2016年01月31日

皇居東御苑 その1

江戸城 登城

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案内地図 横1200ピクセル

 1月のある日、次のような招待状が届いた。

囲碁の仲間と回る東御苑
皇居の一部として唯一一般公開されている東御苑をご案内致します。
  〜略
11:00
大手門〜同心番所〜百人番所〜大番所〜富士見櫓〜松の廊下跡〜富士見多聞〜本丸跡〜大奥跡〜天守台〜汐見坂〜二の丸庭園〜平川門〜パレスサイドビル屋上
13:00
パレスサイドビル内の飲食店で打ち上げ〜
http://www.kunaicho.go.jp/event/higashigyoen/higashigyoen.html

 招待者は囲碁仲間で、千代田区の観光ガイドである。もしガイドの組織を通せば有料であるが、個人の招待なので……。

 1月27日、ガイド(女性)に案内されたのは男4人と女1人、5人であった。
 わたしは11時少し前に大手門に着いた。

 まず手渡された案内図、その一部が上の案内地図である。この日はこの順番に沿って進んだ。

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 大手門に向かって左側の堀、桔梗濠。
 堀には氷が張っていた。沖縄でも雪という記録破りの寒波の後である。しかし、この日は一転暖かくなり、道も乾いていて滑るようなことはなかった。

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 右側の堀、大手濠。
 江戸城の掘の名はすべて「濠」を使っている。

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 大手門だが、その高麗門(こうらいもん)。どういうわけかこの形の門を高麗門という。

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 大手渡櫓門
 高麗門を入ると枡形の土地があり、突き当たりや左手には鉄砲狭間がある。そこを90度右に曲がると大手渡櫓門がある。防御のための造りだ。
 この大手渡櫓門と高麗門を一緒にして大手門という。
「大手門とは何でしょう」ガイドの最初の問いである。
 どこの城でも正門だが、なぜ大手門というのか、と考えていると、「正門」の声を受けて、「では裏門はなんというのでしょうか」これがガイドの本当の質問だった。
 一呼吸置いて誰かが「搦手(からめて)門」。で、江戸城には搦手門という名の門はなく、半蔵門が相当すると。
 
 櫓門を入り左に曲がると、入場札を受け取る。札は出るときに返却する。
 入場は無料、開門は9時、閉門は季節によるが今は午後4時。原則として月曜と金曜が定休日。

 途中4カ所の門の跡を通る。最初の門の跡を通ると、右手に同心番所がある小さな建物だ。

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 瓦の紋は鬼瓦が三つ葉葵、徳川家の紋。その他は三つ巴。

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 反対側は、三つ葉葵の下、左が三つ巴で右が菊のご紋だ。俗説はあるが、理由は不明。

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 次の門の跡

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 「中の門」の跡、角は石の積み方が算木積み。ブラタモリ小田原城でも紹介された。
 写真がないが、左手には百人番所、伊賀者がつめたとか。中の門から先は殿様他数人の家来しか入れない。大勢の家来がこのあたりで、殿様の下城を待つことになる。

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 この石が、江戸城の石垣で一番大きな石。地中にも潜っている。

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 中の門を入った右側、大番所。
 左の方へ坂道を登っていく。

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 石垣の積み方が、中の門の跡とは違う。坂は緩やかながら往時は階段だった。
 ヘアピンカーブでこの石垣を回り込むと、最後の門の跡がある。「中雀門(ちゅうじゃくもん)」跡である。石垣は、無残に表面が割れて剥がれたりしている。火事によるという。(地図では8)

つづく
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2016年01月24日

カール・セーガン科学と悪霊を語る

カール・セーガン   新潮社   1997.9
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 人はなぜ似非科学(=トンデモ話)に騙されるのか 。
 超能力、火星人、心霊術……。カール・セーガンの渾身の科学エッセイである。
 二十年ほど前の本であるが内容は古くない。
 アメリカでは現在でも、キリスト教的歴史を信じている人が多く、40パーセントだかの人が進化論を否定しているという。それはかまわないが、聖書の記録を信じて何千年か前に宇宙ができたと信じているというのに驚く。

 日本人の初詣でとかお盆とかクリスマスなどは、儀式化していて宗教的に信じている人などいないと思っていたが、けっこう信じている人がいるらしい。そんな風に程度の差こそあれ、人々は似非科学に動かされている。著者はキリスト教にも厳しい目を向ける。

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「魔女は存在する」と主張する人たちの言い分は「もしも魔女が存在しないなら、どうしてこんなことが起こるのか?」
 内容はともかく、これでは論理的に答えになっていない。まるで安倍首相の答弁だ。

 科学と似非科学の差は批判に耐えるかどうかだ。科学は批判にさらされ、証明できず否定されることもある。それでも批判を受けいれれば科学だ。似非科学は批判を許さない。権威者だからと盲信するな、少しでも疑問があれば疑え問え。
 このことをいろいろな例を出して説明している。これがこの本の主題だ。
 その例として、宇宙人の話もおもしろい。
 宇宙人にさらわれた経験のあるアメリカ人は2パーセントいるという。そのやられたことはたいしたことではない。宇宙人が特にアメリカ人を選んだとは思えないので、全世界の2パーセントとすれば一億人を超えることになる。
 何万光年の彼方から来る能力のある宇宙人が、そんなせこいことをするか、一億人もの人を誘拐するか。そして全世界の政府がそれに防御をとらないのか。
 そう考えればとても宇宙人が人をさらうとは思えないし、地球にいるとも思えない。だが宇宙人が地球にいると思っている人は大勢いる。
 UFOも同じく。気球や人工衛星など、ほとんど原因がわかっている話を何度もUFOと蒸し返す。
 人は顔を認識するような本能がある。嬰児は母の顔を見ればにっこり笑う。この能力があるから生き延びられた。しかし、何かの模様を見ると顔に思えるとなると、幻覚というマイナス面になる。それが強いと悪霊を作り出すことになる。
 レーガン元大統領は先の大戦の時の記憶を語る。調べてみると、大戦中はずっとハリウッドにいた。自分の演じた役が刷り込まれているのだ。
 警察が証拠を重要視するのも、やっていないことも、記憶に刷り込まれてしまい、やったと白状することがあるからだ。

 日本人なら元旦に新年の幸を祈る。それにもかかわらず、不幸な年になったりする。欧州なら国民は王の長寿を祈る。だがそれによって長寿になった王はいないと思える。これらの祈りは効かなかったのではないか。つまり科学的ではないのだ。

 この本は冗長すぎると感じることが多々ある。しかし、書き終えてまもなくなくなっていることを、そうしてまで書いておきたかったのに違いない。
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2016年01月19日

奥高尾縦走

奥高尾縦走  高尾山のつづき

 高尾山頂から西側へ向かうと奥高尾と言われる山脈がある。
 高尾山−城山−景信山−陣馬山と続く。景信山の次に堂所山があるが、巻いてしまう。高尾山から城山までは1時間の距離。
 高尾山から城山へ向かうと長い階段状の下りがある。これもかなり長い。

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 晴れているとみどり葉が輝く。
  
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 足元には名を知らぬ花。(のちにフタリシズカと教わった)

 高尾山と城山の半分をすぎて間もないあたりに一丁平という平坦なところがある。ここで昼食。昼食と言ってもメロンパン一個とバナナ2本。今回は炊事道具は一切持って行かなかった。飲み物も水筒の水だけ。

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 一丁平の展望台から丹沢の大山がはっきり見えた。大山は高尾山の真南にある。蛭ヶ岳などは相変わらず雲の中。
 間もなく小仏城山につく。城山の茶店はけっこう人がいた。ここからの下山路もあるが、下に下りてから相模湖駅までかなり歩く。バスが通っているはず。
 城山から小仏峠に向かうと人の声が途絶える。

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 相模湖が見えた。
 余談ながらわたしは相模湖を見ると、ジュディオングを思う(^_^)。エッと思うかも知れない。
 三太物語という相模湖を舞台にした小説がある。相模湖ができて間もないころの物語。そのテレビドラマのヒロイン花子役がジュディオングであったのだ。当時、ジュディオングは小学生。本名が翁(Weng)倩玉なので、オングではなくウォンとすべきだが、芸名はオングになっている。
「おらあ三太だ。この間のことだ。学校から帰ってくると花子が……」三太は渡辺篤史、おじいちゃんは左卜全だった。
 閑話休題

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小仏峠の相模湖側
 小仏峠は旧甲州街道の峠だ。こんな細い道が主街道だった。これは東海道でも同じこと。箱根の旧街道を歩くと、狭いことに驚く。
 小仏峠から景信山(かげのぶやま)までは急な登り道。高低差は二百メートル弱だが、ここまで三時間以上歩いて少し疲れた足には、このコースの一番きついところになる。

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 東京湾方面が霞んで見えた。中央左が新宿のビル群であろう。

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 手前の木は下の枯枝を払ってないのが気にかかる。このままでは節の多い二等材になってしまう。それはともかく、このような分厚い緑の層が山の上にある。人の手によって植えられた杉や檜だ。

 景信山の茶店は閉まっていた。週末はやっているはず。
 景信山から陣馬山までは、なだらかな上下が続く。途中の高みは巻道を通る。五回ほど巻道を通ったか。巻道と書いてないこともあり、知らない人は高みに行きそうだ。

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 このあたりの相模湖側は杉と檜の林、反対側は自然林ということが多い。一部は前回の陣馬山登山でも紹介した。

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いくぶん日差しが弱まったか。

 陣馬山に着いたのは五時過ぎだった。ここで最後の休息だ。すでに茶店は閉まっていて、誰もいなかった。

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 躑躅が満開だった。かなり大きい。空は曇っていた。日差しがなく、花も輝かない。

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 カラスが1羽。彫像のように動かなかった。しばらくして一瞬目をそらすと、もういなかった。
 バス停まで1時間はかかる。なんとか歩けそうなので、歩いて藤野まで降りることにした。
 栃谷尾根を下る。下の部落に近づくころ林の中は暗くなってきた。今の時期ならまだ日没前のはず。林を抜けて茶畑の中に出るとやはり明るい。まだ七時前だ。ここからが長い。1時間以上かけて藤野駅に着いたのは八時であった。
 予定より1時間以上遅れた。体力の衰えを感じる。仕方ないか(^_^)。

 藤野駅前ではざっと見たところ食べるところがなさそう。帰ってから食べることにした。帰ったのは十時。これも久しぶりに焼き肉屋に入った。二年ぶりかな。前回まではビールと言えばスーパードライだった。今回はモルツに変わっていた。

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2016年01月16日

高尾山

高尾山
2010年06月04日 記

 5月28日。久しぶりに高尾山に登った。
 どのくらい久しぶりかというと、三十数年ぶりである。
 わたしは日帰りハイクをしていたころ、よく奥多摩や奥武蔵の山に出かけた。その初期に府中に住んでいた一年間がある。この時、高尾山に30回近く行ったことがある。
 京王線の高尾山口の駅を降りれば、すぐに登山コースに入る。
 高尾山には1号から6号までの番号のついた道があるが、1号と6号が登山道、それ以外は山を巡る道だ。番号ではない道もある。
 だからこの登山口あたりの景色は、目をつぶっていても判ると思っていた。ところがかなり記憶と違う。
 8時ごろ高尾山口の駅に着く。駅は記憶通り、変わっていない。歩き始める。登山口まで目と鼻の先。

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 右の道は1号の薬王院表参道。自動車も通れるコンクリートの道だが一般車は通行禁止。この道を上りに使ったことはない。
 左に見える建物が高尾山ケーブルカーの駅。ケーブルカーに乗って登ったことが一度ある。その時は一人ではなかった。ケーブルカーの隣にリフトもある。
 駅前の広場の左よりは車道になっていた。

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 ケーブルカーの駅の脇に稲荷山コースの入り口がある。いつも使っていた道だ。今回はこの道に入らず、6号のコースを歩くことにした。清滝コースあるいは琵琶滝コースともいう小川沿いの好みのコースだ。
   
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 少し歩くと道は左右に分かれる。左が6号。右は抜け道であまり登山者や観光客は通らなかった。記憶では農家と農地があったはずだが、いまでは大きな病院となっている。そのため自動車の通りが多くなり、ケーブル駅前の一部を車道としたのか。
 ここから山道に入る。少し歩くと琵琶滝の修行道場があるはずと思っていたが、なかなかつかない。しかも山道は本格的。疑問に思いながらも歩いていると、岩屋大師なるものがある。
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 記憶にないが、昔からあったのか。

 そこを通り過ぎてかなり歩き、ようやく琵琶滝についた。登山道の滝側はトタン板でふさがれて、滝を見ることができなくなっている。滝に打たれる修行場なので人目を避けるためか。
 滝と言っても、記憶では小川の水を樋に集め、わずかな水が流れて落ちているのみ。現状は確認しなかった。
 それにしてもこんなに奥だったのか。記憶ではここから本格的な登山道が始まるはずだった。
 琵琶滝をすぎると、違和感がなくなった。道の両側は崖で、シャガが一面に植えられている。

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 長くしっかりと根を張るので、崖の土の保存のために植えられた。ちょうど花の時期だった。アヤメを小さくしたような花だ。うつぎの花も多い。

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 所々に簡単なベンチがある。そこで双眼鏡で上を見ている人たちがいる。

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 高い樹の上に一部白くなっているところがある。遠くて形もはっきりしないが、セッコク(石斛)という蘭が寄生しているのだった。
 中国の石斛は近似種でセッコクとは同一ではない。「高尾山のセッコク」でインターネットで見ることができる。

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 シダもこう見るときれいなものだ。

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 岩を抱える樹の根。左が登山道。このコースは整備されていて、難路の部分もこの程度なので、つい油断して転びそうになる。

 途中稲荷山コースに通じる道がある。そこまで来ると頂上は近いが道は急になる。
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 分岐点を振り返る。左から登ってきて、小さな橋を渡ると稲荷山コースへ。そこから小さな沢道を手前に上るのが6号。ここで沢とは別れ、道は急になり頂上は近い。
 休み休み写真を撮りながらとはいえ、頂上まで2時間かかった。

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 区部の方向。

 頂上には茶店があった。展望台にはフェンスまである。

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 ビジターセンターは靴を脱いで見学するようになっている。靴を脱ぐのが面倒なので入らなかった。

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 山頂から南西を見る。遠くは曇っていて、富士山は見えなかった。丹沢山塊は上部に雲がかかっている。正面は蛭ヶ岳だが上部は一度も見えなかった。

 奥高尾縦走につづく。   続きを読む
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2016年01月09日

陣馬山

陣馬山(陣場山)
 2009年7月8日記

 久しぶりに山歩きをしてきた。
 6月28〜29日に陣谷温泉で、水間師主催の碁会があった。碁会は午後1時半に現地集合。それに参加するため朝早く発って陣馬山に登り、そこから陣谷温泉に行くことにした。
 相模湖駅に八時前に着いた。駅では多くの燕が飛んでいる。歩き始めて間もなく與瀬神社の鳥居。

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 ここからハイキングが始まる。突き当たりは急な階段。
 
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脇には坂道もあるがこの階段を登る。

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 與瀬神社。ここを左に行くと山道になる。このコースはいつも下りに使っていたので、逆コースだとまごつく。

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 いよいよ山道。ここを見て、ようやく何度も通った與瀬神社を思い出した。下るときはいつも神社の境内を横切っていたのだ。
 いきなり急坂が四十分ほど続く。ここを過ぎると急に穏やかな道となる。

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 こんな山道なら平地と変わらない(^。^))。
 鶯とカッコウの声がよく聞こえた。ときにはホトトギス。その他の鳴き声も混じる。

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 蛍袋はよく見かけた。低山歩きにはおなじみの花だ。

 ショウノ塚に大平小屋があるが、今でも使っているのかどうか。この小屋のそばで相模湖から来るもう一本の登山道と合流する。ここまで一時間三十分。ほぼ登山地図通りの時間だった。
 間もなく藤野から来る登山道と合流し明王峠に向かうが、途中に自動車のならんだ林道を横切る。そこからしばらく急坂となり、明王峠にいたる。

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 十時過ぎに明王峠に着いた。ここには茶屋があり、頼めば温かいうどんも食べられるが、水筒の水と持ってきたフランスパンで腹を満たす。今回は炊事道具一切は持ってこなかった。持ってきた食料はフランスパン一切れだけ。ここで食べてしまう。
 十時二十分にここを発つ。ここから陣馬山までは起伏の少ない道が続く。

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 尾根の南側は檜林、北側は雑木林。近辺の山にはこのようなところが多い。檜は陽当たりを好む。
 この檜は、下の方に枯れた小さな枝がびっしりと着いている。この枝は早くとらないと 節の多い材木になってしまうのだが…。手入れが行き届かないのか、間もなく切り払うのか。

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 栃谷の陣谷温泉に向かう道。ここから下らねばならなかった。

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  陣馬山といえば、この馬の像が有名だが、本来は陣場山で馬ではなかったようだ。ガスっていてまわりはほとんど見えない。
 陣馬山へ着いたのは十一時十分ころ。ここでうどんを食べ、コーヒーを飲み、一時間ほど過ごす。

 山頂から南に向かい、栃谷尾根を陣谷温泉に向かって下るはずだった。ところが、道を間違え、一ノ尾根を下りてしまった。かなり下りて和田への分岐が出てきて、ようやく間違いに気が付いた。もはや戻っても時間がかかるばかり。仕方なく陣馬登山口まで下りて、陣谷温泉に向かう。さらに二十分の登り道だ。陣馬山から50分のはずが100分かかって着いた。十分以上の遅刻だ。玄関を入ると、水間先生と孔令文先生が迎えてくれた。さっそく檜風呂に入って着替えをした。
 下りの道を、休まず急ぎ足で下りたため、足が痛くなってしまった。三日ほどたってようやく痛みが引いた。
posted by たくせん(謫仙) at 10:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 登山・ハイキング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月05日

支那そば館の謎

支那そば館の謎  裏京都ミステリー短編集
北森 鴻   光文社   2003.7
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 前に ぶぶ漬け伝説の謎 を紹介している。その前編である。
 京都の人さえ知らないといわれた、京都一の貧乏寺、嵐山の古刹大悲閣。その寺男、有馬次郎に奇妙な事件が持ち込まれる。
 有馬次郎は逮捕されたことはないが元広域窃盗犯。その直感は鋭く、時には裏社会の情報さえ利用し、住職の助言もえて、解決していく。
 大悲閣は実在の寺であり、わたしは行ったことがある。渡月橋から川沿いに20分ほど歩き、山道を登るのに20分もかからず到着するが、その様子は、 京都2 大悲閣(千光寺) を見てほしい。
 これは小説なので、実際の寺とは差を感じることもある。

 みやこ新聞の記者の折原けいが持ち込む最初の事件は、えげつないムンちゃん登場の話。
 そのほか殺人のアリバイ作りに別な殺人事件とか。
 時々有馬次郎が行く、居酒屋十兵衛の料理はいつもおいしそう。その主の弟弟子のやはり十兵衛という別なところにある店が、格落ちしてしまう。その原因を探ると、痛ましい事情があった。
 というような、ちょっとやるせない話が多いが、基本はコメディーと本格ミステリーを加えような楽しい話。
posted by たくせん(謫仙) at 14:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月01日

謹賀新年

新年おめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

 身の丈に合わせて生きるしあわせは 新年を見る心養う 

   謫仙
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大江戸しあわせ指南

大江戸しあわせ指南  身の丈に合わせて生きる
石川英輔   小学館   2012.8
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 著者は江戸文化の研究家でもあり、作家でもある。
 今までにいろいろと江戸の文化や生活の評論や小説を書いている。そのため新しく書いたとはいえ、読んでいて既読感のある話ばかり。それでも楽しく読めた。
その中から「江戸生活のしあわせ」に的を絞った。この中で江戸庶民は貧しいながら、身の丈に合わせて生きることで幸せ感を得ていることを力説している。特に省エネ省資源生活を強調する。

 実際、九尺二間の狭いひと間で、荷物はほとんどなく、共同トイレで、銭湯に行く、と言うと貧しい生活だが、昭和の半ばまで、そんな生活をしている人が多かった。多くの人がそうだったので、それほど不幸とは思わなかったであろう。
 ただいつも思うが、その裏でその江戸の富を生産する地方の人々の生活や、虐げられた人の生活、差別の故に苦海に身を沈める女性たち、そんな視線がほしいと思うことがある。
 地方で食い詰めた人が、飢え死にする前に江戸に出ることができた。江戸なら何とか食える。そこで前と比較して幸せ感を得られるのではないか。独身者だから何とか生きている程度だ。幸せといっても何とか食える程度なのだ。
 省エネやリサイクルも極端に生産性が低いので、つまり周りもきわめて低収入生活なので可能なのであろう。仕方なくそんな生活をしているわけで、それで満足しているとは思えない。本当に幸せ感を持っているか疑問に思ってしまうのだ。本当に省エネ省資源なのか。持続可能なのか。
 そんな中の、「身の丈に合わせて生きる幸せ」、というプラスの部分に焦点をあわせた本である。

 本書に限らないが、著者のいう「持続可能な社会」が望ましいという趣旨は大賛成だ。
 化石燃料に頼る文明は、化石燃料の枯渇により衰退する。石油・石炭・天然ガス、化石ではないがウランも枯渇が近い。その前に環境の悪化によって終末を迎えようとしている。
 現在の科学文明は、産業革命以来数百年しか経っていない。にもかかわらず、終末が議論されている。
 今世界が注目しているのが縄文文化だといわれる。発生から終末まで一万年以上持続した。
 そう考えると、江戸時代は悪いばかりではない。特に現代の倫理観念で判断を下すと、誤るかもしれない。マイナス面をしっかり見つめることも忘れてはならない。
posted by たくせん(謫仙) at 05:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする