが登場し趙治勲九段と五分(1勝2敗)に渡り合っている。
 この一二年で、一気に10年と予測された時間を縮めてしまった。
 王銘琬九段も囲碁ソフトの開発には協力していたので、この方面に詳しい。
 各ソフトは個性的で、ソフトごとに特徴があるという。その比較。
 ミニマックス法やモンテカルロ法やディープラーニング(深層学習)などの説明もあるる。
 全体的には囲碁界はこのソフトのレベルアップを歓迎している。多くの棋士が積極的に研究しその打ち方を取り入れている。もう人間と比べてどっちが強いという時季を脱している。
 王九段のこの事態に対する現在の見識を示し、解説をしている。そして、この後も見識が変わるかもしれないという予想もしている。この柔軟性があるのだ。

 驚くのはこの日本語の文章力。HPに書いていた頃から文章力には感心していたが、あらためて脱帽する。
 銘琬はメイエンと読む。わたしはメイワンとしか読めなかったが、辞書にはエンという読み方があった。さらにご本人に訊ねたところ、子どものとき、親御さんに「『日本語ではメイエンと読む』と言われましたよ」とおっしゃっていた。

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 いま世界ナンバーワンの柯潔(か けつ、柯洁)九段が、5月23日25日27日にAlphaGoと三局打ち、三連敗した。もはや人では勝てない。一説では二子でも勝てないという。
 これをもってAlphaGoは引退つまり碁をやめるという。DeepMind社とって碁は本来の仕事の一過程であったわけだ。
 普通の会社では、もちろん個人でも、何百億円もの金を碁の対局につぎ込むことはなかなか出来ないので、当分これだけのソフトは出て来ないだろう。ただ準ずる程度なら出来そうな気がする。
 碁神の人に対するいたずらだったのか。
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2017年06月01日

会津田島

会津8 会津田島

 5月3日、帰りも会津田島で東武鉄道の“リバティ”に乗り換える。
 すぐの電車もあったが、次の電車にすることにし、2時間ほど田島で過ごした。

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 この桜を見たために途中下車。駅の脇に咲いていた。
 この桜の下に蒸気機関車も展示されている。街も歩く。

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 “ちょっこぐら”とでも読むのだろうか。まずこの大通りを歩く。
 
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 7月22日から24日にかけて会津田島祇園祭が行われる。そのとき運行される本大屋台である。
 1981年に“田島祇園祭のおとうや行事”として、国の重要無形民俗文化財に指定された。

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 本屋台・中屋台・上屋台・西屋台の4つの大屋台から成る。というが、わたしはこの屋台を見て、初めてこの祭りを知ったので、詳しくはこちらをご覧ください。ウィキです。
 会津田島祇園祭

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 駅の南側を歩いた。橋に至る。川の上流を見るとずっと桜が見える。川はコンクリートの味気ない川だが、桜の並木を見て上流に歩いてみた。

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 川といっても水流はほとんどない。

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 八百メートルを超える桜並木だ。

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 途中にあった個人の庭。左下の砂礫は道である。

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 大きく横に張り向こう岸に届きそう。
 突き当たったので、別な道から引き返した。

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 花は白く、葉はすでに伸びている。本来の桜はこうなんだろうな。

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 レンギョウらしい、こんなに大きくなるんだ。

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 この丸形の屋根は田島駅である。駅の南側を三角形に歩いた。
 駅の北側には屋台会館がある。この文を書くために調べていて知った。

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 ここはそば屋であるが、実際に入ったのはこの向こう側の写真にはない小さなそば屋。
 満足できるおいしさだった。
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2017年05月29日

会津若松 余録

会津7 会津若松 余録
 順序は逆になったが、4月30日(日)は会津若松に1時半頃到着した。ホテルに荷物を預け、バスで県立博物館を目指した。停留所は鶴ヶ城三の丸口である。ここは月曜は休館のため、先に見ておこうと思ったのだ。

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 三の丸口の八重の像、女ながら鉄砲隊を率いた。先の大河ドラマ“八重の桜”で有名になった。

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 県立博物館、まるで無人の如し。中はけっこう充実していると思った。

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 廊下橋。三の丸口から入り、二の丸を過ぎると、この橋に出る。二の丸は右側。

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 酒蔵、市内には酒蔵(酒の醸造所)が多い。

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 野口英世青春館。一階は喫茶店である。

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 野口英世青春館の前の通りは歩道を広くして、車は一方通行。
 まっすぐ行くと会津若松駅前に出る。まだ歩道を広げる工事中のところがある。
 この百二十メートルほど南に野口英世像がある。そこは外堀だった。

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 七日町駅、バスの停留所でもある。この道の向かいに阿弥陀寺がある。

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 阿弥陀寺は、会津軍の墓地である。長い間埋葬が許されなかったが、ようやく二カ所に埋葬が許された。
 
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 ここにまとめて葬られた。

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 ここには大仏があったが、第二次世界大戦のとき、軍に供出させられた。今は台のみ。

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 御三階(ごさんがい)、城内にあったものをここに移築した。
 唐破風の入り口は付け加えたもの、元は本丸の玄関。二層と三層の間にも部屋があり、4階建て。
 向こう側の本堂が出来るまでは、これが阿弥陀寺の本堂だった。
 城内では再建の予定がある。“おさんがい”と言っている。

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 御薬園
 会津藩の薬草園である。江戸時代にここで朝鮮人参の栽培に成功している。今では庭園が有名だ。
 中心となるお茶屋御殿が、工事中であった。
この写真の中央の建物が楽寿亭。島にある。今は橋が架かっているが、昔は船橋だった。

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 戊辰戦争当時の刀傷とあるが、ここでは戦闘は行われていない。

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 楽寿亭をお茶屋御殿側から。
 この当時かなり雨が降ってきて、傘を差した状態で撮っている。見事な大木もあったが写真にない。

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 秩父宮妃勢津子殿下ゆかりの重陽閣がある。希望すれば中も案内してもらえたが、大雨になったので、遠慮して見学をやめにした。

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 長い間、朝敵扱いされた会津は、松平容保の孫の勢津子さまが秩父宮さまに嫁ぐことで、心の重荷を下ろしたという。天皇家と親戚になったわけだ。そのためにこうして記念している。

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 明治6年に、若松の豪商など多くの人が、官有の御薬園を買い、松平家に献上した。会津戦争が終わって間もない時である。全くの不人気というわけではなかった。
松平容保一家は明治16年から数年間ここに住んでいた。

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酒蔵末広
 酒造工程の見学が出来る。最期の回に間に合った。試飲もできる。四合瓶を買い求めた。

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 石部桜、樹齢六百年といわれるエドヒガン。江戸時代からすでに名木として知られていて、囲いもあった。


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 石部桜は大河ドラマ“八重の桜”のオープニングでも使われたことでさらに有名になった。
 散り終わる寸前であった。写真では花は判別できない。
 
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 旧滝沢本陣、参勤交代や領内巡視の際の、歴代藩主の休憩所。若松城下から白河、江戸に至る旧白河街道沿いにある。
 会津戦争のおり、ここまで来て指揮を執るつもりだったが、まもなく城に帰った。
 白虎隊もここで命をうけて、戸ノ口原戦場へと出陣した。

城の外側も歩いた。

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 三の丸口から堀の外側を南に行く。八重桜が満開だった。

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 内堀。堀の幅は矢の届かない距離、しかし鉄砲や大砲は越えてしまう。

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西出丸
 今では駐車場になっている。

 北と西には出丸、東には二の丸・三の丸があるが、南にはない。
 南には湯川があり、その間には外堀があり三重の防御とした。
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