2015年12月28日

蔵王

蔵王

2004年 山形の旅 8.26〜8.31
 山形駅でバスの時刻表を確かめると、山上まで行くバスは、9時20分発と、13時発の2便しかない。

 バス  山形 ― 蔵王温泉 ― 刈田峠 ― 蔵王山頂

 9時20分発11時到着のバスで上まで行った。山登りには遅すぎる。
 コースにもよるが、もっと早い時刻(始発7:00)の蔵王温泉行きのバスに乗り、ケーブルで上ったほうがよかった。
 今回の行程は決めていたわけではない。
 蔵王山頂―熊野岳―蔵王ロープウェイ山頂駅―高原散策路―ドッコ沼―ブナ平(不動ノ滝)―宝沢(ほうざわ)
歩行時間11:00〜19:00 (正味6時間)

04.8-02.jpg
 蔵王山頂バス停からお釜の縁までは目と鼻の先。しかし、ごらんのように曇って見られず。

04.8-03.jpg
 霧の中を歩き出す。この柱がコースを示す。
  
04.8-06.jpg 
 この上が熊野岳、あたりには高い木は見当たらない。ほとんど草原となっている。なお蔵王という山はなく一帯の山塊をいう。熊野岳が中心といえる。

04.8-08.jpg 
 晴れてきて山上からの眺めはよかった。ここで食事にした。目の前に広がる山は、左地蔵山、右三宝荒神山。

04.8-09.jpg 
 鞍部におりて熊野岳を振り返る。

04.8-10.jpg 
 真っすぐ行くと地蔵山、右は巻道。

04.8-11.jpg
 地蔵山の巻道を通ると、下り道でケーブルの駅まで木道が続いていた。

04.8-12.jpg
 ケーブル駅前
 ここに地蔵を祀ってから、近くの山を地蔵山というようになった。

04.8-13.jpg 
 いま来た道を振り返る。

04.8-15.jpg 
 間もなく晴れた、地蔵山がくっきり。
(三宝荒神山より)

04.8-14.jpg 
 遠くの山は熊野岳
 ケーブルの駅の前から下り始める。

04.8-17.jpg 
 あたりにはアキノキリンソウが多い。

04.8-18.jpg 
 うつぼ沼
 高原散策をたどると小さな沼があった。中央の円形は直径2メートル弱と思える。
04.8-19.jpg 
ウメバチソウ
 湿原の日当たりのよい場所を好む。うつぼ沼の近くである。
 まもなくドッコ沼。そこから宝沢(ほうざわ)へ向かうことにした。この山道には入るともう逃げ道はない。
 不動ノ滝で、予備の食料インスタント焼きそばを食べる。滝を過ぎてから車道に出るまでが迷いやすく危険。このあたりで右足の甲が痛くなった。
 何とか明るいうちに車道にたどり着く。すでに日が沈み、そこから宝沢までの車道歩きは暗闇の中である。道はかすかに白く道であることが判る。表示などがあるたびにライトで照らして確認。
 途中、遠くにテントが見えた。ライトの光が動いている。
 宝沢は民家ばかりでコンビニなどなかった。仕方なく民家を訪ねて、老婆にタクシーを呼んでいただく。
 待っている間に暖かい牛乳と肉じゃがをごちそうになった。感謝感激。(^。^)。

 山形のホテルに帰って右足を見ると真っ赤にはれている。翌日にはおさまったが、少し内出血している。もう何度も履いた軽登山靴なのだが。一週間過ぎても、まだむくみが残っていた。

2011年後記
 この登山靴は底がすり減り処分した。山の専門店に行っても、適当な軽登山靴がなく困っている。昨年の高尾縦走さえ本格的な山靴で行った。
 考えてみると、若いころは合わない靴で登山をして足を痛めていた。柔らかい靴で爪を剥がされたことが二度。これは治るまで七ヶ月かかった。本格的な山靴も出来合いでは足にあわなかった。足にあわせて作ってもらい、それ以後足のトラブルはなくなったが、これはかなり重い。低山歩きには大げさだし、街を歩けない。旅行には不向きだ。それで軽登山靴を求め、この旅も軽登山靴で行った。そうやっていつも履いていると傷むのも早い。 さて、代わりというと適当なものが見つからない。足指は開き気味の扇の形をしている。台形の広い方が足先だ。しかし靴は楕円形が多い。「小指かなければぴったりだが」「親指が細ければいいのだが」というのか、だぶついてしまうのかどちらかだ。
 今はヨネックスのウォーキングシューズを履いている。しかし登山道は無理だろうな。
posted by たくせん(謫仙) at 09:03| Comment(2) | TrackBack(0) | 登山・ハイキング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月23日

