金庸小説は全部翻訳されていて、わたしは全て読んだが、同じような武侠小説でも他の作家はそれほど読まない。
金庸小説の特徴は、碁の話が出てくることと、老人と女の子が元気なことであろうか。更に歴史性を持っていて、ラブストーリー。
前にも紹介した、天龍八部・書剣恩仇録・碧血剣・倚天屠龍記と、けっこう碁に重要な意味を持たせている。
なお、碧血剣は現在テレビ放送中(チャンネルNEKO、毎週2話ずつ、計30話)だが、わたしはテレビを持っていないので見ることができない。DVDをパソコンで見ている。千寿会では風弟もテレビを持っていないと言っていた。風弟は買わないのだが、わたしは買えない。
老人の話をしよう。
天龍八部では、六十歳を過ぎた趙銭孫(ちょうせんそん)と譚公(たんこう)とその妻譚婆(たんば)の若いときの三角関係が継続している。本来、趙銭孫と譚婆が恋仲で、ちょっとした諍いから譚婆は譚公に嫁いでしまう。それが六十歳を過ぎても、譚婆がちょっと趙銭孫を見たといっては夫婦げんか。趙銭孫も今でも口説こうとする。枯れていません。死ぬ時まで恋の鞘当て。
また、96歳の天山童姥(てんざんどうぼ)と88歳の李秋水という超超熟年女性が、93歳の無崖子(むがいし)を巡って、若いときから命を張って戦っている。当の無崖子は別な女に恋していてる。それを死の間際に知ることになる。一生をかけた戦いはなんだったのか。
さらに上がいる。神G侠侶(中国では、Gの字は使えないので雕の字で代用して神雕侠侶としている)の周伯通はあるとき過ちを犯し(どんな?)、相手の瑛姑(えいこ)はそれ以来、皇妃の地位を捨て、たったひとりで荒野に住み、周伯通を恋い慕い会いたがっていて、61年後に念願が叶う。この時、周伯通はおよそ105歳。瑛姑は不明だが85歳くらいか。
女の子では、黄蓉が家出をして、江湖をさすらうのは15歳か16歳。家出をしたときにはすでに学問に通じている。高次方程式をすらすら解き、古今の書の大事な部分は暗記していてよどみなく、物理や薬学にも優れ、もちろん武芸は一流。兵法も知っていてチンギスカンのサマルカンドの戦いでは、影ながら参謀役となる。特に料理の腕は絶品で、これで食いしん坊の洪七公を籠絡するという小悪魔的な少女。続編の物語で大人になってからは女諸葛といわれる。
黄蓉の娘郭襄は武芸はそれほどでもないが、15歳にして、片腕の英雄に恋をし、結果的に宋を救うことになる。その姉の郭芙は16歳のとき英雄の腕を切り落とした。
聖姑も16歳くらいで日月神教の重鎮で凄腕。小龍女は永遠の18歳。碧血剣の夏青青は18歳、阿九は14歳。それでもうなみの兵などぶっ飛ばしてしまう。
こうして主人公なみに活躍するヒロインは、13歳〜18歳くらいがほとんど。
たとえば古龍(台湾の作家)ならば登場する女は熟女ばかり。ある人が金庸はロリコンで古龍はキャバクラ嬢が好み、といっていたがそのうナンです。
あるとき千寿先生は、現在の日本の囲碁人口は老人と子どもで壮年世代がいない、と言っていた。壮年時代の人がほとんどいないのは、仕事に忙しいばかりではないだろう。若いときに碁を学ぶ機会がなかった、あるいは機会を作らなかった。他に面白いことがあったのだろう。千寿会員も例外ではない。
老人はほとんど男だが、子どもは女の子も多い。若いプロ棋士には女性が多くいる。将棋界では女性は女流◯段といい、正式の段ではないとされているが、碁界は男女平等。それだけに男に負けない力が必要になる。
金庸さんが絶筆して四十年ちかく経つが、その小説の老人と女の子が元気なところ、今日の日本の囲碁事情になんとなく似ている。
金庸作品、そういえば最近は読んでいませんでしたが、女の子はそういえばそうだったような気がします。みんなとんでもない達人ばかりの世界でしたが、でてきた女性はそういわれてみれば美貌の少女が多かったように思いますね。言い得て妙です。
老人たちは仙人に近い達人ばかりですが、それも仙人の技術を習得したため。それは代々受け継がれるが、すこしづつ失われていく。だから老人ほど強い。
そういう老人と美少女の物語群ですね。