2010年07月01日
大相撲
いま相撲協会は名古屋場所を前にして野球賭博問題で揺れている。名古屋場所は中止すべきと言う人もいる。
わたしはこれに絶対にやるべきだと思う。日頃、「文化だ、神事だ」と言っていたではないか。それなら賭博問題は別にしてやるべきだ。
もしかしたら観客はゼロかも知れない。観客は入っても、入場料は取れないかも知れない。NHKも放送しないかも知れない。そうなると収入はほとんどないだろう。しかし、本来神事とはそのようなもの。本人たちだけでひっそりと行ってもおかしくない。たまたま、それを見たい人が見に来るのであって、観客のために行うのではない。
もっとも費用がかかるので、全力士ではなく、幕内力士だけにしてもよい。場合によっては三役三番だけでもよい。そうしてとにかく15日間の神事を行うべきだ。誰が勝ったか負けたかは、報道がなくて一般の人には判らなくてもかまわない。相撲関係者さえ知っていればいいのだ。
それもできないなら、相撲は解散せねばならないだろう。少なくとも神事であると言ってはならない。
なお、大相撲とは幕内力士が出る場所のこと。十両以下なら中相撲。幕下以下なら小相撲という。一応三役三番が取れれば、神事は片づくはず。横綱の土俵入りは必要ない。
「それを中止と言うんだよ」と言われそうだ。
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確かに神事と言ってはいますが、それは建前でしょう。本音は興行ですよね。
神事として、後の祭りのようにひっそりと行うことは考えられません。
ただ、今回の事件は、リーマンショックでトヨタが赤字になったようなもの。立て直しができないようでは、相撲は終わりです。数年後には近代的なスポーツ興行として成り立つように、再建して欲しいと思います。
特に巡業が暴力団ナシには成り立たないと言われている状況を是正すべきでしょう。一般社会人としての教育は急務ですね。
はい確かに建前です。ですけどその建前を守るから興行が成り立つので、今は興行色を弱めて、力士が半減しても建前を守ることを考えるときだと思います。
子供のときから、つまり中卒で相撲の世界に入り一般世間を知らないで過ごす。その生活の仕方が問題の始まりではないかと。
だから親方になって、巡業を考えるとき、地方暴力団と付きあうことの抵抗が少なくなってしまう。
力士のときから、きちんと教育すればよいので、急務です。何年もかかるのでしょうね。
巡業をやめて部屋でじっくり鍛えて場所に望んだ方がいいではないかと思うのですが。
それでは相撲界をいじできないのかな。