新岩国駅は錦川清流線御庄駅が隣接している。ここが岩国との連絡線と勘違いして、とんだ遠回りをしてしまった。新岩国駅から錦帯橋(きんたいきょう)へはバスの便があって、それに乗ればよかった。
まず御庄駅に行くと、まるで廃線のような感じがする。時刻表を見れば一日10本。これは山陰本線と同じ程度だ。15分ほど待つ。
岩国行きの列車は一輛だけ。一輛でも列車と言っていいのかな。バスに乗る感じだ。これで西岩国まで行く。降りたのは三人。駅に荷物を預けようとしたが、コインロッカーがない。外には一台タクシーが停まっていてこちらを見ている。
ちょっと話をしてみたら、錦帯橋のバスセンターにロッカーがあるという。当然ながら岩国に行くバスもある。ここに置かない方がいい。荷物を持ってタクシーに乗る。
錦帯橋は木造のアーチ橋である。日本三名橋の一つ、名ばかりでなく、形も写真で知られている。三名橋というが根拠はなく、他の二つはどの橋かといわれても答えられない。三名橋の一つ、といわれる橋は十を越えるのではないか(^_^)。
五連のアーチからなるこの橋は、全長193.3m、幅員5.0m。
ここの橋は、岩国城(正しくは陣屋)と城下町を結ぶ橋であり、何度も架けられた。初期の橋は何度も錦川の洪水で流された。3代藩主吉川広嘉のとき、洪水に流されない橋として橋脚のない橋を造った。そのためにこの形になった。両側は橋脚があり、中の三連に橋脚がない。完成は1673年。ところが翌年に洪水で流され、橋台を石垣で強固にして再度橋を架けようやく洪水に流されないようになった。
1950年に台風のとき流失して、1953年に再建している。
最近では、2001年から2004年にかけて、掛け替えが行われている。
なお城は建築七年後(1608−1615)に取り壊し、下に陣屋があるだけだだった。
人しか通らないとはいえ、木組みだけの大きなアーチに驚く。
この枠組みの説明もあったが、かなり複雑。特にこの部分は基礎になるところで重要。この木肌は新しい。
こちらの木肌は古い色をしている。
この川はU字状に曲がっていて、城の三方を囲む。
橋の向こうに岩国城。1962年に再建された城であり、本来の形とは異なる。
歩くとなると坂道なので階段になっている。
ここを渡るには有料である。往復で大人三百円。
橋のたもとには、佐々木小次郎が燕返しを考案したといわれる柳の樹もある。佐々木小次郎の像も近くにある。ただし、小次郎の時代には錦帯橋はなかった。これも吉川英治の創作になる。
佐々木小次郎は越前の出身説があるが、とても信用できないらしい。だが、錦帯橋で燕返しを考案したのでないことは確かだ。
わたしが吉川英治の宮本武蔵を読んだのは高校時代、記憶はおぼろになっている。



錦帯橋の名前と全体像は写真で知っていましたが、
この木組みは圧倒的ですね。
同じ繰り返しとはいえ、角度によって、模様が替わり
素敵な味わいがあります。
登ったり、降りたり大変そう、足の悪い私はついそんなことを考えます。
今年も私の拙いブロクに足繁くお運びいただきありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします。
素敵な年を迎えて、いっそうのご活躍を祈っています。
この橋は、下から見てみたい橋です。
横から見るとそれほどでもないが、階段にしないと歩けないでしょうね。
このカーブは、ただの円の一部ではなく、双曲線でもなく、重さを支える理想的ななんとか曲線だそうで、現代の技術に通じるのだそうです。
当時は築城の技術もそうですが、けっこう土木技術が高かったようですね。
今年もよろしく。