2019年10月30日

甘利俊一さん文化勲章

甘利俊一さん文化勲章

 今日の新聞で、甘利俊一さん(83)に文化勲章が贈られると発表された。おめでとうございます。
 甘利さんは、東大名誉教授で、理化学研究所栄誉研究員。そしてわたしの碁友であり、毎月2〜3度碁席をともにしている。わたしより強い。アマ六段くらいである。
 脳科学と情報科学の二分野の研究者であり、海外では別人と思われたこともあったという。現在AIが急速に発展していて、特に囲碁界では人を超えたと、注目されている。
 
 このAIの基になった研究者であり、大げさに言えばAIの生みの親である。
 2年ほど前に、英語で本を書いたが、去年今年と印税が……、と言うと堅いお人のようだが、いつもニコニコしている、気さくな方で、知らない人は気づかない。
 先日帰国したアメリカの青年が、帰国のとき甘利さんを検索して「大変な人だった」とびっくりした話もある。
 わたしは二つの碁会に参加していたため、甘利さんの碁敵となった。
 この甘利さんと先日ある会話をした。

 AIが発達し、家中の家電やら何やらが、全部AIで動くようになると、生活がしにくくなりそう。
 どれかが故障を起こす度に、自分では処理できなくて、大騒ぎになるのでは。
 便利になるのか、不便になるのか。

 もちろんその頃には、そのことも工夫されるだろうが、こんなことを甘利さんに言われると、不思議な気がする。
posted by たくせん(謫仙) at 09:56| Comment(0) | 山房筆記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月04日

円通寺

円通寺(えんつうじ)

 東京都荒川区南千住にある曹洞宗の寺院。あまり知られていないが、無名でもない。
 791年に坂上田村麻呂将軍によって開かれ、八幡太郎義家が再建した、と伝わる。

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 門前からも見える観世音菩薩が古い寺にしては珍しい。
 仏塔のような外観が異彩を放っている。

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史跡
 彰義隊士の墓、旧上野黒門、小塚原旧跡。
 わたしは黒門があるので見に行った。
 本来は百観音で知られていた。ただし、安政の地震で観音堂が倒壊、現在は三十三体が本堂にあると言う。それは見なかった。

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 黒門
 これは上野寛永寺の総門であった。寛永寺は上野公園のほぼ全域を境内としていた。その南の正門で、官軍と彰義隊の激戦の中心となったところだ。
 冠木門であり、正門にしては質素な作りである。

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 たくさんの弾痕がある。

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 戊辰戦争は鉄砲の戦争であり、弾丸の量が勝敗を分けた。

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荒川区指定の有形文化財となっている。

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 裏側

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 八幡太郎義家が、奥羽征伐のとき、賊の首48をここに埋め、四拾八塚を築いた。
 それでこの辺りが小塚原と呼ばれるようになった。
 石造七重の塔には銘があり、現存する荒川区最古の石文である。遠くて判らなかった。

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 元からの石像か?

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 円通精舎、榎本武揚の書。

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 黒門とその後ろの彰義隊士の墓などは大きく囲われている。
 中に入る。

    さかるほと 見あける人や ふちの花

 と読めたが? (2字目自信なし)

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 曼珠沙華

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 自然に傾いたのか?

 慶応四年(1868)五月十五日に戦死した、彰義隊士の遺体が放置されていたのを、円通寺の二十三世「大禅佛磨大和尚」が、上野に行って斬首覚悟で供養した。拘束の後、埋葬の許可が出た。
 これが縁で、明治40年10月に、帝室博物館より黒門が円通寺に贈られた。

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 余録
 東京オリンピックの前の年(1963)、吉展ちゃん誘拐殺人事件があった。
 2年3ヶ月後、埋められて白骨化した遺体が円通寺で見つかった。
 その供養のため、「吉展地蔵」か建立されている。

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 古い写真とは異なるので2代目の像か
posted by たくせん(謫仙) at 07:26| Comment(0) | 山房筆記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする