2024年07月09日

グイン・サーガ・ワールド1

2011-6- 記
2024-07-08 追記

グイン・サーガ・ワールド 1
栗本薫ほか   早川書房   2011.5
 2009年に亡くなった栗本薫の代表作、グインサーガは未完のままになってしまったが、そのグインワールドを書き継ごうという人たちの、その外伝集の第一巻だ。

     guin11.6.27.jpg
 表紙の絵を久しぶりに加藤直之が描いている。初期辺境編は加藤直之だった。懐かしい。
 グインの豹頭が、なんとなく人らしい表情なのだ。呪縛が解けると人頭に戻る感じがする。他の人の豹頭は豹の頭をくっつけた感じで、(豹頭の)人らしい感じが弱い。

 ドールの花嫁 栗本薫
 遺稿発掘とある。若き日に途中まで書いて止めてしまった。若き日のナリス。
 その当時書いていた本編とはずれが生じたらしい。わたしには判らない微妙な差だ。
 文体が少し古く、初期のグインサーガを彷彿させる。

星降る草原 第1回  久美沙織
 草原の鷹スカールの、出生の秘話である。その母の数奇な運命を語る。
 小説道場で著者の名を知ったが、投稿は記憶にない。異常な愛を語ることができる。わたしには苦手な話だ。

リアード武侠傳奇・伝 第1回  牧野 修
 今日は特別な日だ。
 出だしの第1行がこれだった。これだけで栗本薫ではない、と思ってしまう。
 栗本薫なら、「今日は特別な日であった。」であろう。たったこれだけで、違和感が生じる。
 講釈師のような立場の語り手は、講談調でリアード武侠を語るが、いきなり現代口語が挟まってしまう。わざと入れたと思いたいが、読んでいて、いきなり調子が崩れてしまうのだ。その前に、講談調の文も調子が悪い。そのためいまひとつのめり込めない。そしてミステリー事件が起こるが、このミステリーは成立するのか。違和感が消えない。

宿命の宝冠 第1回   宵野ゆめ
 三話の中でこの小説が一番栗本薫に近い。栗本薫を詐称したら気がつかないであろうと思うほど。できは判断できないが、わたしの好みに合う。
 沿海州の男装の姫が中原を巡ってから、故国の危機を知り帰ってくる。しかし、素直には帰れない事情がある。語り手はパロからきた世間知らずの青年。
 これだけは続けて読みたいと思う。

日記より
 夫君今岡清さんが発表した、栗本薫の日記の一部だ。
 最初は中学一年。それから作家としてデビューするころまで。異様な精神状態を感じさせる不思議な文章である。

エッセイ
 そして今岡清さんが栗本薫を語る。
 文を書くことにとりつかれ、死の瞬間まで書き続けた、栗本薫のすさまじいと思える精神状態。これでよくあの大人の物語を書けたと思う。特に死の床に伏してからの、精神も病んでいたのではないかと思えるほどの異常な行動や言語。それを暖かく包む今岡清さんの感性。これで栗本薫は大人なのかと思えるほどだが、妙に納得できる話だ。

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2024-7-8 追記
 本編も語り継がれていた。130巻以後148巻まで出ている。
 著者は「五代ゆう」と「宵野ゆめ」の二人。宵野ゆめさんは体調が悪くなり、最近は五代ゆうさん一人で書いている。
 これだけ長いと、あちこちにある伏線が、正しく回収できているのか心配になる。(というような意味の著者のぼやきがあるほど)

 宵野ゆめさんは文体も栗本さんに似ている。五代ゆうさんは描写力がある。ありすぎる。そこが栗本さんに似ている。
  ↑ 気がついたと思うがこの文、わざとおかしく書いた。本文中に、このようなアレッと思わせるところが何カ所かある。

 久し振りに続きを読んだので、全体を整理してみた。
posted by たくせん(謫仙) at 08:03| Comment(2) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年07月08日

グイン・サーガ118 クリスタルの再会

07-12-26記

    栗本薫   早川書房     118巻 クリスタルの再会
 この物語も118巻まで来た。本来100巻の予定であったが、終わらずに続いている。当分終わることはないであろう。
 ほとんどの本は図書館から借りて読むわたしが、この本だけは今でもお金を出して読む。
       guin118.jpg
 初期は擬古文というこった文体で綴られていたが、今では普通の文体になってしまっている。また初めのころは度量衡などが定まっていなくて、矛盾が生じたりしたが、まもなく統一された。
 一度設定した都市が、話の都合によって移動したりしたこともある。もちろんSFといえども許されるはずがない。
 SFを知らない人は、もともと荒唐無稽だから、と考えるが、SFだからこそそのあたりは厳格に考えるものなのだ。
 ある条件を設定したら、たとえば重力が半分になったらなどと決めたら、最後までそれで通さねばならない。重さは半分になり、人間の体は現在の体格を維持する必要がなく、骨はカルシウムが溶け出し……、なとど矛盾しないようにするのだ。
 都市の移動の問題では、ファンレターで指摘し、愛読者プレゼントを頂いた。
 毎回3人に出していた愛読者プレゼントも今ではなくなった。

 さて、実は今回設定上の大問題(?)が発生した。
chizuguin.jpg
 一行が馬車と騎馬で右の湖の近くミトから国境の町サラエム向かっている。目的地はパロの都クリスタルだ。

p20
 …グインだけでも、船でランズベール川をさかのぼって、クリスタルに近づいたほうが……
 ここでは「さかのぼる」のではなくて「下る」とすべき。
p66
 ミトからランズベール川の下流をめざし……
 地図を見ると判るように「ランズベール川の上流」とせねばならない。ミトからサラエムに向かったので、このあたりは上流かあるいは中流であろう。ここでは単なる勘違いと思っていた。そして、p20の「さかのぼって」が気になりだした。
p76
 ランズベール川にそってのぼるようになり……
 とあり、ここで、作者の単なる勘違いとはいえない、と思えるようになった。
p132
 クリスタル・パレスの真後ろを流れるランズベール川もこのあたりまでくると、かなり幅の広い川となり、最終的には自由国境地帯の山中の湖に流れ込んでいる、ということだった。
 ここまでくると、作者はイーラ湖から山中へランズベール川が流れていると思っていることが判る。
 実は以前にも同じ記述があった。この地図が間違っていると考えるべきか。山中の湖にと言っているのでわたしは作者の勘違いだと思うが。
 ここ10巻ほど、登場人物の長広舌が気になる。回想も長い。今回はいつも口数の少ないヴァレリウスまで長広舌になっている。作戦的に長く喋っていると考えたいが、どうもそうではない。まるで人格の変換が起きたようだ。
 そのため内容がかなり薄くなっている。この10巻を3巻程度に縮めたら、普通の流れになったか。
 もうひとつ挿絵画家の問題。この画家は美人と言うと巨乳にしてしまうのだ。ほっそりとしたリンダまで巨乳。バランスがとれず醜い。115巻では男の恰好で傭兵稼業をしているリギアも巨乳にしてしまった。それで鎧を着る傭兵稼業ができるか!
 本文での描写力は相変わらず。この描写力があるから長くなってしまうのだ。
 小説は描写すること。美しいといわずに、どのように美しいのか、それを描写するのが小説である。というだけあって、描写力はずば抜けている。この描写力が仇となることもあるようだ。

