2010年01月03日

脱獄王

脱獄王  白鳥由栄の証言
斎藤充功   幻冬舎   1999.6
        datugokuou.jpg
 逃げては捕まり捕まっては逃げる。青森・秋田・網走・札幌と四っの刑務所から脱獄した白鳥由栄(しらとりよしえ)の脱獄話である。
 昭和36年、13年間いた府中刑務所から仮出獄されたとき、53歳であった。無期懲役囚である。

明治40年 青森県に生まれた。
昭和8年 青森市で強盗殺人をしたのが25歳のとき。
昭和10年 盛岡警察に逮捕される。
昭和11年 青森刑務所を脱獄。このとき28歳。三日後に逮捕される。
昭和15年 小菅刑務所に移監。小林良蔵に出会う。
昭和16年 秋田刑務所に移監。
昭和17年 秋田刑務所を脱獄。34歳。
      三ヶ月かけて小菅に行き、小林良蔵に会う。
昭和18年 小菅から網走刑務所に移監。
昭和19年 網走を脱獄、2年間山中で生活。37歳。
昭和21年 殺人、逮捕される。
昭和22年 札幌刑務所を脱獄、三百日間山中で生活。39歳。
昭和23年 札幌で逮捕される。
      府中刑務所に移される。
昭和36年 模範囚として、仮出獄が許される。53歳。
   
 身体は1メートル60センチ、当時でも小柄であろう。がっしりとした体格をしている。肩の関節を自由に外せた。そのため、普通の人が通れない小さな穴も通れた。
 時代も戦争中である。監獄での扱いは悲惨を極めた。
 内股に四カ所、両手首に二カ所、足首にもひきつれた傷跡が生々しく残っている。
この傷は、みんなやつらにいたぶられて、作られた傷なんだよ。夏なんか手錠が肉に食い込んで腐り、蛆が湧いたこともあった。…」
 やつらとはもちろん獄吏のこと。…は省略した。

 特筆するのは、小菅で小林良蔵という看守長に出会うこと。秋田に移監されたとき、あまりの扱いの酷さに耐えかねて脱獄、三ヶ月かけて小菅にいき、小林良蔵の自宅を訪ねて、秋田の酷さを訴えた。そのための脱獄であった。そして自首したのだ。
 上野の駅で小林良蔵に見送られて、網走に行くことになる。
 網走も脱獄した。そして二年間北海道の山中に隠れていたが、また逮捕される。

 網走湖の近くの小高いところに昔の網走監獄を再現して、「博物館網走監獄」として公開している。バスで行く途中、網走川の脇を通るが、川の向こうに網走刑務所がある。その古い建物を移築した。そこでは白鳥由栄の脱獄劇を解説している。
 もちろんこの本でも網走での生活と脱獄二年間の山中生活は詳しく書かれている。
 参考:北海道7 網走

 最後に府中刑務所に移監された。そしてようやく人間扱いされたという。そして模範囚として13年。ついに仮出獄が許された。
 仮出獄すると、保護観察という身分になる。それなりに不便なところがあった。例えば誰かにいきなり殴られたとしよう。どんなに理不尽でも殴り返すことができないのだ。

「いい看守には従ったし、脱獄もしなかった。どこでも、不当にいじめる非人間的な職員に対して、それに報復するために破獄した」

 亡くなったのは、昭和54年の2月、71歳であった。
posted by たくせん(謫仙) at 10:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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