2009年04月06日

酒池肉林

酒池肉林 中国の贅沢三昧
井波律子   講談社   1993.3
        shuchinikulin.jpg
 中国の膨大な富が、大奢侈となって使われる様子を紹介する。
 酒池肉林をはじめ後宮の美女・巨大建築・美食と奇食・大量殺人・麻薬など、中国の三千年の歴史を彩る贅沢三昧。
 表題の酒池肉林だが、酒と女の意味だと誤解している人が多い。酒はもちろん酒だが、肉林は食べる肉のことだ。殷の紂王の故事にちなむ。

 中国は古代文明が発祥したことから判るように、生産性が高く、人口が多い。その生産された富を王制によって、一カ所(文字通りの一カ所ではないが)に集中した。それが長い間に巨大な富となったが、王朝末期は、それを爆発的に消費してしまう。そして王朝は崩壊する。その繰り返しであった。
 目次を見てみよう。

第一章 皇帝の贅沢
 1 酒池肉林
 2 狂気の不滅願望
 3 巨大建築マニア
第二章 貴族の贅沢
 1 美意識の洗練
 2 女たちの幻想空間
第三章 商人の贅沢
 1 欲望の自己増殖
 2 文化を「買う」
第四章 贅沢のブラック・ホール
 1 宦官の呪われた贅沢
     −以下略−

 殷の紂王は酒池肉林の贅沢をして、殷王朝を滅ぼしたとされるが、その通説にそって書かれている。
 あるいは始皇帝の巨大建築物群。その最後に建てられた阿房宮前殿は、東西675メートル南北113メートル。上には一万人が座ることができるという。これが全体から見るとほんの一部分である。
 隋の煬帝の浪費も知られているが、その代表が有名な大運河である。これは後に役立っているが作ったときは、そんなことは考えてはいない。煬帝は舟に乗って江南に向かうため、長さが620メートルもある船をはじめ数万艘の船を建造した。そして船団は百キロも連なり、舟を引くための奴隷が十万人。
 都の近くに、二百万人を動員し周囲百キロもある離宮を建てる。そんな離宮が四十。これに三度の朝鮮遠征で国を滅ぼす。
 明の末期は宦官よってむしばまれる。宦官十万人が、わずか七年で明の息の根を止めてしまう。あの紫禁城に宦官が犇めいたことであろう。
 清朝は比較的名君が続いたが、それでも末期は悲惨だ。有名な西太后によってさしもの大帝国も傾いた。世界中から蚕食されているというのに、軍事費を取りあげ頤和園を造営し、浪費している。
 こんな話のオンパレード。これに費やされる民力はいかほどか。

 日本では江戸時代の贅沢に、奈良屋茂左衛門だったかな、江戸中のそば屋を休業させてたった一枚の蕎麦を届けたという話がある。中国とはまるで贅沢の質が違う。一介の商人と皇帝の差とも言えるが、それだけ中国は豊かな国であったのだ。同時に一部の人に富を集中させた国だった。
 中には、料理を食べて、調理に使った薪が古い木材だと当てたという話もある。日本で備長炭で焼いた焼き鳥ですコーヒー豆です、などと言っているようなものか。
posted by たくせん(謫仙) at 07:17| Comment(4) | TrackBack(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
早速、読了されたのですね!

>中国とはまるで贅沢の質が違う。
確かに、日本ではあまり巨大建造物等の贅沢は聞かない気がしますね。大陸と島国の差でしょうか??
Posted by 阿吉 at 2009年04月06日 18:47
阿吉さんにはけっこう面白い本を紹介されていますね。
この本も阿吉さんに紹介され、図書館で探しました。
実際はインターネットで予約し、図書館員に探させるのですが。

日中の贅沢の質、これは富の集中力の差かも知れません。
日本では、上流階級は経済的にはけっこう厳しく、庶民はそれなりの生活ができ、文化は中流つまり民の大金持ちが担った。
中国では富は支配者に集中した。文字の問題もあって、文化の担い手は上流階級。それでも江南となると日本に似てきますけれども。
そういえば江南の巨大建造物は聞きませんねえ。
Posted by 謫仙 at 2009年04月08日 07:23
こんにちは。
 質が違うというかスケールが違うというか、、、、ただ、ふと思うのは、それだけの人間がいろいろな規模の工事や権力者たちのお遊びのために大量に集められて過酷なことをされていたのに、大規模な叛乱にならないことも不思議ですね。ひとつの宮殿の造営にそれこそ10万人とか集められたりするわけですよね。これ、関ヶ原の合戦に動員された全軍兵士の数よりも多いわけで、監督していた官僚や軍がどれだけいたかわかりませんが、それだけ集まっていて暴動やら大規模な闘争にならなかったのはどうしてだったんでしょうね。
Posted by 樽井 at 2009年04月08日 08:30
樽井さん。
>それだけ集まっていて暴動やら大規模な闘争にならなかったのはどうしてだったんでしょうね。
いやいや、けっこうおきていますよ。反乱とか成功すれば革命とか言われています。
その前に、当時は奴隷に近いため、どこかに所属しなければ生きて行れなかった。国の奴隷ともなれば、監督者もそれなりに多かったことでしょう。
逃げ出すのは難しいし、逃げても生きていくのは難しい。
そして天子に使える人という中国的宗教観。これが絶対的だったのではないか。家長が祭祀を絶やさないことが一族の人生の目的に近かったりする。
ともかく、今の常識では量れない歴史ですね。

煬帝の朝鮮出兵など、100万を越える軍に、100万の補給部隊。補給食料を補給部隊だけで食いつぶしてしまう。現場に到着するころは空荷に近い状態。
それに従わなければ、一族が殺されてしまう。つい60年以上前の日本の田舎の状態もそれに近いですよ。
Posted by 謫仙 at 2009年04月08日 21:43
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