2019年12月29日

残業税 マルザ殺人事件

残業税 マルザ殺人事件
小前亮   光文社   2017.8

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 残業税の続編である。たたし、主人公などは変わっている。
 残業税調査官が北軽井沢で死体で発見された。「残業税には欠陥がある」という言葉を残して。
 国税局の大場莉英に上司から調査の命令が下る。
 このあと、県警・警視庁・国税庁が、それぞれの立場から調査を行う。全面的に協力というわけではない。大場莉英などの行動が捜査の邪魔と考えることもある警視庁。
 大場莉英の比率が小さく、誰が主人公か判らなくなりそう。もう少し視点を定めて欲しい。少なくとも、大場莉英の視点を多くして主人公と判るように。
 砧が莉英に言う。
「私たちの目的は、脱税を取り締まることじゃない。適正な課税をおこなうことなの」
 目的と手段を取り違えると、脱税を見つけて多額の追徴を獲った人が偉いと思ってしまう。脱税者がいなくなるようにするのが仕事なのだ。

 前作で働き方改革を話題にしたが、少しづつでも進歩しているのだろうか。
 中心が殺人事件捜査になったので、私的には減点。小説のできは良いと思える。

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
追記
 ある書評で、次のように言う人がいた。
 こういう「働かせない」社会ってつまらないだろうな。気持ちが元気だと働けるもの。まぁ、限度はあるだろうけど。働きたい人には働かせて、収入や待遇に区別つけてくれればいいのに。

 多くの人がこう思っているだろうな。わたしも趣旨は賛成だが、内容が問題。
まぁ、限度はあるだろうけど。
 そう、その限度が最長8時間なのだ。だから残業は限度超過なのだ。

働きたい人には働かせて、
 そうなると、残業をしたくない人にも強制するのが問題なのだ。

収入や待遇に区別つけてくれればいいのに。
 小説では名目だけ役職者にして、残業代を払わずにすます企業が、問題になっている。事実上残業が強制になる。その事実上強制を防ぐためだ。
 また、収入で区別しているようで、他のことでも差別することになる。残業代だけで終わる企業はない。
 目的は、長時間働かせてはいけない、のだ。働いてはいけないのではない。
 だから、長時間働きたい人は起業すればいいのだ。起業すれば仕事はいくらでもある。それならいくら働いてもかまわない。起業すれば、わずかの収入でいくら働いても、社会は許す。家族は……
 この小説は、形だけの起業で実態は従業員、も見つめている。

     人を雇用するときの制限 

が、一日8時間なのだ。ここを勘違いしてはいけない。
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残業税

2017.12.2記
小前 亮   光文社   2015.8

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 残業は犯罪である。
 このことをわたしは当然だと思うのだが、多くの人は「そんな馬鹿な…」と思うのではあるまいか。
 三六協定という、使用者と従業員の契約があった場合、使用者は罰を免れる。従業員に残業をさせる企業(使用者)は、その協定を監督署に届け出ているのだが、ほとんどの従業員はその協定を知らず、協定書に署名捺印した従業員の代表でさえ、その内容を詳しくは知らないのが普通である。
 この小説は、労働者を守るためにその残業に税金を賦課する。残業すると労使共に税金を払う必要がある法律が施行され、働き方が変わって行く。もちろんサービス残業は犯罪である。
 税を免れようと企業(使用者)はあの手この手で脱税を企む。脱税を防ごうとする残業税調査官と企業の戦いである。
 主人公の残業税調査官の相棒は、機密的な内容でも人前で大声で話す無神経な人物。読んでいてやりきれなかった。

 この中で、ある女性は形だけの管理者になるが、税金逃れのためであり、実質は毎月200時間もの残業に苦しめられ、ついに他殺に近い自殺をしてしまう。
 毎月200時間残業。わたしはこのような企業を知っている。賞与もかなり出ていた。実体は残業代を一部しか支払わず、残りをまとめて賞与として出していたに過ぎない。
 この小説ではさらに悪質で、税理士の指導のもと、労働者に夢を与えて、そのためならサービス残業も仕方ない、と思うように教育する経営者。公的には残業時間が判らないようにしてあるのだ。
 経営者(容疑者でもある)の世論操作で世論に叩かれながらも、働く人を守るべく奔走する調査官。ついに真相が明かされると、世論は一斉に経営者を叩く。
 労働者の教育と、権利意識を高めなければ、この戦いは永遠に続きそうだ。

 いま国会で働き方改革の議論をしているが、それを先取りしたような話だった。
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2019年12月27日

本当はブラックな江戸時代

本当はブラックな江戸時代
永井義男   辰巳出版   2016.11

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 かなり前だが、あるグループで、江戸から明治になり、生活は却って苦しくなった、社会は悪くなったという人が多かった。わたしは、かなりよくなったと思うと言ったのだが、賛同者はいなかった。
 多くは時代劇の影響であろう。杉浦日向子さんは、「お江戸でござる」でよい部分を多く取り上げていたので、その影響があったのかもしれない。
 だが、いろいろ考えてみると、明治時代の方がいいことがほとんどであると思える。
 たとえば犯罪だが、江戸は犯罪の少ない町のように言われているが、本当は多かった。ただ南北の奉行所が受け付けなくて、あるいは町民が届けず、自分たちで処理したため、公の記録に残らず、少なくみえるのが実情らしい。
 現在でも、ある権力者は、いくつかの犯罪の証拠をもみ消そうとしているように思える。報告の受け取りを拒否して、無かったことにした権力者もいる。
 指摘されて、急いで書類をシュレッダーにかけて、書類は無かったことにしている人もいる。
 江戸の犯罪も、そうして無かったことになっている例が多いらしい。

 この本はそんな江戸の錯覚されている部分に焦点を当てている。
 目次を見よう。
第一章 江戸はブラック企業だらけ
第二章 安全ではなかった江戸の町
第三章 食の安全・安心などはなかった
第四章 きたくて残酷だった江戸の町
第五章 高い識字率のまやかし

 企業の休日は年2日だけであり、藪入りという。
 大店では関西の本店で採用され、江戸に来て、9年目でやっと休暇が出て家に帰れる、初のぼりという。
 奉公している間は結婚できない。独立出来るころは四十代になっていよう。
 店の主人の言うことは絶対であり、そして多くの人は若いうちに死んでいる。
 他に就職先がないからである。失職すると乞食になることが多い。
 女性なら吉原などに売られ、ほとんどは若いうちに死んでいる。
 
 現在、田舎には病院が少ないが、病人が少ないのではない。
 江戸町奉行所の警備役も24人しかおかず、犯罪が頻発すると、「自分たちで犯人を捕まえろ、殺しても構わない。結果を届け出よ」という通達を出すだけ。
 だから24人で済んだのは、犯罪が少ないのではなく、警備をしなかっただけなのだ。

 食べ物にしても、旬の食べ物を…と言うが、それしかなかったのだ。そして、米だけでおかずはほとんどない。魚など庶民の手に入る頃には腐り始める。

 トイレは汲み取り式であり、夏など強烈な匂いがしたであろう。ゴミも収集されたようだが、それまでに生ものは腐り始める。運河はゴミで埋まって、舟が通れなくなるほど。もちろん水は汚れている。

 識字率が高かったというが本当か。豊かな家や商人は文字を習ったが、多くはせいぜいひらがなカタカナくらいである。10歳を過ぎれば仕事に就くので、学ぶのはその前の2〜3年である。しかも下級武士社会の教養もこの程度であった。
 一部を除けばそれほど高くはない。

 江戸時代は社会的弱者には冷酷だった。
 これらの原因はほとんどが「貧しさ」からきている。衣食住が最低限でなんとか生きていた。
 トイレ事情とか、識字率とか、外国の庶民と比べると良いようでも、全体的には威張れるほどではない。
 蟻地獄のごとく、全国から若者を吸い上げながら、多くは独り身のまま、老いる前に死んでしまう。
 過去の時代だから劣悪は当然で、「江戸はユートピアではない」ということ。
 現在、日本の教育は劣化していて、先進国では最低と言われている。もはや先進国ではない、という人もいる。この本に書かれていることは、現在も一部分当てはまるかもしれない。
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2019年12月18日

白銀の墟 玄の月

十二国記シリーズ  白銀の墟(おか) 玄(くろ)の月
小野不由美   新潮社   2019.11

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 十二国記シリーズの18年ぶりの長編新作。途中2013年に短編集「丕緒の鳥」がある。
 全4巻で2巻くらいかけて長々と伏線を張るので、なかなか話が進まない。しかもこの間、厳しい戴国(たいこく)の説明が続く。
 驍宗(ぎょうそう)が登極から半年で消息を絶ち、泰麒(たいき)も姿を消した。偽王がたつ。王不在から六年の歳月、人々は極寒と貧しさを凌ぎ生きた。
 白雉(はくち)は落ちていない。つまり王はどこかで生存しているはず。
 片腕の女将軍、李斎は国王(驍宗)を探し続けていた。
 そして、この荒廃した戴国に泰麒が戻ってくる。そして行方不明の王が見つかり、国の復興を目指すまで。これから偽王との戦いだ。
 この間の李斎将軍やその協力者の苦労の物語。暗い話が続き、やっと希望が見えて、本題に入ったなと思うところで終わりである。
 大勢の登場人物も難しい名前で誰が誰だか判らない状態。そして多くの人がほとんど報われない非業の死を遂げる。なんともやりきれない。この世界の舞台設定からそうなるらしい。一気に読みたくなる爽快感や高揚感がない。
 本筋からずれた、枝葉や末節にページを割きすぎていると思う。
 歴史とはそんなものかもしれない。しかし本来このシリーズは、こんな重苦しい話では無かったはず。大変な苦労があるが、それを乗り越えて、こんなによい国になりました、となるファンタジーのはず。

 難しい漢字を使い、無理矢理読ます。これは相変わらず。
「墟」の字の読みも、キョ あと であり、意味は「おか」だから、「おか」という読み方もあるのだろう。
「践祚」と言う言葉が何度も出てくる。「せんそ」とかなを振ったり、「そくい」とかなを振ったりする。「そくい」なら即位でよくないか。だから、践祚だけだと「せんそ」なのか「そくい」なのか判らない。
(ちなみに今上天皇は、践祚と即位を区別せず、2019年5月1日を即位の日とするらしい。10月22日に即位の礼を行っているので、この日が即位の日ではないかと思うが。
 昭和天皇は、践祚が昭和元年12月25日、即位は昭和3年11月10日、と別の日としている)
 これが最終になるらしい。この後短編集を予定しているという。

 なお、シリーズの過去に書いた文を読み返し、訂正もしている。
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丕緒の鳥

十二国記 丕緒(ひしょ)の鳥
小野不由美   新潮社   2013.7.1
2013.7.21記

 この本は十二国記シリーズの12年ぶりの新刊である。
 わたしは2008〜2009年にかけてシリーズをまとめて読んだので、12年ぶりの実感はないが、古くからのファンは待ち遠しかったであろう。
 王や麒麟の話ではなく、一官吏の希望を書いた4編の短編集である。
 表題作は、陽子が慶国に新王として登極したときの、即位の礼で行われる「大射(たいしゃ)」の話。大射とは鵲(かささぎ)に見立てた陶製の的を射る儀式。自分の希望を託して、その的を作る男の苦悩。

「落照の獄」は、衰えていく柳国で、いわゆる極悪人が誕生した。これは国の衰えを意味するが、民はこれまで途絶えていた死刑を要求する。
 死刑がなかった国で死刑にすれば、国の衰えを加速させる。これがこの世界の摂理だ。一度死刑にすると、同じような悪人が出れば死刑にすることになろう。しかも防犯の効果はない。しかし、死刑にしなければ、国の衰えを止めることができるのか。民の要求に応えられないことも衰えを加速させないか。そうして担当官が悩み果てる。

「青条の蘭」は、山のブナが枯れていく。これを防ぐために、標仲は何年もかかって調べ、青条の蘭が防ぐことを知り、王宮に届けようとする。結局途中で倒れて、庶民に託すことになる。
 国土が荒廃していくのに、ブナの枯れ木(石化する)で金儲けができると喜ぶ人がいる。
 福島の原発事故を思わせた。

「風信」では荒れた国で、暦作りをしている、一見浮き世離れをした男たち。どんなに荒れた国でも、農民は食糧を作らねばならない。そのためにも暦は必要なのだ。燕の雛が増えていることで、復興する未来を予測する。

 四編全て、己の役割を全うすべく煩悶し苦しんで一途に生きる男を描く。
 驚くのはディテールの描写で納得させられること。それが緊張感をもたらす。
 わたしの好きな金庸小説では、「大勢の男が山の中で武術の訓練をしていますが、どうして生活しているのですか」「それは訊かない約束です」
 ことが起こればそれはあちこちに波及する。十二国記では、その波及を考えて登場人物が苦悩しているのだ。訊かない約束などなく、それこそ語りたいところ。
 十二国という大きな嘘を成り立たせるのは、ディテールの描写で納得させることなのだ。
posted by たくせん(謫仙) at 09:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

華胥の幽夢

   十二国記 華胥の幽夢(かしょのゆめ)
   小野不由美   講談社   01.9
2008.11.19記

 十二国記シリーズの中編集である。
 いつもの長編とは違うが、それぞれに珠玉の味わいがある。
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 表題の華胥の幽夢は、王が善政を敷こうと試みるが、人間洞察力がないため、却って悪政になってしまう話だ。
 たとえば減税。減税は庶民にとっていいことのようだが、国を維持する費用も事欠き、国が荒れてしまう。
 悪徳高官を一気に辞めさせたが、それに連なる官吏がそろって辞めてしまい、国の機能が麻痺し、仕方なく復職させることになる。悪徳高官を王が認めたことになってしまい、庶民に怨嗟の声が起こる。
 犯罪は厳罰だが、それが高じて、些細なことでも死罪にするようになり、暴君と同じことになる。
 王は「華胥の夢」を信じてその路線を進むが、どうやらそれは、その路線を進む先の「理想の国」ではなく、「こうなって欲しいと思う国」で、現実はますます理想から乖離していく。
 結局滅びることになる。

 新興の戴国の台麒(麒麟)はまだこどもであった。南の漣国に使いにいくが、その漣の王は普通の農民であった。仕事は農業、王はお役目。仕事は自分で選び、王は天に命じられてする。そして自分の生活費は農作業で稼ぎ、公務は国の税で行うという人だった。農作業をしているときに、台麒と初対面の会話をする。その廉麟(漣の麒麟)は台麒のお供にまで自ら給仕する美少女だった。
 そして、台麒は何もできないような自分が仕事をしていることを悟る。
 このような話が五編。

 このように国により全く事情が異なる。いままで紹介した長編の諸国も、国や王のありようがあっと驚くほど違う。それでいながら全体が統一されている。わたしは、この全体が整合性を持っていることを高く評価する。
posted by たくせん(謫仙) at 09:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

黄昏の岸 暁の天

  十二国記シリーズ  黄昏(たそがれ)の岸 暁の天(そら)
小野不由美   講談社
2009.1.14 記
   
 この本はこのシリーズの初め、「月の影 影の海」の次に読んだ。だが、紹介文も書かないままだった。再読してみると、今までに紹介した物語の後に来る話であった。
 再読して、その宗教問答の深さに気が付く。
 それは唐突として出てきたわけではない。シリーズ全体にその哲学が流れている。普通シリーズものだと、その回だけの設定でもっともらしくなるが、別な回では別な哲学で矛盾することが多い。長くなると人格まで変わったりすることもある。
 このシリーズは一貫している。そこに作者の力量が伺えるのだ。
 載の国に新王がたち、幼い泰麒が泰王に従った。だが二人とも行方不明となる。そこからこの物語が始まる。

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 戴の女将軍李斎が慶の国に援助を求めて駆け込んだ。利き腕の右手を失い命も危うい状態であった。
 李斎の話で、戴の様子が判った。
 泰王が登極して半年後、地方に反乱が起こり、泰王が親征し行方不明となる。その知らせに衝撃を受けた泰麒は突然姿を消した。だが白雉が鳴かないので、王は生存している。
 そして前泰王の時代に、現泰王の同僚であった阿選が偽王となる。王と麒麟がいない戴は荒れていく。そして阿選はそれに輪をかける人物だった。不穏な動きがあると、捜索などせず、その村を全滅してしまう。そうして民が減っていき国は荒れていった。もともと戴は北の国、一冬毎に村が減って行く。
 国を救うには王と麒麟の帰還が必要であった。そのために残された臣には手段が無かった。それで李斎は慶の陽子に助けを求めたのであった。
 だが、景王陽子が軍を起こせば、慶が滅ぶ。それがこの世界の理(ことわり)である。しかも慶も建国したばかりで余力はない。
 陽子は、各国に呼びかけた。雁の延王と延麒、範の氾王と氾麟、漣の廉麟が駆けつけて、戴の泰麒を探すことになる。範の鴻溶鏡と漣の呉鋼環蛇などを使って、なんとか探し出す。
 その途中で、陽子たちは前例のないことをやろうとするとき、蓬山の璧霞玄君玉葉に判断を仰ぎに行く。
 この世は天が定めた。世界は天の定めた理を持つ。その窓口が玄君であった。

 李斎の言葉 …は省略
「…玄君を介して天の意向を問う、ということですか」
「では、天はあるのですか」
「では、天はどうして戴をお見捨てになったのです?」
「…天の神々がおられるなら、なぜもっと早く戴を…助けてはくださらないのですか」
「…だから、わたしは罪を承知で景王をお訪ねしたのです」
 陽子や李斎たちは雲海を越えて行く。四日で蓬山に着いた。
 そして蓬山に行くと、玄君は知っていた。
「…ならば戴で何が起こったか、それだってご存じだったはずだ」
 そんな力があるのなら、次の王を定めるのに、なぜ二ヶ月もの、死に直面する苦労して蓬山に昇山させるのか。天意を諮るためなら、雲海を越えて来ればいいのではないか。事前に決まっているのなら、昇山の必要もないはず。現に陽子は昇山していない。昇山の途中で死んだ者たちは、なんのために死ぬ必要があるのか?

 陽子は言った。いま分かったことがあると。
「もしも天があるなら、それは無謬ではない。実在しない天は過ちを犯さないが、もしも実在するなら、過ちを犯すであろう」
「だが天が実在しないなら、天が人を救うことなどあるはずがない。天に人を救うことができるのであるならば、必ず過ちを犯す」
「人は自らを救うしかない、ということなんだ」

 玄君は泰麒を救う方法を教え、「天にも理があり、これを動かすことはできない。是非を問うても始まらない…」と諭す。

 この問答、まさに宗教問答ではないか。おそらくヘブライクリスト教の教徒はこれを認めないだろう。だが仏教徒ならよく判るのではないか。

 そこまでして、泰麒を探し出したが、泰麒は無力であった。李斎はいつの間にか戴を救うのではなく、泰麒を救うことが目的になってしまっていて、それが自分を救うことであることを知る。
 泰麒を救うため、また蓬山に行くが玄君でも救えないため、西王母にすがることになる。
 玄君は美人なのに、この西王母は凡庸な顔立ちだった。
 西王母と李斎の会話。
泰麒は「…もはやなんの働きもできぬ」
「それでも−必要なのです」
「なんのために?」
「戴が救われるために」
「なぜ、お前は戴の救済を願う」
 李斎は言葉につまる。親族をはじめ友人知人はほとんど死に絶えた。
 この根本的な問題は、誰も答えようがない。答えがないのだ。

 泰麒が回復した後、李斎と泰麒は皆に感謝しながら、ひっそりと戴へ向かう。

 読み返すだけの価値のある本だった。
posted by たくせん(謫仙) at 09:10| Comment(5) | TrackBack(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

