2023年06月01日

サピエンス全史 ホモ・デウス 続き

 サピエンス全史 ホモ・デウスの続き ではあるが、民主の国とは の続きでもある。

ホモ・デウス 下
 本の話は他で読んでいただくとして、ここではわたしが気にとめたことだけにする。
 以下のように、この本はわたしの意見に共通するところが多い。もしかしたら、多くの人がそんな感想を持ったのではないか。

88ページ
……、自由主義は、競争相手の社会主義やファシズムからさまざまな考え方や制度を採用した。とくに、一般大衆に教育と医療と福祉サービスを提供する責務を受け入れた。とはいえ、自由主義のパッケージの核心は、驚くほどわずかしか変わっていない。自由主義は依然として個人の自由を何よりも神聖視するし、相変わらず有権者と消費者を固く信用している。

94ページ
 もしあなたが国民保険サービスや年金基金や無償教育制度を高く評価しているのなら、……マルクスとレーニン(……)によほどたっぷり感謝する必要がある。

 自由主義は、社会主義との競争で、「一般大衆に教育と医療と福祉サービスを提供する責務を受け入れた。」が、社会主義国がほぼ消滅しても、それは取り消さなかったのだ。
 では社会主義国が消滅しなければ、もっと充実したかといえば、それは怪しい。経済力とのバランス問題だ。経済力のない自称社会主義国ではこの社会主義的制度は不可能であろう。
 多くの思想や宗教哲学は、その成立年代の生産方式や生産力と結びついている。パソコンやインターネットのなかった時代に成立した思想に、現在の生き方を求めるのは、無理があろう。社会主義は蒸気機関やようやく電気の用いられた時代の哲学で、そのままでは現代では通用しない。自由主義社会のように現代的にアップする必要がある。

89ページ
 中国は依然として共産主義であるというのが建前だが、実際には大違いだ。中国の思想家と指導者のなかには儒教への回帰という発想をもてあそぶ者もいるが、それはおおむね便利なみせかけにすぎない。

 いまだに中国を共産主義だと思ってる人が大勢いる。中国の悪いところを指して、「これだから共産主義はダメなのだ」と。
 しかし、わたしは中国を共産主義国だとは思っていない。
 古代中華の象徴として、「礼は庶人に下らず、刑は大夫に上らず」という言葉がある。
 政府高官は刑罰を受けないという特権だ。これを現代でも実行している(と思われる)。だから賄賂は当たり前。賄賂ではなく、自分の領土からの税収くらいに思っているようだ。
 大夫は礼によって規制される。人格優れた人が建前だ。だから刑罰は不要。しかし、トップの疑念を招けば、つまり人格が疑われれば処罰の対象となる。証拠もなく疑念だけで処罰されるのだ。
 この思想は孔子の時代の思想で、清の時代になっても科挙の中心科目だった。
 もっとも科挙に合格するような人は、かなり頭のいい人だ。だから政治においてもかなりのことはできよう。しかし、孔子の時代の政治思想が今でも優れているとは思わない。
 科挙はなくなったが、精神はほとんど変わっていない。中国共産党は共産主義を自称しているが、儒教思想は抜けきれていない。そもそも中国の経済力では共産主義は無理だ。
 さて、共産主義社会になるとどうなるか。おそらく誰も共産主義のことなど気にしなくなるのではないか。
posted by たくせん(謫仙) at 17:10| Comment(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする