2010年02月10日

お言葉ですが…

高島俊男   文春文庫   1999.10
 かなり前にHPに書いた文の改稿である。 

 わたしが本を読んだとき、自分のうまく表現できないことに対して、的確に書いてあるのを見て、「そうなんだよ。俺はそれを言いたかったんだよ」と思うことがある。
 この本の日本語に対する蘊蓄は、どの章をとっても、そんな感想が浮かんでくる。だからそれにコメントを付けていくと一冊の本になりそうだ。
 題名を見ていただく。

 ごらんいただけますでしようか
 大学生らイタされる
 日本語に二人称なし
 見れます出れます食べれます
 龍竜合戦
 一年三〇〇六一〇五日?

 こう見ただけで、何を言いたいのか、判りそうだ。だが、そこに書かれている蘊蓄は深くておもしろく、予想をはるかにこえ、桁外れと言っておこう。
 同じようなことを言っている人でも、満足できると思う。
 わたしがこの本を知ったのはかなり前である。「濁流の長江」で「お言葉ですが、と声をかけるところだ」と書いている。つまりその前から知っていた。今になって、その時読まなかったことを後悔している。
 引きつけられたのはこの書名のネーミングセンスである。相手の言うことを聞いて、それを咀嚼し、そして静かに間違いを指摘し、反論を述べる。
 「づ」を守る会
 で、「ず」と「づ」の差を述べるあたり、まさに言葉に対するセンスの良さをあらわしている。
 ここで試しに「づつ」を入力してみよう。「ずつが本則」とでる。(ATOKです)
 でも、この本則はおかしいと思う。

 わたしが頷かなかったところが一か所あった。
 「台湾いじめ」の章のお金の呼称である。

 お金の単位はどちらも元である。ところが中華人民共和国のほうは「中国元」なのに、台湾は「台湾ドル」と呼ぶ。なぜ台湾元ではいけないのだろう。
  中略
 こうしたことみな、ことばによる陰湿な意地悪である。

 だがわたしの記憶では違う。台湾ドルとは台湾で言ったのであって、日本が言ったのではない。
 いつだったか、正確な記憶はないが、台湾で貨幣の切り下げを行ったことがある。このとき、「ニュー台湾ドル」と称した。それまでは元であった。
 単位は「元」であり、紙幣には「圓」と書き、数える時は「塊」で、呼称が「ニュー台湾ドル」なのだ。
 ついでに「塊」について。
 日本で「百円二百円三百円」と数えるが、彼の地は「一百塊両百塊三百塊」と数える。これは大陸でも同じ。
posted by たくせん(謫仙) at 08:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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