2016年04月23日

槍ヶ岳5 大喰岳から上高地へ

槍ヶ岳5 大喰岳から上高地へ
1998年8月

いよいよ槍ともお別れだ。

97-8-100.gif
 歩き始めてから振り返ると、岩壁に挑んでいる人がはっきり見える。

97-8-105.gif
 槍ヶ岳山荘と槍ヶ岳の穂先
 槍ヶ岳は半分雲の中になった。

97-8-102.gif
 この下が槍沢
 この急斜面にも小屋が二軒ある。ここを下ると槍沢である。沢に沿って右手にまわると上高地に出る。槍沢から吹き上げてくる風は、霧を含んで冷たい。

97-8-107.gif
  槍沢の霧を迎える岩桔梗 いのちの青さ凍えるごとく  謫仙

97-8-109.gif

97-8-111.gif
 時々残雪を見かける。大きなものは厚さ2メートルを超える。おそらく融けきらず冬を迎えるであろう。このような汚れた雪が融けて、渓流を形づくる。決してそのまま飲んではいけない。

 南岳の少し手前で昼食にした。そこへ現れたのが、五センチほどの真っ黒なナメクジ。小さくとも、その色のおぞましさにぞっとした。写真に撮っておけばよかったが、そのことに気がついたときは、すでにいなくなっていた。
 ふと見ると、目の前の南岳が雲に隠れてしまっていた。天気は下り坂である。
 昼食後、そこから左に折れて、槍沢に下る。途中には多くの花が咲いていた。一目で判るのは鳥兜くらい。

97-8-116.gif

97-8-123.gif
 このころ雨が降り出した。
 槍沢を下っていると途中にキャンプ場がある。このあたりは糞尿の臭いが漂う。一カ所あるトイレの周辺はもろに臭う。そこからしばらく路の両側は糞があちこちにある。これらの糞が融けて槍沢に流れ出し、沢は梓川と名を変え、観光地大正池に至ることになる。
 六時近くなって、槍沢ロッヂに到着した。

 五日目、午前中に上高地に下りた。

97-8-124.gif
 この橋はどこだろう。もう記憶もない。

 夢枕獏さんは若いときこのあたりの山小屋でアルバイトをしていたことがある。その時ゴミなどを夜に梓川に流したそうである。それに耐えられず、ある時山小屋の主にゴミを埋めることを申し出た。そしてゴミを埋めようとしてあちこちに穴を掘ったのであるが、どこを掘っても昔埋めたゴミが出てくる。それが不気味な色をしていた。結局、梓川に流さざるを得なかったそうだ。

97-8-130.gif
 カッパ橋のあたりは、けっこう人がいて川遊びをしている。雲に隠れてしまったが、穂高の高峰が連なる。
 この時期は、一般車両は進入禁止なので、皆バスを利用する。新島々往きの三台目のバスを予約した。予約しないと乗れないほど混んでいるのだ。

  ★空冷えてこの手の記憶新しき 小さな峰を雲外に見る  謫仙
posted by たくせん(謫仙) at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 登山・ハイキング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月19日

槍ヶ岳4 槍ヶ岳頂上

槍ヶ岳4 槍ヶ岳頂上
 1998年8月  
 四日目の朝、槍ヶ岳山荘に荷物を置いて、槍の頂上をめざす。

97-8-77.jpg
 子槍。
 子槍の山頂には鳥居があった。路はなく、わたしには登る技術はない。

97-8-78.jpg
 槍ヶ岳をよじ登る。
「右の岩に右足をかけて、左手はその上の石を…」などという声が聞こえる。
 特に下りるときは下が見えないため、前後の声に耳を傾けながら、慎重に足をかける。

97-8-80.jpg
 槍ヶ岳頂上に立つ。一生一代の晴れ姿(?)だ。

  よじ登り槍の頂踏みしめる バンザイ三唱天下に響け  謫仙

97-8-81.jpg
 槍ヶ岳山荘
 槍ヶ岳山荘はかなり大きい。この赤い屋根は遠くからでも目立つ。

97-8-85.gif
 大喰岳
 これから大喰岳と中岳をえて大正池へ向かう。あちこちに雪が残っていた。
 槍ヶ岳山頂よりの眺めである。岩ばかりのようであるが、ところどころに草があり花も咲いている。

97-8-87.gif
 穂高連峰 手前は中岳

97-8-86.gif
 遠くは御嶽山・乗鞍岳 茶色の山は焼岳 
 手前は穂高連峰 一番近くが大喰岳

97-8-89.gif
     南アルプス    中央アルプス
 遠くかすむのは南アルプス。手前の鋸の歯のような稜線は、前穂高岳の稜線と思われる。

97-8-91.gif

97-8-93.gif
 東は常念岳のシルエットが見える。第一日目はその左側の鞍部にある常念小屋に入った。
posted by たくせん(謫仙) at 07:00| Comment(4) | TrackBack(0) | 登山・ハイキング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月16日

槍ヶ岳3 西岳をえて槍ヶ岳へ

槍ヶ岳3 西岳をえて槍ヶ岳へ

97-8-53.jpg
大天井岳ヒュッテ付近より西岳方向を望む

 喜作新道を西岳に向かう。

97-8-55.jpg
 お花畑があった。
 神G侠侶で、裸の二人がお花畑で向き合うというシーンがある。花によって相手が見えないという設定だが、この写真を思い出し、ちょっと無理だなと思ってしまう。(^_^)

97-8-56.jpg

97-8-57.jpg

97-8-58.jpg
 稜線に乗ると視界が開けた。

97-8-60.jpg
槍ヶ岳の右に小さな出っ張りがある。子槍という。

97-8-64.jpg
 槍ヶ岳の左、大喰岳(3101m)と中岳(3084m)。

97-8-65.jpg
 地図と写真を見比べているのだが、記憶がなく、正確な山名は判らない。左が双六岳、右が三俣蓮華岳と思われる。

97-8-68.jpg

97-8-70.jpg
 白山風露(ハクサンフウロ)であろう。一面に咲いていた。一面に咲いているといっても、平地の感覚では、小さな花がまばらに咲いていると思ってよい。
 花の写真は難しい。弱い風の時でも花はいつも震えている。稜線上では風が止むときはない。

 ヒュッテ西岳から西側へは崖を下りるような急斜面を下りた。それからは槍ヶ岳は正面になる。
 昼食後、雲行きが怪しくなり、合羽をザックの上部に入れなおす。槍ヶ岳山荘の手前30分ほどのところで雨になった。左手下は槍沢の上流である。槍ヶ岳山荘に着いたが、雨模様であり登るのは明日に持ち越しである。
posted by たくせん(謫仙) at 08:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 登山・ハイキング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月13日

槍ヶ岳2 大天井岳(おてんしょうだけ)へ

槍ヶ岳2 大天井岳(おてんしょうだけ)へ

 二日目は快晴だった。

97-8-14.jpg

97-8-17.jpg
 日の出を迎える

97-8-20.jpg
 朝日の槍ヶ岳
 日の出の時間に後ろを見ると、槍が岳が美しい。特徴のある山容は登山者の心を引きつける。左に大キレットをえて、穂高連峰連なる。

97-8-23.jpg
 大キレット

97-8-27.jpg
 朝日を背にして、常念小屋に別れの挨拶。
 蝶ヶ岳から燕岳への路は、俗に表銀座といわれる。ここから大天井岳への路はその中心である。

97-8-24.jpg
 靴を履くザックは満ちた見上げれば山燃えあがり歩き始める  謫仙
 
97-8-29.jpg
 遠景は穂高連峰
 横通岳へ少し登ると穂高の連峰が見えた。ここから大天井岳への路は上下を繰り返すが、険しくはない。
 お花畑がある。高山植物は短い夏にほとんど一度に咲く。
 いろいろ説明してくれた人がいた。

97-8-40.jpg
稚児車(チングルマ)
 これはチングルマの花が飛び散ったあとである。もう2週間早く来れば花が見られただろう。

97-8-41.jpg

97-8-46.jpg
 途中で振り返ると稜線がはっきり見える。のこぎりの歯のようだ。この稜線を歩いてきた。

97-8-47.jpg
 大天井岳(おてんしょうだけ)が見えた。
 小さく小屋が見える。大天荘である。山頂付近は異様なほどハイマツが少ない。
 花を見ながら、ゆっくり歩いても、午前中に大天井岳に着いてしまった。
 大天井ヒュッテは左の方へ一時間近く下る。

97-8-48.jpg
大天井岳 山頂
 大天荘の前で昼食にする。周りには高齢の方も多い。登りなれているようだ。
 となりでは、小学生とおぼしき男の子が指図して、お父さんと食事を作っている。そのお父さんの靴を見ると、歴戦の勇者であった。

97-8-50.jpg
這松
 ハイマツはたくましい。何万年の時をかけ、山を登っていく。この木のお陰で、山が崩れても、緑が回復する。太い幹は直径5センチを越える。
 大天井岳ヒュッテには一時過ぎに着いた。
 次のヒュッテ西岳まで3時間コース。遅くなってしまうので、ここで泊まることにする。

97-8-51.jpg
posted by たくせん(謫仙) at 09:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 登山・ハイキング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月10日

槍ヶ岳1 ヒエ平登山口から常念乗越へ

槍ヶ岳1 ヒエ平登山口から常念乗越へ

転載にあたり、写真を大きくしてさらに追加し、文も加筆しました。

1997年8月
 八月の下旬であった。ようやく夏休みになり、一人で槍ヶ岳に挑む。

一日目
ヒエ平登山口(1300m)−常念乗越(常念小屋)(2466m)
二日目
常念小屋−横通岳(2767m)東大天井岳(2814m)−大天井岳(2922m)−大天井ヒュッテ
三日目
大天井ヒュッテ−赤岩岳−西岳(2758m)−槍ヶ岳山荘
四日目
槍ヶ岳山荘−槍ヶ岳(3180m)−大喰岳(3101m)−中岳(3084m)−槍沢ロッヂ
五日目
槍沢ロッヂ−上高地
gai[1].jpg

