小野不由美 講談社 01.9
2008.11.19記
十二国記シリーズの中編集である。
いつもの長編とは違うが、それぞれに珠玉の味わいがある。
表題の華胥の幽夢は、王が善政を敷こうと試みるが、人間洞察力がないため、却って悪政になってしまう話だ。
たとえば減税。減税は庶民にとっていいことのようだが、国を維持する費用も事欠き、国が荒れてしまう。
悪徳高官を一気に辞めさせたが、それに連なる官吏がそろって辞めてしまい、国の機能が麻痺し、仕方なく復職させることになる。悪徳高官を王が認めたことになってしまい、庶民に怨嗟の声が起こる。
犯罪は厳罰だが、それが高じて、些細なことでも死罪にするようになり、暴君と同じことになる。
王は「華胥の夢」を信じてその路線を進むが、どうやらそれは、その路線を進む先の「理想の国」ではなく、「こうなって欲しいと思う国」で、現実はますます理想から乖離していく。
結局滅びることになる。
新興の戴国の台麒(麒麟)はまだこどもであった。南の漣国に使いにいくが、その漣の王は普通の農民であった。仕事は農業、王はお役目。仕事は自分で選び、王は天に命じられてする。そして自分の生活費は農作業で稼ぎ、公務は国の税で行うという人だった。農作業をしているときに、台麒と初対面の会話をする。その廉麟(漣の麒麟)は台麒のお供にまで自ら給仕する美少女だった。
そして、台麒は何もできないような自分が仕事をしていることを悟る。
このような話が五編。
このように国により全く事情が異なる。いままで紹介した長編の諸国も、国や王のありようがあっと驚くほど違う。それでいながら全体が統一されている。わたしは、この全体が整合性を持っていることを高く評価する。