図南の翼

小野不由美   講談社
2008.10.15 記

 十二国記の何作目に当たるのだろうか。四百二十頁あるので少し厚いが一冊で完結。
        tonannotubasa.jpg
 大陸の北西の国「恭」では王が斃れてから二十七年が経っていた。この世界の律では、王がいない国は治安が乱れ、災厄が続き、妖魔が徘徊する。そして年ごとに酷くなってくる。首都も例外ではない。首都の豪商を父に持つ十二歳の女の子珠晶は、常に護衛が従い、鉄格子で妖魔が入れないようにしてある家に住む。王が立てば解決するものをと思い、言うが相手にされない。
 ある日家出をした。黄海(と呼ばれる島)にある蓬山に行き、麒麟に天意を訊くため。
 この世界の律では麒麟が王を決める。そのため王になろうとするものは、苦難の旅をして昇山する。
 黄海に渡るまでも大変な旅だが、そこから先、蓬山に至る一ヶ月半の旅は地獄を行くような苦難の旅だった。大勢の人が旅立った。珠晶は幸い優れた案内人であり護衛である人を雇うことができた。しかし、案内人を雇わない人もいる。
 妖魔に襲われ次々と死者が出る。珠晶はそれを悼むが、当の案内人は、「今回の旅は犠牲者が少ない。だから王になる人物がこの中にいるのではないか」と思っていた。そして珠晶の可能性が大きいと。
 珠晶は多くの危機を忍耐力と機知で乗り越える。案内人に教わったことの意味を悟り、置き去りにされた人たちを助けに行き、大人の集団を見事に指揮して切り抜けたりする。
 蓬山に近づくと、麒麟が迎えに来た。そして珠晶が王だと判る。

「−だったら、あたしが生まれたときに、どうして来ないの、この大馬鹿者っ」

 恭国に供王が即位した。

 この話、矛盾がない。このようなプロットを決めると、当然このようなストーリーになる。もちろん別なストーリーでもよいが、このストーリーは自然で無理がない。災難の数々。案内人の非情な決断。珠晶の心情。人々の狡さと無力さ。
 珠晶は自分を強運の持ち主と自覚しているが、案内人の教えの答えばかりでなくその意味を悟り、機転を利かして危機を回避し、努力を惜しまず運に頼らない。それが運を招く。

 乗る動物は馬ばかりでなく、騎獣がいる。?虞(すうぐ)・駮(はく)・孟極(もうきょく)など、動物名で固有名詞ではない。このネーミングがいいではないか。読むのは大変だけど。
posted by たくせん(謫仙) at 09:04| Comment(4) | TrackBack(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

風の万里 黎明の空

小野不由美   講談社   
2008.11.17 記
十二国記シリーズ

 この本は上下二冊。華胥の幽夢と併せて三冊を、旅行中に一気に読んでしまった。とにかく読まずにいられない。読み終えて、旅の途中で読む本がなくなり、本屋に駆け込んだ。

        kazenobanri.jpg
 このシリーズ、表紙の絵から、子供向けと軽く考えると手強さに驚くであろう。全体の整合性といい、難しい漢字の多用とその的確な使い方といい、複雑なストーリーといい、各国の多様性といい、かなり手強く、その気になって読まなければ読めない。
 わたしの好きなSFである。しかし、どこにもSFの文字はない。SF扱いされていないのであろうか。他で紹介している武侠小説もSFだが、そちらは整合性のないのが大きな欠点。それはともかく、それも誰もSFとは言わない。もう「SF」は死語なのかな。小説はすべてSFといえなくもないので、いちいちSFと断らないとか。
   …………………………

 陽子は慶国の王になったものの、前王の時代の官僚によって、政治への参加を阻まれる。実際、判断を求められても、この国の様子を全く知らないので、判断しようがない。結局高官に任せることになる。評判は芳しくない。特に麦州侯を罷免したのは失政であった。
 そんなある日、麒麟に後を任せて、国を学ぶために王宮を留守にしてしまう。
 そこで陽子は、芳国の元公主(姫)で両親を殺され国を逃げ出した祥瓊と才国で苦しんでいた鈴に出会う。
 慶国の暗部ともいえる和州は、和州侯に人をえず、多くの庶民が重税や圧政に苦しんでいた。それが許されたのは国の高官と癒着していたからである。陽子はそのことを知る。
 和州で反旗を翻し成功すると、それに乗じて国政にも乗り込み、一気に悪徳高官を退けてしまう。そして、罷免してあった前の麦州侯を国政のトップに据えて、綱紀粛正を命じる。
 祥瓊は、父が暴君であり国が荒んでいて、簒奪者に殺されるほどの王であったことを理解し、そのことを知らなかった自分を恥じる。
 鈴は弟のような友の病を治すため、陽子にすがろうとしていたのであるが、友は殺され、その仇を討とうとしていた。そして知らずに陽子に協力し、仇を討つことができた。
 王宮に戻った陽子は、政治を改革し、行き場のない祥瓊と鈴にも協力を求める。

 この巻は陽子の正念場である。政治改革を実行でき、ようやく国の体制ができた。それまではいつ倒れるか判ったものではない状態だった。この世界は意外に国(王朝)の寿命は短い。慶国も短命の女王の時代が続いたので、新しい王である陽子に失望する人が多かったのだ。
 最後の言葉の要約だが、
 わたしは、叩頭されることが好きではない。礼典などの儀式のとき以外は伏礼を廃す。他者の前で毅然と首を上げよ。災難に挫けず、不正があれば正すことを恐れず。慶の民はそんな不羈の民になって欲しい。すべての人は己の王となれ。
 和州の民が奴隷化し、己を失い無力となって、どんな理不尽なことにも、頭を下げることによって処置しようとするのを、知ったゆえの言葉である。
posted by たくせん(謫仙) at 08:18| Comment(6) | TrackBack(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

東の海神 西の蒼海

  東の海神(わだつみ)西の蒼海
   小野不由美  講談社  1994
2008.10.1記

 十二国記シリーズの三作目になる。大陸の東北にある雁(えん)国の建国物語。
 今回は感想より、ストーリーの紹介になってしまいました。
        higashinoumi.jpg
 雁は梟王が国を崩壊させて自滅。王がいない国は年ごとに荒れていくのがこの世界のならい。三十年で荒廃の極に達した。三百万の人は離散し、田畑はほとんど焦土となり、残った国民は飢えていた。そこに延王がたった。王はなにもせす、残っていた宮廷の金目の物はすべて売り払い、食料の購入に充てた。そうして二十年。ようやく田畑は緑を取り戻したところである。人口は三十万ほどになった。それでも本来の十分の一である。
 国は九の州に分割され、西の元州だけは州侯の宰相に人材を得て、なんとか酷く荒廃せずに済んでいた。経済力軍事力では国王をはるかに凌ぐ。しかも国庫は梟王が任命した高官によって蚕食されていた。
 王は麒麟が選び、人の力で決めることができない。そのため元州の宰相「斡由(あつゆ)州侯の息子」は王の上の位(上帝)を望んだ。王を有名無実にしようとしていた。
 建国から二十年、国の制度が形を整えた。高官は反乱しないように形だけ置いてあり、高官に妬まれない身分の低い者に実権をもたせ、ようやく運営していた。これから機能してくるかというところ。そこに元州の反乱である。
 元州の欠点を見抜き、元州の庶民を味方にし、元州の兵も寝返らせ、戦わずして勝つ。孫子というより、豊臣秀吉のやり方に近いか。
 これが、梟王に任命された邪魔者を取り除く、始めとなるはずである。国庫を蚕食した奸臣を追い、私蔵した物は取り返す。その力がようやくできたのであった。

 この話は悪王によって国が滅んだが、まだその時の形だけは残っている、その国を再興する話である。
 新王は莫迦のふりをし、情報を集めている。国庫を蚕食する高官には、あとで取り返すが今は預けておくと一切無視し、ただし国政の実権は取りあげる。もっとも国土は荒廃して税収もないので、奸臣には実権は魅力ないので、それで治まっている。この延王、けっこう辛抱強い。
 戦のやり方も、遠征した国軍はほとんど農民で、武器も持たず、堤防を築かせる。雨期が近づいていた。それで元州の農民を守るためでもあり、それを知った元に徴兵された兵たちも脱走して、国軍に加わる。堤防は同時に城を水攻めにするためだ。高松城の水攻めを思わせる。
 決定的な差は守将「斡由」に人望がなかった。それの象徴が王をそのままにして上帝となろうとしたことだ。王になろうとすれば麒麟に拒否される可能性がある。そうなることに耐えられない人物だった。死刑も自分の口からは言い出せない。部下が気を利かして死刑にすると、だまって褒美を与える。
 結局、実際に軍が戦う前に勝負がついてしまった。
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風の海 迷宮の岸

小野不由美   講談社  
   十二国記シリーズ
2008.10.13 記

 北東の戴の国には王がいなかった。泰麒(戴国の麒麟)が誕生し、黄海の蓬山で育ち、王を選ぶ話である。
 この世界の国を成り立たせるシステムを説明しているといったらいいか。麒麟の意味、黄海の蓬山の意味、あるいは国の意味など。なかなかこった作りである。
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 泰麒は、幼いころ親からも阻害され、幼児ながら鬱屈していた。黄海の蓬山に来てようやく心の安寧を得たが、そこは麒麟を養育するところ、成長すれば出ていかねばならない。
 泰麒はこどもで麒麟の自覚がなかった。戴の驍宗と李斎が狩りに連れて行き、饕餮(とうてつ)と睨み合うことになり、使令にしてしまう。饕餮は麒麟が折伏できる妖獣ではなく、使令にはならないと言われていた。それを使令にしたので、世話をしていた仙女たちを驚かし、自らも麒麟であることを自覚する。
 驍宗や李斎との別れの日が来た。驍宗が好ましく思えたが天啓がない。それなのに別れの辛さで驍宗を王としてしまった。そして新しい土地、戴の国に赴くが、天啓がないにのに王としたので、まわりを騙した自覚から鬱屈した生活をしている。
 そんなある日、延麒(えんき)によって、天啓の意味を知る。何かはっきりしたしるしがあることもあれば無いこともある。この人と離れたくないと王にしてしまったのも、それも天啓の一形態だと。
 こうして麒麟と王が戴の国を治め始めた。

  饕餮(とうてつ)という動物が出てくる。古代中国の銅製品によくある獅子のような想像上の動物だ。ウィキの引用だが、
 饕餮(とうてつ)とは、中国神話の怪物。体は牛か羊で、曲がった角、虎の牙、人の爪、人の顔などを持つ。饕餮の「饕」は財産を貪る、「餮」は食物を貪るの意である。何でも食べる猛獣、というイメージから転じて、魔を喰らう、という考えが生まれ、後代には魔除けの意味を持つようになった。一説によると、蚩尤の頭だとされる。

 蚩尤とは何者ということになるが、ここでは説明はしない。
 ついでに言うと、麒麟は麒麟ビールのマークでおなじみ。
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月の影 影の海

  小野不由美   講談社   1992.5
2008.8.13記
 十二国記シリーズの始まりである。当初は十二国記とは言っていない。

 舞台のモデルは中国。しかし、現実の中国ではなく、封神演義や西遊記などの幻想の中国。神仙思想の世界である。
 難しい漢語やありえない読み方などを多く使い、ふりがな無しには読めない。
 同じような文(文体は違う)の作家に宮城谷昌光がいる。宮城谷昌光はうまく翻訳できないという仮面を被り、日本語に訳さない漢文読み下し文のような文を書く。実はそれが創作文なのだが、その仮面は薄く、誰でもその奥が見えて、その漢語の知識は後にはイヤミに近くなる。その漢語は他に使い道がなく、憶えようがない。
 小野不由美は逆に仮面を被らず、「わたしってこんな凄い漢語を知っているのよ、読んで読んで」と言っているようだ。漢語の雰囲気をつくるのに苦心しました、と白状しているようで、親しみが持てる。
 庭院に「おくにわ」と仮名をふる。政には「まつりごと」と仮名。鬣に「たてがみ」。憶えていれば役に立つ知識だ。
 耳障りなときは「耳障り」。当たり前だが、多くの人が「耳障りのよい」と意味不明の文を書くのだ。
 ついでに言うと、岡崎由美に代表される金庸小説の翻訳者グループは、漢語が多いのに見事にこなれた日本語になっている。
 小野不由美は日本語の語りは現代的なので、現代人がコスプレで古代を演じているようだ。物語もそのような物語。

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  左手では剣訣を作っているのが中国的(^。^))。右手は不自然。

 高校生の陽子が、学校から拉致に近い形で十二国に連れ去られる。十二国は虚海に囲まれた幾何学的模様の大陸と島で、十二の国があり、虚海の東の果てに蓬莱即ち倭つまり日本があるという。
 ここでは国王は神になり、失政がない限り、死ぬことはない。そして新しい国王は麒麟(きりん)によって指定される。麒麟は宰相となり国王と生死を共にする。麒麟のような半獣は人の姿をしたり獣の姿をしたりする。
 陽子は麒麟によって王と指定されたのだが、そのことを知らないのだ。到着と同時に麒麟は囚われの身になり、陽子は事情が判らぬままひとりになる。そこで絶えず妖魔に襲われ瀕死の重傷を負い、死を覚悟したりする。また何度も騙されたり、何日も食べるのものがなく飢えたりして旅を続ける。
 普通、陽子のように十二国に来た人は言葉が通じないが、陽子は通じた。このことなどから自分が特別な人であることを少しづつ自覚することになる。
 結局、東の慶国の王になる。王の名は景王である。ここでは戴国の王が泰王、巧国の王が塙(こう)王、雁(えん)国の王が延王と、日本語読みで同じ音になる(雁をエンと読むのは日本語にはないが、現代中国語読みはyanイェン)。現代中国音では、慶はqing、景はjingで読み方が違う。昔は同じだったらしい。
 この話はシリーズとして長く続く。

 著者は1960年生まれ、この本が発行された当時は32歳か。書いたのはもっと前だろう。才気渙発な若手のイメージ。いい方に流れている。悪い方に流れると旧仮名で文を書いたりするのだが、そんな経験もありそうな感じがする(^_^)。
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2019年12月17日

魔性の子

小野不由美   新潮社   2012.7
2013.6.17記

 書き下ろしと書いてあるが、解説は平成3年(1991)に書かれている。どこか誤植かと思っていたら、新版だった。元は1991年9月発行。実際は十二国記より先に書かれた。十二国記の序に相当する。なお十二国記は、初めから十二国記という名があったわけではない。のちにその名をつけた。

 十二国記は、現実世界の日本と異世界の十二国を巧みに組み合わせて書いているが、中心は十二国であり、現実の日本は十二国から見た日本である。
 それに対して本書は、十二国記の日本の部分を、現実の日本からの視点で書かれている。
 それは不思議な恐怖の世界になる。これだけ読むとホラー小説だが、わたしは十二国記を先に読んでいて、アニメも見ているため、ファンタジーとして読めた。

 10歳の頃に1年間神隠しにあった高里という高校生がいた。神隠しの間のことは覚えていない。それからいろいろと不思議な事件が起こる。ここで既読感が生じた。
 事件は高里を守るために「異世界からきたもの」による。しかし、高里はそれを知らない。周囲は確信が持てないものの高里を疑っている。それがいじめに近くなると「異世界からきたもの」が高里の知らない間に排除しようとして事件をおこす。だんだん規模が大きくなり大量殺人になっていく。
 そうして高里は神かくしのときのことを思い出して、自分の世界は十二国の異世界であることを知る。

 高里は、嘘を付いてはいけないと祖母から厳しく躾けられていて、人を疑うことを知らない。「洗面台の水を零したのは誰か」と言われて正直に「知らない」と答える。ところが弟が「兄がやった」と言ったため疑われる。形だけでも謝ればよさそうだが、それでは嘘をついたことになるために、謝ることができない。雪の中に立たされて、神かくしになる。
 このあたり、わたしがもっとも共感したところ。

 風の海 迷宮の岸 の裏の話といえよう。
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2019年12月08日

水底の橋

鹿の王 水底の橋
上橋菜穂子   角川書店   2019.3

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 鹿の王と同じで、ちょっと複雑すぎて、カタカナ的な創作名詞が多くて読みにくい。これをクリアできれば、小説としてはおもしろいらしいのだが、わたしはクリアしたとはいえない。
 ここでも万葉仮名問題がある。
 オタワルの天才医術師ホッサルは、祭司医・真那の招きに応じて、恋人ミラルとともに清心教医術の発祥の地、東乎瑠(ツオル)帝国の一地方、安房那(アワナ)領へと行く。
 ここで土毒などの治療方法をめぐって、争いが起こる。三種の治療方法のどれを使うか。
   オタワルの医術
   清心教医術
   清心教医術の古流
 この三種は、宗教の禁忌を巡って、相容れない部分がある。
 ところがそのうらに次期皇帝争いがあった。有力候補がある薬を使うと、皇帝の資格がなくなる。しかし、それ以外に助ける方法はない。そこから土毒を使った者が推理されるが複雑。そこに次期宮廷祭司医長の争いも絡む。
 人の命と医療の在り方を考えさせる。一般論ばかりでなく、目の前の患者をどうするか。それも親しい人である。この問題は現代医療でもあるだろう。
「水底の橋」の意味が気になるが、はっきりした説明はない。
posted by たくせん(謫仙) at 07:26| Comment(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

鹿の王

鹿の王    2017.8.11 記
上橋菜穂子   角川書店   2014.9
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 征服者の帝国東乎留(ツオル)の人の名前は、漢字を使って難しい読み方をする。万葉仮名的な使い方もする。被征服者の名前はカタカナ。この書き方は必要があったんだろうか。
 東乎留(ツオル)とあればこの国は漢字を使う国である。国名は「ツオル」でもなく「tuoru」でもなく「東乎留」と漢字でなければならない。この場合の漢字とは、いわゆる「漢字」である必要はなく、表意文字を使っていると言う意味である。ツオルと読めても、他の文字ではいけない。それにしても小説として、何でこんな難しい読み方をせねばならないのか。人の名も同様である。しかも他国から来た人は、カタカナ名のままである。
 たとえば「山犬」という字にオッサムとかなをふる。このような例が多い。自国語の文字ならこのような無理矢理の読み方はしない。もしかしたら、文字のない国が漢字の国を征服して、自国語に漢字を無理矢理あてたとか。
 他の国は文字がないか、あっても表音文字ということになる。
 しかし、「山犬」という漢字が必要なら読み方は「やまいぬ」に、「オッサム」と読ませたいならカタカナにすべき。一二の例外はあっても良い。

 戦士ヴァンが囚われていた岩塩鉱を犬が襲い、囚人も奴隷監督も謎の病死をするが、戦士ヴァンだけ助かる。ここから物語が始まる。そして逃亡生活。そういう少数民族や動物の、帝国東乎留(ツオル)との戦い(戦争とは限らない)。
 東乎留では天才医師ホッサルが、岩塩鉱の謎の死の原因解明と、その後の治療に当たる。
 細菌とウイルスの差が判りかけ、その対策を研究している。注射や顕微鏡などが発明されている。そのなかでの医師と病原体との戦い。
 この二つの戦いと共生がこの物語のテーマである。

 ファンタシィではあるが、推理小説のように謎が絡む。それがかなり複雑でありながら、メインではない。読者を迷わすための意味のない複雑さに思える。
あとがきに、
「生物の身体は、細菌やらウイルスやらが、日々共生したり葛藤したりしている場である」
「それって、社会にも似ているなぁ」
 この事実を小説化したともいえるのだ。
 ちょっと複雑すぎて、カタカナ的な創作名詞が多くて読みにくい。これをクリアできれば、小説としてはおもしろいらしいのだが、わたしはクリアしたとはいえない。
 ネタバレだが、事前にウィキなどであらすじや登場人物の説明を読んでおくとよいだろう。

参考 失われてゆく、我々の内なる細菌 には、 ヒトの体を構成する細胞の70〜90%がヒトに由来しない。逆に言えば体の中にそれだけの細菌が住んでいる。その数は100兆個にもなる。 という。
posted by たくせん(謫仙) at 06:11| Comment(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする