問題のありそうな題名だが、本文は正鵠を射ている気がする。
本文を引用すると部分引用によって、意味が不正確になりかねないので、あとがきのこの本を象徴する文を紹介する。
「漢字文化圏」という言葉があります。中国、朝鮮半島、日本、ベトナムは、漢字によってさまざまな文化をはぐくんできた共通の文化圏だというのです。
しかし、ベトナムは漢字を廃止してしまいましたし、朝鮮半島でも北朝鮮は廃止、韓国でも事実上漢字は過去のものになっています。漢民族以外で漢字を使い続けているのは、日本だけなのです。
他の国では、漢字は中国文化への隷属の象徴であるとして、廃止へ向かいました。その中で、なぜ日本人だけが漢字を使い続けているのでしょうか。
それは、漢字が日本語にはやばやと帰化したからにほかなりません。
日本人は中国から伝来した漢字を、さまざまな工夫によって見事にカスタマイズし「日本語の漢字」を作り出してきました。それはひとつは訓読であり、もうひとつは送り仮名です。さらに日本には独特の熟字訓の世界が花開きました。
これらの創意工夫によって、漢字は見事に日本語にふさわしいものに生まれ変わったのです。これこそが日本の英知であり、日本人の創意のすばらしさ、奥深さを生んでいるのです。
こんな思想によって書かれているので、問題点を指摘するのも奥が深い。特にパソコンによって新しい問題が生じていることの指摘の内容などは、わたしには目新しい。
著者は「新潮日本語漢和辞典」という漢和辞典を作っている。わたしは見ていないのだが、わたしたちが漢和辞典を引くのは、読めない漢字の読みと意味を知るためということが多い。今までの漢和辞典は漢文を読むための辞典だ。わたしたちが知りたいのは日本語の漢字の意味だ。中国の古典の意味と一致しないことも多い。そこに注目して、日本語の漢和辞典を作ったという。
高島俊男さんが、「お言葉ですが…」で、諸橋大漢和辞典を俗なものといい、その理由に「上屋敷」だの「不渡手形」など漢語でないものが入っている、といっている。わたしたちはそれを調べたいのだ。漢語でないと説明があればよい。もっともわたしが使うことはないので、ここで言及しても意味はないか。
この本は日本語の漢字の話である。表題は「日本で使われている 漢字は日本語である」とすれば正しいのだが。
それが日本語に上手く適合したということなのでしょうね。
カナだけの文は読みにくいですね。
日本のように島国だと、言葉の孤立はわかるのですが、
ヨーロッパのように狭い中で色々な言葉があるというのも
興味深いですね。
どのようにして言葉が違っていったのかと、
中国に行ったとき、上海近くで、北京語はわからないと現地の人が言っていましたっけ・・・
もっとも、東北弁や鹿児島弁は私にはわかりませんが・・・
仮字が読みにくいのは、日本語が漢字にそって発達たため、漢字に寄り添っているからですね。
中国の場合は、日本語ほどには漢字の必要性がないというのも皮肉です。漢字の前に言葉が発達したからです。だから日本語であるというのも一理あります。
方言の問題は古い国ほど、多くなりますね。田舎では山一つ越えると、言葉が違ったりします。
テレビの発達によって、それらは差が少なくなっていくように思えます。一気に成長した、そのため同じように育った、ということなんでしょう。