前に三師三様を書いた。その続きである。
千寿先生
ウナギのように捕まえどころのない、難解な指導碁を打つ。焦点がぼけて、どこを目標にしたらよいのか、判りにくいのだ。ひとによっては、「千寿さんには勝ちやすい」という。この方には、目標が見えるのであろう。
局後の解説は判りやすい。特に下手の心裏を穿った説明は特筆ものだ。自分でも気がつかなかったことまで、説明してくれる。
「この手はあなたのレベルが相手なら、いい手のように見えますけど、こういう反撃があって悪い手です」
わたしはその手を読んでいて、その上でいい手だと思っていたのであった。
ハンス先生
先日、ハンスさんの三十目近い石を殺したことがある。おそらく、わたしが取りかけに行ったので、最後まで正しく打てるか見てくれたのであろう。
その後の打ち方が生意気だったため(反省)、なんとこの碁を負けてしまった。これは一例だが、ハンスさんは判りやすい指導碁を打つ。今どこを攻めるべきか、守るべきか、目標がはっきりしやすい。わたしは手段では迷うことが多いが、目標で迷うことはほとんどない。ところが、局後の解説は、「ここはどうでしたか」と、こちらから迷ったところを積極的に問わないと、手段の解説だけになりがちだ。
この、ここに何かありそうだと、ハンスさんの話を促すのが、もう一つの勝負になってくる。