2019年07月22日

世界の囲碁ルール

        6月29日記
        7月22日訂正
世界の囲碁ルール
 王銘琬   日本棋院   2019.4

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(本の紹介で、書評ではありません。感想も入れてありますが)
 この本はわたしの予想とはかなり違った。
 世界の囲碁ルールではなく、「囲碁ルールの世界」というべきだろう。
 中心となるのは、いわゆる日本ルールと中国ルールの話である。

 日本ルールといえば地を数える、中国ルールといえば石を数える、といわれているが、それは誤解で、両方とも地を数えている。その数え方が違うのだ。
 日本ルールでは最後にアゲハマを盤上に戻す。結果、盤上の石数は同数か黒が1目多い。判っているのでいちいち数える必要はなく、地だけ数えればよい。
 中国ルールではアゲハマのかわりに、石全体を数えて地の差を数える。

 昔、切賃というルールがあった。
 最後に生きるための2眼(2目)を残さねばならない。石群ごとに2目必要になる。
 最後まで打って石を数えればよいが、それは面倒なので地を数え、そこから生きるための2目を引く。それを切賃という。
 つまり石数を数える便宜的な方法である。この切賃のあるルールが、石を数えるルールだ。日中ともに古い碁にある。
 ところが現在は、中国ルールといっても、生きるための2眼まで数える。つまり、地を数えるに等しい。
(これらの話は、中国ルール側で逆に考えても、成り立つように思える。「日本ルールも石を数える」に等しい)

 王銘琬先生は台湾で育った。台湾では碁会所によって、日本ルールだったり中国ルールだったりする。それどころか人にもよる。いちいち、対局前に確認しなければならない。それはアゲハマを戻すか確保するかの差になる。だから環境がよければ日本ルール、悪ければ中国ルールだ。
 環境が悪いとは、たとえば、まわりで遊んでいる子供がアゲハマをひっくり返す。あるいは遊びのために持って行ってしまう。しかも賭碁が多い。こんな環境では中国ルールだ。
 ところが日本では賭碁は滅多になく、碁の環境が整い楽しみで打っている。楽しんで打つ環境では、日本ルールが優れている。

 ここで、中国ルールの場合、最後に黒が打った場合は黒は1目減らす。これを「収後」といい、結果は日本ルールと同じになる。全く問題はない。
 現代の中国ルールは「収後」を廃止した。そのため、日本ルールとは差が生じるようになった。

 これら以外の差は、混乱を防ぐための便宜的なルールだ。
 例えばセキの扱いとか、スミの曲がり四目とか。
 昔は、「取らず三目」というルールがあった。日本ルールの不合理さの象徴といわれている。しかし、かなり前に改訂されて現在は存在しない。このことは日本でもあまり知られていない。日本国内に限らず、世界に向け強く発信すべきだ。

 滅多に起こらない特殊ケースは、ルールで説明できなくてもよいではないか。
(重要な対局のためには、ルール化してほしい。できれば世界共通に。わたしなどは問題の意味さえ理解出来なくて、一度も体験したことがないので、ルールで説明できなくてもよいにしても)

 今、囲碁AIが碁界を席巻しているが、これは中国ルールで開発されている。囲碁AIには日本ルールは理解が難しいらしい。
 日本ルールは相互の合意によって終局とする。合意を取ることがAIは苦手なのだ。
 中国ルールは最後まで打つことを前提にしている。そのため、終局の合意を求めてパスすると、中国ルール育ちのソフトは、パスできず自滅する話は興味深かった。
 日本ルールで開発すれば問題ないと思える。
(王銘琬先生は、情緒的に考える傾向もあるようだが、アマには判りやすい説明だ)

 連続3回パスで終局とするのが論理的。劫立てでパスすることがあるので、連続2回では問題が起こる可能性があるのだ。
(日本棋院「幽玄の間」では、連続2回で終局できるようになっている。問題が起こったという話は聞かないにしても)

 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

 わたしは今までいろいろと、碁のルールの疑問を取り上げてきた。それらの集約的なルールの考え方の本であった。

中国の碁のルールの変遷   http://takusen2.seesaa.net/article/199633254.html
中国の碁のルールの変遷 追記 http://takusen2.seesaa.net/article/377295340.html
還珠格格の碁 http://takusen2.seesaa.net/article/196216473.html
還珠姫の碁  http://takusen2.seesaa.net/article/198636016.html
時間切れ負け制の終局問題 http://takusen2.seesaa.net/article/178300376.html
アジア大会で時間切れを狙うプロ棋士がいた
      http://takusen2.seesaa.net/article/170248272.html
終局の仕方 http://takusen2.seesaa.net/article/132071655.html
中国ルール http://takusen2.seesaa.net/article/132154166.html
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2019年07月21日

奈良12 余録

奈良余録

 まとまった量はないが、残った写真を並べてみます。

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 円窓亭
 博物館の南、浮見堂の近く。

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 荒池から鷺池へ行く。鷺池を横切って浅茅が原・浮見堂がある。

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 元興寺に行く途中の街角。

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 入江泰吉記念奈良市写真美術館。新薬師寺の近くにある。

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 下の禰宜道(ささやきの小径)の古藤。
 春日大社の神官の通勤路であった。

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 春日大社に参拝した。

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 境内の大杉、樹齢は約千年。
 根元にあるのは岩本神社、これ以外にも垣内に十五神社あり、若宮辺りにも15社
 全部併せて春日大社である。わたしのような不信心者には理解不能。法人格は別々だろうか。

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 若宮神社への道。奥からから春日大社方向を見る。

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 周辺には大木が多い。

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 東大寺戒壇院の庭。

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 戒壇院の四天王像には圧倒される。厳しく整って、個性がある。
 塑像である。前に見たときと比べて埃が目立つ。
 戒壇院を管理している女性に訊いてみた。
「国宝なので、触ることはできないンです。うっかり触って剥がれ落ちたら大変です。風を当てることもできません。乾燥して、目に見えないほど小さな部分が吹き飛ぶかもしれません。だからいくら埃がたまっても、そのままにしておくように言われています。大仏の様な金属なら掃除できるのですけど」
 あちこちの塑像を見るとき、いつも埃がたまっているのを納得した。

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 春日野園地。若草山下の広場は、東大寺南大門の東、百メートルほど。
 鹿には煎餅より若草が似合う。

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 帰りに見つけた出店。中国語と日本語を並べている。ビールの文字が楷書体にないので明朝体を使っている(^_^)。

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 郡山城を目指す。

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 天主台が復元補修されている。戦国の世にこの城を作るとき、石の地蔵まで石垣に使っている。

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 逆さの石地蔵が、わずかに見える。いかに急造だったか判る。

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 今でも堀の石垣を補修している。

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 歩いて大池に来た。

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 グーグル地図の写真だが、大池から見た薬師寺。
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2019年07月18日

奈良11 唐招提寺

唐招提寺

 薬師寺を出て、唐招提寺に行く。
 鑑真和上(がんじんわじょう)で名高い寺である。

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 この道を通り北へ五百メートルほど歩くと、唐招提寺につく。

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 門にも円柱が使われている。

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 金堂
 国宝である。重厚で質素なイメージがした。鑑真没後に建てられている。
 ここでは若い中国人らしき人が多かった。中国人は仏閣には興味がないと聞いていたが、意識が変わったのか。例外か。

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 ギリシャの宮殿のような円柱が特徴である。
 もちろん木の柱である。

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 経蔵
 日本最古の校倉、宝蔵とともに国宝。

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校倉造りの建物が二棟並んでいる。向こうが宝蔵で、その先を右に行くと、新宝蔵がある。
 新宝蔵はかなり充実している。ガイド(?)がいて、説明してくれた。
 開館期間が限られる、というより、夏と冬は開館しないので、見たい人は確認してください。正月は開館します。

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 礼堂と東室が続いている。
 僧坊であった。北と西にもあったが、現在は東だけが残っている。

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 鑑真和上御廟

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 御廟前

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 戒壇であるが、台の上の建物は火災により焼失、1978年(昭和53年)に宝塔が築かれた。インド様である。

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 金堂の前面、八本の円柱が目立つ。

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 時間がなく、ここまでで終わりにしたが、講堂や鼓楼なども他にもいくつか見たいところがあった。
 急ぎ足のため、写真を撮り損ねたところが多く、自分ながら満足できない紹介になった。この寺も前回見た記憶と一変している。いかに記憶とは曖昧なものか。
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2019年07月14日

奈良10 薬師寺

薬師寺

 薬師寺は飛鳥の地に建立(698年ごろ完成)されたが、平城京遷都(710年)に伴い現在地に移された。
 南都七大寺の一つである。
 戦国時代の1528年に戦災に遭い、東塔以外は焼け落ちてしまった。
 1967年(昭和42年)に白鳳伽藍の復興が発願された。1981年(昭和56年)に西塔が再建され、2017年(平成29年)に食堂(じきどう)が再建され、堂宇がよみがえった。
 現在は傷んだ東塔の解体修理に取り組んでいる。

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 白鳳伽藍の北に玄奘三蔵院伽藍があり、広大な地域である。
 西ノ京駅で降りて、北受付から入る。
 南門が本来の正門であり、西ノ京駅からは、裏から入ることになるので、紹介の順序が普通とは逆になる。

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 案内に沿って、東僧坊を抜ける。

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 東僧坊を南側から見る。

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 食堂(じきどう)。金堂の北側にある。
 ここは2017年(平成29年)にできたばかり。本来は食堂だが、再建した現在は、名は食堂でも多目的な用途に使うと思われる。今は田淵敏夫の「仏教伝来の道」の絵画が展示されている。
 遣唐使が船出して帰ってくる。その日本の各地の様子である。

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 大講堂
 最大の建物である。仏道修行の場であり、金堂より大事な場所である(はず)。

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 金堂
 薬師寺の名のもとになった、国宝の薬師三尊像を納める。
 薬師如来の両脇に日光菩薩・月光菩薩がいる。

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 鐘堂は目立たない。
 普通は高いところにあるが、ここでは、地面と同じ高さにある。

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 東塔、現在は解体修理中。

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 東回廊、東塔の東側にある。

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 東院堂
 鎌倉時代の建物で国宝である。
 中の聖観音菩薩も国宝、白鳳時代。

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 東院堂は中に入って見学ができる。
 この日は高校生らしき一団に説法をしていた。

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 東院縁起

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 竜王社
 西には若宮社、南門の外には八幡宮や稲荷神社もある。

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 南門、堂宇の配置から考えて、この南門が本来の正門であろう。
 中を通り、北に戻る。

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 中門
 南門から入ると、中門の向こう正面が金堂である。

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 中門
 中に入ると、左右に三重の塔がある。

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 中門の仁王

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 三重塔、各階に裳階(もこし)があり、六重にも見えるが、裳階は小さい。
 フェノロサに「凍れる音楽」と激賞されたとか。もっとも出所は不明らしい。薬師寺の説明にはない。

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 こう見ると三重であることがよく分かる。

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 金堂にも三重塔と同じく裳階(もこし)がある。

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 大講堂を南側から。これにも裳階がある。

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 振り返って、金堂と西塔。

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 北受付の出入り口から出て、北側の玄奘三蔵院伽藍の地域に入る。

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 空間たっぷりの敷地だ。

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 玄奘三蔵院
 中に大唐西域壁画殿があり、平山郁夫の三蔵取教の旅の絵がある。

 こうして見所たっぷりの参拝であった。
 寺全体を作り直したと言っても過言ではない。前回見たときから残っているのは東塔と東院堂だけだろう。
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2019年07月09日

奈良9 白毫寺

白毫寺・新薬師寺

 新薬師寺に参拝して、さほど遠くない(1キロくらい?)、白毫寺(びゃくごうじ)に参拝した。
 高円山のふもとにあり、境内からの展望はよい。
 伝承によれば、白毫寺の地には奈良時代に志貴皇子の山荘があったとされ、没後に寺になった。鎌倉期に再興され白毫寺となる。

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 この突き当たりが白毫寺の入り口。

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 タクシーで来た二人は、元気に階段を上っていった。
   ながめのよい花のてら 白毫寺

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 山門

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 山門を通りさらに上る。参拝受付はこの上。

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 本堂
 戦国時代に戦災に遭い、江戸時代の初めに復興された。
 装飾のほとんどない簡素な建物である。装飾は写真に見える程度である。

 写真はないが、本堂の裏手に宝蔵があり、自由に見ることができる。優れた像が多い。

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 奈良市一望と言いたいが、どこだか判らない。

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 狭いながらも石庭がある。

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 十王地蔵。この右に小さな石像が続く。

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 石仏の道

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 不動明王は、かなり欠けて形が定かでない。
 右の小さな像は、新しくはっきりしている。

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 失礼ながら、ほとんどは見るべきほどのものはない。こう考えるとき、わたしに宗教心がないことを自覚する。

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「白毫寺」と名付けられた大椿。樹齢約五百年と推定されている。

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 石仏の道の終わり、この階段の上右に大椿がある。

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 天然記念物の五色椿

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 白・紅・紅白などに咲くという。

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 近くに別な椿がある。

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 いくつか落花していたが、形の整ったのはこの一輪のみ、写真では真っ白に潰れてしまった。
 大きな八重椿である。
 最後の一輪か。上の写真の左の樹に咲いた花と思える。

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 志貴皇子をしのんだ万葉歌碑

  高円の野辺の秋萩いたづらに咲きか散るらむ見る人無しに

 さほど古いとは思われなかった。

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 今回の旅行で、イチハツ・アヤメ・カキツバタ・ハナショウブの区別がつくようになった(と思う)。

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 満足して長い階段を下る。

 知っている人には余計な説明だが、白毫とは何か。
 仏には身体時特徴として三十二相 (三十二相八十種好 )が備わっている。そのうちの一つで、額の白い毛である。巻き毛になっていて、光を放ち世界を照らす、第三の眼のような枠割りをする。
 他には、指の間に水かき(のようなもの)がある。
 頭の中央が大きく盛り上がっている。(ヘアースタイルではない)
 足裏には太陽の印がある。(仏足石にある)
 舌は長広舌である。(長く広いの意味で、おしゃべりの意味ではない)
などだが、どうでも良いようなものもある。
 三十二相八十種好から「相好を崩す」という言葉が生まれた。
 古代インド人は何でも数字でまとめることが多い。記憶のためであろう。たとえば苦しみは四苦八苦のように。32相80種好も、無理矢理数合わせで、これだけ思いついたようなもの。

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 白毫寺への道の途中で新薬師寺に参拝する。
 新とは「霊験あらたか」の意味。創建は747年で、大寺であったが、落雷や台風で、多くの堂宇を失い、今の本堂だけが残っている。
 南門から入った。

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 本堂、創建当初の建造物。国宝である。
 中には中心に円形の土壇があり、薬師如来座像(国宝)と、外側に向って十二神将が安置されている。
 前に来た記憶では、土壇には薬師如来だけかな。四方の壁に十二神将が中を向いて安置されていた。移動したのか、記憶違いか。

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 地蔵堂
 鎌倉時代の建物。中は見なかった。

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 ここから庫裏に行く。

 このほか、鐘楼、南門が鎌倉時代の建物。
 東門は南門より古く、いずれも質素な作りだ。なんと写真がない。

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2019年07月06日

奈良8 元興寺とその周辺

元興寺とその周辺

 奈良の古地図を見ると、4大寺が目に入る。
 東大寺・西大寺・興福寺・元興寺(がんごうじ)などである。
 元興寺は今は大きくはない。
試しにグーグル地図で、元興寺と元興寺町を検索してみるとよい。百メートルも離れていてびっくりする。元興寺町は元興寺の南大門のあったあたり。
 元興寺の旧域は南北に約五百メートル・東西に約二百五十メートルあったという。

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 東門、重文である。もと東大寺にあった門を、1411年に極楽坊の正門として移築した。
 1977年、名も元興寺極楽坊から元興寺に改めた。最近のことである。
 元の元興寺は飛鳥寺を移築した。その一部が残って極楽坊となった。元の元興寺とは異なる寺といえるだろう。そして名を復元した。

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 極楽坊、国宝である。本堂として使われているが、僧坊を改造した建物。

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 法輪館、仏像などの収蔵室である。二階からとなりの建物へ行くと、灯籠の絵の展示場がある。多くの著名人の名が見られる。

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 極楽坊を横から

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 右 極楽坊。左 禅室。
 禅室は極楽坊の後ろに続く。注目すべきはこの屋根瓦である。日本の瓦ではもっとも古いといわれている。
 禅室は戸で塞がれていた。

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 浮図田
 境内に積み上げられていた石を、1988年(昭和63)、現在の形に並べなおした。

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 ここを歩くと身が引き締まる想いがする。

 続いて、寺の周辺を歩く。
 緩い坂道が多く、道も狭い。もと元興寺の境内や周辺で、元興寺の建物の形に添って道ができて、複雑な形をしている。古い街でもある。以下説明はなし。

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 駅近くの商店街に戻ってきた。

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 商店街にサテライト放送局がある。
 今の道の混み具合を放送していた。
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2019年07月04日

奈良7 歌姫

歌姫

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 水上池の西側。細い堤で南北に区切られ、その北側の池である。
 平城宮の北に東からウワナベ古墳・コナベ古墳・水上池と並んでいる。
 水上池の北にはヒシャゲ古墳があるが、整備されていないので、ほとんど見えない。二重堀の大きな古墳だ。

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 ヒシャゲ古墳
 南西の隅っこを見ただけだが、一周すれば何か見えるのかもしれない。この辺りには古墳が群れている。

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 ハシガミ池の東側を通る。

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 個人の家と思うが、品のある小径だ。

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 歌姫は観光地ではないが、一帯は開発が規制された里山があり、古い農村風景を残しているので、静かに見させていただく。

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 グーグルカメラも入らない細い道だ。迷路のようで迷いそうになる。

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 添御縣坐神社
 この町の心の中心であろう。
 右側の道は歌姫街道といわれる重要路だった。奈良と京都を結ぶ。

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 この神社も由緒のある神社だが、知らなかった。写真を整理していて知る。

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 少し歩くと狭い農地がある。

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 この先をさらに行くと、広い畑地に出る。

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 主要路の歌姫街道さえ狭く単車線だが、歌姫町を出ると二車線になる。この丁字路の手前右側は町外である。(この写真はグーグル地図より)

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 このバス停は町外にある。ここが終点だ。折り返しの場所が町内では作れないのだろう。ただしバスには乗らず、西大寺駅まで歩いた。
 平城駅を目指したのだが、ケータイの地図の見方を間違えた。まだ慣れていない。
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2019年07月03日

奈良6 平城京跡遺構展示館

平城京跡遺構展示館

 東院庭園から北へ歩くと遺構展示館がある。

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 推定宮内省
 
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 こうして建物の跡に、柱の位置を示す刈り込んだ樹が植えられている。

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 復元された推定宮内省の門。

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 中の建物は壁は一部分しかない。雨風には困っただろう。
 大極殿さえ前方は壁がない。

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 遺構展示館内には、こうして当時の基壇を見せている。
 三重になった柱の跡まで判る展示もある。
 館内での写真はないが、禁止ではなかったらしい。結構見所がある。

 最後になったが、平城京跡は世界文化遺産に登録されている。
 決め手となったのは大量の木簡である。書かれた文字は当時の様子を表している。
 ここらは田圃であったことから判るように低湿地である。湿地に埋まった木簡は腐らず千年前の姿を保つ。
 保管するにも水の中であり、空気にさらすとすぐに朽ちてしまう。
 平城京跡資料館で、その様子がよく判るように展示されている。

 このあと北上し、歌姫まで行った。
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2019年07月01日

奈良5 平城京跡東院庭園

平城京跡東院庭園

 朱雀門の内側を東に行く。

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 赤字の部分4カ所が復元されている。他は遺跡であり、現状は野原や田圃である。
 右下の東に突き出た部分が東院である。

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 歩く人は滅多にいないような道を歩く。他に整備された路がある。

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 東院庭園に来た。正面が庭園入り口。ここは宮域が東に突き出た所。
 右手が東院南門である。

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 東院南門内、西の方向、つまり入ってきた道である。道の突き当たりが東一坊大路。

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 東院南門、門外の東の方向、ここは宮外であろう。

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 庭園を入ると狭いながら、浄土庭園のような庭園がある。当初は中国式で、第二次の頃に和風庭園に変えた。

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 庭園の門から入って、左回りに見ていく。

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 四阿のように壁がなかったらしい。展望台のようなものか。

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 水はきれいとはいえない。

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 板塀の向こうは宇奈多理神社である。といっても参拝はしなかった。
 宇奈多理神社は式内大社らしいが、起源ははっきりしない。

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 振り向いたのだが、意外に広く感じる。

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 せっかくここまで再現しながら、水質がどうも……。

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 ほぼ一周した。形から考えて、当初からこのような形であったのか、疑問が起こる。
 宇奈多理神社に敷地の一部を侵食されたか。
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