04.11.1記
10月23日は越後湯沢で千寿会を開いた。この日、あの「新潟中越地震」があった。震源地はすぐ近くだ。地震の様子は、「山荘筆記−新潟県中越地震」に書きましたので、そちらを参照して下さい。こちらにはそれ以外の話を。
当日、午後一時に現地集合であった。わたしは七時東京発新幹線で出たので、八時半過ぎに湯沢に着いた。国境の長いトンネルを抜けると、そこは雨だった。予定はケーブルで近くの山に登って、山上を一周(約三時間)するはずだったが、雨では取りやめ。近くの「民俗資料館−雪国館」へ行く。一時間後も雨は降り止まず、予定を変えて、近くの秋葉山に登る。上下一時間半。わたしの体力ではこのあたりが適当か。
会場に行くと、すぐに碁会の部屋に案内されたが、荷物だけあって、誰もいない。盤石の用意をしていると、人が集まりだした。盤石は、かささぎさんが棋院から借りて、自動車で運んだのだった。
先生は千寿さんと健二さん。
わたしは最初は濱野さんと対局した。棋力はほぼ拮抗しているのだが、どういうわけかわたしがほとんど勝つ。相性の善し悪しってあるものですね。
その後O・Nのおばちゃまとも。この方はアマの女流棋戦では全国大会で何度も優勝していて、棋力はわたしが四子ではないかと思うのだが、二子しか置かせてくれない。手合い違いで負けてしまった。
中学生の少年とも打った。千寿先生は二子置かせてと言ったが、棋力は互い先だった。先生には「二子はこなせません」と報告した。
その後、あの地震。強烈な揺れが何度も、人体に感じる揺れは二百回を超えたらしい。夜七時前には、もう非常灯の下で棋戦を再開した人たちがいた。食事後、わたしも再開、その後は集まって真夜中まで雑談。多士済々というか、一国一城の主の集まりというか、思わぬ話に興味津々。
日本の原子力の話、パリであった強盗の話。わたしは中国の結婚式における鏡の話。何でそんな話をすることになったのか。いつも思うが、知識のある男が大勢いるとき、聞き上手な女が中心にいると話が盛り上がる。千寿さんは聞き上手で、話し上手でもある。真夜中の散会が惜しいほど。
翌日、朝食後、朝の新幹線で帰ろうとして玄関で用意していたら、亜Qさんが浴衣姿で引き留め、碁を打とうと言う。
一度かささぎさんの車に戻した盤石をまた持ち込んで、六人で昼近くまで碁会。その時間にも、ときどき揺れたが、小さい揺れは無視。
その後二台の車に分乗して東京に帰る。
その折、Aさんの話。
先日、千寿先生と三子で打った。(注:これは某誌に発表される。アマにとっては公式手合いである)
千寿先生に3手目に予想外の手を打たれ、頭の中が真っ白。何もできず負けてしまった。その後、道場の竹刀勝負だけでは駄目だ、野試合にも勝てるようにと、修行の旅に出たそうだ。たくましくなって、戻ってくることだろう。
2007年03月02日
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