2009年02月18日

桃源郷

   陳舜臣   集英社   01.10
 桃源境といえば、陶淵明の「桃花源記」による「武陵桃源」だが、著者は場所を武陵から離れて雲南に求めた。それによって「境」を「郷」に替えたという。そのため、大理や麗江に旅をした。
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 物語は、北宋の末期、徽宗の時代から始まる。
 はじめてこの本を読んだときは、違和感が多かった。その後、わたしは雲南の旅をした。(雲南憧憬
 大理にも行き、大理故城を見学した。大理はペー族(白族)の町。麗江にも行った。麗江はナシ族の町。

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     ペー族のガイド、民族服の白が目立つ。帽子も独特。
 そして杭州にも寧波の天童寺にも行った。(寧波市と古刹
さらに天龍八部を読んでいる。そうして今回再読したら、この物語が一気に近づいてきた。

 宋の北は遼(契丹、キタイ)が支配していたが、その東に女真の金が興り、遼を圧迫しはじめた。
 遼の皇族である耶律(やりつ)大石は、数年後の国の滅亡を予感し、西へのがれることを計画。その前に青年の陶羽と白中岳をペルシャに向かわせた。捲土重来を期すための布石だ。
 当時、北京周辺の遼の領土を燕雲十六州といった。宋は金とで遼を挟み撃ちにし、燕雲十六州を取り戻そうとした。取り戻すというが、宋の領土になったことはなく、宋の勝手な思いこみで、民も宋の領土になることを嫌がっている状況である。
 二人は南の泉州から船出する。インドでは寧波の景徳寺(いまの天童寺)で修行した日本人僧弘海も加わる。
 そしてホルムズに上陸する。

 初めて読んだときは気づかなかったが、いま読み返してみると、出てくる物事や地名などを実に詳しく書いている。当時の中国やイスラム世界の解説書だ。特にマニ教から見たイスラム世界。小説とは無関係ではないが、普通小説では書かないところ。日本の読者には、イスラム社会や当時の中央アジアなどは詳しくは判らないため、いきなり書いたのでは判らないからであろう。そういう説明が半分以上ありそう。
 暗殺教団と言われたアラムート(鷲の巣城)の長老ハサン・サッバーフの話も出てくる。実体は厳格な宗教家で、学究的風格を持った人物であった。
 4行詩で知られた、ウマル・ハイヤームも。
 ここに出てくる沢山のカタカナの固有名詞は、なかなか覚えられない。
 漢字名でも、名前が出てくるだけという人が多い。時代背景の説明なのだ。初めて読んだときは半分も意味が判らなかったが、しかし今なら判る人も多くいる。
 陶羽と白中岳たちがイスラム世界の解説をしているころ、遼は亡国にいたり、耶律大石は梁山泊の宋江たちと西征し、西遼(カラ・キタイ)を建国する。耶律大石はマニ教徒でも、配下はさまざまであった。
 大石の使者として船でアラブへ行った陶羽とマニ教の一行は、マニの神髄を得て、マニの名を捨て「真の信仰」といいかえた。同じころ遠くにいる耶律大石や、中国に残ったマニ教徒もマニの名を捨てていた。
 イスラムに行った一行の中には、アラブからアフリカをえてイベリア半島のコルドバまで行き、製紙業を興す者もいる。真の信仰の信者も、それぞれの場所で生活をせねばならないのであった。

 陶羽と白中岳たちは船で海南島まで帰ってくる。それまでに靖康の変もあり、南宋に変わっている。一行は海南島から大理に向かった。
 大理でもいろいろ解説があるのだが、この時の皇帝は段和誉。在位は1108〜1147年。この段和誉はお忍びで、数回宋にも行っているらしい。
 この段氏は白族である。
   大理国皇帝と在位
段正明(保定帝)1081−1094
段正淳(文安帝)1095−1108
段和誉(正厳)(宣仁帝)1108−1147
 靖康の変で宋が滅んだが1126年であるから、段和誉の在位中のできこと。
 武侠ファンなら、天龍八部の主人公「段誉」とその父段正淳と伯父の段正明(保定帝)を思い浮かべよう。

 この後、陶羽たちは杭州に遊ぶ。つまり杭州の案内だ。杭州に行ったことがあると、この案内が、言葉だけではなく実感することができる。(杭州
 そこへ耶律大石の病の報があり、急いでカラキタイの都に行く。杭州−海南島−大理−それから北に向かい、南宋の成都−西夏をえてベラサグンまで。かなり遠回りしているようだ。
 カラキタイは結局百年も保たなかったが、名前は中国の別名キャセイとして今も残っている。
 陶羽がベラサグンから敦煌の鳴沙山まで来ると、真の宗教(このころは明教といわれていた)の中央アジアの指導者の下に集められる。そして指導者の希望を聞き、皆は各地に散ることになる。陶羽は雲南に向かう。

 題名の「桃源郷」がどうもぼけている感じがする。戦乱のないところが桃源郷というのは判るが、それが大理では意外。題名は「明教の成立」とでもすればよかったが、作者の意図とずれるか。

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 あり得ない場面があった。
 耶律大石が、杭州にいる陶羽を、ハヤブサ(海東青)を使って呼ぶ場面がある。
 鳥を使って情報を運ぶのは、巣のある鳥を連れて遠出し、その鳥を放すと巣に帰る、その習性を利用する。
 陶羽が雲南や杭州にいると聞いて、ハヤブサに文を託すが、それなら雲南で飼っているハヤブサをベラサグンまで連れて行き、そこから放たねばならない。常にそんなことをしていたのだろうか。直線距離にして三千キロを越える。途中にタクラマカンの大砂漠もある。ハヤブサを運ぶ距離は倍以上になるだろう。それも戦乱の世。わたしはあり得ないと思えるのだが。
posted by たくせん(謫仙) at 08:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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