あとがきにこんな文がある。
学者によっては正確を期すあまり、あれはちがう、これは誤りである、というように文全体が否定形になりやすく、紙面が冷える。
わたしは学者ではないが、「たくせんの中国世界」に武侠ドラマの話を書いていると、原作小説に比べたりして「あれはちがう、これは誤りである」と書くことが多いのだ。個人のメモを公開しているせいもあるが、確かに冷える。間違い探しにもなりかねない。しかし書かねば、あとで困る。どうしてと疑問が生じたとき、すぐに、また本を読み返すわけには行かないのだ。ドラマを見返すわけにはいかないのだ。
この本もそれに近いのではないか。
中国古代の歴史小百科事典。一つひとつ取りあげれば、単なる古代史の知識であるが、これだけ多いと、折に触れて読み返して、自分の知識を確認したくなる百科事典だ。

いくつかの例をあげる。
王のシンボル
漢王朝以来、皇帝のシンボルは龍だが、その前、周の時代は鳳凰のような鳥であった。
「鳴かず飛ばす」という言葉がある。日本では芽が出ないという意味に使われるが、本来は「わざと愚かなふりをして人の心をためすこと」で、楚の荘王の故事による。荘王を鳥でたとえたのは、当時は東周の時代で、つまり鳳凰のような鳥が王の象徴だったからである。
消えた九鼎
「鼎の軽重を問う」という言葉の鼎(三本足の大きな鍋のようなもの)は、周王朝が持っていたとされる九鼎で、これを持っている者が王とされた。周王朝が滅んだとき、九鼎は泗水(しすい)沈んだと言われている。秦の始皇帝が探したが見つからなかった。青銅器と考えられるが、土器ならば壊れてしまうこともあるうる。
高祖黄帝
中国最初の帝といわれる黄帝は、春秋時代には記録にない。戦国時代斉の国の記録に初めて表れる。そのころ堯舜の前の帝王は誰か、という研究が集められ、黄帝が表れた。根拠はあったのであろう。だから想像上の帝王ではないかもしれない。
数の単位
商(殷)の最後の戦いの時に、商(殷)は億万の臣がいるといわれた。ここで億とは万の上の位十万のことだ。百万を指すときもある。
千は人のこと。万(萬)は蠍のことである。
こんな話が、もちろんもっと詳しくだが、101篇ある。今回は再読だが、ほとんどは忘れてしまっていた。また十年後に読むかも知れない本だ。