2009年10月30日

教えること・教わること

02.7.14記

 この日、わたしは初級の女子学生と打ったのであるが、稽古碁より緊張した。はじめ、初級者は上手の真似をする。
 おかしな手、手のない手など、真似をされては困る。そう思うと、まず手のない所には打つことはできない。そのための懸命なヨミがいる。わたしが手本を示すという、いつもとは逆の立場になったのである。
 このあたりのことは、人によって考え方がちがうだろう。
「その人が勉強する気があれば、そんな配慮に関係なく、強くなっていくさ」
 そこまでになれるかどうかが勝負でもある。
 わたしと千寿さんは井目(9子)の差がある。だが、稽古碁は5子でお願いする。
 ある人が、やはり5子で教わっていた。わたしでも5子を置かせて碁になる。だが、ここまでになると、上記の配慮はあまり考えない。
「先生と打つより、みんなと打つ方がよほどきつい」
 話は戻して。
 その後、ゲタでの取り方や切り違いの対処の仕方など説明し、実際にやらせてみた。
「こういう具体的な技術をクラブで教わらなかった?」
「自分で本を読んで習いました」
 それを実戦で気がつくようになるには、自分の手でなんども石を並べて再現すべきなのだが、勉学に忙しい身では、機会も少ないようだ。
 ひとのことは言えない。わたしも勉強する時間はここしかない。
 この日はハンスさんに快勝し、いい気持ちで帰りました( ^.^)。次回は置き石を減らそうかな。(^。^))
 最期に呉清源さんの言葉。
「指導碁で先生に勝てたのは、本当に勝ったのではない。それを気付いているかどうかが、勝負になっている。本当に勝ったと思うのは迷信である」  
posted by たくせん(謫仙) at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 千寿会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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