高島俊男 文藝春秋 02.10
このシリーズ、わたしは6冊持っている。以後も続いて出ているらしいが、興味を失ってしまったので、買わなくなった。
全体的なイメージは、
1,2は、日頃思っていることを書いた。
3,4は、ネタを探したがこなし切れていない。
5,6は、探したネタを無理してこなそうとせず、できる範囲で闊達に書いている。
間違いも多くなり、その分、他の文の信頼性をおとしているが、それでも教えられることは多い。
わたしは今では使われない言葉に蘊蓄を傾けられて、「それはそうだが今ではどうでもいいよ」という反応をして読まなくなってしまったが、それまでの分を読み直して、けっこう現代言葉に通じる蘊蓄が多いのに気がついた。
例をあげると、
「あらためる」という言葉の意味は一つである。だが漢字で書くときは「改める」「検める」「査める」などと区別する。しかしその必要はない。かなで書けばよい。漢字で書くと日本語が見えなくなる。これらは日本語では「あらた」という一つの言葉である。と。
「新しい」ももとは「あらたしい」である。
といった具合。
どうでもいいよ、というのは、
トンボの語源は「トボウ」「トウボウ」の変化であろうと…とか。
昔あった「砂子屋」の正しい読み方は…とか。
自民党政治家の失言問題について
52頁 江藤総務長官の朝鮮に対して「日本はいいこともした」発言の問題を取り上げている。そして、
失言する、内外で騒ぐ、辞任する。まで、はじめから決まっているという。それで日本の意志が伝わる、という。
まさか…。それで失言を推奨するが、失言とは多くの場合、単なる悪口や民族差別でその人の人格レベルの低さを示している発言である。こんなところに同意できない部分もある。このあたりは読む人によって別な解釈をするだろう。
「同じ事を言うにも、相手の怒りを買わないように言って貰いたい」と言って欲しい。
この本で引用している江藤発言が正しいなら、怒りを買うことはないと思える。それなのに怒りを買ったのはなぜか。わたしにはマスコミ誤引用のせいとは思えない。
以下5、6は省略しますが、お奨めであることは変わりません。
注:江藤総務長官の言葉の引用
日韓条約は日本が悪かった。日本が強引に判を押させたから。軍を配置して暴動を起こさせなかった。民族を統合するというのは、そりゃ反対がある。
しかし日本はいいこともした。全市町村に学校をつくった高等農林学校をつくり、ソウルに京城帝国大学をつくり、一挙に教育水準を上げた。まったく教育がなかったわけだから。鉄道五千キロ、道路一万キロ、港湾の整備、開田、水利をし、山には木を植えた。いいこともやったが、誇り高き民族への配慮を欠いた。それが今、尾を引いている。
高島さんは、
こんなに筋道の通った、情理ともにかねそなわった発言でも、口にした者は袋だたきにあい……
「誇り高き民族への配慮を欠いた」という部分は故意に無視し、、「日本はいいこともした」という一句だけをかかげて……
という。本当かなあ。底意を見透かされたので、あわててしまって対応を間違えたのではないか、と愚考する。
それに三十年以上統治していて、その間に政策としてそのようなことをするのは当然で、「いいことをした」と言うようなものではないと思うが。
2010年07月05日
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