2010年06月23日

大衆文藝評判記

三田村鳶魚   汎文社   昭和8年11月(1933)
覆刻版     沖積舎   平成10年(1998)
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 三田村鳶魚(みたむら えんぎょ)は明治3年(1870)に八王子千人同心の家系に生まれ、昭和27年(1952)に亡くなった。江戸文化・風俗の研究家である。
 杉浦日向子さんの大先輩のような方だが、決定的に違う点は、杉浦さんは研究したもの。三田村鳶魚は実際に見聞きしていたこと。
 明治三年生まれ。子供のころは、江戸時代の人々の世界であった。実際見聞きしている人たちは、江戸時代を生きてきた人たち。この本を書いたのは昭和の初めである。明治維新から六十数年しかたっていない。まだ江戸時代生まれの人も多く生存していたであろう。 そのため、言うまでもなく、このくらいは誰でも知っているということが多い。
 この本の対象となった小説はそんなころの小説である。
 いまは第二次大戦から六十数年しかたっていない。戦前のことを書こうとすれば、この本と同じことが起きそうだ。知っている人から見ると、こんなことも知らないのかとあきれかえるだろう。実際若い人が「徴兵を拒否すればよかった」なんて言っているのだ。
 昭和の初めのころは、いまとは違い情報量が圧倒的に少ない。知らない人にとっては、調べることは大変な作業であったと思える。ほとんどの小説家は調べることを放棄してしまったのではないか。
 ここが違うあそこが違うと書くだけで、小説より長くなりそうだ。それほど間違いが多いという。その批判の姿勢について、
 …例へば緋縅の鎧を着た人が長靴を穿いてゐる。上下姿の人が帽子を被つてゐるということが許せないのと同じで、何ほど事實から拘束されることの無いものであつても、それほどのことは許されまいと思ふ。
   
 取り上げられたのは、次の小説の一部分である。
大佛次郎  赤穂浪士
土師清二  青頭巾
直木三十五 南国太平記
白井喬二  富士に立つ影
長谷川伸  紅蝙蝠
吉川英治  鳴門秘帳
林 不忘  大岡政談
中里介山  大菩薩峠
佐々木味津三 旗本退屈男
子母澤寛  国定忠治

 赤穂浪士の冒頭に「将軍が退出に…」、これを、退出という言葉を批判する。これは「音羽の護国寺」から帰るところ。ところがそこは護持院。
 そして批判は続く、その護持院と護国寺を一緒にしている。護持院は神田にあった。といろいろ歴史など述べて、「護国寺のことを書いてないが」とある。はじめの「音羽の護国寺」は「音羽の護持院」の誤植か。
 出だしで躓いたが、あとは快調。

 ご用聞きの仙吉が、縄を持っている場面に、人を縛る権限は無いので縄は持っているはずがない。とか、
 自身番小屋へ行き、寝込んでいる番太を起こすが、これは自身番小屋の意味や構造を知らないから。とか、
 向島に花見に行くが、当時は花見の場所ではなかった。とか、
 吉良上野介(のような身分)が歩いて向島に行けるわけがない。とか、
 料理屋に入って酒を飲んでいるが、元禄時代には料理屋は無かった。とか、
 淺野内匠頭が片岡を呼ぶと、その間に片岡は廊下に平伏した。大名の居間に廊下は無い。とか、
 夜回りが「火の番」と言うが、「火の用心」と言うのだ。とか、
 神田明神下には棟割り長屋はない。とか、
 こんな感じで五十頁に渡って書かれている。
 武士の生活というものをまるで知らない。庶民の生活も知らない。家の構造も知らない。武士も階級によって、言葉も態度も違う。どのような品物がいつごろできたのか。江戸時代も元禄のころと幕末に近いころでは、まるで違うが、その区別がついていない。
 時代物を書くにはその時代を知らなければならない。と。

 青頭巾では、関所手形の扱いに細かい。
 箱根の関所手形を巡って話が続く。
 九州から江戸に出るには、手形が二枚いる。箱根の前に荒井の関所がある。荒井の関所を問題なく通った女が、どうして箱根の関所で躓くのか。この話がまるでウソだとことわっているようなものだ。と言う疑問を詳しく書いている。
 もちろん江戸の町の話もある。特に人と人の対応の仕方が問題だ。身分制を理解していない。
 将軍の手の着いた女が、市中に出回るはずはないとか。

 直木三十五といえば直木賞に名をとどめる。その南国太平記も問題だらけ。
 三田村鳶魚は鹿児島藩士に詳しく聞いた話を書いたことがある。それで西郷隆盛嫌いになったが、それはともかく、おかしな言葉がいっぱい。
 例えば、父を八郎太といい、母を母上という。作者が語彙に乏しいからだ。敬語の使い方を知らないからだ。とか。
 長いので端折る。

 富士に立つ影は江戸の花火師が試し打ちのため、富士まで出かける。そんな遠くまで、大荷物を持ってなぜ行くのか。そして、調練城というのが出てくる。訓練のための城だというがあるはずもなく…

 長谷川伸の紅蝙蝠は、行き届いていて、書き方も気が利いているという。
 だから小さいことは問題が少ないのに、大きいことで躓く。江戸を離れれば、八丁堀の同心についている岡っ引きではどうにもならない。そうなると趣向が全部崩れてしまう。
 やはり当時の家の制度を知らない。

 吉川英治の鳴門秘帳はわたしも読んだことがある。三田村鳶魚は、
 他の人と違って多少とも江戸のことを何かででも見ているのであろうかと思われる。その見たことが胸につかえる。消化できないので、…ナマナカ知っていることが害になる。
 当時甲賀町は隠密の町ではない。しかも甲賀衆は十五俵一人扶持なのでこのような立派な建物には住めない、と。

 以下省略しよう。
 ともかく、もし言葉を現代に移すならそれでもよい。なまじ、古い言葉を使おうとするから、新旧入り交じっておかしくなってしまう。家の格によって言葉は違う。大名・旗本・御家人、陪臣でも家老・士分・足軽・中間、それぞれ違う。
 そうはいっても今から使い分けることは難しい。できても読者が理解できないかもしれない。現代なら、現代語に言葉を移すしかないだろうな。それは三田村鳶魚も認めているのだ。
 どのような家に住み、どのような着物を着て、刀は持っているかどうか。また士階級は外泊できないという制度を知っているか。
 このような基本的なことを知らねばならない。時代物は難しい。
 覆刻版なので、字は不鮮明で旧字旧仮名遣いながら、総ルビなので、読むにはなんの問題もない。
    daibosatu.jpg
 大菩薩峠の一部を示す。
 時代小説評判記に続く。
posted by たくせん(謫仙) at 07:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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