2010年02月13日

下流志向

下流志向 学ばない子どもたち 働かない若者たち
内田樹(うちだたつる)   講談社   07.1
        karyusikou.jpg
 上流・中流・庶民という言葉がある。一億総中流とか国民の80%は中流と思っているとか言われたことがある。ある説では中流とは、「全く収入がなくなっても、百年は高い生活の質を落とさずに暮らせる人。試みに日本なら、百億以上の財産がある家庭なら、中流と言っていいのではないか」 という。
 わたしは自分のことを庶民だと思っていたが、皆が百億もの財産を持っているとは錯覚しなかった。
 バブルがはじけて、その中流の収入が減り、百年どころか数年で生活できなくなった。庶民が中流と錯覚していたのが露呈した。
 この本は現在の若者が、その庶民からさらに下の層を目指している不思議な生態をとらえている。
 落ちてしまったのではない。目指しているのだ。それが不思議にもわたしにも身に覚えのあることなのだ。わたしの場合は理由があったが、それはともかく。
 たとえばある品物を買うかどうか迷う。その品物は三万円するとする。そのためには三日働かねばならない。買うのを諦めれば、三日働くなくてもいい(生活できる)理屈だ。そして三日働かない方を選ぶ。この考えを極限までおしすすめるとどうなるか。

第一章 学びからの逃走
第二章 リスク社会の弱者たち
第三章 労働からの逃走
第四章 質疑応答
   
「学びからの逃走」とは、先人の民主化と人権拡大の営々たる努力の歴史的成果としてようやく獲得された「教育を受ける権利」を、まるで無価値なもののように放棄している現代の子どもたちのありようを示す言葉だ。
 労働でも同じことがいえる。
 わたしは「それでも生きていけるから。先輩がみな飢え死にしたら後輩は目が覚める」と思ったが、どうもそんな単純な話ではなさそうなのだ。
 日本の子どもたちが勉強をしなくなり、現在の高校生の六十%が校外学習時間ゼロという。全体が下がれば偏差値は下がらないので、学力の低下を自覚できないでいる。

 ある英語系の大学生の英語力が、以前の中学二年程度という。
 かなり努力しないとそこまで学力を低く維持するのはむずかしい
 学力の低下は怠惰ではなく、そのような努力の結果なのだ。
 国語でも同じ問題があって、文を読んでも判らない言葉をスキップしてしまう。それを気にせず心に留めずスキップするので、虫食い状態の文になってしまう。
 「知らないでもいい」言葉と「知らないとまずい言葉」の区別ができない。
 この本はやたらにカタカナ言葉を使う。「教育の場にシラバスというジョブ・ディスクリプションを持ち込んだことを…」、これなどわたしには「知らないでもいい」言葉だ。スキップしてしまう。しかし、ふつう知らない言葉が出てきたらストレスを感じる。「知らないとまずい言葉」と思うからで、何回か見ているうちに意味をつかむ。現在の学生はそのようなことが全くできないらしい。日常的に見る単語も知らないとスキップする。知らなくても全くストレスを感じないのだ。

 小学校一年生にひらがなを教えようとすると、「先生、これなんの役に立つんですか」。ひらがなや算数の初歩の学習にこう質問できる小学一年生。
 呆然として絶句してしまう先生の姿が思い浮かぶ。納得できないとその勉強を拒否するのだ。とてつもなく頭がいいようで、考えられないほど愚かな一年生。
 ここで大切なのは、かなを憶えることと学び方を学ぶことなのだが、それは説明できない。
 これは初めての社会経験が「買い物」だったことが原因ではないか。上の世代では初めての社会経験は親に対する「お手伝い」であった。と推理していくのだが、かなり説得力がある。
 この学びを拒否する生徒が大学生になった姿が先の英語力の学生だ。
 社会に出れば、生活の質を上げるより働かないことを選ぶようになる。働かなければ孤立し、リスク社会の弱者になる。
 働くのは、100働いても50しか収入にならず、残りの50は働かない人に分配されることは、ご承知の通り。リスクヘッジだ。先の一年生なら、100よこせと言うことになろう。よこさないなら働かないと。主張は正しいにもかかわらず、それでは仕事を貰えないので、さらに低賃金の仕事になり、いつまでたっても仕事を習熟できず、リスク社会の弱者になってしまう。ニート問題がそうだ。
 欧州ではニートは階層化されている。日本ではそこへ若者が積極的に飛び込んでいる。
「自分探し」という言葉があった。実体は現実逃避たが、同時に将来を捨て値で売り払ったようなもの。

 これを「幼児期に自己形成を終了」させてしまった姿と見る。身体は大人になっても精神構造は幼児のままなのだ。
 学生の単位や学士号は国際規格だが、日本は国際規格に比べてあまりに低く、国際社会からクレームがついているという。
 現在の日本は経済的に沈下が著しいが、ここまで若者の質が低下したなら、納得できるし、政府が旧来の景気刺激策をいくらしても無駄なのがよく判る。
 少子化問題も加わる。一人の子供にその両親と両方の両親が、財を提供する。全く苦労せずそれだけの財が入る。努力をしない努力をすることになる。

 で、この話は本当なのだろうか。小学校中学校はここまで荒れているのか。高校大学はそこまでレベルが落ちているのか。まるで「ごくせん」のあの学生たちのようだ。
 わたしの周りにいる若者は、武侠世界の若者は、中国を題材にした漢字の多い小説もこなすし、時間を作っては中国語を学んだりしている。囲碁仲間は、会費を払って碁を学ぶ人ばかり。ネット仲間はあたりまえだが、自由闊達に日本語を駆使できる人ばかり。下流を目指す若者がわたしの目に入るはずがない。
 わたしは今まで、学力のない人が上の学校に行くために平均値が下がっただけだと思っていた。昔50%しか高校に行かなかったころの高校生と、100%高校に行く時代の上位50%の学力や能力を比べたら同じではないかと。そうではないらしい。
 少子化の話は中国の一人っ子政策の「小皇帝」問題かと思ってしまう。もしかすると中国でも同じ問題が起こっているかも知れない。大学を出て安い給料では勤める気にならず、職のないまま過ごしている中国の若者の話を聞いたことがある。
 また今話題になっている「草食系男子」もこの流れで考えると納得できる。

 本を読み終えて呆然としている。
posted by たくせん(謫仙) at 08:28| Comment(7) | TrackBack(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんばんは。
 読んでいただけたのですね。たぶん、同じような感慨をもたれたのだろうなというのが最後の一文でわかります。この本、けっこう衝撃的だったでしょ。認めたくないけれど、認めざるを得ないような洞察が例をあげて出されていて、、、でも、これを認めちゃうと日本ってもうかなり終わってしまったんじゃないかというような気がして。。。
 
Posted by 樽井 at 2010年02月19日 01:17
樽井さん
 確かに納得できるンですよね。ここに上げられた例は衝撃的で、こう説明されると納得。
ただねえ、これって本当なのかという疑問がかすかに残っています。
 落ちたのと目指したのでは雲泥の差がありますが、本当に目指したのか。
 わたしの若いころは奴隷労働に等しいほど過酷な労働環境でしたが、その中で育てられたという一面もありました。そのプラス面がなくなって、過酷な労働を拒否したような感じもします。
 諸々の現象はそれで説明できるンですが、説明できるだけでは正しいというわけではない。
 日本社会の条件が変わって、それに対応する様子で、正しいかどうか判かりそうな気がします。それまでは有力な説ということになりますね。
 日本は騎馬民族移動説がありました。日本の諸々はそれで説明できる。しかしどうも違うようだという、あの感じです。
 ただ、しっかりした人も大勢いるようなので、悲惨な将来が約束されたとは思いません。楽観はしませんが。
Posted by 謫仙 at 2010年02月19日 08:37
謫仙さん、今晩は。
ここに書かれた内容は思い当たることがあります。でも本当にそうなのか、考えてしまいます。いつの時代にもいえる、「近頃の若い者は−−」という話ですね。それが小学校まで降りているのに驚きましたが、だから現代版の「近頃の若い者は−−」ではないかとも思いました。
謫仙さんも心当たりがあると思いますが、家が貧しいばかりに上の学校に行けなかった無念さ。アルバイトどころか、正社員になっても生きていくのが精一杯で、苦学生などできませんでした。
今は、学校が嫌で逃げだす子供の例がまわりにあります。
それは判っているのですが、全体の割合はどうでしょうか。案外国民全体が必死になるほうが異常かも知れない。
良い悪いはなんともいえませんが、真面目な学生が何割かいるのなら、それがまともかなと思います。
わたしも憂えている口ですが、豊かな社会では当然という気がしないでもありません。
まとまりのない文で済みません。
Posted by mino at 2010年02月20日 21:39
minoさん
豊かな社会の必然性というのもあるでしょう。途上国の場合、判っている人は必死になり、判らない人は旧態依然となりがち。その必死な人だけが目立つ。
先進国では判っていても必死にならない人がいる。
わたしはこの本で問題が判ったばかり、本当に理解してはいないと思います。
逆にいい例をあげていったら、案外、未来に希望が持てると思います。
外国と比べるときなど、物差しをなににするか。

