このピアニストが、今夏、休暇を日本で過ごしている。縁あって、このピアニストを囲むミニ音楽会に招待された。
はじめは、プロを目指す中学生の女の子。その後は、東大教授トミィのクラリネットとピーターとの共奏。最後にピーターのソロ。
中学生とはいえ、プロを目指す演奏は、碁にたとえれば院生クラス。アマとしてはかなりのレベルだ。
意外だったのは教授。日本の原子物理学の中心として、一年の半分は欧州に行き、加速器の実験などで忙しいのに、共奏できるほどのクラリネット奏者であったとは。前に一度歌を聴いたことがあるが、なかなかのもの。今回の演奏会で納得した。
一流ピアニストの生の演奏は聞きしにまさる迫力だ。演奏の前にいろいろと説明してくれたが(小林千寿さんが通訳)、もちろん、わたしには半分も理解できない。それでもピーターのピアノは一流であることは判る。これを文で伝えることはわたしにはできない。
音楽に詳しい人なら、曲はシューマンのカーニバルOp.9 といったら判るであろうか。その説明である。
音楽はスポーツと同じで、演奏者(プレイヤー)と聴き手(ファン)が別れる世界。碁はプレイヤーでないファンはいないだろう。碁のほうが例外か。
わたしは音楽とはほとんど無縁の生活をしている。それ故にピーターの演奏の素晴らしさは、もしかしたらほとんど判っていないかも知れない。それでも見て聞いてよかったと思う。
カーニバルOp.9といえばわかりますが、
それは聴くために、時代や作曲者についての知識であって、
それで音楽が聞こえてくるわけではありません。
音楽は、知識で聴くものでもないですね。
やはり、聴き手の感性で聴くものだと思います。
結局は、聴き手が感動すればそれでいいんではないでしょうか。
昔、ある演奏を絶賛した評論家が数年たって、あの演奏はもう古くて
時代遅れで鑑賞にたえないなどと書いていました。
そんなにころころ変わっていいものか・・・
私はその「時代遅れで鑑賞にたえない」演奏がそれから何十年たった今も好きです。
謫仙さんは、ちゃんと理解していると思います。
それにしてみ、贅沢なひと時ですね。
大きなコンサート会場の演奏よりも、こんな小さな集まりの音楽会が好きです。
わたしたちは終わったらすぐ帰りましたが、多くの人が、自らピアノを弾いて批判を仰ぐ、つまり教えて頂いたそうです。
おそらく一生に二度とないような貴重な時間、贅沢なひとときを過ごすことができました。
このような演奏会、少し前に書いた「カウンセラー」のようなことは、わたしにはないでしょう。
ともかく、感動したら、聞いてよかった音楽会ですね。