2016年05月28日

海から何かがやってくる

海から何かがやってくる
薬師寺涼子の怪奇事件簿
田中芳樹   祥伝社   2015.9

 事件は南のリゾート予定地で起こる。
 飛行艇が海面50メートル辺りまで上昇したとき、海中からの水鉄砲のような水流で墜落。また150トン級の巡視船が水鉄砲のような水流で破壊される。こんなことが出来る怪物が相手にしては、結末はあっけない。巨大なナメクジ程度で、その退治の仕方も少し矛盾がある。ガムテープを投げるとか、ぐるぐる巻きにするとか。それから液体水素で凍らせるのは本当に出来るのか。もちろん凍らせるのは出来るのだが、ガソリンなみに発火しやすいはず。爆発しそうだ。
 地底の洞窟なのだが、そこから怪物はどうやって海に出入りしているのか。海の中なら海水が入ってくる。
 巡視船を破壊する水鉄砲のことも解明されず終わる。

 ストーリーはいつものごとく、中編小説並みで複雑ではない。
 また、いつもながら政権批判が痛烈で面白い。これがなかったら薬師寺涼子の魅力は半減する。今回はその量が多い。しかも核心を付いていて笑うに笑えなかったりするほど。だから現在の政治状況を理解していない方はおもしろくないかもしれない。
 今回は設定に疑問が多いが、だから怪奇事件だろうな。
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2016年05月24日

ああ知らなんだこんな世界史

清水義範   毎日新聞社   2006.8

 日本の世界史は西洋史がほとんどだ。しかし、世界は西洋ばかりではない。
 著者はトルコをはじめイスラム文化ゆかりの地を旅して得た驚きや発見をもとに、あまり日本人にはなじみがないイスラム世界を中心とした、歴史の一部分を取り出して書いている。

 なぜトルコが小アジアと呼ばれるのか。なぜ、スペインにイスラムのアレハンブラ宮殿があるのか。なぜギリシャ文明のギリシャ人と現在のギリシャ人が似ていないのか。
 エデンの園はどこにあったのか。マリヤが老後を過ごした場所など、なぜイスラム圏にキリスト教の遺跡が多いのか。
 ペルシャとは。
 イランやトルコはアラブではないとか。
 クレオパトラ(七世)は古代エジプト人ではなく、ギリシャ系とか。
 あるいはインドの古代史。
 こんな、知っている人には常識的な話でも、知らない人は驚くような話ばかり。
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2016年05月22日

愛と日本語の惑乱

愛と日本語の惑乱
清水義範   KKベストセラーズ   2008.11
 日本語に対する問題の疑問の出し方や見識がおもしろい。随筆や論文ではなく、小説の形で日本語を検討している。
言葉の変化、漢数字か算用数字か、コピーライターが編み出す斬新な言葉、言葉狩り、幼児語。
 外国のたとえば韓国や中国の人名や地名の読み方。「スタバる」「マクる」などの「ナニナニる」という新語。幼児の脳にははじめから文法の知識があるという説。
 数字に対してはわたしも悩んだことがある。20年か20年か二十年か二〇年かなど。
 中国人名に対しては前に書いたことがある。
岡崎先生が、初めて翻訳した「書剣恩仇録」では、主人公陳家洛を「チンカラク」にするか「チェンジャールォ」にするか迷ったという。結局は時代劇なのでチンカラクにした。回族の霍青桐はホチントンとする。こちらは漢字の日本語読みではおかしいので妥当な読みだ。 

 そんな話を著者らしい裁き方で展開していくのだ。
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2016年05月17日

上高地2 明神

上高地2 明神

 2日目は2班に分かれ、わたしは探花会会長とふたりで明神池を目指して歩き出す。

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 途中で見たニッコウキスゲ群生
 この時初めて日光黄菅(ニッコウキスゲ)を見た。日光地方に多いらしいが、あちこちにある。

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 クローズアップしてみると少しピンぼけ。

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 これは名を知らない。(アマニュウらしい)

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 途中で見た洒落た建物。帝国ホテルであろうか。

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 穂高連峰の上部は雲の中。7月というのにかなり雪が残っている。

 河童橋から明神池までは1時間程度の距離だ。

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 明神池の水は澄んでいる。

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 この池は明神岳の土砂が川をせき止めてできたという。明神岳は穂高連峰の一番手前の山である。

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 ここにいる鴨は渡りをやめて留鳥になってしまった。夏でも涼しいからであろうか。

