5月8日掲載。
6月19日加筆訂正。

いま評判の天地明察を読んだ。これほど夢中になって本を読んだのは久しぶりだ。江戸の初期。日本の数学水準の高さを示す感動の一冊だった。
碁・数学・天文学・神学、それら全てに一流に達した渋川春海。日本の暦は二日ずれていることを知り、それを正す暦作りに全力を傾けた人。わたしは碁方として安井算哲の名で知っている人物だ。
2010年の本屋大賞一位となった。わたしはこれによって、本屋大賞という賞を知った。
「名人碁所」では、道策との実力差を知り天文方に転じたと書いた。しかし、数学や物理は大人になってから始めてできるものではない。少年時代からの研鑽があって、心に抱いていたので、天文方に転じることができたのである。
天文学には当然ながら高度な数学も必要だ。当時の数学を和算という。和算では春海と同年の関孝和などが登場する。関孝和は代数や行列式を考え出した当時世界のトップレベルの数学者だ。残念ながら、その数学は実業界に敷衍せず、芸術文化の世界におさまっていた。例えば碁のような扱い。
これは中国でも同じで、金庸の小説「射G英雄伝」は南宋の時代の物語だが、東邪と言われた黄薬師は数学をはじめ諸々の学問の達人なのに、中央の四書五経ではないので、「邪」と言われる。この数学は世界のトップレベルだ。実際、南宋の数学はそのレベルにあった。
和算は勝負の世界でもある。ある人が問題を提示する。解けた人は答を書いておく。それが正しければ出題者が「明察」と書き加える。
ことごとく「明察」となる関孝和。それに畏敬の念を持つ春海。和算の熱気が伝わってくるではないか。そして春海は、「天地」のことわりを「明察」する。
徳川の政治体制は、武断から文治へ移ろうとしていた。当時の、身分制度のあり方や人の考え方や江戸文化など。できるならば、世界中の囲碁ファンに読んでもらいたい。ただし、以下に書く、碁に対する誤りを訂正して欲しい。
プロ棋士小林千寿さんは「著者の冲方丁氏は多分を碁を打たれないのではと推察しますが、『棋士』をよく観察されているように感じました」と言う。
実はわたしも著者は碁を打たないと思った。数学や天文学はどうか。それなりに知らないと書けないと思われる。もちろん資料を丹念に読んだことは間違いない。
碁以外の問題もあり、失礼をかえりみず、いくつか引っかかった文をあげる。(赤字は原文通り)
P61 井上は、五十六歳。対して酒井は弱冠三十七歳の老中であった。
他でも弱冠(二十歳)について書いたが、三年後には初老(四十歳)になる「三十七歳」を弱冠と言うかねえ。
P71 (御城碁を)上覧碁と言って、過去の棋譜を暗記したものを対局者と合意の上で打ち進める。 …、自由に打とうとすれば、悪手の連発となる。
前半は本当か。もちろん上覧碁とは将軍にお見せする碁の意味だが、その内容は過去の棋譜だったか、そんな馬鹿な。
当時は上覧の場(黒書院)では打ち切れず、寺社奉行宅で打ちつぐことが普通だった。それで後(1669)に下打ちの制度ができた。棋譜を再現して見せるだけなら打ちつぐことはありえない。再現するならその碁はどこでいつ打たれたというのだ。
この時代の人なら、自分の碁は棋譜なしで再現できる。憶えているのだ。そして御城碁は記録に残る。その人の打った手ということになる。他人のレベルの低い碁を再現して、自分の碁とすることを承知するはずがない。
後半も明らかな誤り。高段の碁なら、自由に打っても悪手の連発になることはない。
P252 碁所、あるいは碁方とは言うまでもなく碁打ち衆の頂点である。
碁方は碁打ち衆のことで、碁所ではない。他にも碁方を碁所と勘違いしているところがある。(P253などなど)
P294 「必至!」叫ぶように答えた。反射的に口から出たそれが、碁の語彙でもあると遅れて気づいた。
「必至」は、将棋の語彙であって碁の語彙ではない。次の手が王手になり詰む形で、相手は防ぐことができない状態のこと。この「必至」は何度か出てくるが、意味がずれているように思えた。
P437 酒井は逝去した。享年五十七歳であった。
何度か「享年◯◯歳」という言葉がある。気になってここだけはインターネットで調べてみた。酒井忠清の生まれは寛永元年10月19日(1624年11月29日)。死去は天和元年5月19日(1681年7月4日)。これが正しければ、享年は五十八。
ここはもし「享年五十七であった」とあれば気にならなかったところ。
以下は明らかな誤りとは言えないが、気になった文。
P319 「ぜひ一手御指南を」などと言って、さっそく碁笥を手に取っている。しかも白石の方だ。春海を目上の者として立てつつの先番譲渡である。…こういう謙遜の態度を示せるのも…
目上の者と立てたのなら黒を持つであろう。コミのない当時、白石を持つのは自分が上だと宣言するようなもの。謙遜と言う言葉は、どこから来たか。
万一、黒を持つはずの人が白を持ったら大変な無礼になる。
P257 「二十番碁を命ずる」という、空前絶後の争碁こそが将軍家綱の決定であった。つまり将軍家綱が、碁に詳しくなり、白熱した真剣勝負を観覧したいと望んだということである。
「名人碁所」では、家綱はいやいやながら、役目上形式的に碁を見るだけ。どちらが本当か。なお幕命(おそらく寺社奉行の命令で、将軍の命令ではないだろう)は「六十番碁」でありながら、二十番しか打たれなかった。
P422 延宝五年、十一月。御城碁において、春海が、道策を五目の差まで追った。…
翌年の同じ月、同じく御城碁における勝負は、さらに白熱した。なんと道策に対し、春海が三目の差にせまったのである。
これは棋譜を検討しないとなんともいえないが、「五目の差」や「三目の差」という数字には、あまり意味がない。三目の差だから五目の差より迫ったとはいえない。一目差でも完勝ということがある。足りないから強く迫ったためかえって差が開くというのが普通。
P292 「ふ…不肖の身なれど、粉骨砕身の努力をさせて頂きます」
ここは「させて頂く」ところかねえ。「致す」べきだと思うが。
P253 長いので引用しないが、ここでは争碁を算知が望んだように書かれている。「名人碁所」では争碁は道悦が望み、算知は逃げ回っている。どちらの説が正しいか。これは小説なので自由に解釈していいのか。
P457 そっと積み重なった己の歳を数えてみた。四十五歳二ヶ月。
当時の人がこのような歳の数え方はしない。数え歳のはず。
P320 「…この北極星たる初手を、葬っていただきたい」なんと手筋の抹殺を宣言された。
算哲が天元に打つと、道策は初手天元を否定する意見を言う。これは初耳。あの道策が、初手天元打ちを不利だと言うのなら判るが、打ってはいけないと言うだろうか。
なお、初手天元打ちは「手筋」ではない。
P251 二十七歳になった春海は、前髪があることをつくづく恥ずかしいと思うようになっている。
P255 春海は二十八歳。ことは十九歳。どちらも遅い結婚である。特に春海は遅い。それなのにおかしな髪型をしている自分が春海は恥ずかしく、…
普通は十代で元服して、前髪を落とす。それをしなかったとしても、二十八歳で娶るとき、その前に前髪を落としそうなもの。前髪のまま婚礼とは考えられない。
しかも算哲は1659年に数え21歳のときから御城碁を打っている。この時は坊主頭になっていたのではないか。当時は有髪でも出仕できたのか。
この項は確認できていないが、大変な疑問だ。
幕末の大田雄蔵は、坊主頭になるのがいやで御城碁を辞退している。
たまたまわたしは碁のことを少しは知っているので、気がついたことを書いた。こうなるとわたしの知らない数学や暦学の専門用語や使い方に間違いはないか気になってくる。
碁の常識を変えた本因坊道策
数学の常識を変えた関孝和
暦の常識を変えた渋川春海
日本文化の三巨人が同時代に生きていた。
天地明察 (続き) へ続く
参考 招差術 江戸の碁


相変わらず言葉に厳しいです。
明らかな間違い、これは私にも分かります。小説家が史実と違うことを承知で書いたのかどうかということと、現代言葉ならかまわないが時代小説ではまずいということがありますね。
「享年◯◯歳」など、もう間違いとは言えなくなっていますね。年齢の数え方はおかしいです。著者は若い方で、昔の数え方を知らないのではないかと思いました。
碁の専門用語は分らないなら分からないですませて、碁の細かいことには触れないという手もありそうです。
機会があったら読んでみます。期待しないで下さい。
ぜひ読んで下さい。
著者は高校を出て10年以上といいますから、まだ若いといえます。
わたしも、著者は数え年を知らないのではないかと思いました。でも暦の話ですからねえ。
それと、囲碁の扱い方の問題。たとえば3目差まで迫ったとありますが、これは算哲の定先です。それに3目差なら、道策は余裕たっぷりで逃げ切ったのではないかと思われます。
そんなわけで、碁には触れないで済ます方がよかったと思えますね。
小説としては稚拙なところもあります。
クライマックスを最初に持ってくる。
「……となることを、その時は予想もできなかった」という形の文の多用。
題材が面白いので、夢中で読んでしまいましたが、問題点も多い小説でした。
いま加筆しました。もう一度読み返して下さいm(__)m。
> 数学や暦学の専門用語や使い方に間違いはないか気になってくる。
間違えています。算額問題で、妥当なものは最初の三角形の問題だけです。
暦学に関しても、誤謬の指摘があります。
碁の記述にも、やはり誤謬があったのですね。
やはり、間違いがありましたか。いま「digital西行庵」を見ましたが、これほど散々なできとは、思えませんでした。ありそうだなとは思っていましたが。
著者は自分ではこの問題を解いていないわけですね。解けなくても考えていればこのような間違いはなくなるはず。
暦学にしても誤謬。
こうなると、著者の専門(専門とは言わなくても、得意な分野)はなんだったのだろう。高校生のころから春海に興味を持っていたにしてはお粗末。
取り巻く人たちにこの方面の専門知識がある人がいなく、間違いを指摘できなかった。本屋にしても事情は同じでしょう。
碁に関しての間違いは、ストーリーに影響していないか。わたしにはそこが一番心配でした。このままではとても外国に紹介できませんねえ。
自分も最近(昨日の夜です)この本を読んでみました。
>P319 「ぜひ一手御指南を」などと言って、さっそく碁笥を手に取っている。しかも白石の方だ。春海を目上の者として立てつつの先番譲渡である。
ここは、自分も「あれ?」と思ったのですが、
「ぜひ一手御指南を」と、丁寧な言葉で「目上の者として立て」つつも、
「先番譲渡」=黒石をどうぞ=自分のほうが強い・・・
と言っているのではないでしょうか。
つまり、
「あなたは目上だが、囲碁は私のほうが強い。」
なににせよ、分かりにくい表現だとは思います。
常識的にはそう考えるところでしょう。ただ当時の状況を考えると、白番黒番は勝手に変えられるものではない。
「先番譲渡」と説明しています。白番を譲ったなら譲渡と言えますが、黒番を譲ったでは白を奪ったとでも表現すべきでしょう。
「こうも謙遜の態度を示せるのも…」は先番譲渡をさしています。矛盾します。
このあたり、おそらく、現代の勝負碁の感覚でしょうか。当時は、勝負に関係なく地位は決まっている。勝負を重ねることによって地位が決まります。
ここで賞金が出ているのかどうか判りませんが、考え方として、次のように思います。
現代なら勝った方が賞金を受け取る。当時は勝敗に関係なく、上の人が賞金を受け取る。だから負けても白を譲れない。
春海や道策がそう考えたかどうか判りませんが、制度はそうなっていたと思います。だから命がけで白を求めた、名人を求めたと思います。
著者はそこが判っていません。
碁所になると手合いが不利だから、碁所になる者がいなく、空席になっていた。と言う意味のことをどこかに書いてありました。
これは碁所の意味を知らない人の錯覚です。
>「あなたは目上だが、囲碁は私のほうが強い。」
結局、この解釈は成り立たないと考えます。とにかく、判りにくい表現ですね。
の「も」が抜けていました。訂正しました。このもは、
普通の言葉が、碁の語彙でも という意味で、
将棋の語彙でもあるが…、という意味ではありません。
だから、趣旨は全く変わりませんので、その他はそのままです。