ショートショートの花束7

ショートショートの花束5〜7

阿刀田 高・編   講談社  2015.4
     2015.12.15-1.jpg
 ショートショートといえば星新一で、わたしは今でも思い出して読むことがある。星新一以外では阿刀田高くらいだろうか。二人以外のプロの作家を知らない。
 原稿の枚数で原稿料が払われる出版界では、プロが成り立たないらしい。
 長い間、ショートショートの新作は読まなかった。だがアイディア勝負のショートショートはアマチュアの作家が活躍していて、小説現代に応募がある。
 その中から阿刀田高が選んだショートショート集。今回読んだのはシリーズの5〜7冊目。(その前にショートショートの広場20冊がある)阿刀田高の寸評が光る。
 紹介しようにもオチを言わなくては、おもしろくないが、かなりレベルの高い話もある。そして、題名も重要だ。中には題名が見事なオチになっている作品もある。
 ショートショート集として懐かしく読んだ。
 カバーの絵は、閻魔大王がパソコンで仕事を処理すると‥‥(^_^)。
posted by たくせん(謫仙) at 12:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月19日

甲武信岳

甲武信岳(甲武信ヶ岳)  転載にあたり写真を入れ替えた。

 1993年5月の連休に、探花登山会会長と二人で甲武信岳に登った。
 もう詳しいことはほとんど忘れてしまったし、写真もどこでどう撮ったのかもうろ覚え。 
 そんなわけで、詳しいコメントは抜きにします。

 5月1日の朝早く新宿を発つ。塩山からバスで一時間ほど、広瀬湖の脇の広瀬で降りたのかな。
 当時、雁坂トンネルは工事中であった。
 九渡沢沿いの道を登る。
広瀬湖の標高は約1100メートル、雁坂小屋(1950)まで約850メートル登ることになる。
 はじめ暖かかったが、標高が上がるにつれて寒くなる。残り300メートルくらいで雪になり、雨具を着る。さらに登ると吹雪に変わった。風が強い。とてもカメラなど出す気になれない。
 時間はそれほど遅いわけではないが、かなり暗くなっている。雪はかなり深かった。
 雁坂小屋はこの日に開いたばかり、連休が過ぎるとまた閉める。
 夕食はボンカレーであった。なぜ判ったか。ボンカレーと書かれた袋で渡され、自分で封を切った。それでも食料があるとありがたい。わたしなど何日分も食料を持つことはとてもできない。

93-165-01.jpg
 翌日朝の雁坂小屋
 
 二日目は晴れた。雁坂峠(かりさかとうげ)に向かう。

93-165-08.jpg
 雲海を下に見る。

93-165-14.jpg
 雁坂峠(2082)は埼玉県秩父市と山梨県山梨市の境にある峠。
 針ノ木峠・三伏峠と並び、「日本三大峠」だとか。何を基準にしているか。
 雪は吹き飛ばされて、ほとんどない。

 ここから甲武信岳(2475)までは雪道の上下を繰り返す。

93-165-15.jpg
国師岳か

93-165-16.jpg
真南に富士山が見えた。

93-165-22.jpg

93-165-23.jpg

93-165-25.jpg
 登り口の広瀬湖が見える。ダム湖である。

93-165-27.jpg
 道は歩きやすい。

93-165-29.jpg
 甲武信岳、最近の写真とはかなり様子が違う。
93-165-33.jpg
 正面が国師岳、右手奥が朝日岳・金峰山あたり。国師岳と朝日岳の間の峠の道がはっきり見える。

 甲武信小屋に着く、この小屋はかなり大きい。
 夕食後は小屋の主によるスライドの映写会。

93-166-01.jpg
翌日の朝

93-166-02.jpg
 八ヶ岳連峰が近くに見える。
 左から編笠山・権現岳、少しへこんで主峰の赤岳・横岳

93-166-04.jpg
 中央が朝日岳、その右に頭だけ白いのが金峰山。
 国師岳と朝日岳の間の峠道の向こうに薄く白く見えるのは八ヶ岳

93-166-08.jpg
 甲武信岳かな。ネットで見ると木賊山方向から見た写真ばかり。

 甲武信岳(2475)は古くは拳岳だったとか。それが甲州武州信州の境なので甲武信岳と書かれるようになった。ただし俗説の可能性もある。
 千曲川・荒川・笛吹川の水源の地で有名だが、この地域での最高地は隣の三宝山(2483)である。

93-166-24.jpg
 下山道は十文字峠から川上郷に下ったか。

93-166-28.jpg
 時は五月、端午の節句の前である。
 下に降りてから、川上郷のバス停までが長かった。足の裏が痛くなってくる。足を下ろしたときに叩かれたような痛み。長い間舗装道を歩いていると起こる現象だ。

 1914年追記  現在川上村は高原野菜で有名。一戸の平均収入が2千5百万円を超すという。当時も見事な畑だなと思っていた。先日この村がベトナムに野菜栽培の技術援助をしているテレビ放送があった。技術技能の蓄積があったのだ。   続きを読む
posted by たくせん(謫仙) at 16:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 登山・ハイキング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月15日

青天

青天 包判官事件簿
井上祐美子   中央公論社   2014.10

     houseiten.jpg
 宋の時代、包青天と言われた判官がいた。名は包拯(ほうしょう・ほうじょう)字は希仁。28歳にして科挙に合格し、地方の知(知事)となり、後に都開封の東半分開封県の知となる。
 清廉潔白、裁きは公平。晴れ渡った空のごとし、人よんで包青天。北宋第4代皇帝・仁宗に仕えた実在の政治家である。
 包希仁の話は、日本では大岡政談のモデルといわれている。
 中国では何度も小説やドラマになっているらしいが、あいにくわたしは見たことがなかった。この井上祐美子の小説で初めて接することになる。(もしかすると二回目?)

 五編の連作短編集である。
 登場人物は包希仁のほか、「孫懐徳」という年配の下役人、転落する運命から助けられた「楊宗之」という書生で、三人を中心にしたミステリー。
 主人公の希仁は若い(?)ながら、達観していて、富貴を求めず、いつの間にか弱き人々を助けているが、話が終わってみると、けっこう推理力や洞察力があり、細かく予測していたことが判る。
 それでいながら、日常はけっこうとぼけている。机の上のものを落としたり、墨で服を汚したり、知でありながら書生の格好をしていたり。そのギャップが親しめる。
 さて、これらの話、著者の全くの創作だろうか、伝わっている講談や劇の小説化だろうか、知りたいところだ。続きが読みたいが書いてくれるかな。

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 南唐の皇帝で後主李Uというのが地の文に出てくる。しかし李Uは王であり皇帝にはなっていない。(初代が皇帝、二代目は皇帝として即位し後に王となる、三代目李Uは王として即位した)
 いろいろと登場人物に架空の人物が出てくるとはいえ、地の文で王を皇帝というのは、小説でも許されないのではないか。
 三田村鳶魚なら、そんなことも判らないのか。と言うところ。
 金庸なら、登場人物の設定はけっこう変えているが(たとえば大理の皇統)、地の文を変えたところは気がつかなかった。
posted by たくせん(謫仙) at 07:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月11日

パソコン VALUESTAR G W その3

パソコン VALUESTAR G W その3
 2014年02月20日に その2 を書いてからは、順調に推移していた。

2015.11.30.jpg
 現在のデスクトップ

 最近OSをwin7からwin10にアップした。この型はメーカーでも対象外なのであるが、できるというのでアップしてみた。
 アウトであった。具体的にはテレビが見られなくなった。ほかにも障害がある。
 そしてインターフェイスが使いにくい。昔の「98ランチ」と同じような形だ。win3.1の時の98ランチはありがたかったが、win95が出たら、95の方が使いやすかった。
 これは工夫すれば、何とかなるようだが、テレビの件は決定的で、win7に戻した。
 ところがきちんと戻らない。いろいろいじっているとき、何かの誤操作をしたようで、BIOSさえ動かなくなってしまった。
 結局、メーカーに初期設定に戻してもらった。1万5千円余。
 2週間テレビなしの生活になった。そのため新聞を精読することになった。(^_^)
 まあ、XP機があるし、タブレットもあるのでメールなどは何とかなった。
 パソコンが戻ってきたのが10月14日。
 追加ソフトを入れて、不要ソフトを削除し、辞書を再構成し、ほぼ復旧したのが、11月4日。
自動バックアップのデータは全滅だった。それとは別にドラッグアンドドロップでデータを保存してあったので、大部分回復できた。
 さてその後であるが、テレビの録画機能の一部が機能しない。結局は、11月28日にテレビソフトをアンインストールして、再インストール。
 まだあった。Aeroの余計な機能を殺すこと。ようやく完全に復旧したといえよう。

 この時点でCドライブは、
     空き領域が10G
     使用領域が46G
 これで何年保つかな。
posted by たくせん(謫仙) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山房筆記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月10日

尾瀬4 至仏山

尾瀬4 至仏山
転載にあたり大幅に加筆し、写真も追加し入れ替えた。

 三日目
 天気がよい。荷物の一部を宿に預け、至仏山に登ることにする。初めは長い緩やかな登り道であった。

95-8-64.jpg

95-8-65.jpg
 尾根を巻くような感じで登る。

95-8-66.jpg
 至仏山は“花の百名山”である。花が多かった。

95-8-67.jpg
 途中の岩山。至仏山の岩は崩れやすい。当時、尾瀬ヶ原からの直登は禁じられていて、地図には道がない。今はどうなのだろう。

95-8-70.jpg
 山容が見えてきた。

95-8-78.jpg
 山頂が近づく。
 至仏山山域に入ると道も当然急になるが、同時にあちこちに高山の花を見掛ける。翠微(頂きに近い中腹)になると、石が多く、草も疎らになる。このあたりに、この山独特の高山植物が多い。

 桔梗三種、名を同定できない。
95-8-68.jpg

95-8-69.jpg

95-8-71.jpg
 一番上は、わたしは「チシマギキョウ」に近いかなと思いました。
 「イワギキョウ」にも似ています。わたしの図鑑では「イワギキョウは少し上向きに咲く…」とあって、槍ヶ岳で見たときはそれでイワギキョウと判定したのですが、これは下向きなので?でした。
 花としては「ホウオウシャジン」のようなのですが、葉の形が違います。
 二番目は、「ヒメシャジン」や「ミヤマシャジン」や「イワシャジン」に似ているような気がします。
しかし、断定するにはどこか違う。しかもイワシャジンは葉の形が違います。
 南アルプスに鳳凰三山といわれる山があります。「ホウオウシャジン」はそのあたりの固有種のようです。「イワシャジン」も同じく、そのあたりの固有種でしょう。だからといって至仏山にはないと断定できません。
 花弁に毛がないのがイワギキョウとありますが、山で見るときは、毛があるかないかなんて見ていませんし、写真では判らず、図鑑に書いてあっても後の祭り。
 その他にも、そのような説明がよくあって、ウーンとうなってしまいます。植物学者はそのようなことを丹念に調べるのでしょう。わたしなどは専ら綺麗な花や珍しい花を楽しむだけなので、知っている人がいて説明してくれると助かります。
 図鑑で見たら「ツリガネニンジン」も桔梗の仲間でした。そういえば沢桔梗も、他の桔梗とは似ても似つかぬ形をしています。
 とにかく山の植物は変種が多く、なかなか同定できません。それが楽しみといえばいえるのですが。
 図鑑にはこんなことも書いてあります。「チシマギキョウ」は先が開くのですが、「八ヶ岳のチシマは花が開かない」
 色違いの「ホタルブクロ」のようです。
 こんな風に例外が多いので、違っているようで、当たっているかも。
 参考(日本の高山植物−山と渓谷社)


95-8-72.jpg
 頂上付近。見るからに崩れやすそう。

95-8-73.jpg
 ようやく頂上だ。
 頂上では尾瀬ヶ原全体を見渡せる。かなり霞んでいた。

95-8-75.jpg  1000ピクセル
尾瀬ヶ原全景に近い。

95-8-76.jpg
 燧ヶ岳もかすんでいる。

95-8-77.jpg
 高嶺撫子(タカネナデシコ)
(2015.12)追記 先日、某所で「なでしこジャパン」のなでしこを知らない人が多い、という話が出た。言われてみればわたしも見た記憶がない。大和撫子なら少し知っている(?)。撫子とはふつう河原撫子(カワラナデシコ)を指す。この高嶺撫子によく似ている。