   ……………………………………………………
 第97巻当時の紹介文
 今回は久しぶりに気持ちよく読めた。
 曖昧だったマリウスとオクタヴィアの関係を、お互いが納得して別れた。その納得の仕方が納得できたのだ。
 そもそも、オクタヴィアが皇族の身分にしがみつくのを、マリウスが、それを捨てろと言ったのが発端だった。反発すると、なんとマリウスは王子の身分を捨ててしまった男であったのだ。そこにマリウスの言葉の重みがあった。
 それで、オクタヴィアも皇族の身分を捨てて、二人で夫婦となって旅に出た。そして、それなりの幸せを得ることができたのだ。
 子供ができたり、その他の事情があって、オクタヴィアは皇族に戻ることになるのだが、そのとき、王子であることを捨てた夫が、皇族に戻ることをいやがることが理解できなかった。宮廷人たちもそうだ。マリウスが出て行ってしまって、そのことにオクタヴィアは気が付いたのだった。
 幸い、父の皇帝はマリウスの歌を初めて聞いて、そのことを理解したので、オクタヴィアは肩の荷を下ろすことができたのだ。
 マリウスたちがサイロンに戻って来たときに、その歌を披露させるべきだったが、その機会がなかったのはオクタヴィアのミスと言うべきか。
 本来、二人の発端はそうでも、それなりの事情によって戻ったのであって、夫はそれを理解し、協力しなくてはいけない。だがマリウスはそれができない人であった。だからこそ、王族の身分を捨てたのだ。
 今回はその再確認でしたね。
   ……………………
 黄金の輝き
 わたしはとても貴重な思い出がある。いまとなっては、それが本当にあったのか定かでない。
 あるクラシック歌手が、唱歌を歌っていた。そのとき、わたしのまわりにある諸々が黄金に輝いたのだ。その輝きは、歌声が止むと消えてしまった。そのとき、わたしは涙を流して感動した。
 それからクラシック音楽に興味を持ったが、あの感動は二度と味わえなかった。
 ある時、クラシック歌手が演歌を歌ったことがある。日頃「演歌は音楽にとって有害だ。法律で禁止すべきだ」と言っているクラシック界の人の歌は、と期待した。それがあまりの酷さに愕然としてしまった。
 演歌歌手より見事に歌って、その上で、「クラシックはもっと素晴らしい、皆さん聞いて下さい」と言うのを期待していたのだ。
 だが日本語の発音さえまともにできない歌手に演歌は無理だった。わたしの同僚でももっとうまい。
 それ以来、クラシック音楽への興味は全く消えてしまった。

 吟遊詩人マリウスは、まわりを黄金に輝かせることのできる歌手なのだ。そしてわたしは、マリウスの歌うシーンがあるたびに、涙を流して感動したことを思い出す。
 皇女オクタヴィアは、自分と娘マリニアを置いて出て行ってしまう夫マリウスに、失望したり弁護したりするが、やはり聡明な女であった。マリウスの生き方を納得することができたのだ。それもすべて、あの歌の魅力を知っているからではないか。
   ……………………
 今回は「マリニアちゃん」「勝ち組」という言葉があって、違和感を覚えた人がいる。
 もともとこの物語は擬古文の世界であった。
「…マリウスを伴っては、はかが行かぬ」と。
 それがいつの間にか普通の文体になっていった。この文体では皇族といえど、私生活では「マリニアちゃん」はあり得ると思う。
 だが、勝ち組はどうか。
「勝ち組」の意味をどう取るか。わたしは勝ち組の意味を、
 負けたのに、目をつぶってその現実を見ず「俺は見なかった、そんなことはない。勝ったんだ。絶対に勝った」と叫んでいる人たちの意味ととっているのだが。
 いまだ第二次大戦は「本当は日本が勝った」と言っている人がいるのだ。
逆に「負け組」は、負けた事実をしっかり見て再出発をする、「真実を見ることのできる人」の意味にとっている。

  …………………………………………………
 第83巻当時の紹介文
 この個人では世界最長の物語、全100巻を目指して、ようやく第83巻まで出た。約22年かかっている。
 外伝も16巻出ている。このまま100巻で完結するかどうかで、ファンはかまびすしい。
 一説に、「とても終わりそうもない。100巻は経過点で、最終的には全200巻を目指している」という。
 物語の特徴は、正義とは悪とはなにかが、絶えず問われることだ。昨日まで正義だったものが、今日は悪になる。
 人が変わる場合もあるが、人は変わらず世間が変わることもある。国により、時代により、立場により、入れ替わる正邪の概念をしめし、決して一方的に決めつけない。
 アメリカ育ちの過去のSFは、宇宙時代でも腰に拳銃をぶら下げていて、銃のうまい方が正義という、現在のアメリカの正邪の概念をそのまま引き継いでいることが多い。
 しかし、アポロ計画の宇宙飛行士が、拳銃は持たなかったように、航空機では武器の持ち込みが禁止されているように、おそらく武器を持ち込むことはなかろう。
 日本のSFはここから出発したため、わたしには日本のSFの方が優れているように思えた。また、グインサーガはこの象徴のように思えた。
 実際には外国のSFも同じように進化しているはずだ。
 現在、東方キタイの国のヤンダルゾックという竜王が中原への侵略を計画している。これをいかに防ぐかが、登場人物たちの主な関心事である。
 このキタイの、旧都がホータン、新都がシーアンという。漢字で書けば「和田」「西安」となるのだろうか。思わず笑ってしまう。
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グイン・サーガ122 豹頭王の苦悩

2008-8- 記

グインサーガ122   栗本薫   08.8
 王妃シルヴィアの病に悩み乱行を知ったとき、自分の力では王妃を救えないと悟り、別離を決意。別れの挨拶をして部屋を出る。

 それが、ケイロニア王グインが、その王妃とこの世であいまみえた最後であった。

 いやあ、なんとあっさり決めてしまったことか。グインではなく著者の話ですが。ここで話を聞いて、別れるならもう一冊くらいかけて別れを決意すると思うが、今回はたった3ページで決めてしまった。
 もっともそこに至るイントロで二冊近くかかっているので、それを考えると不自然ではないか。

 この巻ではローデス侯ロベルトの存在が輝く。盲目であり次男でありながら、兄の死で当主になったという。頭脳明晰で人の弱さを理解でき、シルヴィアの事を理解できるたった一人の人物である。宰相のハゾスが策を弄するのを批判し正しいと思う道を示すが、それでも最大の協力者となる。だからハゾスは苦悩を打ち明けることができたのだ。
「私は、もともと、なんでもよく出来る兄の下に生まれ、ローデス侯家の厄介者で終わるはずでしたからね。…略…。ですから、私にはシルヴィア姫のお気持ちもよくわかる気がするのです。―良くできたきょうだいを持って、おのれは何にもできぬとそしられているものの気持ちが」
 まさに哲学者だ。ケイロニアの苦悩、ハゾスの苦悩を引き受け処理をしてしまう。この人の存在でケイロニアは救われたのかも知れない。
 病の身とはいえ傑出した英邁なる皇帝アキレウス、軍神にして人情のわかるグイン王、各国の宰相では最も優れていると思える宰相ハゾス、軍事的には無力ながら心の支えとなるロベルトなど、優れた人物の多いケイロニアのたった一つの問題が王妃シルヴィアであった。
 この問題は終わったわけではないが、一時危機を回避した。
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グイン・サーガ129 運命の子 

09-10- 記

運命の子 グインサーガ129
栗本薫   早川書房   09.10

 著者2009年2009年5月29日に亡くなってから、127巻「遠いうねり」、128巻「謎の聖都」、129巻「運命の子」と三冊目だ。
 127巻の時は亡くなって間もなくだったが、それから二冊。長編小説さえ書きためる著者の速さに驚かされる。
 古い話だが、坂田栄男が「作家なら年に一冊くらい長編小説を書いたらどうか」という意味の発言をしたことがあるという。並みいる作家は顔を見合わせたが、川端康成は「年に一冊、そんなにかけますか」と言ったという。簡単に長編一冊というが、年に一冊書くのは大変なことなのだ。
 それを栗本薫は十日もかからず一冊書いてしまう。ワープロの普及もあり、内容の濃さも違うので、一概には言えないが、脅威の速筆である。このシリーズも、亡くなるとき間もなく発行される127巻に続き、二冊分も書き残している。聞くところによれば、まだ半冊分くらい残っているらしい。
 130巻も出るのではないか。小説の残された半冊分と梗概のような今後の予定などあれば載るのではないかと思われる。
        unmeinoko129.jpg
   
 さて、この巻は、スカールとヨナが、次代のリーダーとなるであろう運命の子スーティとその母フロリーを、ミロク教団から助け出そうとする話だ。まだ話は終わっていない。
 それ以外に、この巻はもうひとつ重要な意味がある。外伝第一巻、「七人の魔道師」の巻でもあるのだ。サイロンに病が猖獗するが、なんとか治まった。本伝の話と外伝の話に齟齬があると思われたが、なんとか形を付けた。七人の魔道師が書かれた1981年からすでに30年近くたつ。平仄が合わない部分があるにしても、ここまできてようやく、七人の魔道師にたどり着いた。
 これからこの物語が新しい展開をする予感かしたところで、未完のまま終わることになる。

 千人をはるかに超える登場人物にそれぞれ個性を持たせ、正邪は定かではなく、いろいろ謎を秘めて、未だ全体像が見えてこない物語だ。
 前後矛盾したり、(個人で書いた)世界一長い小説と自慢したり、内容が薄すぎる巻があったり、文体が変わったり、問題もいろいろあることはあるのだが、とにかく長い間楽しんだ。わたしは第10巻から買い始めた。
 挿絵画家もいろいろ変わった。最初の加藤直之と最後の丹野忍がいい。天野喜孝は絵が汚く美人が美人にならないので嫌いだった。
 丹野忍はこの表紙のように、普通の油絵として美術館に飾っておきたいような絵だ。
posted by たくせん(謫仙) at 05:47| Comment(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

グイン・サーガ130 見知らぬ明日

09-12- 記

栗本薫   早川書房   09.12
       guin130.jpg 
 ついに未完のまま最終巻となった。わたしは1〜9巻までは妹の本を借りて読んだ。第10巻から買い揃え、121巻持っていることになる。
 そしてその中には二冊持っている巻がある。一冊は読者プレゼントで頂いたもの。栗本薫のサイン入りである。
 それ以外に外伝もある。外伝は何冊になるだろう。

 外伝第一巻にサイロンの危機が書かれている。はじめ100巻で終わりにすると言っていたが、100巻を越えても、とてもサイロンの危機になりそうもなかった。ところが129巻になって、そのサイロンの危機が現れた。ようやくたどり着いたのだ。
 その間予定外の話も挿入されたと思うが、なんとか一周したように思う。そうして、続編とはいえ、また新たな物語が始まる。
 ゴーラ王の意外な行動は黒龍戦役の再現となるのか。パロの二粒の真珠の成長物語でもあるように、次のこどもたちの成長物語となるのか。
 いろいろ推測されるが、ともかくこの物語は終わった。
 小説とは自分の創造した世界を物語ること、という著者の面目躍如たる小説であった。これだけの長大な物語で30年も楽しませてくれたのだ。冥福を祈ろう。

 最後であるが、ある苦情を申し上げたい。
 グイン・サーガで言った川の話の再現である。
chizuguin2.jpg
 ユノから真っ直ぐに下りてくるあたりなので当然クリスタルの東である。
P124 イラス川とランズベール川、クリスタル市から流れ出てくる二つの大河を、
 地図でも判るように山間部から流れ出た川は、クリスタルを通ってイーラ湖に注ぎ込む。「クリスタルに流れ込む二つの大河を」とすべき。
P127 イラス川を渡ったらもうちょっと下流へ−場合によっては自由境地帯までも下りてみたほうがいいかもしれん。
 自由境地帯は川の上流、下りるのではなく登る。
P128 ランズベール川にそって下流に向かっておけ…
 これも上流であろう。
 この記述から、川の上下を誤解していることが判る。

 もうひとつ、これはカバーの絵だ。いくら女剣士といえ、乳房をそっくり再現させたような鎧があり得ようか。画いたのは丹野忍。絵はうまいのだが、こういう非常識なところがある。リンダやリギアを巨乳にしたりした。
 この物語でわたしの最も好きな登場人物は、魔道師宰相ヴァレリウスである。まだまだ引退はできそうもない。

 グインサーガ これは《異形》の物語であった。
posted by たくせん(謫仙) at 04:00| Comment(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

グインサーガ全130巻を読み返す

2017-  記

栗本薫   早川書房
 約2年かけてグインサーガ全130巻を読み返した。
 1979年(昭和54年)9月の第1巻『豹頭の仮面』以来、2009年(平成21年)5月26日、著者が亡くなるまで、30年間にわたり執筆されて、いまだ未完である。
 わたしは第10巻が出た頃に知り、一気に10冊読み、以後は出版の日を待ち焦がれて本屋に通った。
 外伝も22巻あるが、今回は本伝130巻だけを通して読んだ。

 地図上の問題
 グイン読本にカラー地図がある。前に紹介した地図を再掲する。
chizuguin-2.jpg

 海や湖や川は青、海岸部や盆地など低い土地はみどり、高くなるにつれて茶色が濃くなってくる。つまり普通の地図と同じなのだ。地図を見慣れない人でも判ると思う。登山地図になれた人には当然で何の疑問もない。
 ここでは、イーラ湖を底とするパロの盆地、オロイ湖を底とするクムの盆地があり、流れ込む川はあっても、そこから流れ出す川はない。
 ダネイン大湿原も盆地より高いところにある。
 イーラ湖に接続するランズベール川がある。パロの盆地がみどり、少し東に行くと、薄い茶色、そして川はたんだん細くなり濃い茶色のアルシア連山あたりで消える。どう見ても、アルシア連山から流れ出し、イーラ湖に流れ込むように見える。
 しかし、本文の記述は、イーラ湖から流れ出し、下流のアルシア連山の山中に消えると一貫している。水の流れの方向、上流下流の記述も、一貫している。
 アルシア連山の裾野は、イーラ湖より低いところにあることになる。
 わたしは今まで間違っていると書いたが、記述が一貫しているなら、むしろカラー地図が間違っていると考えねばならない。地図作者が誤解したといえる。ただ著者も目にしたと思うので、地図作者を責めるわけにはいかない。
 読み落としていたが、ダネイン大湿原は中原では最も低い土地にある、という記述があった。そうなるとこれもカラー地図が間違っている。パロの盆地の水はランズベール川で排水され、ダネイン大湿原にも排水されていることになる。
 草原地帯は少し高いところなので、ダネイン大湿原から流れ出るアルゴ川は大峡谷になっているのかな。もっとも草原の民は自由に移動しているので、切り立った崖ではないだろう。
 それよりここもカラー地図の間違いと考えた方が早い。
 おそらくパロの盆地は地図よりかなり高く、ダネイン大湿原や草原はかなり低いと考えるところだ。

 もう一つ。
 実際には30年130巻にわたって書かれた。主人公が何巻も登場しないこともあり、5年ぶり10年ぶりに登場する人物もいる。そんなとき読者は「この人誰だっけ」「あの当時の細かいことは忘れた」という状態になる。
 小説ではさりげなくそのあたりを説明している。会話であるとか、立場の違う別な人の述懐だとか、今までのあらすじ風の説明とかで、久しぶりの登場人物やその当時のことなどを読者に思い出させる。これが実に巧みである。
 巧みではあるのだが、今回のように一気に(と言っても2年)130巻を読むと、しかも2度目なので、その人や過去のことを覚えている。そうなると、前に読んだところをもう一度読んでいるような錯覚に陥る。この巧みさは長い間の連載の時は生きるが、一気読みでは逆効果でいらいらするほど。今までのあらすじ、過去の説明ばかりで、いっこうに話が進まない、という状態になる。これは意外だった。
 考えてみれば、初読当時もけっこうだれた感じがしていた。いつまで経っても話が進まない。どこかにそんなことを書いた記憶もある。
 このことで、十年後二十年後の三度目読みはないとみて、本の処分を決意した。

 未完で作者が亡くなった。この先の梗概のようなメモなどを期待したが、なかったらしい。
 その後、グインサーガワールドとして、他の作家がグイン世界を書いている。わたしはその第一巻を読んだが、第二巻以後は読んでいない。機会があれば…と思っていたが、なぜか積極的になれないのだ。本屋でも見ないし…、などと自分で自分にいいわけをしている。
posted by たくせん(謫仙) at 03:56| Comment(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

グイン・サーガ 外伝1 七人の魔道師

2008-7- 記

    栗本薫  早川書房   1981.2
 古い本だが、読み直した。
 この外伝の設定と、現在進行中の本伝の設定との間にはかなりの齟齬か生じている。それがどうなるかで、ファンの間で、論争が楽しまれている。
 今回の再読で、わたしもいくつか気がついた。
 日本のヒロイックファンタシィは、この本によって始まったと言っても過言ではない。
 いろいろな意味で、記念碑的な物語である。

 ケイロニアの首都サイロンに起こる怪事の数々。
 これには、600年に一度の星々の会があり、そのエネルギーを利用しようとする魔物たちの暗躍があった。
 そのエネルギーを利用するにはケイロニア王グインが必要であった。グインはその信管であったのだ。
            
 著者は本伝で「南無三」という言葉を使ったことがある。
 読者から、これは仏教用語で、ここで使うのはおかしいという話があった。
 これに対し、この場面ではこの言葉がふさわしいと、説明していた。

 これはどうか。
 本書「七人の魔道師」は、600年に一度の星々の会があり、グインはそのエネルギーの信管であることが物語の根元である。しかし本編では、この時代に火器は存在しない。

 火器のない時代に「信管」で意味が通じるだろうか。
 「引き金」ならば、日本語に翻訳した(?)とき、一番ふさわしい表現だったと、することかできる。(「南無三」のように)
 だが「信管」という漢語を使った以上、火器がなくてはならない。

外伝は この世界はメートル法の世界であった。 
本伝は メートル法ではない。

外伝 ケイロニアの皇女(グインの妻)は、グインを拒み続ける。
本編 つねに側でかまってもらいたがる。

等々、齟齬とその解決策を楽しめる物語である。
posted by たくせん(謫仙) at 02:50| Comment(2) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

グイン・サーガ 外伝22 ヒプノスの回廊

2011-2- 記

 グインサーガ外伝22 ヒプノスの回廊  
栗本薫   早川書房   11.2

        hipunosuno.jpg

 著者の死去によって中断してしまった「グインサーガ」の別巻22であり、文字通り最終巻である。なお、他の作家がグインの世界を書き継ぐ計画があり、5月にもその第一号が発行される予定である。
 わたしはそこまでつきあえるかなあ、と思っているが、図書館にあれば読みたい。それはともかく。

 この本はいままで収録されなかったものを集めて、これでグインサーガの全ての作品が本になった。
 表題作におけるグインの故郷の星のありようが、違和感がある。「新・魔界水滸伝」のような国を考えていたのだが、これではなぜグインが生まれてきたのか納得がいかない。これを書いた当時はそう考えていたのか。それともこのような夢を見ただけの仮の姿か。

 「氷惑星の戦士」というグインとは異なる短編もある。グインに先行する小説であったという。これでは大きな物語にはできないので、あらためてグインサーガを考えた。
 となると、違和感があるものの、グイン世界の一部として集めたことになる。
 全部で6編

 表紙の絵であるが、このてのアンバランスな絵が多くなった。臀部付近だけを露出し、それ以外は全て隙間なく覆う。こんなスタイルはあり得ないだろう。
 ビキニでもいいし、全裸でもいい。「フェラーラの魔女」スタイルならかまわない。しかしこのスタイルはまるで覗き。画家のセンスを疑う。
posted by たくせん(謫仙) at 02:49| Comment(4) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする