著者は朝日新聞の観戦記者であり、ペンネームは「春秋子」
古今の碁を読み込んだ和歌・俳句・川柳・都々逸・詩・漢詩などを紹介し、その碁の心を解説している。
源氏物語や枕草子から、紫式部と清少納言の棋力を推し量るあたり、「烏鷺寺異聞」を思わせる。
最初は紫式部である。源氏物語は優れた現代語訳が多いが、詳しく読んだ人は少ないだろう。
以前は、碁を知らない人が訳したため、各所に出てくる碁のシーンの訳文に誤りが多いと言われていた。わたしは具体例を知らないが、最初にその例を取りあげている。
「けちさす」とあり、岩波の大系では駄目詰めの意味に解説している。(その解説文もあるが、碁をよく知らない人の解説文らしい)
ところがその後に劫を争う。
駄目詰めをしてから劫を争うとはおかしな話。そこで著者は、ヨセを打つことと説明している。こういう囲碁用語を正しく使えるのはレベルが高い。
そんなこんなで、紫式部は有段者。
清少納言は、
「…相手が不備のあるのを気づかず、欲張って別なところを打っている間に、思いもよらぬ方向から行動を起こして眼形を奪い、ついに本体の大石を仕留めてしまう。こんな勝ち方はうれしい。誇らしげに高笑いして、地を囲ってただ勝つより、すうっと誇らしい」…
技術論としても第一級です。紫式部より上ではないかと想像しますが滅多なことはいええません。
わたしも「不備のあるのを欲張って…」負けることが多いので身につまされる話でした。
芭蕉翁は多く碁の句を残し、碁が好きだった。
正岡子規の句もある。
夏目漱石の猫の中で、駄洒落合戦をしながら碁を打っている様子は秀逸。碁を知らないとは思えない。
あるいは菅原道真の漢詩、あるいは古今集から、と縦横無尽。
本因坊算砂は、心構えの歌を沢山残している。
「碁仇は憎さも憎し懐かしさ」この川柳は落語「笠碁」のまくらに必ず出てくるので、ご存知でしょう。
また明治の元勲大久保利通の漢詩とか。
このほか狂歌・浄瑠璃・歌舞伎なども取りあげている。
とびっきりの都々逸を紹介する。
水のたまった 刈田の碁盤 月が一目 先に置く
さんかめまつ(三亀松=やなぎやみきまつ)の都々逸しか知らないわたしには目の覚める思いがした。
なお、月なら白石と見るところだが、白が先に置くことはない。
歌人馬場あき子さんの歌もある。
別な本の紹介で書いたことがあるが、馬場あき子さんは碁を打てないらしい。碁を打てない人が碁の秀歌を作る。不思議な気がする。
「自分が打つより、碁を打っている男性の姿を見るのが大好きです。…哲学的で思索的で…。スポーツ? あれはいけません。せこい顔をしていますよ」
いいことを言いますね(^。^))。でもスポーツでもいい顔もあるけどなあ。
終わりの方で多くの漢詩を紹介している。
わたし(謫仙)の前半生は、あちこちで読み間違え、紛れを求めて更に悪くし、ヨセに後れを取り、ついに負けてしまった。ただ勝つことに拘らなかったが故に、打ち終わることができた。
「これも一局の碁でしたね」