2010年04月07日

愚妻と賢弟

 愚妻という言葉がある。「私の妻」の意味であって、愚かな妻ではない。
 藤本義一さんが、愚は「私」の意味で妻にかかるのではない、といっていた。「愚かなる私」の妻、だ。
 愚息=わたしの息子、愚案=わたしの案、愚見=わたしの意見、などと同じ使い方である。
 これは判りやすい説明だが、違和感があった。わたしは意味はわたしの妻でも、言葉の上は「愚かな妻」ではないか、愚は妻にかかると思っていた。。
 ここで愚が私なら、賢はあなたと言うことになる。だが必ずしもそうではない。
 違和感の源は「賢兄」と言うような言葉を知っていたからだ。使われた例は「あなた」の意味で、「あなたの兄」ではなかった。
 具体例を示そうとしたが、なかなか見つからない。翻訳書であるが「飛狐外伝」で、趙半山が義兄弟になった少年胡斐を「賢弟」と言う文を、ようやく見つけた。原文がそうだったのか翻訳者がそうしたのか、そこまでは判らないにしても、使われた具体例だ。賢弟とは二人称であって、「あなたの弟」ではない。
 もっともこれは中国文学の翻訳なので、日本語の意味としては適切ではないかも知れない。
広辞苑第三版では、
愚妻:自分の妻の謙称。
賢兄:他人の兄の尊敬語。手紙などで、同輩または年上の男子を敬って呼ぶ語。
賢弟:賢い弟。他人の弟の尊敬語。年下の男子を敬って呼ぶ語。

 どうやら、賢弟には「賢い弟」や「あなたの弟」などの意味があるようだが、なぜかしっくりしない。

 高島俊男さんの「お言葉ですが…2」では、「愚」はわたしの意味だと説明した上で、実はこのような一人称二人称という発想は西洋人の発想だとことわり、日本人の発想は、「こちら側」と「あちら側」に分けるのだという。
 なるほど、「愚」はこちら側、「賢」はあちら側と考えれば、上のもやもやが全て説明できるではないか。趙半山が「賢弟」と言ったのは、二人だけの場なのであちら側なのだ。もし他人に説明するときは、こちら側の扱いで愚弟というだろう。
 最初に戻って「愚」が私なのか妻なのかも、妻をこちら側と認識するかあちら側として認識するかの違いなのだ。

 日本語に二人称がないことにも共通する考え方か。正確に言えばないことはないが、知らない人や年上の人を呼ぶ二人称は適当なものがない。代わりに方向で現す。彼方(あなた)此方(こなた)そなたなどだ。三人称のあの方(かた)も同じ。中国人へも呼びかけの時は、「中国のかた」となる。
 強いて言えば「あなたがた」というのは二人称ではなく、二人称の代わりだ。
(お言葉ですが…1)
posted by たくせん(謫仙) at 07:37| Comment(4) | TrackBack(0) | 言の葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
「尊敬語」と「謙譲語」、「丁寧語」と敬語の使い方はなかなか面倒ですね。
愚妻は良く使われましたが、最近は使われなくなりましたね。
男女平等、妻が強くなって、愚妻は愚かな妻でないとしても、使いにくいようです。
愚息という言葉もありますね。
こうした謙譲語は味わいがあるのですが、消えていくようですね。
Posted by オコジョ at 2010年04月07日 09:43
オコジョさん。
「尊敬語」と「謙譲語」、というように文法ではいいますが、わたしは実際には正確には区別できず、とっさの場ではいろいろ間違えるようです。
「お名前」などの「お」はどちらか、専門家でも説明が別れるようですし、煩わしい。
ここに書いた内容は今では文章語で会話では聞くことはないでしょうね。
聞く方が意味が判らない可能性が高くなると言いにくくなりますねえ(^。^))。

ただ、意味は判っていないと文を読みにくくなると思えます。
Posted by 謫仙 at 2010年04月07日 19:57
飛狐外伝の原文でも賢弟と呼んでいます。
中国語だと褒めるのは身内でも普通に使われている気がします。
逆に謙称としての愚弟とかは、自分の弟をそう呼ぶのではなく、兄や義兄に向かって自分のことを言うときに見られます。
自分以外の時は「ああ、またバカな弟が面倒を起こしてくれた」とかの「愚かな」という元々の意味で使っています。
私の感じるところでは、中国語ではへりくだるのは本人だけで、あとは身内でも普通に尊敬語を使うような気がします。
恩人の呼び名は「恩公」といったり、排行とかあらゆるものに呼称をつけて、その中に世代差などで尊敬や丁寧な意味合いを含んでいたりするので、知らないと混乱してきますね(^^;
Posted by 八雲慶次郎 at 2010年04月11日 22:54
八雲さん
>中国語だと褒めるのは身内でも普通に使われている気がします。
このあたり、少し日本とは感覚が違いますね。もっとも、わたしの場合は武侠小説つまり時代劇でしか読んだことがないので、現在の感覚は判りません。
愚弟、いわれてみれば、一人称にも使われていました。その時は家族でもあちら側とこちら側に分けると理解できます。
武侠で尊敬語に、「おねえさん」とか「おじいさん」がありました。あれは説明されないと判らなかった。
「俺をおじいさんと言えば命を助けてやる」「死んでも言うものか」なんて(^。^))。

愚とか賢は、その場が判らないと、正しい意味は判らない言葉ですね。混乱します。もっとも金庸小説で意味が判らなかったことはありませんでしたが。
Posted by 謫仙 at 2010年04月12日 11:40
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