2021-02-10改訂
李清照 その人と文学
徐培均 訳 山田侑平 日中出版 1997.6
原書は1981年、約40年前だ。解説文ともかく、詞の翻訳は大変な労力であったと思う。
原文は簡体字だ。それを繁体字にもどし、解説文は日本の字にする。また詞の仮名遣いは歴史的仮名遣いとし、解説は新かなづかいだ。
はじめに凡例として、参考にした中国における李清照ものの一覧を上げている。26冊、 それ以外にも多く出ているという。
その中に、わたしの紹介した、「李清照後主詞欣賞」も上がっている。ところが著者が余雪曼になっている。余ではなく佘(ジャ)であることは前に書いた。
この本は最近手にしたのだが、わたしが李清照に対して知りたいことは網羅していると思う。この本と前記3冊を合わせて、「李清照 −詞后の哀しみ−」を書き改めた。
目次
凡例
第一章 傑出した女流詞人
第二章 家庭と環境
第三章 南渡の前
第四章 南渡の後
第五章 「詞は別に是れ一家」
第六章 詩、散文その他
結語
後記
靖康の変で北宋が滅ぶまでが、南渡の前であり、南宋に変わり、江南などを流浪したのが、南渡の後である。
こうして、詞ばかりでなく、生活や環境や歴史まで書かれていて、いままであいまいに理解していたことがはっきりした。特に再婚の事情がはっきりした。やはりわたしには日本語にかぎる。再婚説は誹謗中傷で実際は再婚していない、という説も強かったのだ。
訳者はあとがきで、「…李清照の詞は所謂読み下し文にするには不向きだといえる。比較的自由な口語訳をしたいという誘惑にも駆られたが、…独りよがりの訳では原詞の境地を打ち壊すだけであることは目にみえているため、やはり読み下し文に止めた。…」と書いている。
わたしも賛同する。原文中国読みでは、中国語をしらない日本人には無理だし、口語意訳文では、本当のよさは伝わりにくいと思う。こんなとき、西洋の詩を訳した先人の苦労を思う。その点、中国詩は漢字という助けがあるだけ、日本人にも伝わりやすい。
なお、前に誕生その他の年月のことを書いたが、この本では、元豊七年誕生としている。そして60ないし70歳で亡くなった。紹興4年に金石録後序を書き終えていた。
元豊七年誕生説は、わたしの年表と同じであった。