2007年03月04日

第7回ふれあい囲碁大会

  05.6.10記
       
 今回も、箱根の山上で行われた囲碁大会に参加しました。
 今回は先生方の写真を載せることにしました。
開会の挨拶をするプロ棋士
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左  下島七段、左手指の大怪我で、厚く包帯を巻いて登場。
真中 瀬戸六段、女性参加者のあこがれの的、20歳だったか。
右  万波三段、テレビでおなじみ、拍手の多さは他を圧倒。
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左  孔四段、奥様は小林九段のお嬢さん。
右  小林九段・その左は笠井六段。
ほかに、写真はないが、
関西の倉橋九段
インストラクターの伊勢さん・木下さん。
 現在、小林覚九段は絶好調で、今年に入ってからの連勝はついに途切れたものの、名人挑戦にもっとも近い所にいる。千寿会の小林千寿先生の末弟。名人になったら、みんなでお祝いしたい。孔令文四段は、日本棋院の級位者の会「ハッピーマンデー」の指導者。今回ハッピーマンデーから多数参加した。好成績の人が多く、次々と表彰台へ。孔令文先生もうれしそうだった。
 個人的な話題だが、令文さんは最近お子さんが誕生した。奥様も赤ちゃんを抱いて登場。男の子なので名前が、孔○□。この○の部分は昔から決まっていて(年代によって違う)、□の部分だけが変わる。もし弟が誕生したら、孔○△という名になる。
 孔子(論語の孔子である)の子孫で孔令?という人がいれば令文さんと同世代、孔○?とあればお子さんと同世代である。なんかすごい(^_^)。
   
 今回初めて木下さんの指導を受けた。それも三局続けて。
 一局目、三子局、最後に崩れてしまった。二局目、60手ほどで打ちかけ。このとき、前の碁で判った欠点を一手ごとに説明してくれた。三局目、小目の四子局、木下さんは黒石を星に直そうとして気が付く。そしてこの碁は快勝(怪勝?)した。
 倉橋九段にも小目四子局。小目の黒石を見て、エッというような顔をする。これは手もなくひねられてしまった。
 最後は孔令文先生と小目四子局。下の写真である。左上で大ナダレ定石が進行した。5級のころ一度打ったきり。途中で読み切れず、隅の白三目を生かしてしまった。もちろん黒三目はトラレ。その後、盛り返し、手止まりの一目ヨセを打って終局。その間、細かい手を打ってくるのでかなり細かいとは思っていたが、結果一目勝ち。(^_^)。これが一番うれしかった。思わず写真にした。
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       表彰式で最後の挨拶をする小林九段。
 棋戦のほうは5勝3敗でまずまず。
 A初段と自由対局。わたしは二子か先かといったら、先でというので、わたしが白で対局。あとでかささぎさんに、「二子でないと…」といわれてしまった。食事のとき、A初段が静岡の強豪と話をしている。強豪氏のいわく。
「碁は感性である。それを磨けるのは若い時しかない。わたしは大学の時、ここまで強くなったが、それ以降は全然強くなっていない。君くらいの歳になるともう強くなるのは難しい」
 Aくんは言う。
「そんなことはない。努力していれば、何歳になっても強くなれます。日本人は自分でそのように壁を作ってしまうから強くなれない。勉強方法も一つの方法しか考えない。壁に当たったら、別な勉強方法を考えればいいんです。わたしの日本語だって独学ですよ。それでここまでなれた。勉強にはいろいろな方法があります」
 わたし(謫仙)も30歳くらいの時は1級だった。それから3子ほど進んでいる。レベルの違いがあるとはいえ、決して上達できないわけではない。
 最後に誤解しないように、呉清源師の言を一言付け加えておきます。
「指導碁に勝ったのは本当に勝ったのではない。勝ったと思うのは迷信である。それに気が付くかどうかが、もう一つの勝負になる」
 「よく打ったので、勝たしてやろう」と先生が思ったときが勝てるときです。
posted by たくせん(謫仙) at 12:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 囲碁雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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