2010年06月24日

時代小説評判記

三田村鳶魚   梧桐書院  昭和14年4月(1939)
覆刻版     沖積舎   平成10年(1998)

        jidaishousetu.jpg
 大衆文藝評判記の続きである。
 取り上げたのは、
嶋崎藤村 夜明け前
吉川英治 宮本武藏
直木三十五 明暗三世相
三上於莵吉 雪之丞変化
邦枝完二 女忠臣藏
土師清二 旗本傳法
菊池寛  有馬の猫騒動
藤森成吉 渡邊崋山

 夜明け前では、(嶋崎の嶋は原本通り、以下仮名遣いの間違いはご容赦下さい)
 木曽は山国と言うばかりでなく、土地は尾州家の領地で、関所は幕府の支配である為に、山村甚兵衛のような幕府の士が守つている。この事に就いては私どもは他に例がないように思つて居りましたので、
 とことわって、
 宿役人が送迎するとき上下を着用するかどうか。他ではないので木曽にはあったのか作者にお聞きしたい。
 しかも苗字帯刀を許されていない。然るに上下を着て出るのは疑わしく思う。とか、
 賄賂を取ると言うが、付け届けは賄賂とは違う。時代を誤解させる。とか、
 それから言葉を「君」とか「まあそう言わないでくれたまえ」とか、いまの言葉に書き換えるにしても、書生言葉ではなく、風格のある言葉に、とか。
 士の格式が判っていないことをいろいろ指摘している。
 和宮の嫁入りを、「御降嫁」という言葉を知らないのかと叱る。あの天皇制の時代の作家が御降嫁という言葉を知らない。それで三田村鳶魚は作家の時代を見る力を疑い、
   もう読むに堪えぬ
   
 吉川英治 宮本武蔵では、はじめに登場する朱実たちの生計が立つはずがない、とか、
 姉が、武蔵が戦場に行くのを泣いて止めたのは、ありえないとか。

 その他省略するが、幕府のいろいろな役職やその格式、どのような家で、どのような家来がいて、どのような生活をしているか、を理解していないための間違いを指摘している。
 旗本の妾について、町中に妾宅があるはずがない、妾は家来だ。という。第二夫人ではないので町中に妾宅はない。

 ここで、一つ重要な問題に気がついた。
 実際は三田村鳶魚の批判の如くであろう。しかし全く例外はなかったのか。もちろん小説の著者たちは、そのような例外があったことを知ってそれを題材にしたわけではない。だから例外があったにしても、普通の人たちの事を描写することによって話題は例外であることを指摘すべきで、それをしていない以上、著者たちの間違いとすることになる。
 ただ、日本全国例外なく武士というものはこうである。と言えるのかどうか。地方によって、制度に違いがあるかも知れないとは、「夜明け前」で可能性を書いている。そのような例外があったらお聞きしたい、と。
 しかし、そういう特殊な例でなく、一般的に江戸に住む、旗本や御家人にも例外はないか。諸藩の武士たちにも同じことがいえる。例外はないのか。わたしはどうも疑わしく思える。ただし、例外があっても時代を合わせられなければ、批判されても仕方ない。
posted by たくせん(謫仙) at 06:25| Comment(2) | TrackBack(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんばんは。
 返信遅れました。
 このあたりの歴史的事実の齟齬や歴史考証の話はよく聞きますが、、、あまりに荒唐無稽なものであれば非難はされていても仕方ないのですが、そうでなければ「面白さ」を出す為の演出としてありだと個人的には思います。だって、その世界の歴史や考え方をあまりにも忠実にやりすぎたら主人公がつまらなくなってしまったり、話が転がりにくいなんてことはしばしばですからね。
 また、現代に置き換えたとして、現代の刑事物であったり政治ドラマなんかも、まともに考証なんていれだしたら無茶苦茶だしあり得ないし、誤りだし、話そのものがまず出来ないから。
 小説である以上は、ある程度のふりはばがないと、楽しくないし、小説っていうのはある意味楽しい、面白い、考えさせられる、とかそういう要素のほうが重要な気がいたします。
Posted by 樽井 at 2010年06月24日 15:56
樽井さん
時代考証は、その小説の性格によりますね。
三田村鳶魚は「鎧武者がゴム長靴を穿いていてはいけない」というようなことを言っています。その時代に対する常識を損なうかどうか。
だから、今なら許せても、三田村鳶魚のころは許せない。ということが多々あると思います。
天地明察では、はっきり判っている史実に誤りがある。
判らない場合はどうか。これは仮定の話、こんな事があったらどうかという話なんですよ。という舞台設定をきちんとしておけば、いいのではないか。舞台設定がきちんとできていないから、その舞台設定では、こういう誤りがありますよ。ということになる。
だから架空の藩(地名・人物・産物など)を持ってきて、この藩はこうだと舞台設定する。いい小説はそれができている。
わたしが一番気にするのは能書きの誤りです。碁を知らない人に碁の説明をする。江戸時代の政治体制について説明する。その説明に誤りがある。
このあたり、実際はこうだけど、こう設定しました。ということをさりげなく説明できている小説はかまわないわけですね。水戸黄門が何十年旅を続けても気にしない。町奉行が一人で探索しても気にしない。
作家がそれを判っていないとメチャクチャになります。
Posted by 謫仙 at 2010年06月25日 07:07
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