2009年02月04日

霧社事件(ムシャジケン)

霧社事件(ムシャジケン)
邱若龍   現代書館   1993.4
        mushajiken.jpg

 1930年(昭和5年)10月26日、台湾中部の霧社でセイダッカ族(タイヤル族の一部といわれている)による霧社事件が起こった。タイヤル族の反乱というにはあまりに悲惨な事件である。300名の反乱者に対して、4,000人の軍が対した。その五十数日の抵抗の記録である。
 後顧の憂いを断つため、女たちが全員自決した部落もある。
 またこの民族の生活の仕方や習慣なども知ることができる。たとえば首狩り、男は他の氏族の首を狩ってくることによって一人前とみなされ結婚できた。女も顔に入れ墨をする。わたし(謫仙)は耳の当たりから口にかけて帯状に入れ墨をしたタイヤル族の女性を見たことがある。

 初め主人公モーナルダオ(1882−1930?)をカッコイイ男に書いたら、著者に話をしてくれた人たちが、みな背を向けたという。現実はリーダーが二枚目とは限らない。
 反乱の結果、1236人いた氏族が、200名ほどになった。
 反乱には6社(部落)が参加した。

        monaluka.jpg
        モーナルダオ(1882−1930?)
        20台湾ドル硬貨 2001年発行

 ここに書いた数字は、この本によるもので、史実とは違うかも知れない。
 インターネットで調べても、いろいろな数字が載っている。特に多いのは11月中に鎮圧したという。それなら五十数日は合わない。
 原因はこの本では木材運搬の強制労働にまつわる話だが、木材の伐採を禁止したからという話もある。
 霧社にはその数年前まで、現地の人々に慕われていた警官がいたが転勤し、後任の警官が日本人にも評判の悪い男だった。そのために事件になったというのが定説。日本統治の失敗の例とするには、少し違うような気がする。
   …………………………
 日本の台湾統治は比較的うまくいっていた。それでもこのような事件が起こったのだ。植民地統治の難しさ愚かさを痛切に感じる。
 植民地と言うが、当時の日本にとって、大変な持ち出しだったらしい。戦後日本は台湾と朝鮮が独立したため、経済的負担がなくなり、立ち直ることができたのだ。その日本の経済的負担は、台湾民衆のためになっていたかどうか。
 批判文には、当時の時代背景を忘れたような意見が多い。
 この本は感情的にならず、事実を述べているようだ。ただし、このての劇画の常で、日本人を卑小に画いているのが惜しい。そのため創作に近い感じになっている。
 モーナルダオの遺骨は4年後の1934年に山中の洞窟で発見された。1930年に自決したと思われる。
 モーナルダオは実力でリーダーとなっている。世襲ではない。
 この本ではないが、たとえば、戦いが始まると自分が真っ先に飛び出す。自分より先に出る者は見方でも殺してしまう。理解しがたいところもあるが、当時ではマイナーながら英雄であろう。

 最後に麻野美智子さん(霧社事件を考える会)という人が解説を書いている。
  日本人も以前は、まぎれもない「首狩り族」であったし、
と、いきなり事実とは違うことを書いている。何を根拠に「まぎれもない…」と書いたのか。もちろん戦争で首を取ることもあるが、それは首実検のためで、「首狩族」の首狩りとは意味が違う。そのほかにもおかしい文があるが、この本の紹介とは違うので省略。
posted by たくせん(謫仙) at 07:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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