 このコースは時間さえあれば、難しい山ではない。小屋の数が多く、その間は半日コース程度である。そのつもりでゆっくりした計画を立てることだ。
 夜行の電車でまだ暗いうちに「穂高」につく。ここからタクシーに乗り、ヒエ平の登山口に向かう。タクシー代は4500円ほど。

97-8-01.jpg
 ヒエ平の登山口
左 登山者カード提出所 右 常念口一ノ沢山岳補導所

 ここで登山予定を書いてポストに入れておく。万一のときは、その予定に沿って救助隊が動くことになる。
 登り口に水場があった。

97-8-04.jpg
 写真はないが、この辺りにトリカブトの群生地があった。

  幾千の常念にらむ鳥兜 我は一人で今挑むなり  謫仙

97-8-06.jpg
 一ノ沢に沿って常念岳をめざす。かなりの水量があるが、この水は飲むことはできない。雪渓の雪解け水はかなり汚れているうえ、多くの登山者が通りさらに汚れる。

97-8-07.jpg
 ここで一ノ沢と別れる。この近くに水場があるのでそこで水を補給する。
 一ノ沢と別れると峠は近い。

97-8-08.jpg
 常念乗越
 峠の向こう側に常念小屋がある。
 余力のある人は、ここに荷物を預け常念岳に登るが、わたしは少し登ってやめた。

97-8-09.jpg
 背の高い木は強風のため傾いて生長する。
 明日登る路は、横通岳(よことおしだけ)を経由する。ちょうど半分が雲に覆われていた。緑はほとんど這松である。腕くらいの太さで100年をはるかに超える樹齢である。

97-8-10.jpg
 この少し先が横通岳(よことおしだけ)

97-8-11.jpg
 常念小屋に入る。

97-8-12.jpg
 二つの谷を隔てた向こうに槍ヶ岳が見える。
 明日はまず右手の方へいき、明後日はこの目の前の尾根を通り向こう側へ少し下り、槍ヶ岳に行く予定である。

97-8-13.jpg
 常念岳は途中まで登った。
posted by たくせん(謫仙) at 20:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 登山・ハイキング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月07日

足立郷土博物館

足立郷土博物館・東淵江庭園
 3月31日 足立郷土博物館へ行った。
「こち亀」で有名な亀有駅から北へ約2キロ。ゆっくり歩いて四十分弱。バスの便もある。

IMG_0809.JPG
 葛西用水、右は「葛西用水桜通り」
 この直線の葛西用水の桜はまだ三分咲きくらい。

IMG_0810.JPG
 カッパの抱えているのはナマズのようだ。

IMG_0832.JPG
 右の亀は本物、左の鷺は像。

IMG_0879.JPG
 この桜だけほぼ満開。

IMG_0838.JPG
 足立郷土博物館へ到着、小さな博物館である。

IMG_0841.JPG 800ピクセル
 今回のテーマは、「酒井抱一・谷文晁とその弟子たち」
 足立区に縁のある日本画家の絵を集めた。
 この日は無料であったが、入館料は300円。
 特に目を引いたのが、雪舟の阿育王寺伽藍(正式な名は何だったか)。「あいくおうじ」と仮名を振ってあった。
わたしは2007年に阿育王寺に行ったことがある。
  参考 寧波2寧波市と古刹 http://takusen.seesaa.net/article/61860489.html
このとき旅行団員は皆「あしょかおうじ」と読んでいたが、中国人ガイドは「あいくおうじ」と説明していた。
 間違いというわけではないのだが……。

IMG_0846.JPG
 博物館の裏側は東淵江庭園である。
 右へ歩く。

IMG_0849.JPG

IMG_0866.JPG
 庭園の最奥より。
posted by たくせん(謫仙) at 09:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 山房筆記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月05日

古い碁石

 旧聞になるが、今年の1月30日に、千寿会では新年会を兼ねてアンティ・トルマネン君の入段祝いをおこなった。その折、ある会員が古い碁石を見せてくれた。いつ頃のものだろう。

IMG_0777-1.jpg

昔の碁石は今ほど磨かれておらず、あるいは時代がついて、このように汚れが目立つのか。いずれにしても貴重な品である。ただ今では使いにくい。
 わたしは漢文や書道の教養がないが、「橘齊井上因碩」は読める。
 井上家では代々因碩と名乗ったので、名前だけでは誰だか判らない。手ががりは「橘齊」である。これで隠居後に幻庵を号とした幻庵因碩、つまり十一世井上因碩と判る。
 ネットで調べると「別号として橘齋もある」とある。さてここで問題なのが「齊」の字だ。
 齊 は整えるなどの意味があり、使い方は「一斉に…」など。
 齋 は部屋などの意味があり、 使い方は「書斎」など。
 はじめに戻って、橘齊の「齊」は「齋」が正しい。
 間違えたのか、書いた当時は、「齊」が「齋」の略字として通用していたのか。
posted by たくせん(謫仙) at 08:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 千寿会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする