福井正明 日本棋院 08.11
去年の12月、ホテルニューオータニで行われたクリスマス碁会に出た。
その時、抽選で棋士四人のサイン入り碁の本のプレゼントがあり、わたしは早めに抽選にあたりこの本を選んだ。
表紙の裏側には、水間俊文・高梨聖健・小林千寿・大橋拓文の署名入り。
三年間にわたり「碁ワールド」に連載されたものに加筆訂正したものである。福井九段が話したものを、秋山賢司(春秋子)さんが筆記した。
全体が囲碁史におけるこぼれ話集だ。
例をあげよう。
徳川十六代、徳川家達(いえさと)は県代表クラスだとか。
野沢竹朝はマッタをしたことがあるとか。
同じく野沢竹朝が「勝ちました」と宣言したとか。「負けました」は常にあるが、勝ちましたはこれくらいだろう。わたし(謫仙)は「勝ちました」を打ったら、それが敗着だったことがよくある。もちろん口には出さない。
A級戦犯が収容所で碁に夢中になり、番付まで作ったとか。
こんな話が三十七話
春秋子曰く、「本当は勝者や強者が栄誉を独り占めすべきかも知れない。しかし、福井さんにはそれができず、敗者のほうに目を向けてしまう」
そんな視線で書かれているから、読んでいて引き込まれるのだろう。
わたしはこういう話が好きなのだ。そしてあくまでこぼれ話。碁の青史に堂々と載る話ではない。知らなくても困らないし、知っていてもどうということはない。
知っていると心が豊かになる、そんな話です。
本好きの人には「これ、面白いよ」と、勧めて、
結局150冊買いました^^
ウワー、百五十冊、絶句。
>人にちょっと差し上げるのにも良いし、
そうそう、そうなんですよ。軽く書いているけど、内容はかなり深い。それで碁を知らない人でも読めて面白い。福井さんのお人柄まで現れている内容でした。
わたしの場合、あとで福井さんを知ったので、本を読んでいるときにはお人柄までは判りませんでしたけど。
千寿会でお会いしたときは、思っていたとおりの暖かい感じがしましたね。
確かに棋譜を汚す行為だと感銘を受けました。
「現代の碁は秒読みの中で、時間つなぎという必然性のない着手を打たざるを得ず、それが棋譜に残ってしまうのです。
さらに相手に時間がないからこそ、間違いを期待する勝負手を放つわけですが、
これも見方によっては「棋譜を汚している行為」と言えなくもありません。」
その文を思い出せませんが、また読んでみますので。
道知の碁で、終局時のダメが多く、美しいと褒めているのを思い出しました。
無駄な手のないのは、美しいですよね。
時間つなぎ・勝負手、わたしは時間と読み切れないのとで、いつも打っています。アマの特権と考えていいでしょうか。アマでもやってはいけないことかなあ。
2010年のアジア大会の時間切れ狙いは、さすがに反則負けになりましたが、そこまでルールが必要となると、碁の質が変わってしまいます。