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 ここには穂高神社の奥宮があり、明神池は神域となっている。
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 明神橋は吊り橋である。上を通るとけっこう揺れる。両岸は護岸工事のあとが新しい。

 槍ヶ岳登山の帰りに明神に来たときは、食堂や土産物屋が密集し、観光地化していた。

今回で、「たくせんの雲上世界」から「雲外の峰」への引っ越しは完了しました。

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2016年05月14日

上高地1 大正池

上高地1 大正池
 1981年の夏、ネガフィルムによる撮影である。
 夜行の列車に乗り、新島島からバスに乗り、朝早く上高地に着く。時間など詳しいことは覚えていない。

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 朝靄の中で大正池を望む
 バスから降りて、大正池に向かう。当時の大正池はこの枯木立が象徴であった。いまではほとんど消えてしまった。
 当時は上高地を詳しくは知らなかった。どこかで名前だけは知っていたかも知れないが、それがいかなる所か知らなかったのだ。

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 池の向こうに朝日がさす。このもやは池の蒸気だろうか、下の方ほど濃い。
 この旅行の数年前に友人が一眼レフを買って、要らなくなった古いカメラをわたしが譲り受けた。それで多少カメラの使い方を覚えたころ、一眼レフオリンパスOM2Nを買った。これは最後のマニュアル機ともいわれている、珍しい絞り優先であった。オート露光の機能はついているが、焦点は自分で決める。
 上高地の撮影は、OM2Nの使い初めであった。

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 間もなく遠くまで見えるようになってきた。
 作家の夢枕獏さんが、もっと上流の山小屋でアルバイトをしていたのはこのころだろうか。もっと前かな。獏さんの当時の写真はプロ裸足。初めからポジフィルムを使っている。わたしは紙焼きのこともあって、ネガフィルムを使っていた。

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 指導標にはなんと書いてあるのだろうか。穂高の峰は近い。

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 少し上流に歩くと池というより川に近くなる。この川沿いの道を遡ると槍沢沿いに槍ヶ岳に行く。穂高岳を右にまくような道である。

 上高地は、穂高連峰の直下といえる位置にある。

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一日目は穂高の山並みがはっきり見えた。こうして急峻な峰が間近に見えるのは貴重な体験。

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田代池から流れ出た川。日差しがおだやかで、わたしのお気に入りの一枚である。
カメラのカバーをこの砂地に置いて写真を撮っていたのだが、十分後にはなくなっていた。

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振り返れば焼岳が見える。大正池はこの焼岳の噴火によって川がせき止められてできたもの。この山は活火山である。今でも煙を噴き上げているはず。
その夜は中の湯温泉に泊まった。ここは焼岳登山の基地でもある。
夕食をあまり期待していなかったわたしたちは、鯉の唐揚げを頼んだ。それが普通のおかずだけでたっぷり、そこに大きな鯉の唐揚げが出て、食べきれないほど(^_^)。それでもなんとか食べてしまった。
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2016年05月10日

姜維伝

姜維(きょうい)伝
諸葛孔明の意思を継ぐ者

小前 亮   朝日新聞社   2010.3

 諸葛孔明死後の蜀漢の動きを書いている。
 三国志における蜀漢は一地方政権に過ぎないが、国是に漢の復興を掲げていた。そのため、力がないにもかかわらず、漢の復興の手始めとしての形だけの北伐を繰り返していた。そこは魏の辺境である。諸葛孔明が亡くなっても、姜維が後を継いで北伐を繰り返し、国力を損耗していった。結果、蜀漢の滅亡を早めることになる。
 姜維(きょうい)は降将である。諸葛孔明に心服していたが、諸葛孔明の死後は都に居場所がなかった。そのためもあって常に戦場に身を置こうとしていた。そして自ら戦いを求め、魏の二将に攻め込まれて、蜀漢は滅ぶ。
 そんな姜維の心の動きが、納得できるのだ。後の歴史を知っているわたしには共感できないが、あの時代としては、復漢を心の糧として、国をまとめたのかもしれない。
 魏は国力があり、魏の将軍は蜀軍に負ける心配がなく、蜀を倒すことより、自分たちの派閥争いが中心となっていた。それだけ力の差があったので、劉備の時代ならともかく、劉備と孔明の亡き後の世代の蜀の高官たちが北伐を止めようというのは当然である。
 それでも北伐を続けた。そんな姜維の物語。
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2016年05月05日

暖かいざるそば

暖かいざるそば

 駅の近くに天丼屋(天麩羅屋?)がある。わたしも時々入る。天丼を食べている人が多い。
 わたしがいつも頼むのは「天ざる」だ。このとき、若い店員に「ソバですか、ウドンですか」と訊かれる。関東では蕎麦だが、関西では饂飩と聞いたことがある。これは人によって違うので、確認するのは仕方ない。ここは関東だから蕎麦というわけにはいかない。
「ソバにしてください」
 重ねて訊かれる。
「暖かいソバですか、冷たいソバですか」
 このとき、答えに詰まってしまった。わたしは芯まで冷たくしたのは好みではない。家で食べるときは、茹でた蕎麦をぬるい湯でさっと洗うだけで冷やさない。そばつゆもちょっと暖める。電子レンジで20秒ほど。つまり冷蔵庫から出した冷たいままではない。しかし、店でそんなことをするだろうか。
「冷たくないソバにしてください」
 出てきたのは「かけそば」だった。
 わたしも学習するので、こんな失敗は一度だけ。次の時からは「天麩羅ざるソバ」という風に注文している。暖かいざるソバとは言いにくい(間違われそう)ので、訊かれたときに「冷たいのを」と加えている。
 ただし、店員にもよる。ベテランの店員だと「天ざる」で通じる。それでも「天もり」が出てくる。これはわたしが悪い。メニューに「ざる」がなかった。
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2016年05月01日

硫黄岳

八ヶ岳 硫黄岳
1983年8月、わたしが八ヶ岳を登り始めたころの登山記録。一行は4人であった。
 夜行で行って、早朝に茅野につく。
 茅野駅から美濃戸口までバスがある。美濃戸口から歩き始めて一時間ほどで美濃戸山荘につく。ここで一休み。
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 ここから道は行者小屋にいたるコースと赤岳鉱泉にいたるコースに分かれる。われわれは行者小屋コースを上る。

 行者小屋の前で昼食、上り道のかなり低いところを動くものがいる。それから10分ほどでひょいと、わたしの目の前に顔を出した。

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 オコジョであろう。カメラを取り出し数回シャッターを切った。ちょこちょこ動くので合わせるのが難しい。すぐにいなくなった。
 それから数分したころ近くで大騒ぎをしている。このオコジョがまだ近くにいたのだ。
 そこで昼寝などして、赤岳鉱泉に向かう。
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 右手にはノコギリの歯のような横岳が続く。左に一際目立つのは大同心。
 赤岳鉱泉で一泊し、次の日は硫黄岳(2760)を登る。

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 向こうの稜線がはっきり見える。硫黄岳から横岳へのコースであった。稜線上に登山者がいる。

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 主峰の赤岳(2899)がそびえ立つ。左の直下に小屋が見える。赤岳天望荘。
 赤岳頂上には赤岳頂上小屋があるが写真では見えない。

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 硫黄岳への最後の登り。

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 北側を見る。フタコブラクダの背のような山は天狗岳(西天狗2645)。その向こうの山は蓼科山であろうか。距離はかなりある。

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 中央に赤岳、左は横岳、右手の半分見える山が阿弥陀岳。
 赤岳と阿弥陀岳の間には小さく中岳がある。
 赤岳・中岳・阿弥陀岳は別なときに登ったが、かなり急で壁を登るような感じ。高所恐怖症の人には向かない。

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 硫黄岳から横岳への道。横岳は危険な鎖場があるというが、わたしはまだ通った(登った?)ことがない。

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 硫黄岳の火口を覗くが、ここだけ雲が濃く見えなかった。垂直に切り立った崖状である。

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 硫黄岳の頂上は小石が多い。その直下の小石の間に咲く駒草。薄い雲の中で暗かった。

 これから夏沢峠をえて本沢温泉まで行き泊まる。ここは山小屋を兼ねた温泉宿である。
 夕食時に、岩魚(?)の塩焼きが出たが、それ以外にも食べるものがあったので、訊いてみた。
「これを部屋に持って行って、飲みながら食べたいが、いいだろうか」
「それは困りますよ。まあ黙って持って行って、あしたの朝食の時に、知らんふりして皿を返しておけば、わたしたちにはどうしようもありませんが」
「駄目ですか」
 阿吽の呼吸である。三人が部屋に持って行ったが、一人は食べてしまった(^。^)(^。^)(^。^)。
「あれは、『そうしなさい』と言ってるんだよ」

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posted by たくせん(謫仙) at 07:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 登山・ハイキング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする