2019年09月26日

小田原 土塁

小田原 土塁

 土塁の前に小田原を潤した上水道を見る。

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 早川に堰を作り、一部を分流させた。
 右が城下への分流である。

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 取水口の様子である。現在はほとんど流れていなかった。

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 取水口から下流を見る。

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 ここから土手(国道)の下をくぐり、城下へ続く。
 写真を撮り損ねたが、狭い水路であった。
 この水路が江戸の上水道の原点という。

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 小田原城は総構(そうがまえ)で知られている。城下全体を守っている。秀吉の小田原攻めに備えた。これを知った諸将は、小田原の戦いの後、自らの城下にも総構を施した。
 会津では役に立たなかったことは前に書いた。守る兵がいなかったのだ。

 ところでわたしは何度か中国旅行をしているが、中国の城とはこの総構である。それはレンガや土の塀である。だから城とは総構の都市を指す。戦国時代の人も知っていたはずで、これまで総構の考え方がなかったのが、不思議に思えるほど。日本なりの事情があった。
(以下、グーグル地図を見ても判りにくいが、★印で検索すると出てくる)
 
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 国指定史跡 小田原城跡 総構 城下張出(平場)★
 小田原の前は海、後ろは丘陵。その丘陵に施した総構(そうがまえ)の一部である。
 城下張出(しろしたはりだし)とは、突出した部分で、総構に取り付く敵を横から攻撃した。

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 ブラタモリで見たような…、ここから堀を見る。

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 総構 城下張出(堀)
 調査の結果、総構の土塁の一部がある程度判ってきた。
 一帯は立ち入り禁止である。ポリの紐で囲っているだけなので不心得者は入ることができるが、あえて入る気はしない。このときはわたしひとり。

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 違った位置から。

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 大きく巻いて、下に降りて、脇から見る。
 民家が映り込むのは申し訳ない。

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 近くの畑であるが、ここは堀を埋めた。その跡が階段状の農地になっているが、判りにくい。

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 三の丸外郭 新堀土塁 ★
 ここは総構を構築する前からあった。総構ができて、その内側の堀となった。

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 段になっている。

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 一番上はこんな石がある。建物の礎石だろうか。

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 高低差はさほどではない。上からは見晴らしはよい。鎧武者が歩いて上るのは無理だが、もう鉄砲の時代である。
 見張りと砲台の役目であろう。

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 四角くへこんでいるのは建物の跡か。

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小峯御鐘ノ台大堀切東堀 ★
こみねおかねのだい

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 三の丸外郭 新堀土塁に隣接して総構の堀切がある。

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 この空堀の説明。

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 かなり急な空堀だが、秀吉の大軍を前にして、役に立ったのだろうか。
 秀吉には、一夜城を作る土木力があり、戦いに備えていても、戦闘のない十万を超える兵士がいる。その力で数ヶ月かければ、これら堀を埋めて崩してしまえるのではないか。
 そもそも秀吉の戦いは、兵を死なせない戦いである。戦闘はできるだけ避けた。兵糧攻めや水攻めである。そのためには金を惜しまない。
 それまでの戦いは遠征軍は補給が続かないため、短期決戦で乗り切ろうとした。しかし秀吉軍は補給は問題ないので、決戦はせず、にらみ合うのみである。却って籠城軍の方に補給の問題が生じる。
 こういう空堀は、短期決戦のときには役に立つだろうが、長期に渡ってにらみ合う場合は効果が薄い。もしかすると秀吉は、逆に城を包囲する堀として利用した可能性も考えられる。

 この右が、城山公園である。なんと立ち入り禁止になっていた。

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 大外郭堀 ★
 少し戻って西へ行くと、未調査の空堀がある。
 大外郭堀である。
 下は山道らしき道があるようだ。行きたいと思わなかったが、写真で見るときちんとした道がある。降りて見ておくべきだった。

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 堀の土を盛り上げた。

 引き返すと、森のの中にも堀があると説明があるので入ってみた。

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 小峯御鐘ノ台大堀切東堀の北の端か。
 これが堀の土を盛り上げたのであろう。この左が堀である。右側は民家である。
 
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 急な斜面の下は堀であるが、山道らしい。さほど深くはない。

 ここから民家の前の道に出た。
 一時間ほど山の中をさまよったような気になったが、地図で見ると、民家と畑の間にある細い藪を歩いていたようだ。(^_^)。

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 山ノ神堀切 ★
 未調査である。当然もっと深かったはず。

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 山ノ神堀切の向こう側、脇に詳しい説明がある。

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 先に触れた城山公園だが、立入禁止になっている。これもポリひもで囲んであるのみ。自由に出入りしている。
 禁止理由は、「先の台風で枝が折れたりしていて落下の危険がある」という。
 一目見て、こんな安全な山は滅多にないと思うが、実はここは山の中ではなく、住宅街の中の公園であった。
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2019年09月22日

小田原

 9月14日小田原に行く。

 小田原の手前の駅で、派手な衣装で派手なメイクの若い女性たちが乗り込んできた。衣装の背側には「疾風乱舞」の文字が躍っている。
 小田原の駅で、9月14〜15日の二日間、「第21回えっさ“ホイ”おどり」のイベントがあることを紹介していた。

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 ホテルに荷物を預け、小田原城へ向かう。

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 お堀の外側を正門の方へ歩いて行くと、様々な衣装の人たちに会う。その人たちは、この「学橋」から入っていく。
 わたしは少し先の馬出門から入る。

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 この辺りに来ると、あの歌をアレンジした、歌声が繰り返し流れてくる。
♪えっさほいさっさ
♪えっさほいさっさ
♪えーさ、えーさ、えっさほいさっさ

「えっさ“ホイ”踊り」はこの歌を基調にした踊りだったのだ。

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 馬出門から馬屋曲輪へ

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 住吉橋

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 銅門を通ると、ここが第二会場だった。

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 100チームを遙かに超える予定表があるが、1チームが2回ないし3回出ているので、チーム数は判らない。50チーム以上と思える。4年前に50チームを超えたという。

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 銅門に上る。

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 木立の向こうが二の丸跡で、第一会場。
 
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 第一会場には屋台が多く、テントの向こうに舞台が設置されている。
 お堀端通り会場(15日のみ)と栄町会場もあるが、様子は判らない。

 イベントはここまでにして、天守閣へ向かう。

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 イヌマキの巨木の脇を通り

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 常磐木門

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 新しくなった天守閣
 城が大きいのに天守閣は三層なので、小さく見える。しかし、各地の天守閣と比べると、小さくはない。
 手前の広場は本丸の跡。

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 手前の松に気をとられたが、向こうの巨木は何だろう。写真を見て気がついた。

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 天守閣に入る。模型があった。これで見ると昔は学橋はない。

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 手前の鉄塔が建っている山が一夜城の石垣山。
 実際には築城は約八十日かかったらしい。それを隠していたのが通説らしいが、本当に北条方は気づかなかったか、疑問に思っている。

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 真鶴半島、その向こうに霞んでいるのは伊豆半島。
 大島ははっきりしなかった。

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 遊園地の近く。天守の裏の方の石垣や土塁。

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 正面とは趣が異なる。

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 北入口の道の脇、よくぞここまで育った。


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 城内の郷土文化館前のクスノキ
 郷土文化館の見学者はわたしひとり。

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 市中も歩いた。ここはかまぼこ通り。趣のない街だった。
 昔はこの通りが繁華街だったのではないか。工場は残っても販売所は移動したか。
 浜が近い。浜は砂ではなく小石の浜であった。

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 これは実用の鐘であったが、わびしく立っている。
 昔日の大手門に近い辺り。本来の位置からここに移した。

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 山王川
 この川に沿って歩き、途中から駅に向かう。
 途中は細い道が不規則に通る。古い区割りだが、家は新しい。
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2019年09月06日

倚天屠龍記

2008年8月2日 記
2019年9月6日 訂正追記

   倚天屠龍記 全五巻
   金庸   徳間書店   2001
 時代は元順帝(在位1333−1368)の至元二年(1336)、南宋が滅びて五十余年後。神G侠侶の最後の年(1259)から77年後である。
 その前に神G侠侶から三年後、冒頭で郭襄が江湖をさすらい楊過の行方を尋ねて少林寺に行く。少年張三豊や覚遠と再会する。そして三人は少林寺を出る。そして一気に年月を飛ばし、太極拳の始祖張三豊の九十歳の誕生日を巡る話になる。
 張三豊は伝説上の人物で、実在は疑わしい。しかし、相当するモデルがいたことが知られている。太極拳はかなり後にできたので、始祖説はもちろん怪しい。ただ太極拳の原型は張三豊の頃といわれている。

 張三豊の九十歳の誕生日以後に生まれた張無忌が大人になって活躍する。となると、張三豊は百十二歳を過ぎてしまうか。最期は駆け足で、明朝成立までを説明するが、それは物語のその後であろう。
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 主人公がなかなか決まらない。なにしろ普通の小説なら終わってしまうころ、第一巻約400頁のうち、340頁目で、ようやく呱々の声をあげるのだ。
 主人公だと思っていた張翠山は、第二巻目の104頁で自決してしまう。
 そこでようやく、張翠山は主人公ではないと判る。そして子の張無忌が主人公らしいと気づくことになる。
 波瀾万丈の生涯で、半ば偶然のようにして武技を身につけるのは、いつものパターンである。とにかく、あっちで騙され、こっちで騙され、騙され続けた。これはこども時代に孤島で育ち、友人がいなかったせいか。この主人公は指導者として優れているとはいえないが、多くの協力者をえて、明王朝成立の礎を築く。そこでも朱元璋に騙されて、朱元璋が明朝皇帝となる。
 張無忌は優れた人物ではないが、いい友人となる人物と評価されている。

 倚天剣と屠龍刀という武林の宝がある。屠龍刀を手に入れれば、武林の盟主になれるという。武林の有力者が血眼になって探している。そのためには家屋敷さえ燃やしてしまう者がいる。鉄でさえ豆腐のように簡単に切ってしまえる名刀だ。
 倚天剣と屠龍刀を作ったのは、襄陽城の戦いで戦死した郭靖・黄蓉夫婦。将来モンゴルに対する反乱が起こることを予想し、そのために作った。倚天剣は娘郭襄に伝え、屠龍刀は息子郭破虜に伝えた。郭破虜は戦死し、屠龍刀は江湖をさまよう。郭襄は四十歳の時、出家して、峨嵋派を興す。そして倚天剣は峨嵋派に伝わる。
 郭靖夫妻は戦死し、屠龍刀を持っている者もいっこうに芽が出ない。そのことを考えれば、屋敷を焼き払ってまで、手に入れるほどの物かと思う。結論を言ってしまえば、屠龍刀には岳飛の遺書(兵法書)が入っていた。これが手に入っても普通の人には使い道がない。江湖の人間ではまず役に立たない。倚天剣には武術書、これは江湖の人にはのどから手が出るほど欲しい物。
 屠龍刀は何度か火に入る。しかし中の書は何ともない。楊過の持っていた玄鉄剣が材料だ。加工するときは、特殊なやり方で溶かした。炉に入れても溶けないのはともかく、中の物が無事だった理由の説明はない。この玄鉄は熱を伝えないのか。赤熱はするのだ。

 この中に庶民の歌が出てくる。それを「戯れせんとや生まれけん……」といったうまい訳をしている。この訳者はかなり日本古文に造詣が深いと思われる。

 ここは本の紹介のみ、以下あらすじなどは別に書きます。

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 次の言葉は、使い方が気になった。訳者は飛狐外伝と同じらしい(倚天屠龍記は訳者が2人なので、違うかもしれれない)。
 第一巻P207 張翠山が女に「お名前をうかがってもよろしいてすか」と訊く場面がある。
 返事はないのだが、それはともかく、返事をしたとして、次のような会話が予想される。
「訊いてもいいですよ」
「あなたのお名前はなんとおっしゃるのでしょうか」
「教えられません」
「訊いてもいいですよ、と言ったではありませんか?」
「訊くのは構いませんが、教えるとは言っていませんよ」
ということになりそうだ。
 何を言いたいかというと、「訊いてもいいか」と問いながら、それで訊いたつもりでいる、不思議な言葉だと言いたいのだ。
 平成語ではないが、昭和も後半になって、多く使われるようになった政治言葉と記憶している。
「謝りたい」、この後はなく、謝らないで終わる。
「注意したい」、注意致します、と言ってもらいたい。

 昔の江南でこんな言い方をしたのだろうか。金庸の原文はどうなんだろう。

 誰だったかある作家が、電話で言伝(ことづて)を頼んだら、「お名前をうかがってもよろしいてすか」と訊かれ、「名前を訊かずに、どう伝えるんですか」とあきれていた。
 わたしもある受付に訊かれ、「訊かずにどう名簿をチェックするの」と思わず訊いたことがある。
 おそらく訳者にとっては、これが普通の言葉で、疑問に思わなかったに違いない。婉曲的な言い方らしいが。

参考:たくせんの中国世界−倚天屠龍記
posted by たくせん(謫仙) at 07:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする