2021年01月10日

武媚娘傳奇の碁

武媚娘伝奇の碁
2019.8.01記
2021.1.10改訂

 テレビドラマ「武媚娘傳奇」を視た。
 武媚娘(ブビジョウ)とは武則天あるいは則天武后といわれる人物である。諱を照、幼名は媚娘と名付けられた。
 生年624年−没年705年の物語。637年13歳の頃に入宮。
 今回の話は武媚娘の二十歳前の頃である。(第14回)
 時代は唐の太宗李世民(在位626−649)の時代。日本では奈良時代であった。平安京遷都が行われたのが710年であり、その前である。
 後宮では、様々な陰謀が渦巻いており、武媚娘もその攻撃の対象にされていたが、それはともかく、表では、外国の使節を集めた宴が開かれていた。
その中に東瀛国手・物部天守もいた。

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 東瀛とは日本を指す雅称。国手は日本でいう名人で、現在も使われている。

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 武媚娘は「東瀛第一は吉備真央」と指摘する。
 物部天守も吉備真央も人名がそれらしい。
 物部天守は「負けたら腹を切る」と言って碁を打つ。
 ここで問題が発生する。切腹である。切腹は平安時代の武士階級で始まったといわれるが、平安時代は名誉ではなかった。たんなる自殺の方法、それなのに遙か昔の奈良時代の文官がするはずがない。

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 大盤で対局することになる。太宗の妃が相手をするが、毒により体調が悪くなり、途中から武媚娘が代わりに打つ。
 当時こんな盤石があったかどうかはともかく、問題点が2カ所。
1 四スミの置き石がない。当時は四スミの星に置いてから始めた。
2 碁笥の位置が逆である。二人とも右利き。このような埋め込み式の碁笥は、逆にしそうなもの。
3 横が20路、これは問題点というより、たんなる間違いでしょう。

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 まるでプラスチック製みたいだ。なんで作ったのか。この線はテープかな。
 この手で終局。どう見ても終局とは思えない。この後を省略して、そしてそれは持碁になった、と思える。

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 これは天龍八部城(大理)にあった物。実用とは言いがたいが、理にかなっている。

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 倒れた妃の看病をしている武媚娘に、太宗は「故意に“和局”にしたな」と叱る。

 和局とはジゴのこと。だから投了せず、終局まで打ったと思える。
 19×20路、コミなしならば持碁になることが多そう(^_^)。
posted by たくせん(謫仙) at 13:38| Comment(2) | 武侠の碁 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする