三遊亭円丈 主婦の友社 昭和61年
かなり古い本である。以下赤字は原文通り。それ以外も原文にそって要約したものだ。
昭和53年に落語協会分裂騒動が起こり、新聞、マスコミは大々的に報道した。あの当時の事件の当事者もかなり亡くなり、人々はあの事件をすっかり忘れてしまった……。
ぜひ書かねばなるまいと思っていた。いや、あの事実を語らずに貝のように口を閉ざして死にたくないという執念のような気持ちだ。これは俺から見た協会分裂の百パーセントの真実なのだ。
副題でも判るように、あの落語協会における大事件に、嫌々ながら引きずり込まれた、当事者の立場から書いた本である。
円生・円楽・円窓・志ん朝・円鏡・談志・圓歌・馬生・小さんなど、名前を聞いただけで寄席姿が彷彿する人たちが実名で登場する。
著者の円丈が真打ちになり、50日の興行をしているとき、円楽は20万円の祝いを包んでくれた。これは破格である。そして円生・円楽が、真打ち興行の口上に付きあってくれた。
ありえないことなので何かあるなと思っていたら、興行が終わると同時に分離独立騒動が起こった。そのための破格の20万円だと判った。
計画では、落語会は三つになり、定席を三者で順繰りにという予定だったが、根回しをしておいたはずの席亭に拒否され、計画が狂う。
円丈はその時に、いかにずさんな計画だったかを知る。その前に円生・円楽の恫喝におかしいと気づいていたのだ。しかも円生は円楽に任せきりで、円楽の適当な話を疑いもしない。
円鏡・志ん朝は落語協会に戻ることになり、円生一門だけが取り残される。
志ん朝の復帰のシーンはこんな具合である。
画面には、志ん朝が幹部の前に両手をつき「御迷惑をかけてすみません」と謝っていた。彼の復帰の最大の理由は、寄席に出られなくなることによって弟子の修行の場がなくなるということだった。弟子に対する愛情が頭を下げさせている。俺は自分の置かれた現在の境遇を考えると、志ん朝の弟子が本当に羨ましく、また俺の目には、頭を下げる志ん朝の姿がなんと感動的に映ったことだろう。
こうして取り残された三遊亭一門が身動きできなくなると、円楽は姿を見せなくなる。こうして文字通り取り残されてしまう。円生は円楽に利用されたことを知るが、円生のプライドは円楽に裏切られたことを公表することができない。
円生の没後、円生夫人の言葉。
「円楽は葬式に出たきり、線香一本あげに来ない。一度電話があった時に、『クソババァ』と言ったり、『(三遊協会の処理について)勝手にやれ』とツレない」
その葬式も、ほとんど不通だった円楽が来て、いきなり記者にむかって、「わたしが葬儀委員長です」とぶち上げる。だが円生夫人に拒否された。
著者の円丈は三遊亭の名が落語会から消えてしまう。それゆえ、それを私物化した円生さえ許せないという。
わたし(謫仙)はその少し前から寄席に行くことはなくなったので、その後の落語界の事情を知らなかった。この本でようやく実体が見えてきたような気がする。
ここに書かれたことは本当であろうか、これに対する反論はあるのだろうか。