2008年07月18日

カウンセラー

   松岡圭祐  小学館   03.12
 著者には、前に紹介した千里眼シリーズと並立し時には混じり合う催眠シリーズがある。このカウンセラーは催眠の何作目になるのだろう。主人公は臨床心理士の嵯峨敏也。
 最近にしては珍しく、途中で飽きることなく、一気に読んでしまった。

 独特の音楽療法で不登校の学童を立ち直らせ、教育者として高い評価を受けた音楽教諭の響野由佳里。両親と二人の子どもが、13歳の少年に惨殺されたことから人生が暗転する。最近起こった秋葉原の殺人事件の犯人が13歳ならと考えれば判りやすい。
        kaunseraa.jpg
 由佳里は音楽の超一流の聞き手。ピアノを聞いていると、その人の心理がすべて理解できるという。
 13歳では、犯人と判っていても、法的に何も処置することができず、まるで事件がなかったかのようにせねばならない。しかも母親さえ怖がる問題児だ。
 由佳里は拳銃を手に入れ、四十九日の法要を利用し、復讐を謀る。その後は同じような13歳以下であるがゆえに、殺人が許された少年たちを次々に射殺していく。警察は知っていて見ぬふり。それは由佳里の特異能力に利用価値があったから。
 嵯峨敏也は由佳里の心を救おうと、ある高名なピアニストの演奏会を行う。
 このあたりでだいたいのオチが見えてきた。そう刑事コロンボと同じやり方だった。
 その演奏会では途中で立ち上がり外に出てしまった由佳里の科白。

「……。心はピアノの音色に表れるものです。メロディのうわべだけの明るさを強調することで聴衆を騙しおおせるという、欺瞞に満ちた弾き手の心情が見え隠れしています。ピアノのことがなにもわからない聴衆だと思っているんでしょう。こうした演奏は、弾き手本人に秘めごとがありながらも周囲にそのことを偽り、騙しおおせているという高慢な思い違いから生まれます。その秘めごとも人としての存在を超越し、あたかも神になったかのような思い上がりによって、自分以外の人々を見下すというきわめて卑しい種類のことにほかなりません。集流先生がふだんどのようにお暮らしなのか存じませんが、表と裏の顔を使い分けていることをご自身で認識され、表の顔こそ親しみに満ちていますけど、裏の顔の時は人知れず異常な趣味に身を投じておいでなのだろうと思います」


 由佳里はここまでビアノを聞いていただけで判るのだ。
 前後にももっといろいろと評している。
 この演奏は、由佳里が復讐する時にアリバイつくりのために弾いた演奏を、カードに録音したものだった。それを嵯峨敏也はピアニストにピアノを弾くふりをさせて、流したのだった。 由佳里は自分自身を批判したことになる。
 こちらはコロンボとはことなり、由佳里の心を救うためで、犯罪捜査が目的ではない。
posted by たくせん(謫仙) at 07:28| Comment(2) | TrackBack(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
面白そうですね。
音楽の演奏はその人の性格を反映するのかもしれません。
全ての芸術とはそういうものかも知れませんね。

それを何処まで、感じられるかは難しい問題ですが・・・
そして、聴き手の性格や、その時の感情によっても
違ってくるのかもしれませんね。

もっとも、そんなことを考えて音楽を聴くよりも
素直に楽しんだほうがいいようです。
Posted by オコジョ at 2008年07月18日 17:55
実際にそこまで感じ取ることができるのか。可能性の問題ですが、音楽に疎いわたしにはなんともいえません。
それでも、ある程度のことは判るようですね。
この本はそれができるとして、そうなるとどうなるか。というお話です。わたしなどは素直に聞いて楽しむしかありませんね。
プロの凄み。先日亡くなった大野晋さんと思いますが、点の打ち方一つで、その人の学歴を推定したことがありました。
アマの甘さ。かなりまえ慶応大学で、野球の相手投手をパソコンで分析して、利用しようとしました。結果は役に立たなかったのですが、
「次の球は内角のカーブと判っても、そのカーブを打てなくては……」

Posted by 謫仙 at 2008年07月19日 07:02
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