2006年05月20日

終戦

05.8.13記
 今年も間もなく8月15日になる。終戦の記念日だ。
 実際にはかなり前に戦闘は終わっていたが、最終的に天皇陛下が宣言した日である。
「敗戦を終戦と言い換えて、曖昧にしている」という人もいる。
 だが、庶民にとっては、敗戦の哀しみより、終戦の喜びの方が大きかったらしい。軍国主義から開放されたのだ。
 戦争末期には、戦闘で死ぬ兵士よりも、上官にいじめ殺される兵士の方が多かったという。末期症状だった。それがなくなっただけでも喜びではないか。
 ソ連が崩壊する少し前にアフガンを侵略し、この時のソ連兵士の戦死は一万にもなった。だが、ソ連軍内部では、毎年いじめ殺される兵士は二万人にもなったという。これも末期症状だ。ソ連崩壊も必然と思える。

 05年7月24日の朝日新聞教育欄に戦中の英語の話があった。
 戦時中は英語の教科書も、日本軍やヒトラーを礼賛するなど軍国主義的記述が多く、戦後になって歴史や国語の教科書などと同じように墨塗りされて使われた。そんな実態を、和歌山大学教育部の江利川春雄教授が調べた。
   略
 終戦時まで残っていた英語教科書は、戦後、軍国的とされた英文や戦争関係のイラストなどが墨塗りされた。一つの章が丸ごと切り取られたり、上から紙を張られたりした。
 以下略
 何故こんなことをわざわざ書くのかと言えば、あちこちで、
  「戦争中は英語が禁止された」
という話が満ちているからだ。実態は教育どころではなかった。それを英語だけが禁止されたように言う人がいる。そうではなかったという、まあ、その証拠のような話である。
 同じく、
 アメリカは、文化財保護のため京都を空襲しなかった。
 という説もある。これも事実ではない。実際は十数回空襲している。ただ、京都の建物は東京のように燃え広がることはなかった。

 今に至るも戦後処理は完全にすんだとはいいがたい。しかし錯覚もある。ある韓国人の訴訟に「謝罪を求める」というのがあった。
「賠償は求めないんですか」
「求めません、謝罪があれば当然賠償もあるでしょう」
 ところが、仮にそのような権利があったとしても、謝罪を求めて賠償を請求しなければ、その件については謝罪だけで、賠償の請求は放棄したとみなされる。
 もし政府が謝罪すれば、法律上賠償を請求する権利はなくなる。あとから賠償がなかったと言っても、それは法律上解決済み。俗に言う、はんこを押したら終わりなのだ。
 なお政府の謝罪とは、次のよう。
 謝罪文を裁判所の掲示板に貼る。担当の弁護士さえほとんど見落とす。謝罪された本人が見ることはまずない。
 官報に謝罪文を載せる。この新聞を読む人はわたしの周りには一人もいない。
 これで公式に謝罪したことになり、賠償の義務はなくなる。
 実際問題としては、素人のわたしには理解できないような複雑な関係があるようだが、基本はそこにある。日本政府はすでにそうなっているという。そして賠償を放棄した見返りに多額の経済援助をした。
posted by たくせん(謫仙) at 10:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 山房筆記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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