2009年09月07日

天龍八部の珍瓏 の続き

「岡崎由美先生と行く中国の旅」で雲南まで行ってきた。
 主目的は、大理にある「天龍八部影視城」。金庸原作のドラマ天龍八部の撮影所だ。
 ドラマ作成のため、一億元以上かけて撮影所を作ってしまう。そしてそこは観光地となってにぎわう。他にも射G英雄伝では桃花島「射雕英雄伝旅游城」と「桃花塞」。神G侠侶では象山「象山影視城」。
 金庸小説は昔は発行禁止だった。共産党を揶揄しているといわれた。ところが許可されるや一転、中国の看板になってしまった。
 岡崎さんはその金庸小説を訳し紹介した人である。

05.891.jpg
 05年撮影。門の対聯は前に雲松書舎で説明している。
 
 あとで聞いた話だが、門を入ろうとしたとき、ガイドが門の対聯の説明を始めたらしい。岡崎さんが「そんなことはみんな知っています」と遮ったという。時間が惜しい。
 説明なしで対聯の意味が判るオタク的な12名と、岡崎さんと添乗員の団体旅行だった。
 この旅行記は雲南憧憬 に書いている。
 この城に珍瓏を中心とした碁の一画がある。

P8222304.JPG
 ここから右の一画は、碁に関するいろいろがある。と言ってもたいしたことはない。

P8222310.JPG
「大理旅游杯」第一回世界女子プロ棋戦の参加棋士のサインである。この棋戦は一回限り。
小西和子・青木喜久代・祷陽子・万波佳奈・矢代久美子・芮廼偉(ゼイノイ・ゼイダイイ)・謝依旻の名がある。
2006年11月24日

 この石碑の後ろに無崖子の珍瓏棋局図がある。
 前に「天龍八部の珍瓏」という一文を書いたことがある。そこではいろいろ考察したが、一応決定版が判った。

P8222305.JPG
 珍瓏図。糸は切れ図がゆがみ、鉄はさび、あまりにみすぼらしい。
 かなりの打ち手である蘇星河が、30年研究しても解けない。小説では、その珍瓏は、
1.盤上には200以上の石が置かれている。
2.一カ所、20目以上の白石がセキで生きている。それをみずから目をつぶしてセキ崩れで死んでしまう。
3.それが、八方ふさがりの白を救う。


 この図にセキはなく、上の条件を満たしていない。
 この左下は、評判の高い江戸時代の珍瓏に似ている。
 白番である。虚竹(こちく)はでたらめに石を置く。
 見にくいが、少し時間をかければ、多くの棋客が、左下に目がいこう。左下は白番の詰め碁「白先黒死」。手抜きは黒が白を取って活きてしまう。
 虚竹が打ったのは2−十七、一目抜きである。黒は3−十七ウッテガエシ。ここまでは考えるまでもない。判りやすく図にする。

go822305-2.jpg
 この後白が数手を打って終局となる。白は3−十八キリを打って左下の黒を殺したはず。手抜きは黒カケツギで生きてしまう。これだけのことを30年研究して判らないとは。
ドラマの蘇星河の棋力はアマ初段に届かないとみた。

 ドラマでは段誉がここに来たときは次の図であった。

chinlou01.jpg
 7−十七ウチカキが入っている。これでは黒は2−十八カケツギで活きてしまう。7−十七は不要の一手であった。ドラマではここで白番である。黒は7−十七を打たれたとき、どうして活きなかったのか。おそらく、撮影の手違いであろう。
 わたしは、この場面のためにこの珍瓏を作ったことを高く評価している。わたしの知る限りだが、他では碁の図はでたらめばかりだ。
 日本では、「篤姫」の碁の場面を梅沢由香里が監修して、高い評価を得ている。こういうところがでたらめだと、他の場面もでたらめではないかと思ってしまうのだ。
 ただ、せっかくこれだけの珍瓏図を作りながら、ドラマ撮影の扱い方はお粗末。残念だ。

P8222311.JPG
 続いて碁の絵。その前に「珍瓏棋局」の説明。この写真の右には無崖子居。

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 無崖子居。ドラマでは妙に生活実感のない家だと思っていた。死んだと思わせ密かに生活していたのだ。家前の碁はドラマとは無関係。さらに右に無崖棋廬が続いている。

P8222326.JPG
 無崖棋廬の中に碁盤があった。碁笥は穴である。使いにくそう。これでも碁笥と言うのかな。
   …………………………

 補足:「天龍八部の珍瓏」に書いた以外に、ドラマの天龍八部ではもう一カ所碁のシーンがある。段皇帝が黄眉和尚に段誉の救出を頼むとき碁を打つ。これは石の持ち方打ち方が自然であり、今回見るまで気がつかなかったほど自然に流れている。黄眉和尚役の俳優は碁を知っている。
posted by たくせん(謫仙) at 08:09| Comment(6) | TrackBack(0) | 武侠の碁 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
05年撮影の門、確かに今の方がツタが多いですね。


珍瓏は行きたくて行けなかった場所なので、
こうやって記事にしていただいてとっても嬉しいです!
無崖子居は、なんか勝手に洞窟の中、とばかり思っていました。
ちゃんと家だったのですね。
Posted by 阿吉 at 2009年09月07日 18:25
阿吉さん。
この記事、旅の続きにするか迷ったのですが、専門知識も入り、前の記事とし関連性もあるので、こちらにしました。
ドラマの場所とは違うし、家の前には意味のない盤石があるし、思っていたのとは違うイメージでした。
小説では家で、別の部屋があったと思いますが、棋廬から無崖子居には通じていません。
もう一度ドラマのこのシーンを見てみないと、詳しいことは判りませんね。近いうちに見てみようと思っています。
Posted by 謫仙 at 2009年09月08日 06:33
私は、碁はどうなったら勝ちなのかもわからないくらいの人間ですが、
珍瓏の写真はとってもうれしかったです。ああ、雨が憎い〜〜

Posted by 迷子 at 2009年09月08日 23:45
迷子さん。
これから城内散策のときの豪雨、とても歩ける状態ではなかった。たまたま金庸の資料館みたいなところで時間を潰しましたが、惜しかったですね。
珍瓏の写真はみすぼらしく、それ自体は見るほどのことはありませんが、「天龍八部の珍瓏」のところで書いたようにいろいろ考察したので、その決定版が判ったので満足。
たの絶壁の珍瓏はもちろんありません。どこで撮影したんでしょう。

江湖の旅は順調にいかないものです。(^_^)。
Posted by 謫仙 at 2009年09月09日 06:11
碁以外にもドラマで矛盾がありましたよ。
天山童姥が無崖子の書いた絵を見て
ホクロがあるから李秋水ではないと判断したけど、
どう見ても絵にホクロないし。
巨大碁盤見たかったなー。
碁石凄く重そう。
Posted by ソラ at 2009年09月10日 00:56
ソラさん
あの絵は、ほくろとえくぼで妹だと判るんでしたね。ほくろのこと気がつきませんでした。もう一度見てみます。
細かくみるとあちこちで矛盾しているのですが、どこまで許容できるか。岡崎さんもここは矛盾していると判っていても、変えるわけには行かず、そのまま訳したと言います。金庸さんに問い合わせたこともあって、金庸さんも気がついていなかったので、訂正の了解を得たこともあると言います(^。^)。
この碁石、あの子供が重そうに動かしていましたよ。
Posted by 謫仙 at 2009年09月10日 06:18
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