2008年07月26日

海嘯

   田中芳樹   中央公論社   1996.5
 北宋の滅びた後に南宋が成立する。宋の南半分である。
 いつの時代も江南の生産力によって、中国全体を維持していた。その扶養すべき北方人のいない南方政権は、空前の繁栄をする。これは李Uの南唐も同じであった。
 しかし南宋も後期になると北から元の大軍が海嘯(津波)の如く押し寄せてくる。そして南宋の滅亡に至るのであるが、その元に対抗して、滅びゆく南宋に殉じて、おのれを貫いた男たちの物語である。
 話の中心は文天祥である。であるが、文天祥は南宋軍とは別行動をとり、失敗も多く、大したことはしていない。ただ人望があり、人が集まる。まるで西郷隆盛のようだ。
 わたしは陳宜中に思い入れがある。この省の事務次官程度の能力でありながら、人材が払底した故に宰相に任命される。
 もともと事務官であるので、どのような政策を考えてもその欠点が見えてしまい、もっといい方法はないかと、あるはずのない解決策を思ってしまう。そして、決定したときはすでに時期を逸しているのだ。

 財政の裏付けのない空論、軍事力の裏付けのない建前の交戦論が、力を持つ。陳宜中ができないと反対しても衆議に押し切られる。そしてうまくゆかず、陳宜中が批判される。その繰り返しである。もともと、財力も軍事力もないからできないと、陳宜中は言っているのだ。
 批判の対象になるのだが、批判する人は、さらに何もできない。豊臣家の片桐且元に近い立場であろう。
 能力がないことが判っているのなら、やめさせればよいのだが、替わりがいない。おそらく、陳宜中がやめてしまえば、さらに小物に任せなければならず、すぐに解体してしまうだろう。
「それなりに替わりが出てくるさ」と気楽に言う人は、実務を知らない、替わりが出てこなくても責任をとる必要のない人だ。人材の払底を身を以て知る陳宜中にはできないことだった。
 反対に文天祥は、国家(宋朝)の滅亡を気にせず、自己の生き方を追求する。
 国防が目的で、忠義はその手段のはずだが、忠義が目的になってしまっている。個々の兵は忠義が当然だが、リーダーがそれでは、国防は果たせないだろう。
 亡国にいたる。

 海嘯は、南宋の都杭州の近くの、杭州湾から銭塘江でおこる現象で、大潮の満ち潮の時、海水が津波となって銭塘江を逆流する。
 旧暦8月18日は潮神の誕生日と言われる。
参考 杭州 5 六和塔
posted by たくせん(謫仙) at 07:13| Comment(2) | TrackBack(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
いま、海嘯で検索したところウィキに次のように出ていました。

銭塘江潮銭塘江の海嘯は「銭塘江潮」とも呼ばれる。毎年8月19日、旧暦では十五夜の時に、発生する。そのため、古来から杭州では月餅を食べながら見物する伝統がある。 この現象は銭塘江の河口がラッパ状に開いていることと、その先には舟山諸島が点在して、潮流を複雑にしていること。さらに東シナ海では台湾海峡から流れ込む潮流のスピードが海峡の幅が狭まるにつれ強くなることが原因となって現れると考えられる。

なんかおかしい。
毎年8月19日が旧暦では十五夜、とは限らないでしょう。
神の誕生日が8月18日と関係あるのでしょうか。
Posted by mino at 2008年07月26日 10:25
ウィキの場合は間違いが多く、別な所で確認する必要がありますね。
念のため調べてみたら、今年の場合8月19日は、月齢17日です。去年なら6日。
太陽暦は月齢とは無関係ですから、十五夜になるはずがありませんよね。
8月18日というのは旧暦で、伝説ですから、当時の暦では十五夜だったのか確信を持てません。常識で考えれば、月齢17日か18日、これから欠けていく時でしょう。
この日に矢を射たら静まったというのは、満月から遠くなっていくので、段々潮汐の勢いが弱くなっていくとき。そんなタイミングの伝説なんでしょう。

この海嘯が見られるのは旧暦8月15日。

だだこれ以外の日も弱い海嘯なら見られるはずです。わたしも見ていないので、どの程度なのか判りません。単なる上げ潮程度かも知れません。
Posted by 謫仙 at 2008年07月27日 10:36
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