ちょっと話が変わりますが、国民総生産で今年は中国に抜かれるという話題があります。物差しをドルにするからで、交換比率でどうにでもなる数字、一喜一憂する姿は滑稽に思えます。
物差しを米にしたら、すでに日本の倍以上になっています。
国際比較をするときは、的確な物差しが必要。この本の学生の場合は判りやすいので、衝撃を受けるンですね。的確かどうか。平均的な学力が落ちていることはかなり前に指摘されています。
わたしは今でも、貧しくなったら、大人になったら独立せねばならなくなったら必死になるのではないかと、思うのですが…
Posted by 謫仙 at 2010年02月21日 10:28
たくせんさん

 こんにちは!
 もし私はいつも同じところにコメントしたら、あんまりよくないんですね。
 たくせんさんの言ったように、私の日本語はたしかによく間違いが現れます。
だから、私はまず日本語をどうやって勉強しているのかをたくせんさんに教えます。

 正直に言えば、私の日本語は独学です。「あいうえお」から今までちょうど二年間です。私は18才の頃、北海道より北の故郷から34時間の列車を乗って、一人で江蘇省の南京のある理系大学に行きました。理系大学のため、日本語の授業が殆どなかったんです。もちろん校外には私立学校みたいな日本語教室がありますが、しかし、そのごろ、貧乏な私は先生に払うお金はなかったんです。一か月の授業代は25000円でした!私にとって本当に無理でしたよ。だから。私はずっと日本語のドラマや本を見ながら勉強していたんです。

 変なのは、私の大学の図書館に、日本語原文の本は渡辺淳一しかなかったんです。そして、私は渡辺淳一の「失楽園」という本を借りました。しかし、ただ二日間を読んだ私は

「なぜこの変態(著者)は男女のこと(性愛)をそんなに詳しく書けたのか?」と思って諦めました。有名な本かもしれないが、本当に私に相応しくなかったのです。そして、私は図書館の古本庫(この中の本を読む人はほぼいない)で、やっと星新一と三島由紀夫と川端康成の本を見つかりました。二か月の時間を経って、辞書を参考しながら星新一の本を読み切りました。(文章が短くて、分かりやすいため)
 それ以外、私は村上春樹の「中国に行く小船」という本の中国語訳本を読んだことがあります。村上は自分の人生で出会った「中国人」に対していつも気がとがめる感情を持っていることが分かりました。非常に偉い作家です。

上は私の日本語勉強の経歴です。
 
Posted by サイ at 2014年01月03日 15:58
たくせんさん

 私はたくせんさんの上に書い記事をすべて見ました。今の留学生活と思い合せて、すこし感想があります。
 お金は日本人の学生たちが外国に留学しない理由ではないと思っています。日本人の平均年収は中国人の7倍ぐらいです。だから、それは絶対に理由になれないと思っています。うちの両親の年収総和はわずか150万円不足、でも私はやはり日本に来たのではないんですか。
ここで悲しい物語があります。
 中国にいた時、いつも図書館で私の隣に座っていた同じ留学の夢を持っている貧乏な女の子がいました(すごく綺麗な女の子だ、嘘ではない)。彼女の名前は胡です。彼女の目標は私と違って、イギリスです。留学斡旋業者に払うお金がないため、DIY(Do it yourself)の方法を私に聞いて来たんです。
 満点が120点のTOFELを100点ぐらい取れたすごく賢い女の子だから、私は本当に彼女を助けたかったんです。そして、メールの書き方などのDIYの注意要項をすべて彼女に教えました。しかも、私はいつも「お金の事は大丈夫だ、入学した後、君のような賢い人だったら、絶対に奨学金があるよ」という話で彼女を安心させていました。
 彼女はいつも図書館で主動的に私の隣に座るため、二人は微妙な感情が生まれました。残念なのは、卒業する直前の私はもし三年生の彼女と恋をしたら、無責任すぎるでしょう。
 もっと残念なのは、私は卒業した後、彼女が別の男の子と恋をしていることを知りました。今彼女はどこにいるのか、全然知らないんです。
 なかなか悲しい物語です。
 それ以外、私は二年生の頃、図書館で私より三才ぐらい年長の女子先輩にも情書(love letter)を書いたことがあります。結局。。。。。。
 とにかく、中国大学の図書館はすごく恋が発生しやすいところですね。

 日本には、胡さんのような勇気がある大学生は本当にそんなにいないんです。これは絶対にお金の問題ではなくて、勇気があるかどうかの問題です。

九十年代の時、そのごろの中国人留学生たちは、今の私たちより生活の苦しさは10倍でした。しかし、外国で犬のように暮らしても、外国人(アメリカなど)にどんなに苛められても、夢を諦めた人は全然いなかったんです。
 
 
Posted by サイ at 2014年01月03日 18:24
サイさん
 話題が李登輝さんからずれてきたので、新しい話題にしようかと思ったわけです。
 日本語学習が二年間でここまで書ければ立派なものです。間違っていても意味が通じるので、却って間違いを指摘しにくいことが多いですね。例をあげます。

「漢民族の人です」。これは「漢民族です」とすべき。「人です」と入れると、漢民族には猿や犬がいるように聞こえます。
「私はまずどうやって勉強しているのかをたくせんさんに教えます」。これは「私がどうやって勉強したかを説明します」或いは「私はどうやって勉強したか」

 渡辺淳一は中国ではかなり好かれたようですね。残念ながらわたしは一冊も読んでいないので、評価しようがありません。それにしてもその中の「失楽園」とは。図書館はどんな基準で選んだのか。
 星新一はほとんど読みました。時事的な話題を書かないのでいつまでも読みやすいと思います。三島由紀夫と川端康成はちょっと難しかったのでは。時代的背景はあなたの方が理解しやすいかな。
 村上春樹はそういうことに敏感なので現代的ですね。

   …………………………
 勇気がない。それはわたしも含めて言えることです。
 しかし、お金の問題も事実だと思います。
 コメントのminoさんの話、意味が判りますか。次の話はわたしの例だと思ってください。
 米一升が100円くらいの時、日収135円で一家5人が生活をしていた、そんなこともありました。毎月20円のお金が払えず、小学校は6年のうち4年半しか行っていません。(理由はそればかりではないのですが)。昼食を食べられなかったことが何度も。
 もしサイさんのような能力の持ち主なら、なんとかできたかも知れませんが、普通の人には、勇気ばかりではどうにもならない問題があります。特に女性にはとても勧められません。
 そしていまの学生。この本に書かれたように、子供のときに苦労したことがない。だから高校や大学を卒業する時になってから、苦労をして留学をする気にはならないでしょう。しかも留学するだけの能力がない。もちろん優秀な人は行きます。中国でもあなたのような人は少数派だと思います。
 勇気もさりながら、学力資力も決して無視できません。

>夢を諦めた人は全然いなかったんです。

 素晴らしいことですが、わたしの感じでは、わたしの子供時代のように、ほとんどの人は夢を見ることさえできなかった、と思いますけど
Posted by 謫仙 at 2014年01月05日 18:52
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