 下るころ、空模様がおかしくなってきた。登りはじめの緩やかな坂道にかかるころ、雷が鳴り始める。あっという間に暗くなり雷の音が近づく。間違いなく雨になる。必死で急いでいると、そこで休んでいる人がいた。
「雨になりますよ」
「雨具を持ってますから」
 そんな会話も雷の音に追われて、一瞬に終える。
 ようやく駐車場に着くと、ポツリと雨が来た。休憩所に飛び込むと同時に豪雨となる。ザックを下ろし、やれやれと振り向くと、トタン屋根の軒先は、裏見の瀧のようになっていた。トタン屋根を打つ雨音は、三条の瀧を思わせるほど。数秒の差で濡れ鼠にならずに済んだ。さっきの人はカッパを着ることができたのだろうか。間に合ったからいいようなものの、わたしも雨具を出すべきだった。
雨がひとしきり降って止むと、日ざしが強い。
 帰りのバスはマイクロバスで戸倉まで。東武バスに乗り換えて沼田まで。
posted by たくせん(謫仙) at 00:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 登山・ハイキング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月06日

尾瀬3 湿原

尾瀬3 湿原
転載にあたり大幅に加筆し、写真も追加し入れ替えた。

 長蔵小屋近くにビジターセンターがある。このあたりを集合場所にして、ボランティアの案内人が、コースに別れて説明をしてくれる。わたしは「湿原の植物」のコースに行った。
 場所は限定できないがこのあたりで撮った花を紹介。

95-8-30.jpg
 
95-8-31.jpg
 鳥兜(トリカブト)にもいろいろある。細かい分類はできない。

95-8-33.jpg
 湿原の植物のコースで、かなり霧が濃い。

95-8-34.jpg

95-8-35.jpg

95-8-36.jpg

 二日目、曇り空の下を歩き出す。
 尾瀬沼の北岸はあちこちに湿原があり、煩わしいほどである。

95-8-39.jpg
 沼尻平で一休み。

95-8-40.jpg
 沼尻から見た燧ヶ岳方向。
「沼尻そばや」の前を通り山中の道を尾瀬ヶ原を目指す。
二時間以上かかって、十字路に着いた。このあたりは山小屋が集中している。ここで喫茶店に入った。モカコーヒーを頼む。登山というより、観光地に来たようだ。ここからは木道歩きだ。あちこちに高山植物が咲いている。

95-8-42.jpg
 沢桔梗(サワギキョウ)
 花の後ろに蛇が頭をもたげたように見えるのが雄しべ

  早乙女の唇集め紫に 染めて開いて田代のひかり  謫仙

95-8-44.jpg

95-8-45.jpg
 巴塩竈(トモエシオガマ)
 
95-8-46.jpg
 元湯山荘まで行き、そこで昼食。午後は三条の瀧まで。
 遠く見えるのは至仏山。

95-8-47.jpg
 滝の下まで下りられるようになっている。水量も少ない。前に来たときは、途中までしか下りられず、大変な水量だったので、日本一の瀧というイメージだったが、今回は普通の瀧に思えた。

95-8-49.jpg
 三条の瀧

95-8-54.jpg

95-8-55.jpg

 ヨッピ橋を通って、山ノ鼻を目指す。尾瀬の代名詞といえる木道があちこちに伸びている。

95-8-57.jpg
 羊草、小さな花である。

95-8-59.jpg

95-8-60.jpg

95-8-62.jpg
 高層湿原
 枯れた草が、寒さのため腐らずに積み重なる湿原である。この高さは数メートルも盛り上がるほど。そして草のないところは池塘となるが、逆に数メートルの深さということになる。

95-8-63.jpg
 尾瀬河骨(オゼコウホネ)か羊草か、葉が水面に浮かんでいる。時期が時期なので水芭蕉は見たことがない。

 山ノ鼻は尾瀬ヶ原の突き当たりである。そこからは、緩やかな坂道を鳩待峠に登っていく。鳩待山荘は空いていた。ここには広い駐車場がある。ただし、シーズンには交通規制があるので注意。

つづく
posted by たくせん(謫仙) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 登山・ハイキング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする