2006年05月19日

新潟県中越地震

04.10.27記
 10月23日は越後湯沢のホテルでの碁会。
 間もなく夕食のため休憩に入ろうとしていたとき、ゴーという音とともに強烈な地震。同時に停電した。
 我々は、三階の玄関ロビー近くの部屋だったので、そのまま待機していた。間もなく館内放送で、ホテルの客全員を玄関ロビーおよびその近くに集めた。それからも何度も揺れた。
 当時、多くの人がケイタイで連絡をとろうとしたが、不通が多い。中継所が停電で働かなかったようだ。集中して通じないこともあろう。とにかく、パニックにならなかったのがよかった。
 震源地は小千谷だった。湯沢のすぐ近くだ。新潟県の南半分が停電した。地震の大きさは震度6強、湯沢では5弱で揺れた。
  
 あとで知ったが、揺れは阪神大地震より大きかったという。新幹線の脱線ニュースにも、あの地震では当然と思うほどだった。中心地ではかなりの被害を受けたようだが、台風のため大地が水を含んでいて、災害が起きやすくなっていたことも、原因かと思う。
 夕食用におにぎりが出された。最初は子供優先。その後に大人にもおにぎり一個、そして冷たいクロワッサンが出された。
 普通、ホテルに泊まる人は、食事はレストランでということになるのだろうが、わたしたちは、旅館のように一室に用意させた。その用意の途中だったので、「これに刺身を添えるはずでした」という食事ができた。ご飯はおにぎりになってしまったので、なかったし、当たり前だが酒はない。それでも、食事ができたのは恵まれていたと思う。その間にも何度が揺れた。
 その後、碁会の部屋に戻り非常灯の下で、碁を打ったり会談しり。追加のおにぎりだ出て、みそ汁も出た。みそ汁はうれしかったな。
 廊下で、毛布にくるまって休んでいる人が並んでいるその脇で、碁を打っているのは気が引けるが、どうしようもないので、m(__)m。
 夜遅くなって、廊下で休んでいた人は畳の大広間で仮眠することになる。我々は夜11時過ぎ散会し、わたしは二階の風呂に入ってから、十二階の部屋まで、階段を登った(一応どちらも禁止なのだが、自分の責任で、ということに)。もちろん部屋は、非常灯なので暗く、湯は出ない。そこでベッドに寝たのだが、翌日目が覚めたときには、電気が通じていた。
 朝食はなんとか普通に出て、新幹線は「運休と言われていたが東京行きが一便が出る」という放送があった。わたしは自動車に乗せてもらうことになり、その新幹線を見送る。その後6人で昼近くまで碁を打ち、自動車で帰った。
 集めた会費は全額返却することになった。宿泊費が無料になったのだ。
 ガソリンスタンドでは、ガソリンは一台10リットルまでの制限であった。
 なお、1時間に1便程度ながら、新幹線が出るようになっていた。もちろん湯沢から先は不通である。
 地震は何度もあったが、最初のが最強だった。一時はどうなることかと思った。果たして東京に帰れるのかどうか。まあ月曜日くらいは休んでもなんとかなるで、いざというときは、湯沢にもう一日いるつもりだった。

   揺れ動く大地の上に安住し
       ひとはおのれのあしたを知らず   謫仙


 実際に亡くなった方や怪我をした方以外に、避難所にいる方は多く、十万人にもなるとか。この人たちの苦難はこれからさらに大きくなることであろう。まともに部屋で寝られないのは、レジャーで山小屋に泊まるのとは違う。わたしなどは最初の緊急事態を切り抜けられれば、もう普通の生活ができる。一過性の貴重な体験だが、被災地の方たちはこれからが本当の苦難になる。
posted by たくせん(謫仙) at 08:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 山房筆記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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