2008年12月10日

山口7 萩・指月城(後)

 指月山は山茶花の群生があり、その自生北限地となっている。指月山は海抜143m。麓に城ができ、山は城の中の山となって保護され、温暖帯照葉樹林として、昭和46年に国指定天然記念物となった。
 指月山に登ることにした。

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 登り口の山茶花、その脇に自生北限地の説明がある。
登りは30分以上かかったような気がする。登り口に「頂上には展望台はありません」と断り書きがある。展望がないかと思っていたが、それなりに展望があった。
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石垣や屏のある山頂

 詰丸跡と説明されているが、本丸と二の丸で、詰丸という名はない。使用状況から全体をそう呼んでいたと思える。常に六七名が泊まり込み、海を監視していた。

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 二の丸跡の海側、ここで海を見ていたか。

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 本丸はすこし高くなっている。間には門があった。左の石はなんだろう。割ろうとしたのかな。

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 この大岩の下の窪みは、水を溜めておいたところ。山頂の城はいつも水が問題になる。三国志でも、馬謖は水の問題を読み間違えて山上に陣を敷き、敗北を喫した。

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 山頂から見た萩市
 高層建築は見当たらない。規制されているのかな。

 山を下りる。再び城内の散策である。

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 大名庭園の常で茶室がある。

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 茶室の庭園の石灯籠、これもどっしりしている。

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茶室庭園の入り口、その向こうでドングリを拾っている幼稚園児。

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 古井戸の蓋にも山茶花が散っている。

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 城門の外に出て、東側を山沿いに行くと、崩れた土塀があった。寺の跡か。

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 突き当たりの海側の堤の上。偏北風によるか。

 雨が降り出した。戻って、正門の前から南に下る。道が曲がっているが、外堀の内側だからであろう。

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 昼食のために食堂兼土産物屋に入る。広い駐車場の向こうには、厚狭毛利家萩屋敷長屋が見える。
 厚狭毛利(あさもりう)家は毛利元就の五男・毛利元秋を祖とする分家であり、毛利家の家老であった。

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 長屋を内側から見る。9部屋に分けられていたように思う。

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 一番奥の部屋に萩城の模型があった。山と建造物のバランスがわるい。山上の出城は、もう少し狭いのではないか。
 模型の一番左の建物が、この長屋である。

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 後で見た萩博物館の模型(パンフレットより)。これはイメージ通りである。

 雨が本格的に降り出した。先ほどの食堂に入り、コーヒーを頼んで雨の止むのを待つ。

 雨が止んだので市街に向かう。初めに紹介した、舟着き場に通りかかった。乗ってみようと思ったが、他に観光客はいない。
 係員が、「いま一雨きたので、次にお客さんが集まるには30分以上待たないと」、ひとりだけの客で舟を出せとはとても言えない。いや言ってもいいが、10人分の料金を、と言われたら困る。
 諦めて、また自転車に乗った。

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 次は萩の博物館だ。まだ新しい。庭には夏みかんの木もある。木は小さくて、実はまだ青く数も少ない。そう言えば、夏みかんとツワブキの多い街である。
 展示の中心はなんと言っても明治維新の歴史資料。ただし、展示替えもあるので、いつでも見られるかどうか。
休館日なし。
料金は大人500円。面白いことに年間パスポートがあって、1500円。

 次に県立美術館に行ったが、休みだった。この日は月曜日だった。
 少し市街を走り、ホテルの人に教えてもらった、アーケードの商店街に入った。多くの店がシャッターを下ろしている。小さなスーパーがあったが、目的のものがない。
 案内書などいろいろ見ているうちに、鉄道に沿って北東にいくと、道の駅「萩しーまーと」があり、海産物の店があるとわかり、そこにむかった。
 途中にコンビニが一軒ある。この街で初めて見たコンビニだ。「萩しーまーと」で「刺身盛り合わせ」と「烏賊刺し」と小さな「醤油」を買い、帰りにコンビニで、「お新香盛り合わせ」「おにぎり」「パン」「コーヒー」を買い、ホテルに戻る。
 もう暗くなりかけていた。無灯火なので五時までに戻るように言われていたが、雨も心配なので、早めに戻った。
 夕食は部屋で済ます。津和野で買った「奏」もあることだし。
 ホテルの周りに食べるところがないので、そうしたのであるが、これ以後は毎日のようにそうした(^。^))。
 次の日は、見残したところを見るつもりでいたが、すっかり見る気がなくなり、朝の列車で長門に向かうことにした。一日予備の日を設けて、宿を決めてなかったのだが、萩にもう一泊する気はなくなっていた。松下村塾跡(建物はあるらしい)も見なかった。
posted by たくせん(謫仙) at 08:09| Comment(4) | TrackBack(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
昨日はこちらの山城を見に行って来ました。
こちらのほうがなんとなくゆったりとしているようですね。
昔はこの上に見張り台があって、監視していたんでしょうね。
当時は展望は素晴らしかったでしょうね。

凄い木ですね。
越後の山では良く根元が曲がった木を見ますが、太くなると上を目指すのですが・・・

下手な食堂より、コンビニのほうが美味しいですね。
私も良くそうしました。特に疲れて、外に出るのが嫌な時は
ホテルに入る前に買って、部屋でのんびり食べました。
Posted by オコジョ at 2008年12月13日 07:21
横に延びた木はまだ小さいので、これから上に延びるのかな。
山城の見張り台、いざとなればここにこもることもできる。萩の町の人には安心感を与えたことでしょう。もっともこの時代は戦の心配がなくなったので、萩安泰の象徴でしょうか。
この山が天然記念物になるほど保護されていたことにも驚きます。東京で一番自然の残っているのは皇居だ、というのと同じ理屈かな。

むかしと違って、コンビニやスーパーで簡単に食べるものが手には入りますし、素泊まりの安い宿がありますから、この方がいいかも知れません。
ドミトリーなみに大部屋に大勢を押し込め、数万円も請求するような宿は、バブルがはじけて消えたのでしょうか。
全く縁がなくなりました。
Posted by 謫仙 at 2008年12月13日 09:38
私が行く時は、大体、車なので、
「萩しーまーと」よりまだ先、笠山の方に行くことが多いです。
ツバキを見たり、風穴を見たり、鯉にエサをやったり…
あとは松陰神社とか…

でもこうやって見せていただくと、
城下町を散策するなら、自転車が良いですね!
Posted by 阿吉 at 2008年12月15日 22:14
阿吉さん。
わたしはもともと歩くことが中心の旅なので、自動車で行くのは性に合いません。もっとも距離が長く、途中に見る物がないときは別ですよ。
萩の城下のような狭いところでは、バスか自転車となります。
自動車を持っていないので、自動車の旅という発想がないンですね。

萩で一番驚いたのが、あちこちの店がシャッターを下ろしていたこと。月曜日だったからかなあ。萩市民はどこで食べ物を買うんだ、と思ってしまいました。それなりの店はあるんでしょうけどね。
そんなことを知るのも旅だと思います。
Posted by 謫仙 at 2008年12月16日 19:53
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