2009年11月05日

跡目になれぬ少年は

02.3.28記
   
 江戸時代から昭和の初めまで、棋家の当主は有望な子供たちを預かって、碁を教えたが、目的は封建時代の自家の存続である。だから、その中から一人だけ一人前になって、跡継ぎになればよかった。他の人は跡継ぎに万一のことがあった場合のスペアである。逆に見れば、跡継ぎになれなかった少年の末路は哀れである。そして当主はその者に対して責任を持たない。封建時代はそれが当然とされた。
 これは現代も問題で、プロを目指したがプロになれなかった少年はどうなるのか。現代は職業の種類も多く、それなりの仕事に就けようが、もし、碁以外のことを全く知らないような少年が、プロ試験不合格になったときのことを考えると恐ろしい。少子化の現在、子供がプロを目指し高校に進学しないと選択すれば、まず両親が反対しよう。実際に院生になってもプロになれない人の方が圧倒的に多いのだ。
 学校で、野球以外のことをしたことのない高校球児たち。
 高校にも進まず、取的のまま廃業する、力士を目指した者たち。
 封建時代と違うところは、優れた者は、当主になれなくても、それぞれに生活できることである。もちろん能力の無い者が篩い落とされるのは、今も昔も変わりはない。
posted by たくせん(謫仙) at 09:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 囲碁雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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