講談社現代新書 08.1
ぎすぎすした職場が増えているようです。
一人ひとりが自己的で、断絶的で、冷めた関係性が蔓延しており、それがストレスになる職場です。
協力性・親和性が高い、血の通った感じがする組織とは逆の職場です。
わたしは、そのような会社ばかり勤めてきたので、会社とはそんなものだと思っていた。
そんな会社だから人の出入りが多く、わたしのような凡人でも入社できた意味があるので、否定する気はない。ただし、仕事には真剣に取り組んだが、俗に言う会社や経営者に対する忠誠心はなかった。忠誠心は待遇に比例するのだ。仕事以上の待遇は受けていない。
この本に紹介されたような「協力性・親和性が高い、血の通った感じがする職場」は特殊な会社にかぎられていると思っていた。読んだ結果は、やはり少ないが、経営者がそのような会社を目指せば、できないことはないと思える。
会社に勤めている人よりも、会社を経営している人に読んでもらいたい本だ。
パワハラ に書いた会社で、若くしていきなり部長に抜擢されたある上司は、「経営者が冷たいのは当然だ。社長が社員のことを考えるようなら、とっくに会社は潰れている」と言っていた。
役名詐称 に書いた会社は基本的に社員は外注同様の扱い。新しい営業部長が古い営業課長に、取引先の電話番号を「教えろ」、営業課長は「いやだ」でけんかするほど。仲がよくなるわけがない。
逆に「協力性・親和性が高い、血の通った感じがする組織」に勤めている人は、上記のような会社がどうして存続できるのか不思議ではなかろうか。
「社員が楽しく働ける職場」の話を読んでいると、経営者の大変な苦労があることが判る。
例をあげよう。社員が知り合うための社内旅行だ。
その旅行自体が魅力的なものでなければならない。
団体行動訓練が目的の、ただ遠くで宴会をするだけが目的の旧来の旅行では意味がない。旧来の旅行では仕事と変わりなく「給料を出せ」と言う社員が出てくる。(実はわたしは言ったことがある(^_^))。
と言うようなことを細かく書いている。
まだまだ捨てたものではないと思う。
…………………………
追記
「給料を出せ」は、仕事とは何かという話になる。
社長をはじめ経営者や営業者は儲かることが仕事だ。だから旅行には「遊びに行くのに給料を出せとはなんだ」となる。
しかし、現場の従業員は拘束されることが仕事だ。儲かるかどうかは無関係。だから、「この仕事は儲からないから拒否する」ことはできない。儲からなくても宴会出席でも、その時間拘束されるなら仕事なのだ。遊びではない。
普通は「魚心あれば水心」で、ある程度は融通を利かす。水心を感じられなければ魚心もなくなる。
僕は今まで学校に職場に恵まれてきました。でも入社して1年になろうかというときNC旋盤のプロ、Sさんって言う人が入社してきて、いきなり偉いさんからスタート。
自分でも解らない事を入社一年目の僕に押し付けたりする割りに私はプロだからと言うのが口癖でした。
本当のプロの直属の上司がSの言うことは鵜呑みにするなよ。といってたし。直属の上司は仕事の腕も人間としても尊敬できる人でした。
今は違う会社にいってしまいましたが。
Sがまた僕に文句を言い出した時、隣の工場の社長さんが「Sさん、いつも口ばっかり動かしてないでたまには体うごかしたら?」
と会心の一言をいってくれました!
とはいえ僕は会社を辞めようと考えていました。
Sの入社によって居心地のよい会社から一転しましたが会社の先輩に相談したら、あぁ、それなら心配ないと思うよ。Sさんもうもたないよ。
ほとんど全員に嫌われてるから。
それから数週間後、Sさんは会社を去り平和が戻りました。
うちの会社、中小企業だから下っ端の意見とか我が儘も聞いてくれる人間関係を大事にする社長なんだけどSさんを入社させたのは間違いだったと思います。
社長は社内で人間関係が崩れるのを一番恐れているから社員旅行や飲み会はコミュニケーションをとる大事な場所。強制ではないけど皆参加してほしいといっていました。
こちらの我が儘も聞いてくれる代わりに社長の無理難題もたまにはやらされるけど良い職場と言えると思います。
そのような人が上司になると悩みます。でも社長が自覚しているようなので、助かりましたね。社長がどうしてそのような人だと見抜けなかったのかと思いますが、気づいて解雇した英断を全従業員が支持し、失敗を許したことでしょう。
水心があればとうぜん魚心が生じます。わたしなど一度はきいてやりますが、調子に乗って二度目をとうぜんの如く要求されると、反発してしまいました。
「こちらの好意でやっているのに、何事だ」
「給料を貰っているのに逆らうとはなんだ」
Sさんのような人は管理者と称して、文句ばかり言うのを仕事と勘違いしていますね。円滑に仕事が進むようにするのが管理者の仕事なのに。
それはともかく、そのような会社に勤めることができたのは幸せです。
隣の社長に言われたのは愉快。
仕事が間に合えば残業はしない。後は自分の時間サッサと帰ります。
もっとも忙しいと徹夜なんてこともありましたが・・・
城址にとっては扱い難い協調性がないと、出世はしませんでした。
課長クラスもほんの一瞬しましたが、20数年の万年係長クラス(主任といいましたか)でした。
こんなに長く係長をしたものは私の会社にはいないはず・・・(笑)
でも、仕事が全てではない、というより、生きていくうえに仕方ない。
いろいろな上司がいました。
いい人も嫌いな人も、でも、数年たてば換わってしまう。
そういう体質の会社でした。
おかげで、いろいろな人を観察できました。
会社の旅行は東京時代の会社にはありました。
常磐ハワイアンセンターとか、熱海・・・
一度もいったことはなかったですね。
山に行ったほうがいい。
日曜だけの休みの頃。休みは貴重でした。
でも、当時の楽しみにしていた人も多かったようですね。
でも人それぞれに生き方があり、職場のあり方もあるのでしょうね。
でも、やはり明るい職場であってほしいのですが、
年を追うごとに利益追求、競争重視・・・
そうした世界が嫌で定年、即、継続勤務要請を撥ねつけて・・・
仕事人間ではないようでした。
皆さん、それぞれに苦労していますね。
>年を追うごとに利益追求、競争重視・・・
これはわたしも感じました。ただ昔の明るさは低賃金であったことも原因かと思っています。休みは少なく、生活は満足にできないので、旅行など個人では行けず、会社での仕打ちは耐えるしかない。また給料が安いので、会社は従業員を無駄に使える余裕がある。いまはその余裕がなくなってきた。
少し前に、日本は貧民の多い国でワースト何番とか。しかし日本の貧民も多くの国の普通の人並み以上の収入はある。つまり低賃金の人でも外国に比べると高級。そんなことも余裕のなくなった原因ではないかと思います。
とは言っても、本人の志も重要。わたしは定年少し前に退社しましたので、約一年間は無収入になりました。そのため諦めたことの多いこと。しかし精神的には得たものもいろいろあります。いまの勤め先、週二日ですが、それが縁で話がありました。
まあ、なんとか生活できています。