02.3.28記
わたしと千寿さんの出会いは、千寿さんが高校二年生のときにであった。おそらくプロ試験に合格したばかりであろう。千寿さんが指導碁を打っているのを見ていたのである。相手が一手打つたびに、右の耳の上あたりに、髪を押さえるように手を当てて、考えるふりをする。見ていて楽しくなってくる。まして高校 二年生ともなれば、かわいい盛りである。たちまちファンになった。だが、千寿さんはそのころ大きな悩みを抱えていたらしい。大学に進学するか。碁の修行に専念するか。以下、わたしの推測である。
トーナメントプロを目指して猛勉強中であったが、これは難しい。大学に行きながらの碁の勉強ではなおさらだ。小林光一さんは高校の半ばで学校をやめて、トーナメントプロを目指したほどである。碁で生きて行くには、レッスンプロになる可能性が高い。いっそ別な仕事をとなれば、大学に行きたい。
間もなく結論を下したようだ。高校を卒業と同時に、外国に旅行するようになった。もちろん碁の普及のためである。その精神は今も変わらず、毎年のように外国に行っている。そして有望な少年を見つけると、日本に連れてきて、院生修行をさせている。
2001年12月、わたしは千寿会に行き、千寿さんに再会した。もちろん再会というのはこちらの一方的な思いこみで、千寿さんがわたしのことを知るはずがない。このとき、チェコの少年を連れていた。まだ義務教育も終えているかどうかという年齢なので、気配りが大変であるが、いままでもこうして何人もの外国人を育てている。プロになった人もいれば、故国に帰って、アマとして活躍している人もいる。
千寿さんが、日本ばかりでなく、外国まで出向いて、碁を教えるのは、十代に始まっていたのだ。
2009年10月29日
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