02.8.20記
私も一通り三師の指導を受けた。もちろん三師が本気になれば、井目でも歯が立たないが、一応五子で指導をお願いしている。
以下は、現在の棋力から感じたことである。もう少し強ければ、師も違う教え方をされ、違った感想になるだろう。
千寿先生
千寿さんの手は柔らかい。一手一手は難しい手とは思えない。この場面ならば、おそらく私でもそう打つだろうと思う手を打つ。それならば互角のはずなのに、五子の碁が百手超えるころに碁になってしまっている。
どの手が悪かったのか、師に指摘されないと気がつかない。こちらがこの一手と思い込んでいても、方向が違う、手筋から外れていると、指摘される。
「相手が2線を這って逃げたら、逃がしたと思わず、謝ってきたと、喜びなさい」
健二先生
一区切りがついて、さて次の展開は、というとき、よく予想外の手を打つ。打たれてみると、私が考えていたより一段上の手である。一段上の手であって、理解できないほど難しい手を打つわけではない。私が動揺して、思わず反発してしまうと、
「全体を見渡して黒が圧倒的なのだから、こんなとき、わざわざ紛れる手を打つ必要はないでしょう。反発したため、こことここが弱くなってしまった。反発することが、いつも悪いわけでありませんが」
ハンス先生
いつも、もう少しだ、おしい、と思わせる。
「あそこでうち欠いておけば、1手勝ちだったのに」
もしそうしたならば、そこでハンスさんは手を変えて、決してこちらの考えたようになるはずがないのに、そう思わせて、ゲームを楽しませる。大石を取りあげ、
「マイッタですか、あっはっは」
まるで互先を打っているような感覚にさせられる。だから、私が勝ったとき、千寿さんや健二さんには、「勝たしていただいた」と思うのに、ハンスさんには「勝った」と思う。
2009年11月01日
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