先日、ボクシングで亀田が勝って、世界チャンピオンになった。
わたしが結果を知ったのは次の日の新聞である。初回にダウンを奪われ散々なできだったらしい。それでも勝った。
それに対して放送局などに非難の嵐が来たという。「負けである」「八百長では」などという意見だ。これだけで負けと思う人の方が多いとはいえない。勝ったと思っている人は黙っているからだ。
それらの記事を読んで思った。これは「ルールのある試合」であることを忘れちゃいませんか。
ボクシングは採点制である。ダウンは2点、優勢は1点。これを10や12ラウンドなど重ねて合計点で競う。途中経過が示されないので、採点の不正も考えられるが、それはともかく、ダウンしてもマイナス2点なのだ。
昔、ノックアウトを狙うボクサーに「ダウンを奪っても2点、優勢を2回取れば2点、だからKOを狙うな」という指導者がいた。
ダメージを受けようがダウンしようが点が多ければ勝ち。それがボクシング。
アマの碁でも似た話があり得る。
劫になったりして時間が長引く、どう打っても20目程度の負けである。残りは半劫一つになった。まだ多少の時間があるので大石のセキを劫立てにする。
相手がその劫立てを受けると、こちらの100目負けが確定する。
ところが相手が40目の石を取りあげているうちに時間切れになりそう。かといって劫立てを受けなければ、逆転する。
半劫をネタに時間繋ぎをあちこちで打つ、それさえなくなれば自殺手を連発する。時間切れ狙いである。碁では負けていてもルールによりゲームは勝ち。もちろんわたしはやったことはないし、やられたこともない。
インターネット碁では、石の取りあげはサーバーがしてくれるし、秒読み制が普通なので、そんなことはできないだろう。
ネット碁に慣れている人が、時間切れ制、秒読みなしで対戦すると起こりそうな気がする。
千寿さんが欧州でこどもたちを指導するとき、ネットで育ったこどもたちは、作ることができないという。ネットでは作らず計算してくれる。つまり作るということを知らないのだ。そこで、死に石を取りあげ碁をつくることを教えねばならない(^_^)。
状況の変化は信じられないような事態を引き起こす。