江崎誠致 新潮社 1982.9
この本を読んでからすでに25年以上たつ。当時は碁の歴史などほとんど知らなかった。
この本によって、歴史に興味を持ち始めたといえる。小説なので丸飲みにはできないが、江戸初期の碁の歴史書でもある。
碁は日本に入って独自に発達し、特に江戸時代に幕府に保護され、近代碁の礎となった。
江戸時代の初期、本因坊・安井・井上・林の4家は幕府より五十石の禄を受けた。本因坊家初代算砂は碁所と将棋所を任命された。五十石そのものはわずかであるが、碁所の道中手形が通用したように意味は重い。特に算砂は碁所とは別に三百石の録を受けている。もっとも、当時は碁所とか将棋所と言うような名称が確立していたわけではない。
名人という名称も、織田信長が算砂に与えたというが、確かなことは判らない。
登場する人物
本因坊算砂:1559−1623 名人1612(?)−1623
中村道碩 :1582−1630 名人1623−1630 井上家の祖とされる
本因坊算悦:1611−1658 本因坊二世
安井算知 :1617−1703 名人1668−1676 安井家二世
本因坊道悦:1636−1727 本因坊三世
安井算哲 :1639−1715 棋士・天文暦学者・神道家
本因坊道策:1645−1702 名人1678−1702 本因坊四世
算砂のあと、道碩が名人となり、そのあとはしばらく名人がいなかった。
そして、本因坊算悦と安井算知との争碁によって、三代目の名人碁所を決めようとした。このころには碁所という官名が確立していた。
1645年から9年間で6局打たれ、互いに黒番勝ちで中止。
結局1668年に、安井算知が幕命によって名人碁所となる。これが形式的には碁所の始まりとなる。中村道碩の名人は幕命ではなく、本因坊算砂の指名であったのだ。
名人は碁の器量、碁所は官名であるが、名人でなければ碁所になれず、名人は必ず碁所に任命されるため、名人と碁所はほとんど同じ意味になった。(算知は碁所を退いても名人なので例外はあった)
話は本因坊道悦の時代である。このころには「名人碁所」は権威ばかりでなく、経済的利益も伴うことが判っていた。道悦は算知が幕命によって名人碁所となったのに異を唱え、争碁を申し出る。幕命によって、年20局づつ、60局を打つことになった。
この小説は、この争いを本因坊家から見た物語だ。道悦が中心であるが、当時はすでに跡目道策が頭角を現していた。世に知られていないとはいえ、すでに師の道悦より強くなっていたのだ。この道策の存在が大きく、道策が主役と言ってもおかしくないほど。
争碁は寛文九年(1669)に始まった。延宝三年(1675)までに20局打たれた。道悦の完勝に近い。翌年に算知は碁所を返上する。本来なら道悦が次の名人碁所になるところだが、すでに道悦を凌ぐ道策が知られていたので、道悦も引退し家督を道策に譲る。そして本因坊四世道策の時代となっていく。
当時は正式な棋戦は御城碁しかない。年一局では話が進まない。そこで争碁の申出に対し、60局の幕命が下る。それでも算知は引き延ばしを図る。道悦の催促に嫌な顔をするが、現代人から見れば、年間予定を立ててしまえば済むこと。一局ごとに催促しないと打たない算知に問題がある。一局済むたびにあれやこれやの交渉をして、ようやく次回を決める。そのあれやこれやの裏交渉がこの小説の中心となっている。
道悦は業を煮やして有力大名に斡旋を依頼する。大名が「今度の勝負はうちで…」と、申し出て「いつか」と問い合わせる。さすがに算知も引き延ばしができず、日を決めざるをえない。こうしてなんとか、初めの2年で16局、その後は毎年の御城碁で4局、結局6年も引き延ばして20局である。
幕命があるのに、それを無視して引き延ばしてもお咎めなしというのは、現代から考えると不思議。大名ならお家断絶か。
毎回有力大名まで使って催促する道悦も疲れるが、それをいろいろ屁理屈をつけて引き延ばす算知も疲れた。
算知は敵役だが、碁界全体の後進の育成にはそれなりに熱心で、交流手合いを進めたりしている。
本因坊道悦と安井算知の争碁と同時に、本因坊道策と安井算哲の戦いもある。こちらは道策の一方的な勝利であった。
興味深いのはこの安井算哲だ。この時代の第一級の文化人であった。それまでは次の時代をになうつもりでいた。期待されてもいた。ところが道策との御城碁で11戦全敗。どうしようもない実力差を悟った。
碁では第一人者になれないことを自覚し、天文方となり暦を作ることになる。天文方での名は渋川春海。「しゅんかい」とも「はるみ」とも読む。
御城碁のあと、算哲は時雨空へ視線を向け、(赤字は原文通り)
「こういう天候が一番困るのですよ」
…… 道策は
「そう、いやな…」
天気ですねと言いかけてから、算哲は時雨空で星が見えないことを嘆いているのだと気づいた。
「いや失礼した。なるほどこういう日は困りますね。星が見えないときはどうなさるのですか」
算哲の口もとがほころびた。
算哲は、御城碁の時でさえ、こうして天体観測のことを気にしている。すでに心は天文方になってしまっていることに道策も気づく。
道悦にとっては、跡目の道策は、棋戦には味方であったが、棋戦が終わってみれば最大の敵。実力第一の道策をさしおいて自分が碁所になることはできなかった。
2010年の本屋大賞となった「天地明察」という本がある。わたしはまだ読んでいないが、この渋川春海の話だ。